日本翻訳連盟(JTF)

3-2 実務翻訳者の未来はマーケティング翻訳にあり

パネリスト:

三輪 朝(Miwa Ashita)

ライオンブリッジジャパン株式会社 ランゲージリード
英国リーズ大学翻訳研究科総合翻訳専攻修士課程を修了後、スイスの翻訳会社CLS Communicationで約5年間金融関連の翻訳に従事。その後、フリーランス翻訳者を経て2015年から現職。現在はIT関連企業の和訳マーケティング案件の品質管理を担当。幅広い製品分野において、お客様の求める品質を定義し、ユーザビリティの高い日本語版の制作に日々取り組んでいる。

田中 千鶴香(Tanaka Chizuka)

個人翻訳者/JTF専務理事/フェロー・アカデミー講師
大学卒業後、自動車メーカーの海外広報、英語専門学校の講師を経て、1995年からフリーランス翻訳者・通訳者となる。その後、翻訳専業となり、技術翻訳者として現在に至る。技術文書のみならず、ビジネスや人事といった幅広く対応する中、昨今のマーケティング案件のお客様の要求レベルの高さと短納期・限られたコストといった難しさを実感しつつ翻訳に勤しむ。JTF標準スタイルガイド検討委員長も務める。

室田 陽子(Murota Yoko)

株式会社アメリア・ネットワーク代表取締役
フェロー・アカデミーの「ベーシック3コース」を修了し、翻訳者として5年間活動した後、翻訳者ネットワーク「アメリア」の立ち上げに参画。現在はフェロー・アカデミーとアメリアの運営を通して翻訳者の育成と仕事獲得のサポートを行う。アメリアに寄せられるマーケティング関連の求人も増加傾向にある中、同社では「翻訳者を目指して学んでいる生徒」から「プロとして活動中の翻訳者」に至る幅広い層に対して、それぞれのレベルにあった細やかなサポートを行うことを信条としている。

モデレーター:

藤原 正道(Fujiwara Masamichi)

ライオンブリッジジャパン株式会社 シニアランゲージリード
2006年ライオンブリッジジャパン入社。各種IT系ハードウェア、ソフトウェア製品のUIやドキュメントの大規模なローカリゼーション プロジェクトにおいて、和訳を含め約30言語の多言語案件のグローバル ランゲージ リードとして全言語の品質管理を統括。お客様ごとに品質用件を整理して品質プランを策定する「品質管理者」としても同社ランゲージ グループをリードしている。最近ではIT製品以外にも様々な業種の和訳マーケティング案件を数多く手がける。


報告者:冨永 陽(翻訳者/翻訳チェッカー/翻訳コーディネータ)

 



機械翻訳の活用が広がりつつある一方で、Human Translationでなければ太刀打ちできない分野の一つにマーケティング翻訳が挙げられる。実務翻訳者が真の実力を発揮できるやりがいのある分野であり、ここ数年で件数も増えてはいるものの、お客様の求める品質を満たせる翻訳者が少ない状況も見受けられる。このセッションでは、IT関連のマーケティング翻訳に焦点を絞り、マーケティング翻訳の現況と魅力、今後の見通しについて意見が交わされた。

マーケティング翻訳のいま

三輪:マーケティング翻訳には、従来から、企業の広報やパンフレット、製品パッケージ、プレゼン資料、営業用の研修資料などが主な案件としてあるが、最近は、ウェブサイト(バーナー、動画含む)やSNSコンテンツ、Eメールも増えている。映像翻訳(字幕、ボイスオーバー、吹替)が絡むことや日本語を含む多言語展開の案件も多い。

