「私の通訳者デビュー」古賀朋子さん編
第4回:米国から帰国、4社で社内通翻訳者を15年経験した後、フリーランスに
フリーランス日英同時通訳者、古賀朋子さんの「私の通訳者デビュー」を、松本佳月さんが主宰するYou Tube「Kazuki Channel」からインタビュー記事にまとめて、6回連載で紹介します。第4回目は、米国アラバマでの6年間の自動車会社勤務を経て帰国、4社約15年の社内通翻訳者の経験、フリーになるまでの理想的なキャリアパスなどについてお話いただきました。
(インタビュアー:松本佳月さん、酒井秀介さん)
●グリーンカード取得も視野にアラバマで6年働く
酒井:古賀さんが行かれた大学院の通訳コースを卒業した人は、同時通訳も逐次通訳もできます、という感じですか。もちろんできると言っても、いろいろあると思うんですけど。
古賀:それが実はすごく微妙なんです。前にお話ししたように大学院では、I(Interpretation)コース、T(Translation)コース、その両方を学ぶT&I(T寄り、I寄りなどいくつかのコースがある)に分かれて学びます。にもかかわらず、IコースなのかTコースなのかT&Iなのかというのは、卒業証書を含めどこにも記載されないんです。伝聞ですけど、Tコースで卒業した人が、ある工場に通訳者として入ったけれど、全然ダメだったということがあったらしいです。だから微妙です。
T&IやI寄りできちんと勉強して卒業したら翻訳も通訳もできて、もちろん通訳の逐次も同時もできるという想定になると思います。
酒井:そういう中で企業がリクルートに来て、テストを受けて、その会社に行く人は行くし、行かない人は行かないということですか。
古賀:リクルートに来ていたのは自動車会社1社だったので、他のところに勤めた人もいますし、日本に帰る選択をした人もいました。もちろんアメリカ人もコースの中にいたので、アメリカ連邦政府などの仕事をしている人もいたと思います。
酒井:面白いですね。リクルートで会社に入ったのが古賀さんのパターンだと思うんですが、通訳という仕事は、当時のアメリカにおいてけっこう給料がよかったのか、それとも普通の就職ラインの1つなんでしょうか。
古賀:あまり訊かれたことのない質問ですね。私がそこに就職した時にあまりそういう視点を持っていなかったので、他の職種だったらこの国でいくらもらえるんだろう、ということをちゃんと比較したことがないんです。
ただ1つ言えるのは、英会話学校講師をしていた時よりはずっといいお給料になったということと、他の人と話している感じでは、通訳としての初任給と考えると、たぶんそんなに悪い額ではなかったと思います。
松本:アラバマにはどのくらいいたんですか。
古賀:2004年から、6年ちょっといました。
松本:けっこうしっかりいたんですね。
古賀:そうなんです。実はグリーンカードを取ろうとしていたので。
松本:まだ日本に帰るつもりはなかったんだ。
古賀:なかったですね。その会社をスポンサーとしてグリーンカードを取ろうとするプロセスに入ると、もう動けないんですよ。だから帰国するという選択肢もなく働いていました。
アメリカ滞在中。(写真はすべて古賀さん提供)
●帰国後フリーランスを経て、再び社内通翻訳者になる
古賀:でも、諸事情でグリーンカードプロセスが頓挫してしまい、日本に帰らなくてはいけなくなって、嫌々2010年12月に帰国しました。そこからフリーランスの通訳者になろうと思って、ぽつぽつ仕事をし始めました。
松本:それはどこかのエージェントに登録して?
