TC(テクニカルコミュニケーション)としての翻訳の現在位置とこれから
~tcworld conference 2025を通じて見えたもの~
Reporter: JTF理事、株式会社川村インターナショナル取締役 前田耕二
2025年11月、ドイツ・シュトゥットガルトで開催された tcworld conference 2025 に出席しました。
機械翻訳・生成AIなど、情報処理技術が大きく発達した現代社会において、翻訳(=Translation)はどのような「位置」にあるのか。また、翻訳者・翻訳会社に求められるスキル、そして視点の変化とは何か。
TC先進国とされる欧州で、最新のテクノロジーと情報を基に、TC(テクニカルコミュニケーション)としての翻訳の現在位置と可能性を探ります。


1. tcworld conference とは解
tcworld conference は、ドイツの tekom が主催する、テクニカルコミュニケーション分野における欧州最大級の国際イベントです。
- 日時:2025年11月11日~13日
- 会場:Messe Stuttgart(ドイツ・シュトゥットガルト)
- 規模:
- 参加者 約4,000〜4,500名(オンサイト+オンライン合計)
- セッション数 約150〜200本(講演・ワークショップ・パネル等)
- 出展社 約100社(CCMS、TMS/CAT、MT、用語管理、オーサリングツールなど)
主なテーマは、テクニカルコミュニケーション(使用説明書、オンラインヘルプ、UXライティングなど)、コンテンツ戦略・情報設計、翻訳・ローカリゼーション・用語管理、AI・機械翻訳・自動化・CCMS/TMS 連携、さらには安全情報やEU規制、各種規格対応まで多岐にわたります。
テクニカルライター、コンテンツ設計者、デジタルマーケティング担当者、ローカリゼーション担当者、翻訳者、ツールベンダーなどが世界中から集まり、「コンテンツ+翻訳+テクノロジー」について幅広く議論するイベントです。
2. TC先進国「欧州」
2-1. TC の標準化
多言語理解、異文化共存の歴史が長い欧州では、TC(=テクニカルコミュニケーション)に対する取り組みが非常に進んでいます。
ASD-STE100(Simplified Technical English)や iiRDS(インテリジェント情報要求および配送標準)、そして各種安全規格や産業ガイドラインなど、文化的・歴史的背景における必要性から、共通言語化・標準化が他の国々・地域に先んじて整備されてきました。これにより、製品メーカー、サービスプロバイダー、マニュアル制作会社、翻訳会社、ツールベンダーが、この「標準」のもとに、国や企業をまたいで議論・協業しやすい環境が育まれてきたのです。
2-2. テクノロジー連携
欧州におけるTCの特徴としてもう一つ挙げられるのが、コンテンツの構造化とテクノロジー連携です。
多くの企業で、DITA 等による構造化コンテンツと CCMS(コンポーネント・コンテンツ・マネジメント・システム)、そこに TMS(翻訳管理システム)/CAT(翻訳支援ツール)、MT・AIエンジンを組み合わせ、API連携によるワークフロー設計を通じて一つのエコシステムとして運用しています。
日本でも同様の取り組みが進んでいますが、欧州では「構造化+CCMS+TMS 連携」は特別な事例ではなく、ごく一般的なものとして運用されています。
2-3. 各種規制を満たす必須要件としてのTC
欧州では、機械指令、MDR(欧州医療機器規則)、DPP(デジタル製品パスポート)や EU AI Act に関連するドキュメント要件など、各産業においてさまざまな規制が定められています。これらの規制により、法令・安全要求を満たす多言語ドキュメントソリューションやトレーサビリティが必要となり、その要件を満たす手法としてTCが確立されています。
つまり、欧州において TC は、コンテンツ/ライティング/翻訳といったプロセスにとどまらず、ビジネスを行ううえでの必須条件であり、その重要性は日本よりもはるかに高いのです。
2-4. 専門職としてのテクニカルコミュニケーター


3. 翻訳者・翻訳会社に求められること
3-1. 翻訳者に求められること
3-1-1. ソース(原文・オリジナルコンテンツ)への理解と改善提案力
翻訳者に求められるスキルとして第一に挙げられるのが、「ソース(原文・オリジナルコンテンツ)への理解」と改善提案力、つまり「翻訳前」を理解し、積極的に改善提案を行うことです。欧州のTC現場では、テクニカルライターと翻訳者が、コンテンツの構造化や情報設計、用語管理について積極的に議論しながら、ローカライズコンテンツを作成しています。
- なぜこの原文は訳しづらいのか。
- どこが曖昧で、どのように書き換えれば誤訳が減るのか。
- 多言語展開を行う場合、原文をどのように構成するべきか。
- 用語管理において、その粒度はどうあるべきか。また、用語定義を更新する際にどのような手順を踏むべきか。
など、「翻訳前」に関する理解をより一層深め、フィードバックや改善提案ができることが、今後ますます重要になると考えられます。
3-1-2. MTやツールをより効果的に使用するためのスキル
次に挙げられるのは、MT や各種ツールに関するスキルです。ここでいうスキルとは、単に「使える」ことではなく、より効果的に活用するためのスキルです。MTや生成AI、CAT、用語管理ツールは、欧州ではすでに「foundational infrastructure(=使えることが前提であるツール)」として扱われています。
つまり、これらのツールを適切に使いこなすスキルに加え、ツールの効果をより引き出すためのカスタマイズや工夫ができるということです。例えば MT を活用する場合、PE(Post-edit)を適切に行うだけでなく、MTの出力結果に対して「MTの出力結果を向上させるための原文修正(=プリエディット)」や「どこまで直せば品質・コスト・リスクのバランスが取れるか」を判断できるスキルが、これまで以上に求められるでしょう。
3-1-3. ユーザー理解、ユーザー体験型の視点
UI(ユーザーインタフェース)、オンラインヘルプ、サポートページ、操作手順(ページ遷移)など、「画面・操作・サポート体験」は、テクニカルコンテンツにおいて切り離せない存在です。
そして現代は、一般消費者向け・技術者向け・子供向けなど、さまざまなユーザーに向けた製品およびコンテンツが存在します。さらに現代の製品はより直感的な操作を求められる傾向にあり、それに合わせて、テクニカルコンテンツもよりユーザーを理解したものであることが求められるようになりました。
どのページで、どの画面で、どのタイミングで、誰に向けて表示されるテキストなのか、その前後の文脈やユーザーの心理状態はどうか、といった「ユーザー体験」を意識した翻訳こそが、TCで求められる翻訳/ローカリゼーションの姿ではないでしょうか。