藤原:田中さんと室田さんもマーケティング翻訳が増えていると感じる?
田中:以前はマニュアルやヘルプの翻訳が多かったが、昨年は請けた案件の1割ぐらいだった。残りの9割がマーケティング翻訳というぐらい現在ではマーケティング案件が増えている。
室田:今回のテーマは非常にタイムリーな話題。アメリアに掲載された求人を調べてみたところ、マーケティング翻訳は2013年で全体の1.9%、2015年で2.8%、2016年(11/28まで)で4.1%と着実に増えている。2013年の件数に対して今年は昨日までで既に285%と急増した。IT以外でも観光関係やSNS、医薬など様々な分野のマーケティング翻訳があり、日英と英日で同程度の需要がある。
藤原:なぜ増えている?
三輪:IT分野では、プロユーザー向けの製品から一般向けの製品が生まれるなど、製品から派生したマーケティング案件が増えている。SNSなどの普及で情報発信する機会が増えたのに伴って翻訳対象となるコンテンツが増えたことや動画の編集が簡単になったことも大きな要因。
藤原:マーケティング翻訳を依頼するお客様の傾向は?
三輪:要求される品質が高く、社内でレビューをするお客様から厳しいコメントをいただく時もあるが、当社は幸いにもローカリゼーションについてある程度理解のあるお客様が多い。ただ、お客様が広報担当の場合、最初にローカリゼーションや翻訳の難しさを理解してもらうのに時間を要する。

マーケティング翻訳の難しさ

田中:マニュアルなどの翻訳でもマーケティング翻訳でも翻訳の本質は変わらないと思う。両者で違う点があるとすれば、お客様から求められる品質のレベルや成果物の用途。この2つをきちんと理解して要望に適う翻訳が求められる。スタイルガイドの通りに訳すと用途に適った文章にならないことも多い。どのような訳文を求めているのか情報がないと相応しい訳に仕上がらない。
三輪:一般的な実務翻訳と同じ感覚で訳すと読みにくいとの指摘をよく受ける。マーケティング翻訳では、読みやすさや文脈を考えて推敲したり表現を変えたりする作業が多い。匙加減が難しいが、大切なのは、原文の字面に囚われるのではなく、カギとなるメッセージを理解して訳すこと。当社でも「マーケティング翻訳では原文から距離を置くことが一番大切」と言っている。
室田:三輪さんのお話を聞いて「出版翻訳を学んだらいいのに」と思った。カギになるアイデアや気持ちを訳文で表現するというのは出版翻訳と同じ考え方。

マーケティング翻訳を学ぶ・教える

藤原:室田さんは「翻訳の仕事が無くなることはないがジャンルの需要は変化する」と仰っていたが、翻訳学校の生徒さんにマーケティング翻訳を学んでほしいと思うか?
室田:学んでほしい。日々寄せられる求人情報を眺める中でマーケティング翻訳の必要性を感じ、2009年に講座を開いた。2015年はキャンセル待ちも出た。中には、実務でマーケティング翻訳をしている人が、出版翻訳を学ぶ必要性を感じて出版翻訳の講座を申し込んだ例もある。

室田:マーケティング翻訳を学ぶ人からよくある質問を訊いてみたい。まず、IT関連のマーケティング翻訳はどんなタイプの翻訳者に依頼する?
三輪:ITの専門知識があり、マーケティング翻訳に興味を持ち、一般的な読みやすい文章も書ける人に頼みたい。案件よっては、IT分野に強い翻訳者の訳文をコピーライターがリライトしてお客様に納品することもある。
室田:transcreationという言葉も見聞きするが、どれぐらいのcreationが許される?
三輪:手探りの状態で線引きが難しい。まずはお客様のニーズや意向を把握することから。
室田:マーケティング翻訳でも翻訳支援ツールを使うことはある?
三輪:ある。ただ、既訳に引きずられてしまうリスクがあるので、あくまで用語を参照する程度。

