日本翻訳連盟(JTF)

「私の翻訳者デビュー」渡邉ユカリさん編

第6回(番外編):何か自分なりにサービスを開発してビジネスをやってみたい

先月まで5回連載で渡邉さんの「私の翻訳者デビュー」を、松本佳月さん主宰のYou Tube「Kazuki Channel」のインタビューをもとに紹介してきました。このインタビューから2年半が過ぎ、渡邉さんの最近のお仕事のご様子や心境の変化などを伺いたく、編集部から質問をお送りしてみました。番外編では、渡邉さんからいただきましたご回答をお届けします。

■近況を教えてください。

最近では和訳の割合を増やし、取引先も海外にシフトしています。これは、今までいろんな分野をジェネラルに扱ってきましたが自分が好きでやりたい仕事(リーガル文書の和訳)を増やしたいためです。

また、大学の学期の狭間に当たる2月3月には、時々アテンド通訳などを引き受けています。政府・自治体系の仕事だと通訳案内士の資格を求められる案件もあり、資格を取得しておいてよかったなと思うこともあります。

■現在、お仕事に関係することで、興味を持っていることは?

これまで翻訳者のマーケティングや営業戦略についてオンラインや対面イベントなどに登壇して語ってきましたが、そういう内容のことをもっと広くいろいろな層の翻訳者の方や翻訳者を目指している方と語り合ったり質問し合ったりできる場を作りたいと思っていて、何かそういう、オンラインコミュニティのようなものを運営したいということを考えています。

■これまで翻訳をしてきた中で、とくに思い出深いことやその理由、エピソードを。

あまり劇的なエピソードはないのですが、よくやり取りしてくださっているプロジェクトマネージャーさんにある時、「今回も丁寧に翻訳していただきありがとうございました」と言われ、疲れも吹っ飛ぶほど嬉しかったです。

また、私の納品した翻訳に対しお客様からなぜそうなったのかと質問され(いわゆる「直訳」調ではなかったため)、翻訳意図を丁寧に説明したところ、納得いただけた時もうれしく思いました。普段顔の見えないメールや文章のみでのやり取りですが、そういう時には相手の喜んでくださっている顔を勝手に想像しています。

■今だから話せる失敗談などがあれば。

納品の際、自分宛てにファイルを送ってしまい、客先から「届いていない」と連絡を受け、送信トレイを見たら確かに送信済みになっているのになぜだろうと思い、急いで再送した後、メールのプロバイダに電話したことがあります。最初からテクニカルサポートの方が電話口でなぜか半笑いの口調だなと思ったら、最後に「送り先の宛先をお確かめください」と言われ、平謝りに謝りました。

実際のスケジュールよりかなり前に「仮押さえ」されていた件を忘れていて他の案件を入れてしまい、結果的に案件が重なって1日14時間労働を半月くらい続けてなんとかしたことがあります。徹夜が重なりひどく体力を消耗しました。それ以来、仮押さえ案件もしっかりカレンダーに入れるようにしました。

■翻訳者になってよかったと思いますか。その理由は?

スケジュールが立て込んでいて肉体的に辛い時は「翻訳を仕事にするんじゃなかった」と思うこともありますが、8割がた翻訳という仕事を自分の生業にしてよかったと思っています。特に訳しづらい文章や表現を、悩んだ末に自分なりにうまく訳文に落とし込めた時には達成感、爽快感があります。翻訳者は原文という縛りがあるため創造性を発揮できない仕事だと思われることもあるかもしれませんが、訳文にはやはり、翻訳者それぞれの個性がにじみ出ると思います。自分の文章を気に入って再度オーダーしてくださるお客様がいるというのは嬉しいかぎりです。

■翻訳者のやりがいとは何でしょうか。

翻訳業はサービス業だと思います。どんな形でも(訳文を気に入ってもらえた、特急対応して「助かりました」と言われるなど)自分の成果物を渡した相手の方が喜んでくださるのが一番うれしいです。

■これまで翻訳を続けられてきて、当初と変化したことや意識があれば。

2011年に開業届を出した当初はまだ翻訳で生計を立てていけるかどうか確信がありませんでしたが、継続して仕事をいただけるようになるにつれ、まだまだこの仕事には需要があるとますます感じています。

■翻訳者として大事にしていることは?

「意味が分かる訳文」になっているかどうか、を重視しています。翻訳者なのだから当たり前じゃないか、と思われるかもしれませんが、これが案外難しいものです。

原文通り、文字通りに訳しても前後の文脈から考えて論理的につじつまが合わない、何かがおかしい、と感じる時は放置せずに調べ直したり考え直したりします。どう考えても原文に誤りがあるのではないかと感じる場合は申し送りを付けます。いずれにしても、「原文にこう書いてあるからひとまずそのまま訳しました」だけでは終わらせないようにしています。

翻訳を発注してくださる方は「文字を訳して欲しい」のではなく、「そこに何が書いてあるのか知りたい」(外国語から母語方向)または「自分の書いた内容をしっかりともう一方の言語で伝えたい」(母語から外国語方向)という理由で発注してくださっているケースがほとんどなので、正しく訳されているけど意味が分からない、伝わらない、では商品価値がないと思います。直訳調を好むお客様の場合は、「文字通りに訳すとこうなりますが、より分かりやすい表現だとこうなります」などのように複数の訳文を提示することもあります。

