日本翻訳連盟(JTF)

「私の通訳者デビュー」古賀朋子さん編

第1回:大学在学中のボランティア通訳がきっかけ

今回から、フリーランス日英同時通訳者、古賀朋子さんの「私の通訳者デビュー」を、松本佳月さんが主宰するYouTube「Kazuki Channel」からインタビュー記事にまとめて、6回連載で紹介します。
(インタビュアー:松本佳月さん、酒井秀介さん)

●6歳から英語に親しむ

松本:本日は、フリーランス通訳者の古賀朋子さんに来ていただきました。今までは翻訳者の方にお話を伺ってきたんですけれども、初めて通訳者さんということで楽しみにしています。よろしくお願いします。何からお話しいただくかはお任せしますね。

古賀:なるべく時系列でお話ししようと思います。私はもともと6歳の時から英語を習い始めました。これは私の意思ではなくて、近所に英語教室みたいなものが開かれることになった時に、当時、祖父母と一緒に住んでいたのですが、祖母が「やらせたらいいんじゃない」と言って、始めたんです。それがきっかけなんですが、けっこう好きで通っていて、幼稚園から小中高とずっと英語の教室に行っていました。だんだん大きくなってくると、塾の色合いがちょっと強くなってきたんですけど……。

松本:たしかに、受験などもありますからね。

古賀:だから英語がすごく身近な存在でした。私にとっては学校に行って、教科として出合うものではなかったんです。幼稚園で始めたのは、そんなにお勉強という感じではなくて、ゲームをしたり歌を歌ったり娯楽色が強かったので、すごく自然に、英語をコミュニケーションのツールとして捉えていたということがあると思います。そういう子ども時代を過ごしていました。

また、父が海外に駐在していることが非常に多く、あまり家にいなかったんですけど、父親が英語を使って仕事をしているということが、特に物心ついてからは常に私の頭の中にありました。それでなんとなく、自分も将来英語を使って仕事ができたらいいなという思いや憧れのような気持ちはあったと思います。

子ども時代に通っていた英語の教室のイベントで。左はハロウィン(後列左から2番目が古賀さん)、
右はクリスマス(先生の右隣が古賀さん)
●外国語大学在学中にアメリカ留学

古賀:ずっと英語が好きで中学、高校時代を過ごし、さあ進路をどうしようという時期になって、最終的には4年制大学のほうがいいということになったのですが、私、国語と英語しかできなかったんですよ。あとは音楽の歌の実技ぐらいしか得意なものがなかったので、たくさんの科目を受けて大学に入るということは、全く考えられませんでした。

英語に対する気持ちはその時々で盛り上がったり、そうでもなかったりという波はあったけれど、一貫して英語が好きでした。だから、やっぱり英語だな、英語を身につけたいなと思ったんです。それで外国語大学に進みました。英米語学科で4年間、みっちり英語を勉強して、その間にロサンゼルスに9カ月留学もしました。

留学中は、実はジャーナリズムをやりたかったんです。でもジャーナリズムのコースの場合、当時、留学プログラムを始める時点でTOEFLが600点ないとダメだったんです。私は頑張って勉強はしたけれど、570点台だったんです。

松本:600点ってけっこうハードル高いですよね。

古賀:そうなんです。大学3年の前期が終わった時点、もしくはもう少し前だったかもしれませんが、それぐらいのタイミングで600点に達してないとダメだったので、ちょっと届かなかったんですね。じゃあどうしようとなって、結局、広告を選んだんです。

今考えると、なぜかよく分からないのですが、広告(アドバタイジング)を選んだんです。ロサンゼルスに行って学び始めて、当たり前ですがアドバタイジングって授業で広告を作らないといけないんですね。その当時は、今ほどみんながコンピューターを1人1台持っていた時代ではなくて、パソコンは大学に行かないとありませんでした。

松本:家にはないんですね。

古賀:はい、私は家になかったし、そもそも広告なんて作れないんですよね。コピーなどの話も当然出てくるし。

松本:コピーライティングですね。

古賀:そうです。「英語の力が足りていないのにコピーが書けますか」っていう話なんですよ。そんないろいろなことがあって、やり始めてしまってから、「あ、まずい。私、アドバタイジングのコースはとても修了できない」と思いました。

ちょっと話が前後しますけど、留学先はUCLAの昼間の学部ではなくて、UCLA Extensionという、半分は現地の社会人、もう半分はいろいろな国の留学生が来ているプログラムでした。学位がもらえるのではなく、サーティフィケート(修了書)をもらえるものだったんです。だから、言い方は悪いですけど、別に修了しなくても何か害があるということもなかったんです。だけど、やっぱり修了したいと思って。

松本:せっかくの留学ですものね。

古賀:それで、「このまま広告をやっていたら修了できないな、さあどうしよう」と考えました。そもそも3セメスターしか留学期間がなかったので、それで終えられる量にしないとまずい。そうすると広告からすごくかけ離れたところに行っちゃうと、一からやらないといけなくなるから無理だと思いました。それでマーケティングのコースに転向し、これを修了して留学から帰ってきて、大学に戻りました。

UCLA 留学時の 1998 年 1 月 1 日に撮影。LA の暖かさがわかる(写真はいずれも古賀さん提供)
●大学では通訳・翻訳クラスを履修

松本:その時点では、まだ通訳になろうという感じではなかったんですか。

古賀:はい。ちょっと記憶が曖昧ですけど。私が日本で行っていた大学に、通訳と翻訳のコースが当時すでにあったんです。それで、現役の通訳者の、放送通訳をやっていらっしゃる先生のコースを取っていました。

