日本翻訳連盟(JTF)

ビジネスプランは十人十色~自分らしい翻訳“事業”を考える~(前編)

講演者:英日・独日翻訳者、Sprachgetriebe Consulting 代表 宮原健さん

本特集では、日本翻訳連盟主催の翻訳祭やセミナーから選りすぐった講演の抄録をお届けします。今回からは、「翻訳祭2022」より宮原健さんの講演を前後編に分けて連載します。社内翻訳者から個人事業主として90社以上のクライアントとの取引を得るに至った宮原さんの経験を踏まえた、「自分らしい翻訳事業のビジネスプラン」についての示唆に富むお話です。

●はじめに

私は広島を拠点に個人事業形態で主に翻訳業をしています。今回はJTF翻訳祭で3回目となる登壇の機会を頂戴し、フリーランスや個人事業主という形態での翻訳業をテーマにお話します。

前編では、これから翻訳者になりたい人や駆け出しの方向けに、翻訳の分野、翻訳者になるさまざまな道、翻訳業を継続していくために意識したいこと、知っておくと心の準備ができることなどを取り上げます。私は産業翻訳者ですが、一部は字幕翻訳やゲーム翻訳などをされている方々にも取り入れることができるのではないかと思います。どう生かせるか、ご自身で発想の転換を意識して聞いていただけましたら幸いです。

はじめに、自己紹介を兼ねて簡単にこれまでの経歴をお話します。2007年に地元広島の大学卒業後、千葉に移り、精密機器メーカーの社内通訳・翻訳者になりました。3年弱で広島に戻り、重工業メーカーの航空機器関連部門で通訳者として半年弱働きました。2010年からは母校の留学生担当の事務員として、留学生支援事務と付随する翻訳・通訳をしていました。2019年春に大学を退職し、それから専業で翻訳をしています。

●多岐にわたる翻訳の分野

ひと口に「翻訳」といっても分野は多岐にわたります。一般的には、映画字幕の翻訳や出版翻訳、そして翻訳ではなく通訳をイメージする人も多いかもしれません。企業勤めで語学ができて、社内で翻訳と通訳、両方するという人もいます。欧米では片方ではなく両方する人が割と多いそうです。英語でtranslation / translatorが両方を指すこともあるので、そう思う人が多いのもわかります。

分けようと思えば、技術翻訳、医療翻訳、金融翻訳、出版翻訳、字幕翻訳、芸能翻訳、観光翻訳、ビジネス翻訳、法務翻訳、ゲーム翻訳、漫画翻訳、学術翻訳、IT翻訳、マーケティング翻訳、特許翻訳、吹替翻訳、ファッション翻訳……というように分野自体は多く、ここに挙げきれていないもの、またこの中からさらに細分化される分野まであります。

ゲーム翻訳は、産業翻訳、字幕翻訳、出版翻訳の3大分類に続く4つ目という方もいれば、産業翻訳の範疇という方もおられます。吹替は翻訳という範疇を超えた先にボイスオーバーなど処理自体が異なるため、ナレーション翻訳、吹替翻訳、ボイスオーバー翻訳に分けるのがよいかもしれません。このあたりの分類があいまいなのは、翻訳業界としてあまり取り上げられていないこともひとつの理由かもしれません。正当な分類については、後で触れる情報誌などを読まれるのがよいかと思います。

●分野をどう選ぶか

多岐にわたる翻訳分野の中で、どれか1つに絞って専門にするか、複数の分野を手がけるかは人それぞれで、どちらがいいということはありません。たとえば私は、仕事の経歴としては技術・教育分野なので、そうした内容のほうが得意というか、関わるときに勘が働きますが、それだけではなく、主に手がけているのは一般ビジネス翻訳です。

実は私の在宅翻訳者デビューは、ゲーム翻訳と法務翻訳でした。いろいろ引き受けるうちに、ゲームは向かないな、などと紆余曲折を経ながら派生して、一部マーケティングやIT、法務のほか、ゲームコンテンツはしないがその広告はするなど、複数の分野に携わっています。

一方で、ゲーム翻訳から入って、たとえば特許とか金融を専門にされている方もおられます。また、ITから入ってみたけど、ふたを開けてみると学術のほうが得意ということもあるでしょう。私のように分野を変えて、ある分野に落ち着くという話は割と耳にします。

どれかを選んでそれを続けないといけないということはありません。興味のあるものに手を出してみながら、自分に合う合わないがわかってくるものかと思います。周りの経験者に話を聞いてみても、先に分野を決めておいたほうがいいという方もいれば、だんだんと見えてくるので初めからこうと決めないほうがいいという方もいます。いろいろな考えがあり、聞いてわかるものではないので、とりあえず試してみればいいと個人的には思います。

●語学以外の専攻や事務経験も生かせる

これからフリーランスの翻訳者になりたいという人の中には、自分でもなれるんだろうかと漠然とした不安や疑問を抱いている方、特に経歴からしてどうなのかなと気になる人もいるかと思います。

