時代考証と言葉――より正確に!よりドラマチックに!(後編)
講演者:日本放送協会 制作局ドラマ番組シニア・ディレクター 大森洋平さん
本特集では、日本翻訳連盟主催の翻訳祭やセミナーから選りすぐった講演の抄録をお届けします。第2回は、NHK制作局の大森洋平さんによる「時代考証と言葉」(後編)です。海外ドラマやドキュメンタリーの日本語吹き替え、テクニカルタームをその時代やシチュエーションによりどう表現するかなど、興味が尽きないお話が続きます。
身分差による言葉の考証
前編では、時代による言葉の問題を見てきましたが、身分差による言葉の問題もあります。
たとえば、お姫様が百姓に「〇〇してくださいますか」という言い方は絶対にしない。「○○しておくれでないか」という言い方をすれば、身分差がありながらも相手に対する思いやりや好意のこもった、時代劇らしい台詞になります。
このような言葉づかいは、過去の優れた映画を観たり、歌舞伎、落語や講談などを聞いたりしているとイントネーションもニュアンスもかなりわかってきます。
『半七捕物帳』で有名な岡本綺堂、劇作家の真山青果の諸作は、江戸の言葉を深く研究して練りあげた台詞を書いているので、たいへん勉強になります。また、文語訳聖書は美しい日本語の宝庫です。神様に対する敬語は絶対的なので、特に身分制社会の敬語を考える時には非常に参考になります。
言葉の使い方で最近の NHK 時代劇の成功例として、「アシガール」(宮村優子脚本、2017年)、「小吉の女房2」(山本むつみ脚本、2021 年)があげられます。前者は現代の女子高生が戦国時代にタイムスリップする話、後者は勝海舟の父・勝小吉の妻を主人公にしたドラマで、それぞれ戦国・江戸時代らしい言葉の良さが非常にうまく出ていました。
階級差による言葉の考証は、ドキュメンタリーや海外ドラマの日本語吹き替えでも大事になってきます。
イラク戦争を描いたある海外ドキュメンタリーで、アメリカの軍医と負傷兵の会話がありました。日本語版台本の初稿では、軍医が「口をあけてくださいね」などと話していました。普通の医者と患者の会話ならよいのですが、負傷兵より階級が高い士官のしゃべり方としては、これではリアリティーがなくなってしまいます。ここは「口をあけて!」ですね。
昭和ドラマでの陸海軍用語も同様です。ある民放ドラマの実例ですが、海軍士官が「艦長殿、自分であります!」と言う。これは陸軍のしゃべり方で、海軍では艦長に「殿」はつけません。「自分」という一人称も絶対に使わない。うっかり使うと「陸式はやめろ!」と殴られたと、学徒出陣で従軍した私の父からも聞いたことがあります。「〇〇であります」も陸式で、海軍ならば「艦長、わたくしです」と言わないと正しい台詞にならないということです。
「戦艦」と「軍艦」の違いとは
次は、テクニカルタームの問題です。イラクに派遣されたアメリカの第一騎兵師団の海外ドキュメンタリーの例です。騎兵といっても今は完全な機械化部隊ですが、いまだに西部開拓時代の言葉をしばしば使います。たとえばパトロールに出発する時、「Boots up!」と言う。これはかつて騎兵隊員が長い乗馬ブーツを履いていたことの名残りで、日本語で言えば、「ふんどしを引き締めて行け」といった意味です。
この部隊が市内をパトロール中、「気をつけろ、ここから先はIndian countryになる」と言う。番組のスタッフは、Indian countryとは「バグダッドのインド人街か?」と考えたのですが、これは、インディアンの国、つまり「敵の支配地域」という意味なのです。
「戦艦:battleship」と「軍艦:warship」の使い分けも間違いやすいところです。「軍艦:warship」とは、大和や武蔵などの戦艦、空母、駆逐艦、巡洋艦などを総称する言葉です。ですから駆逐艦や巡洋艦のことを「戦艦:battleship」というと誤りになります。
映画「大脱走」をテレビで見ていて、吹き替えで一カ所、気になるところがありました。名優リチャード・アッテンボローがイギリス軍の捕虜として出てくる時に、この人を「バートレット中隊長」と呼ぶ。他の人は「少尉」とか「大尉」と階級名なのに、この人だけ部隊の役職名で「中隊長」と呼ばれていました。原語では「squadron leader」と言っているのですが、これを翻訳の時に、飛行中隊長という直訳で、「中隊長」としてしまったんですね。しかし、イギリス空軍用語では、「squadron leader」とは少佐のことです。だから本当は「バートレット少佐」と呼ばなければいけない。
「lieutenant」の使い分けも要注意です。まず、アメリカ英語とイギリス英語では発音が違います。幕末時代劇などで、アメリカ人俳優がイギリス海軍の軍人に配役される場合は、イギリス英語の発音で台詞をしゃべってもらうようにしないと違和感が出てきます。
また、「lieutenant」は、軍隊の階級では「海軍大尉・陸軍中尉」または「少尉」のことですが、アメリカの警察では「警部補」になります。
