日本翻訳連盟(JTF)

4-2 誰も教えてくれない翻訳チェック~翻訳者にとっての翻訳チェックを考える~

齊藤貴昭 Saito Takaaki

個人翻訳者/翻訳コーディネーター。某電子事務機メーカー入社後、製造から市場までの幅広い品質管理業務に長年従事。5年間の米国赴任後、米国企業相手の品質関連交渉担当となる。交渉業務を行う中で自ら通訳・翻訳業務を担当するとともに社内翻訳者の管理・教育を数年経験。2007年末より現在のグループ会社で翻訳コーディネーターと社内翻訳者を担当。グループ会社から依頼されるさまざまな翻訳案件の翻訳・発注・チェック・管理の業務を行っている。製造業で学んだ品質管理の考え方をベースに、翻訳品質保証体系を構築するのが現在の自己研究テーマである。日本翻訳連盟理事。ブログ「翻訳横丁の裏路地」

報告者:玉川千絵子(フリーランス翻訳者)

 



翻訳者は納品前に必ず翻訳チェックをしているが、それは商品としての翻訳物の品質を保証するためだ。齊藤氏は、長年メーカーの品質保証に携わった経験から、翻訳者としてあるいは他人の翻訳物をチェックする立場として、どのようにチェックすれば翻訳の品質を担保できるのかについて関心を持つようになったという。しかし、いかに読みやすい訳文をつくるかについての翻訳関係の講座やセミナーはたくさんあるのに、タイプミスなどのチェック作業について教えてもらう機会はあまりないのが現状だ。

このセッションでは、翻訳チェックの中で、訳文の読みやすさなど翻訳そのものと同じぐらい大切なタイプミスや訳抜けの防止、スタイルや用語の統一といった翻訳作業のチェックに焦点を当て、これまで誰も教えてくれなかった翻訳者がすべき「翻訳チェック」について、登壇者が実際に行っている翻訳チェック作業をひとつの例とし、どのような項目をどのような手順で行っているかが、その理由と共に語られた。

翻訳チェックとは

まず、各自が普段行っている翻訳チェックを頭にイメージするために、次の6つの質問があった。1.何をチェックしているか。2.そのチェック方法は。3.なぜその方法なのか。4.判断基準は何か。5.チェックの順番は決まっているか。6.なぜその順番なのか。会場の参加者には、これらをイメージしながら齊藤氏の行っているチェック方法を聞き、自分のチェック方法について考えてもらった。

そもそも、翻訳品質保証フロー全体から見た翻訳チェックの位置づけとは何だろう。齊藤氏は、翻訳プロセス(材料→事前準備→翻訳→品質保証→納品準備→納品後対応)のそれぞれの段階でチェックすべき項目を取り上げた翻訳品質保証のフローと、製造業でよく使われる5Mを活用して、翻訳品質保証上、各プロセスで管理されるべき項目を抽出した翻訳品質保証マトリックスを作成した。5Mを翻訳に当てはめると、材料(Material)は原稿や資料、機械(Machine)はPCやツール、方法(Method)は工程管理や品質管理方法、基準(Measurement)はスタイルガイドや用語集、人間(Man)は翻訳者の知識や能力となる。ただし、翻訳会社では、人間の項目に翻訳者だけではなくチェッカーやコーディネーター、営業、経理などを入れて、営業の翻訳知識がどのくらい必要なのかなどの項目を追加して欲しいとのことだった。今回話されたのは、翻訳品質保証マトリックスの「品質管理上のポイント」についてだ。

齊藤氏は、「翻訳チェック」は仕様を満足していることの確認だと考えている。翻訳における仕様とは、文体やスタイル、用語集、表現集、参考資料、スタイルガイドなどを指す。これらの仕様をチェックするための翻訳チェック項目を大きく分類すると、1.翻訳の質(流暢さや読みやすさ)と2.ルールへの適合性(スタイルや用語の統一、スペルミスや訳抜け)となる。ルールへの適合性は、翻訳そのものとは関係のない純然たる作業のチェックであるという。一方、読者に伝わる分かりやすい訳文をつくるといった翻訳の質は翻訳者がもっとも心を砕いて苦労している部分だが、翻訳者が仕事をもらっている翻訳会社やクライアントでは、翻訳の質の捉え方が違うと述べ、JTFの標準スタイルガイド検討委員会の中にあるJTF翻訳品質評価ガイドライン検討会が2016年7月に行った「翻訳品質評価方法に関する業界アンケート」をもとに、国内の翻訳会社や翻訳発注会社が納品物の何を重要と見ているかの実態を説明した。