私は大学で外国語を専門で学んでいません。ただ、語学が好きで大学の専門とは別に、空き時間を使って学習していました。そういう人は結構多いんじゃないかと思います。図1は私の経歴を簡単にまとめたものですが、いわゆる学歴・職歴には記載されない経歴でも、派遣から翻訳業を始められた一例として見てください。

私の場合、表面に見える経歴は、経済学専攻であり、機械・航空機器メーカーや教育機関での事務職です。たしかに翻訳・通訳の業務はありましたから、こういう場で話をするときには、そういう仕事をしていましたと言いますが、航空機器メーカーでの数カ月間を除いてメインの職務分掌というわけではありませんでした。

しかし、事務仕事の経験が生きる翻訳の仕事もたくさんあります。たとえば、営業事務や総務を経験している方であれば、手紙など文書のやりとりを日本語に翻訳する案件で経験を生かせる機会もあるでしょうし、土木関係の経験があれば、機械マニュアルなどの用語や実際の使い方に精通している知識を活かせます。

もちろん、自分が精通した内容の仕事ばかりが1年間または何年も継続して入ってくるとは限らないので、ほかにも手がけられる内容を見つけていく必要はありますが、人それぞれ活かせる経験や好きなことがあるはずです。もしかしたら自分では気づいていない長所もあるかもしれません。特にこれからと考えている人は自らその可能性を閉じなくてもよいと思います。

図1

●翻訳者になる方法

では、実際に翻訳者になるにはどうしたらいいのでしょうか。

なり方はいろいろあります。私の場合はメーカー勤めから翻訳に関わるようになりました。学生時代の就職活動時から終身雇用や直接雇用には興味がなかったので、とにかく翻訳・通訳にすぐ携われればということで、ハローワークや派遣会社の紹介を活用しました。

同じように、まずは会社に勤めて翻訳者になる方法としては、翻訳業務のある企業に社内翻訳者として直接雇用される、あるいは派遣会社経由で勤める、翻訳・通訳会社に勤めて内勤でエンドクライアントから受けた案件をこなす翻訳者になるなどの道があります。また、翻訳会社などのトライアルを受け、請負業としてフリーランス(個人事業主)の在宅翻訳者になる方法もあります。

そもそも翻訳とは何かというと、
「一般に翻訳とは,ある自然言語の語・句・文・テキストの意味・内容をできるだけ損なうことなく他の自然言語のそれらに移し換えること」(『世界大百科事典』平凡社)
在宅翻訳者は翻訳を仕事にしています。そんなことはわかっている、と思われるかもしれませんが、成果物を納品するまでに、校正や編集といった工程まで請け負う人もいますし、特に前職で企画マーケティングをしていたとかクリエイティブ系上がりの人には翻訳だけでなく、トランスクリエーションやコピーライティングを手がける人もいます。さらに在宅翻訳で直接企業とだけやり取りする人、翻訳会社などエージェントに登録して仕事を引き受けている人、その両方から受ける人とさまざまです。

●積極的に情報収集を

翻訳者にとって有益な情報収集の方法はたくさんあります。ひとつは、業界情報誌を読むことです。たとえばイカロス出版発行の『通訳翻訳ジャーナル』『産業翻訳パーフェクトガイド』『メディカル翻訳・通訳ガイドブック』『出版&映像翻訳完全ガイドブック』など翻訳関連の各種情報誌があります。

翻訳学校に通うのもひとつの方法です。私は派遣から始めて手探りで、エージェント登録をきっかけにフリーランスになりましたが、翻訳学校に通えば志を同じくする仲間と知り合うきっかけを得られますし、知っておけばよかったと思うような情報が手に入ることもあるでしょう。

私も駆け出しの頃を振り返ると、業界誌は初めに読めばよかったなとよく思います。ここでは取り上げませんが、取引先のトライアル合格の秘訣などについて知りたければ業界誌を読むと十分な情報を得られます。

学ぶために通う学校としては、いわゆる翻訳学校だけではなく、最近は個人でオンライン塾を開講したり、オンライン学習プラットフォーム「Udemy」で講座を提供したりしている同業者の方々もおられますので、自分に合うところを見つけて学習するのもよいと思います。ほかにも、YouTubeチャンネルで翻訳者の仕事について紹介している動画を公開している方もおられます。「Udemy 翻訳者 なるには」や「YouTube 翻訳者 なるには」と検索してみれば、受講者から定評のある方々がすぐ表示されます。

本やネットの情報はすごく充実しています。そうしたところからの情報がすべてではありませんが、特にこれから翻訳者になりたいという方には有益な情報が詰まっています。勝手に流れてくる有益な情報もありますが、基本的には自分から動いて得ようとしなければ、求める情報はなかなか得られないものです。振り返ると私自身、駆け出しの頃に情報をうまく得られていなかったなと思います。

