私の一冊『サストロダルソノ家の人々 ジャワ人家族三代の物語』
第56回:ジャワ舞踊家 冨岡三智さん

この小説は、植民地時代末期のインドネシアのジャワ社会において、農民に生まれながらプリヤイ(上流階級)の仲間入りを果たした主人公一家の三代の物語である。原題は『プリヤイ』で、まさにこの階層を描くことが主題だ。私は留学中プリヤイに属する人々に宮廷舞踊を師事していたので、まさにその経験を反芻するように本書を読み、翻訳の難しさについていろいろと考えるきっかけとなった。
本書の登場人物のセリフでは、庶民とプリヤイとの差や世代間の言葉遣いの差はうまく訳出されているのだが、何か違和感もある。それは冒頭の家系図に、地位の上昇に応じて改名した人の前の名前や公的な機会に使う正式名が書かれていないことだった。プリヤイらしさというのはこういった呼称によって築かれる人間関係の階層から感じられるのだが、この家系図からは人間関係が割とフラットに感じられてしまう。また、平素はインドネシア語で会話していても人間関係を表す語はジャワ語であることも多いが、そのニュアンスを翻訳に反映させるのも難しい。自分だったらどう翻訳するだろう? 私もジャワ伝統舞踊に携わる者としてこの翻訳者と同様の問題に直面することが多い。
◎執筆者プロフィール
冨岡三智
インドネシア国立芸術大学に留学後、インドネシアと日本でジャワ舞踊の実践と研究、芸術交流の企画に取り組む。2002年11月から毎月、サイト『水牛』にエッセイを寄稿。本文は2013年5月号、6月号に寄稿した内容を元にしている。
★次回は通訳者(英語・インドネシア語)の林慶子さんに「私の一冊」を紹介していただきます。