アンケートの回答者は、約8割が翻訳会社で約2割がクライアント、担当している翻訳分野は主にIT、特許、医療などの実務翻訳分野だ。それによると、翻訳会社が重視する順位は、1.訳文の正確さ(誤訳がないなど原文の意味が訳文に反映されている)、2.用語集の順守、3.スタイルガイドの順守であり、訳文の流暢さは4番目と、翻訳者が思うよりも低い結果となっていた。これは、翻訳の依頼者側には原文の言語に精通していて翻訳そのものの善し悪しを判断できる人よりも、翻訳を知らない人が圧倒的に多いことが理由のようだ。

したがって、翻訳の質以前の問題として、単純な作業ミスが翻訳者のマイナス評価につながってしまう。つまり、ルールへの適合性は翻訳の質と同等に重要と捉え、「翻訳チェック」で確実に見つけることが重要となる。

翻訳チェックへのアプローチ

すべての翻訳チェックには判断の「基準」が重要となる。翻訳の質については、翻訳指南書や文法書、辞書などが手掛かりとなるものの、自分の知識や経験との照合に頼る部分が大きく、基準が曖昧で属人的である。しかし、ルールへの適合性については、マニュアル、スタイルガイド、用語集、表現集などのはっきりした基準がある。参考資料も、それが用語集や表現集として提供されているのなら基準のひとつとして訳文に反映させることが必要だ。そして、ルールへの適合性とは、ヒューマンエラーのチェックであり、ヒューマンエラーにどうアプローチしていくかを考えることが品質を上げることにつながる。しかし、よく聞くヒューマンエラー対策は、人の集中力や能力に依存したものが多いという。この点について齊藤氏は、人間の能力を過信することへの警告として、一時期インターネットで話題となった、ケンブリッジ大学の名が入った各単語の最初と最後だけが正しくその他の文字の並びがでたらめなテキストを使い、人間の高い能力のせいで間違ったスペルでも正しいと認識されてしまう例を挙げ、人間の能力に依存しすぎると重大なスペルミスが見逃されてしまうと指摘した。これは、外国語だけではなく母語である日本語でも起きている。人間の思い込みのせいで、タイプミスが翻訳者や社内の編集・校正者のチェックをくぐり抜けて商品として市場に出てしまうのだ。また、原因がケアレスミスだと問題を過小評価する傾向があるが、翻訳者としては重大な誤訳であると認識し、ミスのない翻訳物を納品するように心がけるべきだと付け加えた。このような背景より、人の能力に頼り過ぎず、人の集中力を持続させて勘違いを起こさせないように、チェック方法を工夫すべきだろう。

翻訳チェックを考える上で注意すべきことは、人間は、脳の使い方が違う作業を一緒に行うと精度が落ちるということだ。例えば、製造業におけるビス忘れチェックでは、ビスをつける(身体的な作業)、ビスをつけたことを確認する(精神的な作業)、印をつける(身体的な作業)を繰り返すと、ビスをつけたことを確認せずに印をつけるという事態が起こる。これは、スポーツや楽器の練習をしているといつの間にか体がその動作を覚えてしまい考えなくてもできてしまうように、単純作業が脳内で手続き記憶として定着してしまい、精神的作業が抜け落ちてしまうためだ。翻訳においても、訳文を読みながら、解釈の間違いや適切な日本語を見つけるという精神的な作業と用語集やスタイルの適応をチェックするという単純作業を同時に行うと、どうしても見落としが生じてしまう。齊藤氏が社内翻訳を始めたころは、こうした作業をすべて同時に行うという無理をしていたので、誤訳や作業ミスを減らすことがなかなかできなかったそうだ。そこで齊藤氏は、翻訳作業のチェック方法を考えるポイントとして、1.チェックを(脳の使い方で)分解する、2.人間のモードを切り替える(客観性の演出)、3.チェックツールの助けを借りる、という工夫をしている。また、感覚(Sensation)→知覚(Perception)→認知(Cognition)という人間の認識過程の中で、チェック作業を可能な限り知覚レベルへ近づける努力をしているそうだ。1については、チェック項目を、単純照合(数字、単位、記号、略語など、原稿と訳文との単純な比較)、参照照合(用語集やスタイルガイドなどの基準との比較)、そしてそれ以外の読解が必要なチェック(表現集、文法、読みやすさなど)というように、思考過程が同じもので分類する。そして、認知が必要な参照照合ではなく、知覚で判断できる単純照合のチェック項目を増やすことで、チェックの負担を軽減し検出力のアップを図るという。2については、時間を置いたり場所を変えたりして、自分を作者のモードから読者のモードへ切り替えて思い込みや勘違いを取り除き、客観的な立場で自分の訳文を読み直すということだ。また、翻訳したものを紙に印刷することでも同様の効果が得られ、チェックの精度が上がるとも言っていた。3のチェックツールとしては、JustRight!、色deチェック、FUGOなどいろいろなツールが存在している。しかしツールはあくまでも人間の能力をサポートするためのものであり、ツールに勝手なことをさせないのがポイントで、そのためには、ツールが何をどのような基準で判断しているのかを翻訳者がしっかり認識しているべきだと強調していた。このような考えから、齊藤氏は、自らWildLightというツールを開発し、原稿加工や用語の簡易抽出などの翻訳準備、訳抜けや用語集適用などの作業チェックに使用している。

