覆面座談会 翻訳者から見たMTPEの現在と未来(前編)
●MTPEの課金率は仕事の負荷に見合わない
ミサトさん:私は、MTPEの仕事を一切受けてないんですけど、受けている人の話を聞くと、人手翻訳のチェックより手間がかかるのに、割引されちゃうじゃないですか。ものによっては本当にちらっと見ればOKなものもあって、それは課金率60%でもいいかもしれないけど、チェックして間違っていることを確認して訳し直して、負荷は120%ぐらいかかるものもある。それなのに、一律60%とか70%しか払えませんと言われると、しかもそういうのはスピードを求められると思うので、それこそ「これ当たってるっぽいから、いいかな」みたいに流す人が増えてくると思うんですよ。
たとえば機械翻訳のデータをくれて、通常と同じ時間をかけていいと言ってくれるところは少ないかもしれないけど、ちゃんと100%払うので好きにしていいですよと言われれば、全体的にきちんとしたものが上がるような気がします。だけど、真面目にやったら120%の負荷がかかるのに7割しか払ってくれないとなったら、真面目にやる気が失せるんじゃないかなと思います。価格構造の点でも、翻訳会社からMTPEやりませんかと言われても私が断るのは、課金率に見合わないと思っているからです。それが見合うんだったら、絶対やりたくないわけではないです。
サトシさん:PEで固定額じゃないモデルも出てきているんですよ。「編集の距離」といって、一定以上直していたらフルに払う。1単語の1文字分だけしか直していないんだったらいくらかだけ払うケースもある。でも、あるモデルを見たら、ヨーロッパ言語ならよさそうだけど日本語はダメだなと思いました。
ミサトさん:それをやると、変な話になるけど、昔、訳し上がりで払っていた時代って、無駄に文章を長くするみたいなのがあったじゃないですか。
サトシさん:無理やり直すってことですね。
ミサトさん:そうそう。もしかしたらすごくきれいな訳文なのに無理やり語順を変えたりとか。逆にMTの結果より悪いものになることも。
サトシさん:改悪してお金になる世界がありえますよね。
ミサトさん:それはそれで危険な気がします。
サトシさん:誰も幸せになりませんね。
●数種類のMT併用で効率が向上
サトシさん:ハンベェさんの会社ではMTを積極的に使っているとのことですが、どのような形で活用していますか。
ハンベェさん:一例を挙げると、confidentiality(守秘義務)があるMTを契約して使っています。使い方としてはいくつかのパターンがありますけれど、文書が来て、それをそのまま放り込んでPEというのはあまりやらないです。
多いパターンは、CATツールでまず原稿を読み込んで、一つ一つ社内翻訳者が訳していきます。その際に用語集がある場合は用語を見ながら、そして機械翻訳も見ながら当てていきます。そうするとだいたい一目見れば機械翻訳が下訳として使えるかどうかがわかるので、使えそうだったらそれを元にして修正していくという形で使います。最近では少しだけ修正するだけでうまく使えるものがずいぶん多くなってきました。感覚としては時間が半分ぐらいに縮小されたかなと思います。
実は今まで私自身は、他の方が翻訳したものを修正するバイリンガルチェックを主にやっていました。自分で翻訳するとすごく時間がかかるからですが、機械翻訳の助けを借りることで翻訳にも手が回るようになってきました。他の社内翻訳者も同様で、やれることが広がったということがあります。
サトシさん:なるほど。
ハンベェさん:でもフリーランスの方は、使おうとしてもまず値段が高いということが一つの大きな課題ですね。それからさっきの話のようにクライアントの翻訳会社から使うなと言われている場合もあるかと思います。翻訳会社が翻訳者に機械翻訳を使ってはいけないという理由は、きちんと説明されていないと思います。
ミサトさん:情報漏えいの問題ですよね。
ハンベェさん:もちろん、confidentialityは大事な点だと思います。つまりお客さんから預かった原稿はクラウドのように、自分が管理できないところに預けてはいけないということを理由としているのかもしれません。
私たちは、CATツールで文書をバラバラにしたものを機械翻訳にかけるので、一つ一つの文章を見ても、よほど固有名詞などが出てこない限りはわからないだろうと考えています。しかも使っている機械翻訳の会社の規約では、情報は翻訳後すぐに消去することを保証しているので活用しています。つまり、confidentialityは解決可能な課題と思います。
