日本翻訳連盟(JTF)

時代考証と言葉 より正確に!よりドラマチックに!(前編)

講演者:日本放送協会 制作局ドラマ番組シニア・ディレクター 大森洋平さん

本特集では、日本翻訳連盟主催の翻訳祭やセミナーから選りすぐった講演の抄録をお届けします。今回は、NHKのドラマ番組等で長年にわたり時代考証に携わっておられる大森洋平さんの「時代考証と言葉」(前編)です。現場ならではの裏話、翻訳・通訳にも役立つ言葉をめぐる問題など、示唆に富んだ内容満載です。

織田信長の部屋にあってよいもの、いけないもの

私は、NHKのテレビ・ラジオ番組でドラマやドキュメンタリー時代考証に携わって、今年(2021年)で22年になります。その立場から今までの経験をふまえて、「時代考証とは何か」「何が最も重要で、今どんな課題があるのか」というテーマで、特にみなさんが興味を抱かれるような言葉の問題を中心にお話していきたいと思います。
はじめにクイズを出します。南蛮文化好きだった織田信長のドラマをつくる時、安土城の信長の部屋にあってもよい小道具は、地球儀、望遠鏡、剥製、このうちどれでしょう。

正解は地球儀です。最古の地球儀は、紀元前の古代ギリシャでつくられたとされ、ずっと後にキリスト教の宣教師が信長に献上しました。ただしドラマの小道具として使う時には、信長の地球儀にオーストラリアが載っていてはいけない。当時はまだオーストラリアは発見されていないからです。

望遠鏡は1608年にオランダで発明されたもので、関ヶ原の合戦の8年後ですから、信長も秀吉もすでに亡くなっています。日本への伝来は1614年くらいで、イギリスの使節が徳川家康に献上しました。剥製は、18世紀に啓蒙思想が盛んになると博物学が誕生し、剥製がつくられるようになりました。商品化されるのが19世紀ですから、幕末ドラマの商人や西洋好きの大名の部屋には置いてあってもよいのですが、信長の部屋にあってはいけないのです。このような検証をしていくことが時代考証の大事な作業になります。

時代考証とは「枠を決める」こと

つまり、時代考証とは、「時代の枠を決める」ことなのです。物語で取り上げられる時代背景、セットや小道具、台詞などを、なるべく史実に沿った正しい形にしていく作業です。

ある時代の枠を決めて、その枠の中であれば、キャラクターはどんな活動をしてもどんなことをしゃべってもいい。しかし、この枠から外れたら歴史劇、時代劇は成立しなくなってしまいますので、外れないようにさまざまな調整、修正をしていくことが、放送番組における時代考証になります。

枠は大きくなったり、小さくなった りする

では、実際にテレビ番組の時代考証はどんなふうに

やっていくのか。まず、考証会議というものをやります。大河ドラマの場合、台本の第一稿ができあがってくると、番組のプロデューサーや演出家、専門分野の考証の先生方、美術デザイナー、番組スタッフ、そして私などが加わり、読み合わせを行います。その中で、設定した時代の枠に沿って、先述の望遠鏡や剥製に当たるようなものを除外したり台詞を修正したりして、なるべくそれらしい時代をつくっていく。その後、第2稿、第3稿と、だんだんリファインされて最後に決定稿が完成し、ドラマがつくられる。こういう一連の作業になります。

「枠を決める」と申しましたが、この枠は、番組のテーマや時代設定によって、大きくなったり、小さくなったりします。「枠が小さくなる」とはどういうことかというと、近代に近づくほど資料が増えてくるので、キャラクターが自由に行動できる範囲が小さくなっていきます。たとえば坂本龍馬が何年何月何日にどこにいたか、はっきり記録に残っている。実際は長崎にいたのに「龍馬はこの日京都にいた」と、台本に書くとバツになってしまいます。逆に、源頼朝が青年時代に何をしていたかは詳しくわかっていませんから、この枠は必然的に大きくなります。

時代考証の隙間を雑学も駆使して埋める

大河ドラマのオープニングなどをご覧になるとお気づきになると思いますが、時代考証、建築考証、所作指導、方言指導など、さまざまな専門の先生方が協力し、合議しながらドラマをつくっています。ところが専門外、または専門と専門の隙間に生じた疑問が出てくると、先生方にもわからないことがあります。

この隙間を埋めて、専門家の先生方の想定外、守備範囲外の疑問に対応することが、放送局員として時代考証に携わる私の役割になります。これを私は「時代考証の隙間産業」と呼んでいますが、意外にしどころが多い仕事です。

私は大学では西洋史を専攻しました。そのおかげで一定の距離を保って、日本のこの時代に西洋はどうであったか、といった相対的・多角的視点でものを見ることができ、さまざまな「隙間」に対応しやすくなりました。