ヒューマンエラーチェックに際して、自分で気をつけるというのは対策ではないし、セルフダブルチェックをしても同じフィルターをかけているだけで、思い込みなどのミスを完全に防ぐことはできない。また、費用を払って他人にダブルチェックしてもらうのも有効だが、個人翻訳者としてあまり現実的な手段とはいえない。齊藤氏は、個人翻訳者がヒューマンエラーをチェックする方法として、チェックツールを使用した「Easy to notice」という手法でアプローチしている。これは、訳文と原文の対応する部分に色をつけるなどして意識を集中すべき個所を際立たせ、認知が必要な翻訳チェック作業をなるべく知覚で判断できる単純照合にするとともに、人間の知覚やパターン認識力などのさまざまな能力をフル活用しようというものだ。これによって、色のついていない訳文でチェックするよりも数字や記号などの転記ミスが正確に検出できる。用語集などの参照照合もこの方法を使えば単純照合にすることができる。また、視覚だけではなく聴覚によるチェック方法として、訳文をコンピュータに音読させてチェックする方法も説明された。

翻訳チェックの手順

チェックの順番について齊藤氏は、自分が実際に行っている手順を基にその理由を話してくれた。

齊藤氏が翻訳をするときには1.対訳表作成。2.訳忘れチェック。3.用語適用チェック。4.クロスチェック。5.スペルチェック。6.タイポチェック。7.スタイルガイドチェック。8.簡易文法チェック。9.数値・略語チェック。10.体裁チェック。11.通読チェック。12.スペルチェック。の順でチェックを行っている。また、他人の翻訳物をチェックする場合には、クロスチェックは最後に行い数値・略語チェックなどを早い段階で行っている。

翻訳が終了したらまず対訳表を作成する。これは後のチェック工程に欠かせないもので、時間は掛かるがどんな案件でも必ず作成しているそうで、訳忘れチェックと合わせて行っている。それからツールを使い、用語集の適用チェックをする。そして次に、すべてのチェック項目を人間の目でクロスチェックを行っている。これは、ツールでミスをチェックする前に、自分の目で問題検出する能力を高める目的で行っているそうで、翻訳者としてミスをしたことに後ろめたさを感じ、最初から単純ミスをしない方法を考えてもらう自己鍛錬のためだという。そして、スペルチェッカーでスペルチェックをし、それで見つからないタイプミスをツールでチェックする。その後、スタイルガイドチェック、簡易文法チェック、数値や略語のチェックをツールで行う。それが済んだら、人間の目で体裁のチェックと通読チェックをし、最後に再びスペルチェックをして納品する。注意事項として、全ての項目につきひとつずつ訳文の最初から最後までチェックすること、理由がなく決めた手順を崩さないこと、間違えたらその場で修正してその項目を最初から再チェックすること、ミスの多いものは前に持って行くことなどが補足された。この後で、WildLightを使っての実例をあげながら各工程について説明がなされた。