そういう契約にするとフリーランスの翻訳者の方にとっては費用の負担が大変だと思います。confidentialityをちゃんとやってくれるようなところは、やはりそれなりの費用がかかりますから。たぶん、翻訳会社が個人の翻訳者に頼むときに、そのような契約となっていない機械翻訳を使うことを危惧して禁止しているかなという気はしています。
ただし、それは本当にもったいないと思います。自分自身が使って、翻訳する時間が半分ぐらいになったことを実感しました。プロの翻訳者の方がうまく使えば、すごく生産性が上がると思っています。
ミサトさん:ただ分野によるんでしょうね。
サトシさん:分野と文章の種類によるでしょうね。
ハンベェさん:私たちが、フリーランスの翻訳者さんに依頼する際は、まず文書をバラバラにして、会社が契約している3種類の機械翻訳を作成してその訳を翻訳者さんに渡し、それを参考に翻訳してくださいとお願いしています。
サトシさん:MTは候補として出すだけなんですね。
ハンベェさん:そうです。
ミサトさん:それって親切な面と時間が余計にかかる面がありますね。
サトシさん:それは翻訳するスタイルによって違うのでは。
ハンベェさん:たぶん翻訳する方向があると思います。医薬分野で日本語から英語に訳す場合には、かなり役立つという気がしています。
●MTと翻訳哲学
サトシさん:今までやっていた本が昨日やっと終わったんです。調べものが多い内容で、同業の配偶者が「下訳として使っていいよ」と言ってくれたんですが、私は「とんでもない。一番面白いところをなんで人にあげるんだ」と断ったんです。
TM(翻訳メモリ)の過去訳やMTは下訳と言えなくもない。下訳を見て、それを選んだり直したりするスタイルが嫌いじゃない人と、そんなことは絶対やりたくない人がいて、そこでもう決定的に分かれますよね。
ミサトさん:文芸・出版翻訳者でも、イチから訳すのが一番面白いのに、なぜそこを人に渡すんだとおっしゃる方もいれば、下訳者を基本的に使っている方もいますね。
サトシさん:それは翻訳哲学に関わってくるもので、どっちがいいとかじゃないんですよね。
ミサトさん:やっぱり分野によるでしょうね。産業翻訳の場合は安さ早さ重視で、パターンに沿ってやることが優先されるなら、CATツールなりMTなりを使って効率よくやることができそうです。そういうマニュアルの場合、MTで出てくる文章はそんなにブレないんでしょうか。
ハンベェさん:いや、すごくブレています。
サトシさん:でもIT系のマニュアルだったら、パターンがあるからそんなにブレないかもしれません。そういうパターンで過去に積み重ねてきたものが今、エンジンの元データになっているので。
●MTとAIの併用も
ジョジョさん:今は、まずMTにかけ、さらにAIにかけて完璧度を増して、最後にPEでチェックするというのも出てきていますね。
ミサトさん:そうすると検証する能力が必要になるし、逆に時間がかかりそうな気がするけど、そうでもないんですかね。
サトシさん:MTにかけてAIまでかけたら、もうPEいらないでしょ、っていう世界にならないとビジネスモデルにならない気がしますね。
タケシさん:MTの世界って、究極は人力をなくすのが幸せだと思うので、その路線上に個人がいると、いずれ失職するんじゃないかという気がしちゃうんですが。
ハナコさん:この間、30歳くらいの方に論文の英訳チェックを頼まれたんです。その人は翻訳者ではない方で、ChatGPTを使いながら書きあげたそうです。この方の訳文がかなり良くて、このレベルチェックだったら今後もやってもいいかもと思うレベルでした。
話を聞くと、自分でイチから英語で書くとものすごく時間がかかるけど、ChatGPTを使うとたぶん10分の1以下の速度で論文が書けるようになるから、使わない手はないと。今はそういう感覚なのかと思いました。英語の授業でChatGPTを使うことを薦められる高校もあるそうです。
サトシさん:へえ。
ハナコさん:どうやって使うのかと聞いてみたところ、受験用の英作文を書いて「こういうことが書きたいけれど、私の作文は10点中何点ですか。添削してください」とChatGPTにきくと、評価が返ってくるそうです。先生は、自力で書かないとライティング力は伸びないからChatGPTに全部書かせちゃダメだよとは言っているらしいですけど、ChatGPTに添削をさせるとか、英文を書くサポートをさせるのはもう当たり前にやらせているみたいですね。