専門と専門の隙間を埋める役割

隙間を埋めるためにはさまざまな雑学も必要です。実例をあげてみましょう。大河ドラマ「新撰組!」で、近藤勇が食事をするシーンがあり、何かかわいらしいものを食べさせたいということになりました。ところが、どうもよいアイディアが出てこない。ちょっと困って、私が江戸時代の料理本や随筆などを調べていたところ、ふわふわ卵という料理を発見しました。だし汁で卵を溶いてふわっと仕上げた、今のオムレツかスクランブルドエッグのような食べ物ですが、これを強面(こわもて)の近藤が嬉々として食べるのが面白いと、実際にドラマの中で使われました。

これには後日談がありまして、番組終了後、各種ホームページや自治体のパンフレット、江戸料理の解説本などを見ていると、ふわふわ卵が出てきて、「一説には近藤勇の大好物だったとも伝えられている」などと書かれている。これは大間違いで、たまたま資料で見つけた当時の料理をドラマの演出上、使っただけであって、実際は近藤勇とは何の関係もないんです。時代劇を史実そのものだと思って見てしまうととんでもないことになる、という例です。

ある江戸時代劇の考証会議でのことです。「あの子は蓮っ葉だから」という台詞が出てきて、江戸時代史の教授が「これは明治時代にできた言葉では」と疑問を出されました。私はすかさず「長唄の『京鹿子娘道成寺』に『都育ちは蓮葉なものじゃえ』とありますから、大丈夫です」とお答えし、OK になりました。私は日本の古典芸能に興味があり、昔から長唄などを聞いていたので、このような考証においても強みが発揮できたわけです。

昭和ドラマも時代考証の対象

多くの人は、時代考証は時代劇のためのものと考えていると思います。しかし、もはや昭和ドラマも考証の対象になってきています。

特に大事なのが昭和戦前・戦中の考証です。たとえば太平洋戦争中ずっと、女の人はみんなモンペを履き、窓には空襲除けのテープを張っていたというのは思い込みで、当時の体験者に取材すると、女性がモンペを履きはじめるのは、真珠湾攻撃の翌々年の昭和 18 年(1943年)くらいから、窓にテープを張るのは本土空襲が本格化した昭和 19 年以降だったということがわかります。

福井県をつなぐ 1964 年東京オリンピックの聖火リレー(福井県公文書館所蔵、デジタルアーカイブ福井より)

戦後の東京オリンピック(1964 年)や大阪万博(1970年)、さらに 1978 年くらいまでのドラマでも時代考証が必要になっていますが、これがなかなか難しい。たとえば、昭和 40 年代(1965~1974 年)のオフィスでA4判の用紙を出してしまう。A4用紙は、昭和末期の1980 年代後半、オフィスのOA化につれて出てきたもので、それまではB5判やB4判用紙が普通でした。こういうところをつい間違えて、事務所の壁の標語がA4用紙にワープロで書いたものになっていたりする。「立ち上げる」という言葉はもともとパソコン用語で、1990 年前後から使われだしたのですが、昭和初期のドラマで、「会社を立ち上げて」などという台詞が出てくる。

洋服を着て、テレビや電話もあるけれど、昭和は明らかに今とは違う時代です。1970 年の50 年前は 1920 年で、関東大震災も起きていない。50 年でこれほど時代が変わるということをしっかり意識していないと、言葉の使い方もおかしなことになってしまいます。

昔の映画や体験者の話から学ぶ

時代考証の取材対象としては、多種多様な職業の方、専門分野の第一線にいる方、戦争の体験者などに話を聞いたり、文献を読んでノートにまとめたりして、幅広く雑学を仕入れていくことが非常に大切です。

昔の映画も参考になります。たとえば、昭和 30~40 年代(1955~1974 年)の大学生がどんな格好をしてどんな行動をしていたか、加山雄三の「若大将シリーズ」を見るとたいへん勉強になります。また、昭和 30 年代の暮らしを知るために、私が若手のディレクターなどにすすめているのが、松本清張原作の「張込み」(1958 年)という映画です。劇中、刑事がある家をずっと監視しているという設定なので、蠅とり紙を廊下のどのあたりにぶら下げているとか、ごみ箱はどの位置にあるとか、当時の庶民の生活がよくわかります。

また軍人については、軍服の着こなしや所作、階級、陸海軍で微妙に違う言葉づかいなどは、よく間違えるので、独自に資料をつくって現場に配布しています。こういう知識はドキュメンタリーの考証でも大事になってきます。

たとえば、「兵士」と「soldier」の関係です。英語の soldier には「兵士」のほかに「軍人」という意味もあり、二等兵から大将、元帥までひっくるめて soldier という言い方をします。ところが日本語の「兵士」は、二等兵から一等兵、上等兵、兵長までを指す言葉ですから、ドキュメンタリーで「兵士たち」というと下士官や将校が含まれず、部隊全体を指していないことになります。

ある高名なノンフィクション作家が「兵士たちは苦労した」と書いたら、旧軍人の方から「兵隊だけじゃない、われわれ将校も大変だった」と指摘されたことがありました。この場合、「〇〇部隊は」とか「将兵は」と全体を示す言い方をしないと、意味が正確に伝わらないということです。