どんなシチュエーションで話しているか
単に日本語として正しいというだけではダメで、「どんなシチュエーションで言葉をしゃべっているか」が大事です。その時代その状況において、この人ならどうしゃべるか。この事態をどんな言葉で表現するか。こだわればこだわるほど、それらしい時代劇になります。
私たちは、過去の世界を完璧に再現することはできませんから、「それらしい」ということが重要なのです。これはおそらく翻訳においても同じようなことが言えるのではないかと思います。
アメリカのドラマ「刑事コジャック」で、声の出演者の一人だった柳生博さんに伺った話によると、ニューヨーク警察の英語を日本語の台詞にするのが非常に難しかったそうです。まず、ニューヨーク訛りプラス警察用語が頻出する。しかもニューヨークは人種のるつぼで、主役のコジャックはギリシャ系だし、警察署内にはアイルランド系、ポーランド系、メキシコ系とさまざまな人たちがいて、それぞれの訛りで丁々発止とやっている。この翻訳をどうしたらよいだろうとみんなで考えた末、「時代劇の江戸の奉行所の同心のようにしゃべらせればよいのでは」となったら、すべてがぴったりくるようになったそうです。
たとえば、「あたしゃ、そんなこたぁごめんだよ」とベテランのアイルランド人の刑事が言ったり、捜査官が岡っ引きみたいにペラペラまくしたてたりすると、いかにもニューヨークの警官が現場で話している感じが出てきた。考えてみると江戸の町とニューヨークは似ている、神田や芝、日本橋のあたりはマンハッタン、ハドソン川のイーストリバーが隅田川、その向こう側の深川と本所はブルックリンとブロンクスに見立てられますね。こんなふうに、文化的な下地をうまく変換することによって非常に原語と翻訳に親和性が出てくるということもあると思います。
時代考証はストーリーテリングの第一のしもべ
時代考証の基本精神とは何か。この問いに対して私がよく引用するのが、西部劇映画の名作「明日に向かって撃て!」の冒頭の字幕に出てくる言葉です。
「Most of what follows is true.」(この物語はだいたい真実である)
同じく西部劇「ロイ・ビーン」の冒頭の字幕には、こうあります。
「Maybe this is not the way it was…it is the way it should have been.」(もちろんこれは真実ではない。ただ、こうあって欲しかった物語である)
時代劇、歴史劇は、史実を完全に再現するものではなく、「ストーリーテリングが万物の根源であって、時代考証はそれを成り立たせるための第一のしもべにすぎない」ということを、この二つの言葉が象徴しています。
「明日に向かって撃て」で言えば、主人公のブッチ・キャシディとサンダンス・キッドが、銀行強盗や列車強盗を繰り返した末、南米ボリビアに渡るけれど、最後は追い詰められて死んでしまう。これは史実をもとにしたストーリーで、主人公のモデルになった実在の二人には生存説もあります。しかし、学説を映像化して見せるくらいつまらないドラマはありません。「昔こういうことがありました」「ブッチとサンダンスはボリビアで死にませんでした」という史実や学説の再現ではなく、「昔こういうことがあったらよかったのにな、こうだったら面白いな」という物語を創っていくことが、時代劇・歴史劇の根本です。
あくまでも「その物語の枠」の中で、登場人物をいかに自由に動かすかを考え、彼等がいた時代の「それらしさ」を支えていくために必要なツール、それが時代考証なのです。たとえば列車強盗をする時の車内や彼らが泊まる宿屋はどうなっていたか、といったことをきちんと考証してつくることによって、絵空事の話が本物らしく見えてきます。
歴史を再現するだけなら時代考証は要りません。繰り返しますが、ストーリーテリングこそが万物の根源であって、逆に時代考証が万物の根源になってしまう時代劇はまことにつまらないものになる、ということをぜひご記憶いただきたいと思います。
現代の価値観で過去を規定してはならない
ドキュメンタリーの考証においては、歴史的正確さが求められます。一方、時代劇・歴史劇においては「それらしさ」が求められます。気をつけないといけないのは、現代の意識や価値観で過去を裁定、規定してはいけない、ということです。相手が年上であっても、お姫様が道端の百姓に敬語で話しかけてはいけない。あくまで「その時代の人は、時代の制約の枠から逃れられない中でどう行動したか」を考えることが大切です。
こういうことを突き詰めていくことで、どんな時代にも共通する普遍的な感動が得られる。人間の真実が浮き彫りになる。枠を無視した現代的な台詞や行動を過去の人物にとらせることで画期的な時代劇ができたと考えるのは間違いです。そういう作品は結局、後に残らない。いま残っている優れた映画も芝居も、そういう点をきちんと踏まえて練りあげてきたことで、現代でも受け入れられる作品になっています。
