[翻訳祭30報告]動画時代の翻訳―産業字幕翻訳は怖くない!
第30回JTF翻訳祭2021 セッション報告
- テーマ:動画時代の翻訳―産業字幕翻訳は怖くない!
- 日時:2021年10月8日(金)14:00~15:30
- 開催:Zoomウェビナー
- 報告者:三浦 ユキ(ペンネーム、翻訳者)
登壇者
菊地 大悟
株式会社十印 翻訳事業部ベンダーマネージメント課マネージャー
東京大学教養学部卒業、同大学院総合文化研究科修士課程修了。フリーランスの通訳・翻訳を経て、2017年株式会社十印に入社。現在、外注先管理、言語品質管理部門のマネジメントに従事。
もともと翻訳者であった菊地さんは、現在株式会社十印で翻訳者や協力会社の管理や翻訳の品質管理をされている。ご自身の字幕翻訳のご経験と、翻訳会社で依頼を受けて受注し、翻訳者に依頼しそれを校正して納品される現在の立場を交えながらのお話は必見である。
なお、翻訳テクニックやソフトなど技術的な話もあり、同報告を読まれる方は少なからず字幕翻訳に関心がある方だと思うので、できるだけ忠実に再現する。司会者の高橋JTF副会長はご自身が個人翻訳者として産業用字幕翻訳を数多く受注されている立場でもあり、質疑応答では適宜コメントを追加されていたので、そうした内容も紹介する。
講演概要
講演の対象は、主に英日翻訳者および英日翻訳の学習者だが、発注企業や翻訳会社にも参考になる内容が含まれている。
昨今、身の回りには動画は増えていて、何かについて調べたいと思った場合に動画で調べたら一瞬で理解できるということが起こっている。ドキュメントから動画への流れは確実で、翻訳業界にも動画翻訳にビジネスチャンスが生じている。産業翻訳の分野での字幕翻訳の増加は、コロナの流行を含めた諸要因により、あらゆることがオンラインで行われるようになったことに伴う翻訳需要の増加となっている。その内容は、eラーニングのような翻訳されることを前提に作られているものもあれば、整理された書き言葉ではない動画、あわせて通訳的な翻訳が急増している。翻訳者も翻訳会社も多くが手探りの状況で、顧客の要求も様々であることから、体系だった認識を共有する必要性があるといえる。
エンタメ系の字幕翻訳と産業翻訳での字幕翻訳の主な相違点
産業翻訳では、翻訳そのものは目的ではなく手段であり、それがコストや納期にも表れる。顧客のレベルに合わせた専門性が求められる。字幕翻訳で存在する文字数制限等についても緩やかで、顧客のスタイルによることが多い。ステークホルダーは顧客とそのターゲットである。
字幕翻訳においては、客先の希望は様々なので、やるべき作業と完成イメージのすり合わせが必要となる(通常は翻訳者ではなく翻訳会社が行うこと)。主なチェックポイントとしては以下のものがある。
- 字幕として翻訳するのではなく全部忠実に訳すのか、字幕として訳すのか、吹替の原稿として訳すのか
- 字数制限があるか、ある場合には厳密に守る必要があるのか
- 参考にできる見本があるか(例:シリーズものであれば前のもの等)、あるなら提供できるか確認する
- スクリプトの由来(ソースクライアント支給か、翻訳会社の自作のものか)
- 音声とスクリプトに矛盾がある場合どちらを優先するか
動画翻訳に特有の作業
その1…ソース分析(スクリプトだけではなく動画も視聴して確認する)
3つの理由
- スクリプトに全ては書かれておらず言外の情報にも注意することが必要
- 深い理解には映像、音声の情報が必要
- スクリプトは後から(時には非公式に)作られることもある
その2…発話の分析(どのような語りか)
- モノローグかダイアローグか、原稿はあるか、自由な発言か
- トーン
- 発話エラー
- 表記スタイル(ブランドの表記は英語のままか等)
動画の字幕翻訳のテクニック
1. 基本
国語力、すなわち日本語らしい日本語を書く力が必要となる。特に英文和訳では、ローコンテキスト言語(多くの言葉を用いて内容を表現する言語)である英語から、ハイコンテクスト言語である日本語(少ない言葉に多くの意味を持たせることができる言語)への翻訳になるので、本来ならばそんなに難しいことではないかもしれない。最初は抵抗感があるかもしれないが、英文の内容をそのまま訳すのではなく言葉を凝縮させ、少ない言葉で原文と同じ内容を示すように努力する必要である。
2. 産業字幕翻訳の方法
A. 単語レベルの操作
- 受け入れられる翻訳表現(例:アプリケーション→アプリ、人工知能→AI)
- 上位概念、下位概念、複数の固有名詞に具体化など
B. こんなとき日本語でどういうかをもっとつきつめて考える
C. 映像に語らせる(翻訳は省略可能な場合がある)
D. 情報の出し方を変える
E. 枠を大きくする(ハコをつなげる等)
なお、産業字幕翻訳では翻訳者には操作できないカタカナや英字も多いので、諦めるしかない場合もある。また、字数を削るメリットがそれほどでなければあまり頑張りすぎなくてよい。
3. ひとりでできる学習とスキルアップ
結局は経験の量と引き出しの多さが役に立ってくる。
- とりあえずやってみること
- エンタメ翻訳をよく研究すること(上手な字幕翻訳のお手本)
- 何でも研究すること(マーケティング等、文書の書き方の本がある)