松本:大学時代にもう経験していたんですね。

古賀:たぶん3年の前期にそういうクラスをいくつか取っていたはずなんです。ただ、その時点では、通訳にしろ翻訳にしろ、「訳」をやる仕事をしたいとはまだ思っていませんでした。

松本:英語を使って何かをしたいと。

古賀:そうですね。私の大学の英米語学科は、英語専攻科目以外に選択コースが4つあって、そのコース内でも決まった単位数を修了しないと卒業できませんでした。それで私が選んだのがコミュニケーションコースでした。その中に、言い方は良くないんですけど、けっこう単位が稼げるものとして通訳・翻訳クラスがありました。ディベートクラスは避けたかったので、単位を満たすためには通訳・翻訳クラスのほうがいいと考えて、最初は取り始めたんだと思います。

●ボランティア通訳でコミュニケーションの橋渡しを実感

古賀:通訳になりたいと真剣に思ったのは、留学から帰ってきて、ボランティア通訳を経験したことが大きなきっかけです。今はなくなってしまいましたが、当時、千葉国際駅伝という駅伝レースがあり、千葉にある私の大学からその駅伝に学生をボランティア通訳として送っていました。

私はイギリス女子チームの通訳をさせてもらっていました。もちろん正式な記者会見などはプロの通訳の方が担当されているのですが、選手たちが大会の何日か前に着いて練習しているときなどに、宿舎に同行してこまごまとした通訳をしました。その経験がすごく楽しかったんです。「これだな!」と思って、そこで通訳になろうと決めました。

酒井:それが初めての通訳経験ということになるんですか。授業などでは「これだ!」とは思わなかった?

古賀:授業では思わなかったですね。

松本:実際に現地でやってみて、楽しかったんですね。

古賀:そうですね。本当にコミュニケーションの橋渡しができたという感じがありましたね。

松本:それで大会が順調に運営されていくわけですしね。

古賀:そういえば、ユニフォームのトラブルがあったんです。開催までもうあと何日かしかないのに、ユニフォームが届いてない! そんなことがあって、真剣なやりとりがありました。

松本:そうでしょうね。

古賀:出場できないっていう話になってしまうので、通訳をしていて、なにか役に立った気がしたんでしょうね。

●まず社会人経験を積むために

古賀:それで、大学の放送通訳の先生に、「通訳になりたいと思うんですけど、どうしたらいいですか」と相談しました。そうしたら、「まず社会人になること。社会人として何年か過ごしてから、通訳の大学院に行くことをおすすめします」と言われました。その先生自身がオーストラリアの通訳の大学院を卒業している方だったんです。

オーストラリアにはもちろんあるし、イギリスにもアメリカにもそういう大学院がある、ということでした。

松本:通訳学校じゃなくて、大学院というのは面白いですね。

古賀:先生自身の経験に裏打ちされた何かがあったんでしょうね。「じゃあ、そうしよう」と思ったんですが、3年の前期が終わって留学して、帰ってきたらもう4年の前期が終わっていて、みんなはもう就職活動も終わっていました。

どうしようと思って、募集をしている企業をぽつぽつ受けていたんですけど、合格の兆しも全然ないし、私も就職しないといけないと思ってやっているけれど、あまり見えてないんですよ。

松本:気持ちはたぶん、その先の大学院に行っているわけですよね。

古賀:そうだったと思います。だから、つなぎとまでは言わないけれど、「どこかに就職して仕事をしなきゃ。でも、どうしようかな」みたいな感じで。そもそもその時期にまだ募集している企業があまりなかったし、受けても落ちるし、「どうしよう」と思っていました。(次回につづく)

「KazukiChannel」2022/08/27より)

◎プロフィール
古賀朋子(こが ともこ)
日英同時通訳者
千葉県生まれ。神田外語大学外国語学部英米語学科を首席卒業(GPA:3.95)。モントレー国際大学院(現ミドルベリー国際大学院)通訳翻訳学科にて会議通訳修士号取得。大学在学中から秘書兼翻訳者として勤務。英会話学校で講師、主任講師を歴任。大学院卒業後はアメリカのアラバマ州の自動車工場にて通訳翻訳者として勤務。帰国後、製薬会社、損害保険会社、MLM企業にて通訳翻訳者を務める。社内通訳者歴15年。2020年からフリーランス通訳者として活動。共著に『同時通訳者が「訳せなかった」英語フレーズ』(イカロス出版)。趣味は旅行、BTS、韓国語学習。

◎インタビュアープロフィール
松本佳月(まつもと かづき)
日英翻訳者/JTFジャーナルアドバイザー
インハウス英訳者として大手メーカー数社にて13年勤務した後、現在まで約20年間、フリーランスで日英翻訳をてがける。主に工業、IR、SDGs、その他ビジネス文書を英訳。著書に『好きな英語を追求していたら、日本人の私が日→英専門の翻訳者になっていた』(Kindle版、2021年)『翻訳者・松本佳月の「自分をゴキゲンにする」方法:パワフルに生きるためのヒント』(Kindle版、2022年)。

酒井秀介(さかい しゅうすけ)
通訳者/翻訳者向けの勉強会コミュニティ「学べるカセツウ」を主催。辞書セミナーや英文勉強会などスキルアップ関連をはじめ、キャリア相談、実績表やレート設定等のコンサル、目標設定コーチング、交流・雑談会、カラダのメンテナンス、弁護士や税理士相談会等、通訳翻訳以外のテーマも幅広く開催。詳細はXアカウント https://x.com/Kase2_Sakai を参照。
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