その感覚でいると、今の高校生、大学生や30代の若者が翻訳者になったときには、使って当たり前みたいな感じになるのかなという気がします。
サトシさん:そうなっていくんでしょうね。さっきハンベェさんの話にありましたが、MTが出したものを見て、これをうまく使えばすごく効率が上がると言えるには、一定のレベルが必要です。一定レベル以上の力がないと良し悪しがわからないので。
それで、どういうときに、どういう状況だとMTがすごく参考になるのか。ハナコさんの話で論文を書くときに生成されたものがあるとすごくはかどるとは、どういう状況で成り立つんでしょうか。
ハンベェさん:自分が翻訳するときは、原文を見て、だいたいこんなような文章になるだろうなという、漠然としたものがあります。ただし、私はあまり打ち込みが速くないのでそれを全部キーボードで入力していくと時間がかかります。やっている間に頭の中で変わってきたりすることもあります。それがMTだと一瞬でまず訳が出てきて、「これは感覚に合うな」「これはダメ」「これはこの部分は使えるな」というのが見えるので、使えるところだけ持ってきてつなぎ合わせていきます。そういうやり方が多いですね。
サトシさん:ハナコさんの話のケースもたぶんそうですよね。論文を書こうというときに、頭の中にはおおむねイメージが浮かぶけれど、それを実際に言葉化していくところが実はめちゃくちゃ大変です。本来私たち翻訳者はそこを積み重ねてきたわけです。今はそこをすっ飛ばして、漠然としたイメージを助けてくれるものを使うようになってきているんですね。
ハナコさん:そうですね。ただ、できたものが英語として本当に正しいかどうかは自分には判断がつかないから、そこを直してほしいと頼まれました。それなりの量、直したものの、おかしな内容に訳されていたところはあまりなくて、文法的に正しい文にしたり、全体の構成を考えてよい表現を提案したりした程度でした。ChatGPTを使ったと聞いて、そうかと思う反面、やっぱりちょっと複雑な思いはありました。
サトシさん:ハンベェさんは、「原文を読む、それを理解して自分の中にそれなりの訳文のイメージが出てくる、そこでMTの何パターンかを参照する」ということですが、仮にハンベェさんがまだ学生で、そのイメージを自力で訳文にする力をつけていない状態で、そういうことをしたらどうなると思いますか。
ハンベェさん:そうですね。それはたぶん、支離滅裂なものしかできないと思います。
サトシさん:ハンベェさんには、漠然としたイメージを、時間は少しかかるけど訳文に仕立てるスキルがあるわけですよね。そのスキルがある人が、時間をかける代わりにMTを参考にするのはいいと思う。一方、高校生、大学生のような若い人が最初からそれをやったらどうなるか、ということなんですよね。
ハナコさん:結局そういう人が増えてくるってことなのかなと思います。
サトシさん:そういう人が増えてきた世界も成り立つんだろうけど、そういう世界で果たして言語ってどうなっているんだろうって、見当もつかないんですよね。
●MTで翻訳力が低下した実例からの教訓
タケシさん:自分がMTの使用をやめておこうと判断するきっかけには、ふたりの方の事例がありました。
ひとりは、翻訳に対する姿勢やスキルが素晴らしく、すごいなと思っていたベテランの方です。もうひとりは、直接は知らないけど、あの人はものすごく優秀でトップクラスだよと言われていた方でした。たまたま同時期に別々の勉強会でご一緒する機会があったんですが、同じような崩れ方をしていて、なぜだろうと気になりました。この崩れ方、間違い方はなんか似てるなと思って考えてみたら、経験の浅い方や初心者の方が同じような感じだと思い当たりました。
あれだけ上手だった方、すごいと言われている方が、2年くらいMTPEに関わって、退化している感じを受けたことがショックで、自分はやっぱり避けておこうという判断を強める根拠になりました。
サトシさん:その方たちがMTに関わったという事実があったんですか。
タケシさん:MTの開発にも関わっているくらいで、どっぷりというのは噂で聞いていたんですが、聞いてみたら、やはりMTPEをやっていて、たしかにMTの訳文を見る機会は多いけど気をつけているから大丈夫だ、ということでした。
サトシさん:そういう例が実際にあると知るとショックですよね。
タケシさん:そうなんです。初心者さんはこれから伸びていくでしょうけど、高いレベルにいた方たちが、自覚もなしに落ちてしまうんだという実例を目の当たりにしてショックでした。
ミサトさん:それは、具体的にどういうところがすごく落ちたと思いましたか。