質疑応答
※ JTF高橋副会長の補足コメントは「(T)」で記載
Q. これまでと違う分野での仕事も受けてみたいと思っている。産業用字幕翻訳に挑戦するために学校に通うのはどう思うか?
A. エンタメ字幕を学ぶコースに通ってみるのもよいと思うが、実際はそこまで難しいものではない。未経験でもそういった仕事を受注してみてはどうだろうか。
Q. 産業字幕翻訳の始め方は?
A. IT翻訳などをしているとそういう仕事が回ってくる可能性がある。産業字幕翻訳をしてみたいと翻訳会社にアピールをして、できると思われたら回ってくる可能性もある。動画翻訳の需要自体は増えている状態なので。なお、翻訳学校で学ぶ字幕翻訳は現状ではエンタメ系の内容ばかりだが、ドキュメンタリーなどは参考になるし、フレームの切り方、ハコ切りなどは産業用字幕翻訳の基礎としても勉強になるかもしれない。産業用字幕翻訳は増えているので、それ専用のコースができてもおかしくないということ。
A (T). 自身の講座では産業用字幕翻訳を取り上げている。
Q. 産業用字幕翻訳で需要が多い分野は?
A. いたるところであるが、観光やIT系が多い。IT会社はチュートリアルなどがある。
A (T). マーケティング分野も多い。マーケティング手法の動画など。そのほか、イベントの動画翻訳は分野に関わらず沢山あり、社内の会議もグローバル企業での社長のメッセージなどがある。
Q. 仕事におすすめのアプリはあるか?
A. 辞書アプリ。
Q. おすすめの字幕ソフトは?
A (T). オンラインで無料ダウンロードできるものがある。Subtitle Editは、音声の波形も出るものでNetFlixが使わせている。クラウド化しているものもある。CaptionHubは字数制限の適用、ハコ移動等が可能。産業用字幕翻訳ではExcelで入力を最初から指定されることもある。ソフトは使える人、持っている人に限られるという一面があるため。
Q. 字幕カットについて、略語をどこまで使用してよいかという迷いがある。
A. 講演では需要度が高いものの例を取り上げたが(人工知能をAIなど)、受け入れ可能かどうか微妙な略語であれば申し送りをする。顧客が見ていない、細かな合意がつけられないといった場合には、申し送りをつけたり、時には略語の使用をあきらめたりする。
Q. (翻訳会社のリンギストの方より)画面上のテキストや音声とのシンクロが難しいがどのようにしたらよいか?
A. 字幕ソフトを使うとやりやすい。翻訳会社でのチェックの段階で字幕と映像が合っているか見るとよい。なお、字幕翻訳では前から訳していかないとシンクロしないので、通常の翻訳とは違う訳になる可能性もある。
Q. 個人翻訳者が(翻訳会社ではなく)クライアント企業から直接依頼を受ける場合、動画のみでスクリプトがついていない場合があるが、どう対応するべきか。
A. これは普通にあることで、個人翻訳者としてどこまでを自分のサービス範囲とするかという問題にもなる。特にテレビ業界では当たり前のことである。ネイティブでないと限界もあるが、聴き取りできる能力があるならそのような(スクリプトなしの)案件も引き受けてはどうか? 聴き取りを翻訳者側でするとクライアントのコスト削減にもなるので、いずれ自分にもメリットがあるかもしれない。