3-2. 翻訳会社に求められること
3-2-1. 翻訳の前後からサポートするサービス設計
これからの翻訳会社にとって重要なのは、翻訳の前後をサポートするサービスの設計です。欧州のTC事例では、DITA 等の構造化コンテンツ、CCMS の導入・運用、用語ベース・スタイルガイド・STE などのルール整備が当たり前のこととして運用されています。
翻訳会社として、対象言語の翻訳をサポートするのは当然ですが、それだけではなく、テクニカルライターやマニュアル制作会社と連携しながら、ソースの設計・用語ルール・STE 運用など上流工程への提案を行い、コンテンツのライフサイクル全体の中で自社の役割を設計していくことが、今後の差別化のカギになると考えています。
3-2-2. MT・AI時代のワークフローを「一緒に設計する」パートナーへ
欧州の翻訳の現場において、MTを活用することは、今や辞書と同じレベルで当たり前になっています。そのため、翻訳会社には MT や AI を活用するだけでなく、MT・AI時代のワークフローを「一緒に設計する」パートナーであることが求められています。
欧州のクライアント企業は、コンテンツタイプ × リスクに基づいた MT/PE ポリシーと、修正率・レビュー工数・クレーム件数などの評価指標、つまり「運用と数字」の両方を加味した MT・AI ワークフローを設計しようとしています。
翻訳会社には、MT・AIを単なるコスト削減のためのツールとして使用するのではなく、プロセス設計・評価指標づくりをクライアントと一緒に行うパートナーとしての役割が期待されています。そのためのレポーティングや検証の仕組みづくりも、今後の重要なテーマになるでしょう。
3-2-3. 日本・アジアの文化・市場に精通したTCブレーンへ
最後に、日本の翻訳会社にとっては、日本・アジアの文化・市場の特性を、翻訳の難しさ・独自性と結びつけてクライアント企業に説明する力も、重要な差別化要素となります。日本語特有の課題(文字数制約、敬語、改行・表記、縦横組など)、日本の法令や業界ガイドラインに起因するドキュメント要件について精通していることは、海外のクライアント企業の日本市場への展開をサポートするうえで欠かせません。
翻訳会社としては、こういった特殊要件を「日本は特殊です」と伝えるだけでなく、「だからこそ、こういうソース設計やワークフローが望ましい」というところまで含めて説明できることが重要です。
日本・アジア市場におけるTCブレーンとして、「日本市場向けテクニカルコンテンツのベストプラクティス」を策定・提案できるようになることが、これからの翻訳会社に求められる要件の一つだと思います。
4. おわりに
今回、TC協会との共同出展という形で、tcworld conference 2025 に参加しました。イベント全体および各プログラムを通じて、欧州におけるTC水準(企業活動・認知度、教育機会)の高さを改めて認識しました。特に標準化・構造化・テクノロジー連携に至っては、企業と個人(テクニカルライター、翻訳者、エディターほか)が同じレベルで議論を深め、日々改善に取り組んでいます。
MT・AIの活用が当たり前になった昨今、日本では、翻訳はコンテンツ制作の末端であり、その必要性について下降気味に語られることもありますが、欧州では反対に、翻訳=コンテンツ戦略の中核プロセスとして位置づけられることが多いです。
ここでいう中核プロセスとは、製品/サービスを販売するためのプロセスの中核であり、クライアントとユーザーの体験をつなぐ、ビジネス上きわめて重要なプロセスということです。
MT・AIをはじめとした情報技術の発展により、その手法や環境は以前とは大きく変わり、これからも変わり続けていきますが、コミュニケーションと言葉のもつ可能性は、情報量の増加によってむしろ大きくなる可能性すらあると感じました。
JTF 理事として、今後も TC協会や関連企業、そして翻訳者の皆様と連携しながら、日本と世界をつなぐ「言語とテクニカルコミュニケーションの橋渡し役」としての役割・在り方を模索していきたいと思います。