■翻訳者のキャリア形成についてお考えを教えてください。

現在も翻訳業と講師業の二足のわらじですが、今後も翻訳だけでなく、お声かけいただける仕事にはいろいろと積極的に取り組んでいきたいと思います。翻訳だけでなく通訳派遣も行っている会社から声がかかった場合は、スケジュールの都合が合う限り受けています。翻訳でなくライティングの仕事などの発注も時々いただきますが、自分が執筆できる分野であれば可能な限りお引き受けしています。また、フリーランスとして仕事を発注されてそれを引き受けるだけでなく、何か自分なりにサービスを開発してビジネスをやってみたいという野望もあります。

■翻訳者として活躍されるようになってからはどんな勉強をしていますか。

英語のリーディング力が非常に重要だと感じているので、リーディングに関する本を読んだり、英文法については折に触れて復習したりしています。翻訳にまつわる本も読みます。また、単発で開催される翻訳に関するセミナーなどにも参加しています。

■AIによる翻訳やテクノロジーの進化について、どう思っていますか。

多くの人が感じているように、生成AIの進化はすさまじいと感じています。訳案を複数出してもらったり、リサーチをするために使う人も多いと思います。ただ、何年経っても「AIの出力には間違いが含まれることがあります」という注意書きはなくなることはないだろうと思いますし、AIに入れて出てきたものを人間のチェックなしにそのまま最終稿として使うということができる日はまだそんなに早くは来ないと思っています。

私の予想に反して「人間がチェックしなくてもそのまま使いものになる」成果物をAIが出力してくる日が来たら、その時は音声やテキストを別の言語に書き換える/言い換える形での通訳翻訳の仕事はなくなるかもしれません。それでも何か別の形で言語にまつわる仕事をすることにはなるだろうと思います。

■これからの通訳・翻訳業界に希望することとは。

翻訳作業の向こう側には必ずヒトがいます。翻訳工数を「コスト」とみなさず、「資本」「投資」と見なす空気がもっと高まればいいのにと思います。「安く早くやってくれる人材を大量に確保したい」という文化ではなく、「機械やAIで置き換えられるところは置き換え、そうでないところはプロにお願いしよう」というすみ分けがきちんとでき、人間が酷使されない健全な業界になればいいと思います。それを実現するためであれば、AIの台頭も非常に好ましいと思います。

■業界全体としての今後の方向性についてのお考えを教えてください。

AIの進化は認めつつ、一方でしっかりと自力で翻訳できる実力のある若手の養成も同時に行っていくべきだと思います。そうでないと、AIの出力の良し悪しを判断できる人材がいなくなり、インターネット上には正しいのか間違っているのか誰も判断できないテキストがあふれかえるという恐ろしい事態にもなりかねません。

政府や企業も、AIにばかり予算を使わず、外国語のできる人間の養成にも予算をかけて欲しいと思います。日本語と英語の特性が言語的にかけ離れすぎているため、日本語話者にとって英語学習は決して容易ではありませんが(「小中高大学と学んでもちっとも話せるようにならない」と言われるなど)、だからと言って「人間に英語を教えるよりAIに教えたほうが効率的だ」などといってAI関連事業にばかり投資が集まるのも良い傾向とは言えないと思います。お金をかけて外国語を読めて聞けて書けて話せる後進を育成し、希望する人材にはしっかりと通訳翻訳技術を継承していくべきだと思います。

■さいごに、読者(通訳・翻訳者)に向けてメッセージをお願いします。また、翻訳者を目指す方やこれから翻訳業界に入ってくる方々などへのアドバイスをお願いします。

通訳翻訳はまだまだ人手が必要な分野ですし、やりがいもある仕事です。また、一般的に思われている以上に「そうそう誰にでもできる仕事でもない」ですので、自分にしかできない仕事、自分の強みを生かせる分野を見つければしっかりと生計を立てていくことも十分に可能です。まだまだ若い世代の力が必要な分野ですから、通訳翻訳業界を見限ることなく、より積極的に業界研究を行い、参入してきていただきたいと思います。

複数の言語を理解し運用できる能力を身につけることで、人生がより豊かになると私は思っています。楽な道ではないかもしれませんが、楽しいと思える瞬間がきっとあるはずです。ぜひ一緒に働きましょう。

(2025年7月下旬)

第1回:通訳者志望から子育てを機に翻訳者へ

第2回:フリーランスとしての戦略と営業、様々なスタイルでの発信

第3回:人間関係をベースに仕事を広げる

第4回:ワークライフバランスの考え方と実践

第5回(最終回):翻訳者を目指す方へのメッセージ

◎プロフィール

渡邉ユカリ(わたなべ ゆかり)
英日・日英翻訳者
愛知県名古屋市生まれ。愛知県立大学外国語学部卒。ホテル勤務、メーカーでの貿易事務職、社内翻訳者を経て2011年よりフリーランス翻訳者。現在は主に契約書・定款などの法律文書の他、会計・財務関係の報告書など、会社関連書類全般の英日・日英翻訳をてがける。金城学院大学非常勤講師(2017年〜、翻訳演習他担当)。JAT(日本翻訳者協会)会員。訳書にジョエル・レビー著『A CURIOUS HISTORY 数学大百科』『あなたも心理学者!これだけキーワード50』(浅野ユカリ名義)、ベン・リンチ著『DIRTY GENES ダーティ ジーン』他。著書に『翻訳者になるため、続けるためのヒント』(Kindle Direct Publishing)。

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