私の一冊『批評家失格―新編初期論考集―』
第32回:イタリア語翻訳家 二宮大輔さん
この本の解説に次のようなエピソードが紹介されている。
東大の学生だった小林秀雄は詩人アルチュール・ランボーに関する優れた卒業論文を書き上げ、口頭試問に臨む。フランス人の先生から「ランボーの傑作は?」とフランス語で尋ねられた小林は、「ランボー……大詩人……」としか答えられず、すっかりあきれられてしまう。その場に居合わせた指導教官の辰野隆(ゆたか)は、後に「小林君には、耳から入って口から出る仏蘭西語は価値がない、眼から入って脳漿(のうしょう)を刺激する仏蘭西語以外は用がない」と評している。
これが私には語学能力が低くて会話が不得意な学者の言い訳に思えた。事実、小林の訳したアルチュール・ランボーは誤訳だらけだと批判されてもいる。だが、それでいて読者を惹きつけているのもまた確かだ。
誤訳があったとしても、小林がランボーと向き合うその気迫が読者の胸を打ったのか。文芸翻訳には技術や語学力だけではない何かが必要ではないかと考えさせられるエピソードだ。
◎執筆者プロフィール
二宮大輔(にのみや だいすけ)
2012年、ローマ第三大学文学部を卒業。観光ガイドの傍ら、翻訳、映画評論などに従事。訳書にガブリエッラ・ポーリ+ジョルジョ・カルカーニョ『プリモ・レーヴィ 失われた声の残響』(水声社)、クラウディオ・マグリス『ミクロコスミ』(共和国)など。
★次回は、現代フランス思想の研究者で翻訳家でもある松葉類さんに「私の一冊」を紹介していただきます。