古賀:そうです。今考えるとその登録しようとする動きも甘かったなと思いますけど、ぽつぽつやり始めていて。ただ私は自動車しか専門分野がなかったわけです。
松本:6年間やっていたわけだしね。
古賀:それで、自動車関係のお仕事はぽつぽつ来るけれども、それ以外の仕事はゼロではないもののそんなには来ない。そもそも12月だったので、フリーランスとしての仕事ってあまりないんですよね。当時だと12月半ばぐらいからもうほぼありませんから。年が明けて、そのままの感じでぽつぽつやっていたら、3月に東日本大震災が起こったわけです。
松本:そのタイミングだったんですね。
古賀:それで、ご存知の通り外国人がけっこう退避しましたし、もともと仕事がそんなに来ていなかったあの時期、より少なくなりました。
当時、私は千葉にいたので大きな被害を受けたわけではなかったんですけど、家にいてテレビで災害のニュース映像などをずっと見続けているうちに、精神状態があまり良くなくなってしまったんです。仕事がたくさん入っていればそういう時に気が紛れると思うんですけど、なにせ仕事があまりないのでずっとそういう感じになってしまって。
「これはダメだな、このままやっていてもフリーとして急に飛躍することはないから、もう1回社内に戻るべきだな」と思って探し始め、5月ぐらいから製薬会社に入って、また通翻訳をしていました。
松本:それはどうやって探したんですか。
古賀:フリーランスの仕事をくださっていたエージェントの派遣部門のご紹介でした。
松本:紹介予定派遣みたいな感じで、最初は派遣社員で入って、正社員になるという形ですか。
古賀:いえ、ずっと派遣でした。
松本:派遣で翻訳もしていたんですか。
古賀:はい、翻訳もしてました。
松本:通翻訳者という感じですね。
古賀:そうですね。社内で通訳だけのところはあまりないと思います。
●15年間で4社の社内通翻訳者勤務を経験
古賀:派遣だから仕方ないけれど、お給料はけっこう低かったんです。でも途中で「100円上げてください」と言って、上げてもらいました。その話を人にしたら、「派遣で100円上がるってすごいことだよ」と言われて、「え、そうなの?」と若干世間知らずな感じだったんですけど、上げてもらえて「やったー!」って思って働いていました。
その会社には、もともと社内通訳者兼秘書の仕事をしている方が1人いたのですが、ドイツから赴任してきた人の通訳業務が1人では回らないということで、2人目の通訳として私が入ったんです。でも1年4カ月ぐらいした時に、そのドイツから来ていた人が帰国することになって、私の仕事も不要になってしまい、派遣が終わってしまいました。
そうしたら別のエージェントさんから「保険会社なんですけど、どうですか」と声をかけられました。
松本:それも派遣ですか。
古賀:それは契約社員でした。「保険なんて私にできるんだろうか。難しそうだし……」とすごく心配だったんですけど、「製薬ともまた違うし、いいチャンスかな」と思って、入社しました。そこに2年数カ月はいたのかな。
松本:そうなると仕事しながら知識を得ていく感じですよね。
古賀:そうですね。自動車も製薬も保険も割とそういう感じでやって、その後また、もう1社、社内で働きました。そこは小売などをやっている会社だったんですけど、合わせて4社で15年ぐらい通翻訳をしていました。
松本:実務経験は完璧ですね。
古賀:実務経験がすごいのか、フリーになる思い切りがなかっただけなのか、微妙なところではあるんですけど。
ある時期から通訳の仕事で海外出張に行きたいと強く思っていて、それが4社目の会社で叶って、本当にいろんなところに行かせてもらったので、やりきった感はありました。
念願叶って通訳者として世界各地へ出張。
松本:その4社目にいる時に、そろそろフリーランスになりたいなと思っていたんですか。それともその前からずっとですか。
古賀:フリーになりたいなという気持ちは、うっすらとはずっとありました。大学院で教えていた現役の先生たちは、フリーランスで通訳もしている人がほとんどで、彼女たちの言い方だと、「フリーをやってこそ通訳」みたいな感じがすごくありました。それで、その価値観が正しいとは限らないですけど、「フリーをやらないと通訳として完成しない」という考えをちょっと植えつけられたところはあると思います。それから、フリーだといろいろなお仕事ができるのが楽しそうだなということもありましたし、その両方ですね。