最大課題は「言葉の検証」

「蓮っ葉」や「兵士」の例に見るように、ドラマ制作における目下の最大課題は、「言葉の考証」になっています。

NHKの場合は、大河ドラマなどで長年の蓄積があり、衣装、セット、小道具などの考証はかなり充実しています。しかし今や時代劇専門の脚本家が激減し、時代劇の台詞がおかしなことになってきています。

たとえば、江戸の旗本が「どまんなか」という言葉を使ってしまう。これはもともと河内弁で、戦後にテレビで関西弁が広がることで全国化していったのですが、江戸っ子ならば「まんまんなか」と言わないといけない。

逆の例ですが、ある時代劇で手打ち蕎麦の看板を出したところ、視聴者から「江戸時代には機械打ちはないのだから、わざわざ『手打ち蕎麦』とは言わないのでは」と投書がきました。一見もっともなのですが、実は 1688 年の江戸案内の解説書に「手打ち蕎麦切り〇〇屋」という店が載っています。これは蕎麦屋の主人が手ずから打った、今で言えばプレミアム蕎麦のことなんです。

また、大河ドラマ「龍馬伝」で、「わしゃ今、一銭もない」という坂本龍馬の台詞がありました。これにまた視聴者から手紙がきまして、「一銭二銭というのは明治以降の貨幣単位であって、江戸時代には一銭とは言わないのでは」と。しかし、こういう言い方は鶴屋南北の『東海道四谷怪談』にも出てきます。このドラマの場合の一銭は、一銭玉コインの意味ではなく、小銭一枚さえない、ということですので、問題ないわけです。

「青年」「絶対」は明治時代の造語

ここでまたクイズです。「音信不通」「青年」「絶対」。このうち江戸時代になかった言葉はどれでしょう。正解は「青年」と「絶対」です。

「青年」という言葉は、明治 13 年(1880 年)、東京YMCAが設立された時に、「young men」の訳語としてつくったという証言があります。

「絶対」は、明治6年(1873 年)に哲学者の井上円了が、「absolute」の訳語としてつくった言葉です。時代劇でも「絶対にありえない」「絶対に許さん」などとつい使ってしまいがちなのですが、「金輪際ありえん」とか「決して許さん」などが適切な江戸時代劇の台詞になります。

一方、「音信不通」は「便りがない」という意味で、江戸時代の為永春水の人情本「英対暖語」(岩波文庫『梅暦 下』所収)にも出てきます。

しかし、当時の言葉や発音を正確に再現すれば正しい時代劇の台詞になる、というわけではありません。たとえば、江戸時代初期には「観音様」は「くわんうぉんさま」というふうに言っていたようです。また、2005 年にロンドンでシェイクスピアの「トロイラスとクレシダ」という芝居をシェイクスピア時代の復元発音で上演したら、観客は台詞の3割くらいしか理解できなかったそうです。ただの再現ではなく、「時代劇として違和感のない、それらしい台詞」にしていくことが大事なのです。

当時の言葉そのままではなくその時代らしい言葉

ここで難しいのがキリシタン言葉の扱いです。「洗礼」「教会」「キリスト様」などは明治時代のキリスト教解禁後にできた訳語なので、時代劇、特に戦国時代のキリシタンが出てくる時には注意が必要です。

当時の言葉で、教会のことを「大臼堂」(だいうすどう)と言いました。「大臼」はラテン語で神様を意味する「Deus」、デウス様のお堂だから「大臼堂」。でも時代劇で「大臼堂」といきなり言ってもわかりにくいので、キリシタンの台詞としては「南蛮寺」(なんばんでら)などとしています。

繰り返しますが、正しい時代劇の台詞とは、「日本語として引っかかりがなく、いかにもその時代らしい言葉」ということです。迷った時はシンプルな大和言葉に置き換えると、だいたいうまくいきます。

これを拡大しますと、現代の概念を時代劇言葉にすることもできます。たとえば、人工衛星、スマホ、AKB48 を時代劇に出すとしたらどう言うか。私が考えたところでは、人工衛星は「からくり星」。スマホは、江戸時代の人はたぶん形を見て「おばけ位牌」とか「おばけ硯」とか言うでしょう。AKB48 は「ちかごろ巷で評判の娘芸人四十八」と言い換えて、受けたことがありました。(後編につづく)

(2021 年 10 月 15 日 第 30 回 JTF 翻訳祭 2021 講演より抄録編集)

◎講演者プロフィール

大森洋平(おおもり ようへい)

1959 年東京生まれ。東北大学文学部西洋史学科卒業。1983 年NHK 入局。古典芸能番組、教養番組等の制作を経て 1999 年よりドラマ・ドキュメンタリーの時代考証を担当。今日に至る。対象とする時代は古今東西を問わない。

著書『考証要集―秘伝! NHK 時代考証資料』『考証要集 2―蔵出し NHK 時代考証資料』(いずれも文春文庫)

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