●事業主意識をもつ

フリーランス・個人事業は、いつからフリーランス・個人事業主なのでしょうか。厳密には開業届を出してから個人事業主と呼ぶものですが、ここでは平たく、そう考えた瞬間からフリーランス翻訳者です。しかし、これはあくまで日本での話です。

日本では現状、翻訳者として事業活動をするために必要な資格はありませんが、国ごとに翻訳者とする考え方や制度、資格なども異なります。外国にお住まいで、これからなりたいと考えている方は、その国での翻訳者のなり方を確認するべきということを頭に置いておいてください。

いずれにしても、フリーランス・個人事業の翻訳者が心に留めておくべき大切なことは、「自分は一事業主である」という意識をもつことです。

私たち翻訳者はお客さんから仕事を受けて翻訳やその他の請け負った依頼をこなし、その対価に報酬をもらいますが、ただ訳して納品すればいいという簡単な話ではありません。ビジネスですから、納品するものがよい品質であることが大前提です。

信頼を損なわないために、誤訳をせず、読んでわかるもの、先方が大きな手直しを必要としない成果物を納品しなければなりません。そのためにはしっかりとした調査や継続的学習も必要です。自分の成果物に責任を負うのは自分自身です。

私も思い返せば特に初めの頃は、結構な失敗をしたと思います。今でこそ文中にある伝えたいメッセージを読み取ろうとする姿勢も身につきましたが、それこそ就職したてで社内通訳・翻訳者をしていた頃は、周りに同じ業務の先輩もいなかったので字面で訳しがちなところはあったと思います。その時、土日休みにでも研鑽のために通訳学校や翻訳学校に通えば、もしかしたら2010年の時点ですぐフリーランスになっていたかもしれません。

●転身するなら十分に下準備を

みなさんの中には、1回や2回は転職経験がある方もおられるかと思います。普通、転職といえば、健康上の理由や家庭の事情で退職する場合や、自ら1年休みを取る場合などを除いて、たいていは次の就職先を決めてから退職しますよね。

在宅翻訳の仕事で注意したいのは、契約先が1本とれたからといって、翌日からすぐ仕事があるか、翌月も翌々月も毎日仕事があるかはわかりません。たとえば、翻訳会社のトライアルに合格し、契約を結びました。では明日から1カ月程度の分量をお願いします、ということで1カ月後に納品を完了しました。その後、手が空きましたが、次のお仕事は来ません、ということだってありえます。フリーランス形態は、ある種歩合制のところも多いため、それでは生活ができません。

ですから、これからフリーランスへの転身を考えている方々は特に、今から下準備を始めましょう。私も年に数社ベースで新しい取引先を開拓しつつ、年間にならして十分な量をとれるようになった段階で専業になりました。私の場合は、副業をはっきりと禁止されていなかったので、もちろん本業に支障をきたさないように気をつけながら、それでも強気に準備をしてきました。

副業は禁止されていて今はまだ準備もできないという場合であっても、たとえば業界誌から情報収集をしたり、勉強のために土日に学校に通ったりはできるはずです。そうした準備もせずにフリーランスに転身するからと退職するのは、現実的な期待値を高く設定しすぎていて、おすすめしません。

●業界団体やコミュニティに登録・入会する

下準備としては、図2のような業界団体やコミュニティにも登録・入会してみましょう。

翻訳祭を企画開催している日本翻訳連盟(JTF)も翻訳者の入会を受け付けていますし、日本翻訳者協会(JAT)や日本知的財産翻訳協会(NIPTA)、国外にもATA(American Translators Association)やITI(Institute of Translation and Interpreting)、GALA(Globalization and Localization Association)などの業界団体や、翻訳者ディレクトリ、Amelia、Proz.com、TranslatorsCafeといったコミュニティがあります。

JATやProz.comなどは、同業者とのオンライン交流会も企画実施しているので、興味がある方は参加してみてください。

コミュニティ系は、ある程度は無料でも提供されているサービスを利用できますが、業界団体は有償のところが多いです。Proz.comやTranslatorsCafeなどは、有料会員になると無料会員より検索にひっかかりやすいといった特典があります。

図2

それぞれにメリットが異なりますので、みなさんが携わる分野の情報がより多くとれるところを一度利用して判断してみてもよいかと思います。

ほかにも、たとえば出版関係では、やまねこ翻訳クラブ、ゲームだとIGDA・LocSIG、医薬系では日本メディカルライター協会(JMCA)、法務では日本商事仲裁協会(JCAA)や企業法務研究部会(一般社団法人企業研究会BRI)等、翻訳がメインではないけれど専門分野を扱う団体に所属するなど、情報の網の張り方や勉強の仕方は一様ではありません。重要なのは、ただ入会するだけではなく、積極的に活用しようとする姿勢です。

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