日本翻訳連盟(JTF)

4-A 翻訳者のための辞書環境構築入門―翻訳生活は辞書に始まり、辞書に終わる―

関山 健治 Sekiyama Kenji

中部大学准教授。専門は英語辞書学、応用言語学。名古屋学院大学 外国語学部英米語学科卒業、南山大学大学院 外国語学研究科英語教育専攻修士課程修了、愛知淑徳大学大学院 文学研究科英文学専攻博士後期課程満期退学。沖縄大学専任講師、准教授を経て、現在中部大学准教授。著書に、『英語辞書マイスターへの道』(ひつじ書房、2017)、『英語のしくみ』(白水社、2009)、『日本語から考える英語の表現』(共著・白水社、2011)など。『ウィズダム英和辞典(第3版)』、『プログレッシブ英和中辞典(第5版)』、『ベーシックジーニアス英和辞典(第2版)』をはじめとした各種英和辞典の執筆、校閲、編集にも携わる。
 
報告者:松浦 悦子(フリーランス翻訳者)
 



 英語教育系の学会では、辞書のセッションにあまり人が集まらないこともある。英語教育の世界では翻訳は時としていわゆる「文法訳読」と結びつけられ、風当たりが強い。翻訳において必要不可欠である辞書は、英文和訳のときに文法訳読で使うものととらえられ、辞書を使わなくても英語は読めると言う人もいるし、多読を推奨する教師の中には、辞書は不要という論調の人も多い。一方、翻訳者は辞書がなければ仕事にならないから、辞書のスペシャリストで、使い方は百も承知なのかなと思っていたが、こみいった使い方は意外と知られていないと言うことを聞いて、今日、話をすることになった。

辞書環境の歴史

 1990年に、ソニーの電子ブックが登場。冊子辞書のランダムハウス英和大辞典とリーダーズ英和辞典の電子ブック版とを使い分けるという時代だった。その後、2000年代に冊子辞書をそのまま収録した電子辞書専用機が普及し、辞書を持ち歩く時代に。ランダムハウス英和大辞典、新英和大辞典、リーダーズ英和辞典、ジーニアス英和大辞典など主要辞典のEPWING化も進み、冊子辞書離れが加速される。しかし、2007年、iPhoneが発売されると、いつでもどこでも引けるオンライン辞書アプリが人気を呼び、専用機の需要は急激に落ち込む。2010年代になり、無料のオンライン辞書とスマートフォンが普及、現在では「ネットで辞書を引く」のがデフォルトになっている。
 現在の辞書環境は①オンライン辞書(有料、無料)、②オフライン辞書(EPWING形式、ダウンロード型)、③電子辞書専用機(スタンドアロン型、PC連携型)、④冊子辞書から構成される。

インターネットに頼らない辞書環境

 大学でPCとネットが完備された教室で授業をすると、多くの学生はオンラインの無料辞書を利用し、「ネットに公開されているから信用できる」と思っている。では、オンラインで無料の辞書を引ける時代に、有料の冊子辞書や電子辞書専用機が存在するのはなぜか。それは収録されている情報の信頼性にある。無料オンライン辞書はリアルタイム更新が可能で、新語をどんどん取り入れられるという長所はあるが、誤りを随時修正できることが裏目に出て、「指摘されたら直せばいい」と校正やチェックがゆるくなることもある。一方、有料の冊子辞書や、それに基づく電子辞書専用機は増刷まで1~2年、誤りが残るため、校正は徹底的に行われ、複数の人が何度も目を通している。誰がどの単語の何を書いたかというデータも出版社に残っていて責任の所在がはっきりしている。また、冊子辞書ではページ数の制約があるため、単語の採否も慎重に検討される。

ではどのような辞書が必要か

 プロの翻訳者なら、まず、収録語数を重視した英和御三家(ランダムハウス英和大辞典、新英和大辞典、ジーニアス英和大辞典)とリーダーズ、リーダーズプラスを揃えたい。また、用例や解説の充実したウィズダム、ジーニアス、オーレックスなどの学習英和辞典は全部買ってもいいだろう。これらをすべて収録した電子辞書専用機もある。日英翻訳をする機会が少ない翻訳者でも、研究社新和英大辞典と複数の学習和英辞典は持っていたい。

