日本翻訳連盟(JTF)

私の一冊:『『私の旅』パレスチナの歴史:女性詩人ファドワ・トゥカーン自伝』

第67回:中世イスラーム史研究者・アラブ小説翻訳者 柳谷 あゆみさん

『『私の旅』パレスチナの歴史:女性詩人ファドワ・トゥカーン自伝』ファドワ・トゥカーン著、武田朝子訳、新評論、1996年

ファドワ・トゥカーンは一篇の詩で十人の戦士を生んだと言われるパレスチナの女性詩人である。兄イブラーヒームもまた著名な詩人でイラク国歌は彼の作詞による。

名門に生まれ、戦う詩人である彼女のこの自伝は、けれども驚くほど繊細で、淋しさにあふれた前半生を訴えている。堕胎がかなわず生まれたこと、小学校を中退させられた思い出。女性であるがゆえに外出もままならず、保つべき自分を知ることすら困難な状況で、詩作に光を見出し、少しずつ道を切り開いた過程がつづられている。彼女の半生は自立を剥奪されたパレスチナの歴史とも重なる。

この本のすごいところは、ファドワ・トゥカーンの前半生の自伝に、著者了解のもと訳者が章立てをつけ、原著にはなかった彼女の詩を掲載して、彼女と作品を丁寧に整理し提示したことである。日本で彼女に出会うにはまずはこの本しかない。この本の造りと訳文の美しさがどれだけ出会いを幸福なものにしてくれるだろう。翻訳の価値をしみじみ思う一冊である。

◎執筆者プロフィール
柳谷 あゆみ(やなぎや あゆみ)
中世イスラーム史研究者・アラブ小説翻訳者。訳書にザカリーヤー・ターミル(著)『酸っぱいブドウ/はりねずみ』、サマル・ヤズベク(著)『無の国の門――引き裂かれた祖国シリアへの旅』『歩き娘――シリア・2013年』(白水社)、アフマド・サアダーウィー(著)『バグダードのフランケンシュタイン』(集英社)。

★次回は中国語・日本語翻訳者の橋本恭子さんに「私の一冊」を紹介していただきます。

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