タケシさん:読解が甘いというんでしょうか。初心者の人たちは、専門用語に振り回されて、そっちを調べることに一生懸命になってしまって、出てきたものを想像でくっつけてしまうことがよくあるじゃないですか。ちゃんと英語を読むと、専門知識がなくてもそうじゃない読み方が絶対できるはずなのに、そうしないで、パッとくっつけてしまうんです。
ミサトさん:目に入ったものでいいやと思う癖がついてしまうんでしょうか。
タケシさん:そうかもしれません。初心者さんがまだよくわかっていなくてそうなってしまうのは仕方ないとしても、一度スキルを身につけた方たちがまた、いいやという方向に、安易になってしまっているのが、自分には退化に受け止められたんです。
ミサトさん:そのおふたりは、退化した自覚はあったんですか。
タケシさん:なかったと思います。本人もショックを受けていましたが、今は気持ちを取り直して仕事のやり方を見直すと言っていました。
●CATツールの功罪
サトシさん:ツールを使ってると、本人も自覚のないところで退化していくというのは、CATツールのころから言われていました。私はCATがある世界に入る前から翻訳をやっていて、それこそ紙でやっていた時代もあり、訳文のイメージを頭の中から字にするところをずっとやってきたわけです。
その後、CATツール全盛期のIT翻訳の世界に入って、マニュアルばかりやっていた中で、ヤバいな、このままやっていたら絶対こういうのしかできなくなると思いました。でも、それだけでなく気づかない部分もたぶんあるんですよ。そういう影響がMTやChatGPTで出ないわけがないと思います。
ミサトさん:もうこれでいいや、と思っちゃうんですよね。私はCATツールもあまり使っていないんですが、たまに使うと、文章に物語性がなくなる気がします。時間もなくてガツガツこなさなきゃいけないときは、1文ずつ切れていたら1文ずつしか見なくなっちゃうんですよね。基本的にはCATを使っても必ず紙にプリントアウトして文章の流れは見るんですけど、それができない文書を訳したときに、それぞれの文が対訳で合っていればいいや、みたいな思考になってしまうのがすごく怖いなと思いました。
サトシさん:そもそもCATを使う世界は、そういう思考でよしとしていて、マニュアルとかだったら、ちょっとブツブツ感があって流れがめちゃくちゃでも、操作に支障がなければいいぐらいの割り切りだったはずなんです。私がIT翻訳の世界に入ってTM(翻訳メモリ)としてTrados2.0を使い始めたころはそれでOKでした。けれど、わりとすぐ、IT系翻訳の世界でもちゃんと読める文章にしなければと言いだして、それならCATはやめればいいのに使い続けるんです。
CATを使う人はよく、最後にちゃんと日本語だけで通して読みますと言うけど、私は逆で、CATを指定されていても原文の段落を見ながらベタ訳して、それを後から1語1語を貼り付けているんですよ。
タケシさん:それは二度手間じゃないですか。
サトシさん:でもそうしないと1センテンスずつやる癖がついちゃうかなと思ってるんですよ。
タケシさん:自分のためにやるってことですね。
ミサトさん:私は、原稿は必ず横に置いて、適宜、カラムをくっつけたり離したりしながらやっています。
ハンベェさん:CATツールを使う翻訳の場合には、特にチェックには役立つと思っています。1文が1対1で文章ごとに並んでるので、1文飛ばしてしまうなんてこともまず起こらないです。最近のツールは優れていて、この用語が出てきた場合は過去の翻訳ではこれを使っているというチェックができたり、文章の間でバラツキ、ブレのチェックのほか、数字が間違っているということも全部機械的にやってくれます。それで私たちは、なるべくCATツールでのチェックと、全体を見てのチェックの両方をやることにしています。CATツールで見る場合、見方の方向が違うんですよね。
サトシさん:そうですね。
ハンベェさん:互いに補い合えるものです。時間がないからどちらかだけというのはあまり良くないです。できれば両方から見るといいと思っています。それからチェックの際は、MTの日英翻訳の場合、翻訳したものを逆翻訳したのも入れます。そうするとMTといえどもかなり良いものが出てくるので、本来の日本語で言っていることとニュアンスが変わってないかを見るために、そのチェックが使えます。そういう点である程度役立ちます。
サトシさん:おそらくターゲットがネイティブかどうかで違いますよね。
ハンベェさん:そうですね。それがありそうですね。