意外と使える電子辞書専用機

 いくら信頼性が高いとはいえ、紙の辞書は高価で、検索性も悪い。この弱点を補えるのが電子辞書専用機である。残念ながらSIIがこの市場から撤退してしまったため、現在、市販されているもので専門家の使用に耐えるのは、カシオの専門家向けモデルだけであるが、収録されている辞書の内容が毎年変わるわけではなく、学習向けコンテンツが入れ替わる程度なので、型落ちをオークションで購入すれば十分だ。
 お勧めは、英和大辞典、学習英和、和英御三家をすべて搭載したカシオのXD-G20000(現製品)、XD-Y20000(旧年度モデル)。ジーニアス英和大辞典、リーダーズ(旧版)、和英大辞典、広辞苑だけでいいなら2005年発売のSR-E10000(SII)、2006年のXD-GT9500(カシオ)などは無駄な機能がついていないため、最新のものよりも速く、仕事には使いやすい。セイコーの電子辞書専用機の中には、USB経由でPCと接続し、PCのキーボードから操作できる機種(PASORAMA)もある。現在、入手できるのは中古品だけで、最上位機種(DF-X10001)はかなり高価であるが、大学生協で売られていた学生向けモデル(DF-X8001、9001など)はほぼ新品に近いものがオークションで比較的安く手に入れられる。古い機種とはいえ、情報の信頼性はオンラインの無料辞書をはるかに上回り、欠点は新語が入っていないことくらいである。
 PASORAMAを搭載した電子辞書専用機が手に入らなければ、iPad用の統合辞書アプリ『語句楽辞典』(SII)を入手することで、英和・和英の大辞典はほぼすべて揃う(購入は翻訳フォーラム http://fhonyaku.jp/gokuraku.html から)。

電子辞書専用機ならではの使い方

 英和辞典は日本人が英語を読むときに使うもので、見出し語の数は多いが、日本語訳をすべてカバーできるわけではなく、訳語を翻訳作業の際にそのまま使えるとは限らない。一方、和英辞典は日本人が発信するときに使われるものなので、例文は多いが、見出し語は少なく、調べたい日本語が載っていないこともある。英日翻訳は英和辞典、日英翻訳は和英辞典を使えばいいと思われがちであるが、英日翻訳の時に電子辞書に搭載の英和を和英のように使うこともできる。電子辞書専用機の中には、訳の部分の日本語から検索できる機種もあるので、「訳語検索」で調べたい日本語を入れれば、その語が訳語に含まれている英単語を探しだすことができる。特に和英大辞典を買う余裕のない人にはお勧めの使い方である。

英英辞典の効用

 英英辞典と英和辞典はまったく異なるもの。英和辞典は訳語を調べるためにあるが、記載されている訳語はあくまでもサンプルなので、英和辞典でしっくりする訳が見つからないときには、学習者向けの英英辞典を調べてみると良い。その際は、定義のbecauseやespeciallyなどのあとに注目する。たとえば、Ferrets have oil glands that give off an interesting smell.のinterestを英和大辞典で調べると「興味を起こさせる、興味のある、おもしろい」とあるが、Longman Dictionary of Contemporary English (LDOCE)では“if something is interesting, you give it your attention because it seems unusual or exciting or provides information that you did not know about”とあり、「変わっているから、興味を起こさせる」のであることがわかり、「奇妙な」や「不思議な」という訳語を導ける。

類義語辞典、コロケーション辞典も使ってみよう

 類義語辞典のアプリは少なく、電子辞書専用機の独壇場だが、ジャンプ機能で英和や英英辞典と行き来すれば、類語間のニュアンスの差を調べるのに便利。リストの先頭に近いものほど、見出し語に近い意味を持つ(ただし、あくまでも「単語のカタログ」なので、英和、英英辞典でその単語の意味を再度確認してから使用すること)。Oxford Thesaurus of Englishのような大型の類義語辞典であれば、「仲間の単語」を調べることができる。たとえば、Dogを引けば犬種、Cheeseなら各種チーズがリストアップされる。学習者向けのものを使うとニュアンスの違いの説明が載っていてよい。アカデミック・ライティングには、フォーマルな類義語の多いOxford Learner’s Thesaurus、英語での発信には、口語表現の収録数が多いLongman Language Activatorをお勧め。
 訳に困ったら、文法では説明できない単語間の相性をまとめたコロケーション辞典を使うと、より自然な英語になる。『新編英和活用大辞典』(研究社)のように、日本語訳が併記されているものは、用例の多い英和辞典として使うこともできる。こちらも冊子辞書やアプリだと高額になるので、収録されている電子辞書専用機を選ぶと良い。

こんなふうに辞書を使いこなそう

 EPWING辞書ソフトや一部のiOSアプリが対応している全文検索機能を使って、和英辞典で英単語を入れれば、英和辞典よりも多くの日本語訳が見つかるし、逆に英和辞典で日本語を入れれば、英和を和英的に使うことができる。このように、辞書の全文から目的の単語を検索することで、見出し語不足を補える。ただし、検索結果でジャンプ機能を使い、これだと思った単語を日本語なら和英辞典、英語なら英和辞典でループ検索し、最初に検索した語に戻るかどうかを確認することを忘れずに。

 スマートフォンのように万能なものは意外と使いづらい。目的のはっきりした専用機や有料の辞書でしか調べられないものもある。情報の信頼性はお金で買おう。

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