時代考証の第一の鉄則は、「おかしなものを出さないこと」です。言い換えれば、今までお話してきたように、キャラクターが行動するための「枠」を保持すること。せっかく高い予算をかけて豪華な衣装やセットをつくっても、不用意な台詞や所作ひとつで一切が崩れてしまいます。
この枠を保持するためのもっとも基礎的な作業が、「正しく、適切で、簡素な言葉」を選び抜くことです。簡素であるほどニュアンスは増えますし、台詞の時間調整もらくになります。新約聖書ヨハネによる福音書に、「IN PRINPICIO ERAT VERBUM(はじめに言葉あり)」とありますが、これは時代劇において実にあてはまります。
昔の時代劇を見ると、映像技術は今の方が優れているし、セットや衣装も歴史研究が進んだぶん、より適切なものになっています。しかし、何より感動するのは、役者さんたちの日本語が美しくこなれていること、イントネーションが正しいこと、所作が美しいことです。今や昭和30~40年代(1955~1974年)までの日本家屋での所作は風化しつつありますが、若大将シリーズにおばあちゃん役で出演している飯田蝶子さんが、よその家に行って手土産のお菓子を出した後、包み紙を畳んでしまう。当時としては当たり前の所作が、今見ると実に美しく新鮮です。
時代劇はこれからどうなるか
時代劇の制作はどんどん縮小に向かい、今ではテレビのレギュラー枠で時代劇をつくっているのはNHKだけという厳しい現状です。しかし、時代劇でなければ描けない日本人の心情があり、一種の無形文化財ですから、やはり作り続けなければならないと思います。
アメリカでは西部劇が下火になるかと思うと、「明日に向かって撃て」のような傑作ができます。日本でも黄金時代は去ったけれど、また時代劇を作ってみようという動きが出てくるかもしれません。そのためにもオーソドックスな作り方、あり方を保持しておかないと、復活につながらないでしょう。
全体として「おおむね真実である」ということを保持したうえで、何よりも言葉を、歴史劇としての台詞を重んじること。これさえできていれば時代劇であろうと歴史ドラマであろうと、これからも感動的な作品が生まれてくると確信します。
ドキュメンタリーのナレーションも、正確な用語、テクニカルタームを使う。外国語を導入するならそれを正しい適切な翻訳でこなれた日本語にしていく。そのことによって番組の信頼性が保証される。時代考証の言葉の問題を改めて考えてみて、やはり正しい言葉こそが創造的な仕事の根本になる、と痛切に感じています。
言葉考証のおすすめ本
最後に、時代考証の参考本として、特に言葉の問題について有用な三冊を紹介します。
『江戸のことば』(岡本綺堂、河出文庫)
永遠の名作『半七捕物帳』の作者による、時代劇の言葉遣いについて面白く学べるエッセーです。綺堂は江戸の話し言葉にたいへん造詣が深く、この人の本を読むと上級武士、下級武士、町民、農民、
町娘と田舎娘などの違いを書き分けていて、勉強になります。英語も堪能で、半七の元アイデアとなったコナン・ドイルの文章について「探偵小説の興味ばかりでなく、“グード・イングリッシュ”で書くから広く愛される」と、正しい言葉の大切さを強調しています。
『長崎版どちりなきりしたん』(海老沢有道校註、岩波文庫)
「キリシタン・ドクトリン」の意味で、戦国~江戸時代初期のキリスト教教義の解説書です。当時の口語日本語の例が非常に多く、現代のキリスト教用語とキリシタン言葉の対照解説もあります。戦国時代のキリシタンや江戸初期の天草四郎が登場するドラマでもよく参考にしています。
『時代劇・歴史ドラマは台詞で決まる!』(田中ゆかり・金水敏・児玉竜一編、笠間書院)
国語学者、演劇研究者、私ともう一人のディレクターによるシンポジウムの記録です。時代劇の台詞のみならず言葉全般について考える時に、非常に示唆に富んだ内容となっています。
このほか、拙著『考証要集』『考証要集2』(文春文庫)もよろしくお願いします。これまで携わってきた歴史ドラマやドキュメンタリー制作の現場で書きた
めた「考証メモ」を、あいうえお順に辞書形式でまとめたものです。言葉の考証についての解説も豊富ですので、ぜひお読みいただければと思います。
本日の私の話が、みなさんのお仕事のなんらかのヒントになれば、たいへん光栄に思います。ご清聴ありがとうございました。
(2021 年 10 月 15 日 第 30 回 JTF 翻訳祭 2021 講演より抄録編集)
◎講演者プロフィール
大森洋平(おおもり ようへい)
1959 年東京生まれ。東北大学文学部西洋史学科卒業。1983 年NHK 入局。古典芸能番組、教養番組等の制作を経て 1999 年よりドラマ・ドキュメンタリーの時代考証を担当。今日に至る。対象とする時代は古今東西を問わない。
著書『考証要集―秘伝! NHK 時代考証資料』『考証要集 2―蔵出し NHK 時代考証資料』(いずれも文春文庫)