日本翻訳連盟(JTF)

私の一冊『The Alchemist』

第59回:英日翻訳者 浅倉奈都さん

『The Alchemist』Paulo Coelho著、Alan R. Clarke訳、HarperOne

私がこの本を手にしたのは、シンガポールでちょっとした病気で入院した時だった。

その時、海外での入院生活でさみしい思いをしているだろうと、シンガポール人の友達が、「すごく面白いから読んでみて。あとで感想も聞かせてね」と、一冊の本を貸してくいれた。それが、Paulo Coelho著『The Alchemist』(邦題 アルケミスト 夢を旅した少年 翻訳:山川 紘矢・山川 亜希子)だった。その当時、普通の会社員だった私は、翻訳の「ほ」の字も知らず、また、洋書を読むことはほとんどなかった。そのため、本を手に取るまでかなり時間がかかり、「こんなもの読めるわけがない」と半ばあきらめながら、恐る恐るページをめくった。

結果、主人公の実直な性格と、彼の無垢な心、旅路での経験が色鮮やかにつづられた文章に惹き込まれ、一日半程度で読んでしまった。読み終わった時、「ほうっ」っと息をついて、改めて著者名が英語圏の名前でないことに気づいた。退院してから著者のことを調べると、ブラジル人であることが分かり、「ブラジル人なのに、なんてきれいな英語なんだろう」と感心していた。今考えれば、アホだったなと思う。

日本では、翻訳者の名前が表紙に書かれていることが多いが、英語圏では、本を開いて数ページ目の中表紙に書かれていることが多い。私が読んだ『The Alchemist』も、Alan R. Clarke氏によるポルトガル語からの英訳本で、彼の名前が中表紙に小さく書かれていた。

この素晴らしい本を英語で読む機会を与えてくれた翻訳者の名前が表紙に書かれていないのは、同じ翻訳の仕事に携わる者として、すごく残念でならない。

もし、『The Alchemist』を読まなかったら、そして、もし、翻訳の勉強をしなかったら、こんなことを考えることもなく、翻訳本を翻訳本と認識することなく、英語圏以外の偉大な作家とその舞台裏で心血を注いで翻訳に携わった翻訳者たちの存在に気づくことはなかっただろうと思う。

◎執筆者プロフィール
浅倉奈都(あさくら なつ)
英日翻訳者
2021年~Univertsity of Western Australia在学中にフリーの翻訳者として活動を開始。2023年 Monash University卒。現在Linguistとして、翻訳、コミュニティ通訳、医療同行通訳、日本語指導などを行う。

★次回はゲーム翻訳者のサラチさんに「私の一冊」を紹介していただきます。

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