A (T). スクリプトが誤っていることもあるので注意。
Q. 和文英訳の字幕翻訳の場合のワード数の目処はどれくらいか?
A. ゆるやかなことも多く案件次第だと思う。日本語字幕では、非常に読み手に配慮した表示になるが、英語字幕では、例えばclosed captionの場合など沢山書いてあっても平気な場合がある。
Q. 字幕(スクリプト)が誤っていることがある。音声を聴いて間違いを見つけるべきか?
A. 聴きとることができるならした方が良いだろう。スクリプトの助けがあれば聴き取りできたり、間違いを検出できたりすることもあるだろうし、時にはスクリプトに聴き取り不能マークがついていたりすることもある。ケースバイケースで対処しよう。
Q. 字幕翻訳の勉強になるチャンネルや番組はあるか?
A. 英日翻訳なら、英語のチャンネルを見ながら自分ならこう訳すというのを作ってみて、You Tube等の自動字幕生成(テキストダウンロード可能)と比較するとよいかもしれない。また、これは聴く練習にもなる。さらにSubtitle Editのようなソフトを使って練習してみるのも面白いかもしれない。
報告者より
字幕翻訳はどのようにすると望ましいのか、ご自身のご経験や現在勤務中の翻訳会社としての立場から分かりやすく述べられていて、また翻訳に対するご興味と熱意も現れており、大変興味深く惹きつけられるような講演だった。
さらに質疑応答が非常に充実していた。事前の質問、講演中にされた質問など、時間が足りないくらいの質問の量で、司会者が同類の質問をまとめるなどの配慮がなされていた。産業字幕翻訳への関心の高さがうかがわれる。翻訳者からも、翻訳会社で納品前の検討をする立場の方からも質問が寄せられていた。
菊地氏は、独英翻訳者から英日翻訳の品質管理に転向され、ご講演中には韓国ドラマ、すなわち韓日の字幕翻訳のお話やフランス語の例も出てきた。様々な言語や分野、エンタメ等への幅広い関心を持つことが字幕翻訳のブラッシュアップに役立つことがうかがわれる。高橋副会長も、翻訳者として業務をされる産業字幕翻訳の依頼が増え、様々なソフトや手法の試行錯誤をされ、ご自身の翻訳の講座でも産業字幕翻訳を一部取り入れているとのお話があった。講演者と司会の方が力を併せて質問者にできる限りのアドバイスや情報を与えるというあまり他の講演では見られないユニークな質疑応答時間となっていた。このように翻訳会社の方と個人翻訳者の方が協力するとこんなに大きなものが生み出されるというよいお手本にも感じられ、よい翻訳物を作る、翻訳に関わる人たちに参考になるような情報を提供するといった場面では本当に協力は不可欠なのだろうと思った。
翻訳会社の方も(場合により翻訳者も)動画の聴き取りをするケースがあるとのこと。報告者も翻訳会社でテープ起こしの業者さんが聞き取れなかった動画を視聴して修正、すなわちスクリプトの修正をしたことがあるので非常によく理解できた。翻訳者の義務ではないが、動画の英語の聞き取りができるにこしたことはなく、サービスの範囲が広いほど喜ばれることは確かだろう。一方で、あまりに負荷がかかった場合には(高橋副会長もおっしゃったように)聴き取りの料金を請求することもあり得るだろうし、必要なことかもしれない。個人翻訳者の方はお仕事を一つひとつ請け負うことで生活されている。受注時に仕事の範囲や要求も一度は明らかにされている。それが大きく異なった場合には、ほかの仕事の遅延など損害も起こるので、(ある程度の実績があり仕事量が飽和状態の方は特に)自営業者、個人事業主としてのビジネス感覚をしっかり持つことも大切なのだろう(これを書くのは、昨年の翻訳祭オンラインウィークでも翻訳者の夏目大氏が最初はとにかく何でも引き受けることが時期な時期はあるとおっしゃったのを思い出したからでもある)。
菊地氏の最初のお話でもあったが、翻訳会社も翻訳者も試行錯誤をしている産業字幕翻訳なので、連携しつつ、双方がベストを尽くしていく必要があるのだろうと思う。これはどの分野の翻訳でもそうだが、産業字幕翻訳では案件ごと、顧客ごとに対応する傾向が強いので、さらにその傾向が強くなるのだろう。発注先と翻訳会社でのすり合わせ、すなわち意思確認も相当積極的に、慎重にしなければならない。さらに翻訳会社と翻訳者の連携も不可欠であることが質疑応答を含めた講演全体からにじみ出ていた。