まず、対訳表の作成時には原文のアライメントを行うので、訳抜けや誤訳、数字や転記ミスが発見できる。

また、ワードのスペルチェック機能を使うときには、必ず学習をリセットして無視する単語として登録されてしまったものを削除するようにしているそうだ。そして、スペルチェッカーで発見できないタイプミスをチェックするために登録する単語の基準としては、『Collins COBUILD English/Japanese Advanced Dictionary of American English』の巻末にあるWriter’s Handbookにネイティブが間違いやすいスペルが掲載されているので、この中から自分が間違えやすいものをピックアップして使用している。また、Collins Common Errors in Englishなども参照しているとのことだった。続くスタイルガイドのチェックには、JTFの作成した日本語標準スタイルガイド、英語だと『The Elements of Style』や『The Chicago Manual of Style』などを参照している。簡易文法チェックでは、『LONGMAN Dictionary of Common Errors』を基準としているそうだ。

今回は他ではあまり聞けない「翻訳チェック」についての講演ということで、会場からたくさんの質問が寄せられた。

Q.チェックの手順でたくさんの項目があったが、これだけの項目をチェックするのに翻訳作業全体の中でどれぐらいの時間が掛かるものなのか。
A.一見すると項目数は多いが、項目数の多さと掛かる時間は別。それぞれのチェック自体は単純作業なので、慣れてしまえば全体の3割ほどの時間しか掛からない。

Q.翻訳の分量が多い場合に、区切ってチェックすることはあるのか。その場合には、1回にどのぐらいの量をチェックしているのか。
A.基本的にはすべての翻訳が終わってからチェックを行う。分納は断るようにしているが、仕方なく分納しなければならない場合には分納単位でチェックを行っている。

Q.訳抜け防止のために、最初から原文を文節単位にして訳出し、最後の方でまた文をつなげるという方法を取っているが、この方法についてはどう思うか。
A.工程設計的にはそれでもよいと思う。しかし、それだと翻訳支援ツールの中で翻訳しているような状況になってしまい文章の前後関係が分かりにくくなってしまう。自分はそれが嫌なので、全ての原稿をワードファイルにして翻訳してから対訳表をつくるようにしている。

Q.短納期案件で対訳表をつくる時間がない案件にはどう対応しているのか。
A. 対訳表をいかに速くつくるかということを考えることはあるが、対訳表を作成してチェックをするのは自分が設定した翻訳保証プロセスなので、それをする時間がない案件は請けない。クライアントにもきちんとそれを説明している。

Q.ゲーム翻訳はエクセルで渡されることがあるが、この場合にはどう対応すればいいか。
A.自分の場合もいろいろな形式の原稿をもらうが、全てワードファイルにして翻訳してから対訳表をつくりチェックし、また元のファイル形式に直している。

Q.クライアント側の立場としては、それなりの意図を持って参考資料を渡している。翻訳者にもっと参考資料を活用してもらうには、どのような形で翻訳者に参考資料を渡せばいいか。
A.用語集や表現集などの翻訳仕様として渡しているのか、単なる参考情報として提供しているのか、参考資料の位置づけをクライアントから翻訳者にはっきり伝えるべきだと思う。

Q.このチェックフローにしてから納品後にミスが出たことはあるか。
A.納品後に、表現的な意味での翻訳ミスが出ることはあるが、スタイルガイドなどの適用ミスが出ることはほとんどなくなった。

Q.和訳案件で、タイプミスやスタイルガイドについての参照文献があれば教えて欲しい。
A.文献は分からないが、自分は辞書をつくるときにネット検索を活用している。

Q.既に翻訳されたもののチェック案件でも対訳表をつくるのか。
A.原文と訳文を並べて比較するよりもミスを検出できる項目が多いので、全ての案件について対訳表を作成している。

Q.対訳表はどのような単位で区切っているのか。
A.基本的には文がいくつあっても原文の区切り(改行)に合わせている。

会場には、翻訳者だけではなく、納品された翻訳物をチェックする翻訳会社の人間も多数参加していた。ここで紹介された翻訳チェックの項目や手順は、あくまでも「翻訳チェック」の一例であり、これを参考として、各自の立場や専門分野によって、翻訳者は納品前にいかに作業ミスを防ぐのか、翻訳会社は納品物のミスをいかに発見できるようにするのかなど、翻訳の品質を保証できるような翻訳チェック方法を追求して行くことが大切だ。
 

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