ちょうど4社目の会社が契約終了の時期になった時に、「今だな。ここでフリーになろうとしなければ、もうならないだろうな」と思ったんです。
松本:また次の会社に入っちゃうとね。
古賀:そうですね。4社目の会社にいた時から、実は酒井さんにお世話になり始めて、「フリーになりたいので」と、ちょこちょこ相談をしました。
●黄金のキャリアパス
酒井:古賀さんのキャリアパスは、時代もあると思いますけど、「黄金ルート」と言われていますね。つまり、インハウスで3業種ぐらい経験した上でフリーランスになるのが一番いいと。
古賀:そうなんですか。
酒井:それはカセツウでも言っていますし、たぶん理屈としても合っているんですよ。フリーランスでゼロの状態からやったことのない分野に入るのはなかなか厳しいじゃないですか。
でも、インハウスは育てていくという土壌というか前提があるから、社内の人に聞きながらその分野の業界のことを知ることができて、3年やればまあまあ知識もついていく。意図的に違う業界を選んで転職するにしても、インハウスからスタートすると入りやすいですよね。それをやると、3業種3業界を3年ずつ経験した状態で、通訳を通算9年、10年やっているわけで、フリーランスになった時に話が通用しやすくなりますよね。
松本:それは翻訳者もそうですよね。
古賀:確かに業種選びだけは意識的にしていましたね。自動車の分野を6年やって帰ってきて、次にまた社内に戻ろうとした時、自動車を選ぶことは絶対にしないという考えはすごくありました。
松本:自動車と医療と保険って強いじゃないですか。
古賀:そうですね。けっこう違いますしね。でも、ものすごく強い意志を持ってというよりは、ずっと流されて決めてきたというほうが近いとは思います。「声をかけてもらったから、じゃあ受けようかな」みたいな。
酒井:フリーランスになったのはいつからですか。
古賀:2020年です。でもフリーになったはいいけど、コロナ禍ですよ。
松本:いきなりね。
古賀:だから「フリーになるな、と言われているのかな」と思いましたよ。2回目にトライして、またそういうことになった時に。
松本:フリーになったけどコロナ禍で、たぶんすごく葛藤があったと思うんですけど、その中で努力して、今はコンスタントに仕事を受けているでしょう。今の状態に来るまでにどのような紆余曲折があったのでしょうか。
古賀:実はそういうことを、昨日ちょっと考えていたんです。(次回につづく)
←第1回:大学在学中のボランティア通訳がきっかけ
←第2回:秘書兼翻訳者、英会話学校講師を経て、アメリカの大学院へ
←第3回:大学院卒業後、アラバマの自動車工場の社内通翻訳者に
◎プロフィール 古賀朋子(こが ともこ) 日英同時通訳者 千葉県生まれ。神田外語大学外国語学部英米語学科を首席卒業(GPA:3.95)。モントレー国際大学院(現ミドルベリー国際大学院)通訳翻訳学科にて会議通訳修士号取得。大学在学中から秘書兼翻訳者として勤務。英会話学校で講師、主任講師を歴任。大学院卒業後はアメリカのアラバマ州の自動車工場にて通訳翻訳者として勤務。帰国後、製薬会社、損害保険会社、MLM企業にて通訳翻訳者を務める。社内通訳者歴15年。2020年からフリーランス通訳者として活動。共著に『同時通訳者が「訳せなかった」英語フレーズ』(イカロス出版)。趣味は旅行、BTS、韓国語学習。 ◎インタビュアープロフィール 松本佳月(まつもと かづき) 日英翻訳者/JTFジャーナルアドバイザー インハウス英訳者として大手メーカー数社にて13年勤務した後、現在まで約20年間、フリーランスで日英翻訳をてがける。主に工業、IR、SDGs、その他ビジネス文書を英訳。著書に『好きな英語を追求していたら、日本人の私が日→英専門の翻訳者になっていた』(Kindle版、2021年)『翻訳者・松本佳月の「自分をゴキゲンにする」方法:パワフルに生きるためのヒント』(Kindle版、2022年)。 酒井秀介(さかい しゅうすけ) 通訳者/翻訳者向けの勉強会コミュニティ「学べるカセツウ」を主催。辞書セミナーや英文勉強会などスキルアップ関連をはじめ、キャリア相談、実績表やレート設定等のコンサル、目標設定コーチング、交流・雑談会、カラダのメンテナンス、弁護士や税理士相談会等、通訳翻訳以外のテーマも幅広く開催。詳細はXアカウント https://x.com/Kase2_Sakai を参照。 |