藤原:マーケティング翻訳を教える難しさとは?
室田:先ほど話が出たように、読者や用途が多岐にわたり善し悪しの基準が曖昧な分、教えるのにも苦労するのではないかと思う。原文との距離感も難しい。だが、やりがいはある。
田中:担当講座でマーケティング関連の課題を出すと受講生が楽しそうに取り組んでいる。室田さんのような方がいる限り、翻訳者の教育や人材発掘については心配ないと思う。
藤原:言葉のセンスは問われるのか?
室田:「翻訳は努力99%、センス1%」と翻訳学校の講師の皆さんが口を揃える。センスはほんの少し。
田中:何よりも語学力の基礎。原文言語と訳文言語の両方が重要。その上でお客様の要望や目的を掴み、それに適う翻訳をするように努めなくてはならない。

マーケティング翻訳の品質

藤原:自分の訳文にお客様がたくさん赤を入れてきたらどう思う?
田中:何の事故が起きたのかとビックリする。もうガクブル。(笑)
三輪:お客様は「自分たちの好みを知って、今後の案件で役に立ててほしい」と思って赤を入れる。誤訳の指摘とフィードバックは別物なので、お客様の真意が伝わるように翻訳者さんへ上手に伝えるのが翻訳会社の大切な務め。

藤原:マーケティング翻訳で品質を保つのは難しい?
三輪:発注時の指示やスタイルガイドだけでは品質を担保するのは厳しい。大切なのは、翻訳者と翻訳会社とお客様の三者が、長い目で見て互いに歩み寄ること。翻訳会社も、初めて依頼した翻訳者の評価が芳しくなくてもすぐに諦めず、時間をかけて翻訳者を育てていく姿勢が必要。お客様の指摘を当社内で分析・評価した上で翻訳者にフィードバックし、品質管理にも役立てている。

藤原:翻訳の周辺情報としてどんな情報が必要か? 例えば求人を出す場合は?
室田:求人情報にあれこれ載っていて目的が一つに絞れていないケース、逆に載せる情報が少ないケースが目立つ。情報量が少ない求人は応募者も少ない。明確な目的と翻訳に対する思いを求人情報に載せれば、応募者も自然と集まると思う。
藤原:お客様からは情報をどう引き出すか?
三輪:お客様も通常の業務で忙しいが、できるだけ話を引き出すよう心がけている。メールだけではなく、実際にお話をすると多くの情報が得られるし、翻訳時の原文との距離感も掴めてくる。カギになる情報を引き出すのはお客様と接する翻訳会社にしかできない役割。
田中:個人翻訳者としては、お客様や翻訳会社の人がどのような形で案件に携わっているのかを想像するように努めている。以前からウェブサイトやホワイトペーパーなどのマーケティング翻訳はあったはずだが、お客様の要求レベルが高くなっているのは、マーケティングツールを集客戦略の上で重視するようになったからだと思う。翻訳を依頼する際、そうした背景やお客様の意向などを翻訳者に伝えてもらえると助かる。要望にマッチしなければどんな名訳でも役に立たない。

まとめ

藤原:これからマーケティング翻訳をやってみたいという人へアドバイスを。
三輪:翻訳者さんには、自分の専門知識を活かしながら、新しいことにも積極的にトライする気概をいつまでも忘れないでほしい。翻訳会社もお客様の要望を引き出す上で大きな役割を果たしている。翻訳会社だけではできない部分は、社外との連携を通じて新しい環境を生み出していきたい。
田中:お客様の要求される内容が以前と変わってきている。翻訳者もその変化を的確に理解し、積極的に対応していくことが必要。また、ポケモンGOなど普段から流行に敏感であれば、実際の案件で入ってきた時も調べ物が楽で済む。そして、翻訳や言葉で表現することへの情熱を自分の中で育んでほしい。
室田:マーケティング翻訳では、実務翻訳だけでなく出版翻訳や映像翻訳のスキルも求められる。実務翻訳の幅を広げてくれるのでぜひ学んでほしい。今後も、様々な分野の翻訳者、翻訳会社を巻き込んで翻訳者育成にあたりたい。

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