日本翻訳連盟(JTF)

「私の翻訳者デビュー」遠田和子さん編

第1回:大学在学中にアメリカ留学、就職氷河期を乗りこえて社内翻訳者へ

翻訳者になったきっかけは人それぞれ。なぜ翻訳者になったのか、翻訳者になるには――。同業者も翻訳者をめざしている人も、第一線で活躍する翻訳者がどういう道のりでデビューしたのかは、気になるところではないでしょうか。

今回から、日英翻訳者としてさまざまなジャンルの実務・出版翻訳を手がけ、翻訳学校講師、企業研修講師、英語学習書の執筆等でも活躍されている遠田和子さんの「私の翻訳者デビュー」を、松本佳月さんが主宰するYou Tube「Kazuki Channel」からインタビュー記事にまとめて、5回連載で紹介します。
(インタビュアー:松本佳月さん・齊藤貴昭さん)

英訳を中心にマルチに活躍

松本:遠田和子さんは私にとって、英訳の先生なんです。遠田さんの講座をたくさん取って、本も読ませていただいたりして勉強させていただいているので、今日は親しみを込めて遠田先生と呼ばせていただきます。よろしくお願いします。では遠田先生、自己紹介をお願いします。

遠田:私は日英翻訳者で、ほとんど100パーセント、英訳を専門にやっています。また翻訳講座を持って翻訳講師の仕事もしています。そのほかに英語学習本をいくつか書いています。

松本:ちなみに私、先生の本をいろいろ持っています。『英語でロジカル・シンキング』『究極の英語ライティング』『英語「なるほど!」ライティング』とか。

遠田:ありがとうございます。

松本:それから最近先生が翻訳された『Traditional Cuisine of the Ryukyu Islands』、これがとってもきれいな本なんですよね。

遠田:それもお持ちなんですか。嬉しいです。

松本:本当にすごく素敵な本ですね。

『Traditional Cuisine of the Ryukyu Islands』高木凛著、デボラ岩渕・遠田和子訳、出版文化産業振興財団、2020年(原書『大琉球料理帖』)

遠田:沖縄のレシピがいっぱい載っています。これは苦労に苦労を重ねて訳しました。

松本:先生の講座で苦労話をいろいろお聞きして、本当にたいへんだったんだろうな、絶対欲しいなと思って買いました。

遠田:ありがとうございます。あまりに大変だったので、その本の英訳で私、自分の翻訳が一皮むけたような気がします。

新設された国際学部で

松本:それでは、「私の翻訳者デビュー」というテーマで遠田先生にお話をしていただきたいと思います。高校生くらいから、たぶん英語が好きだったに違いないと思うんですけど、そこからどうやって翻訳者になっていったのでしょうか。

遠田:高校生活はひと言でいうと、灰色でした。

松本:そうなんですか?

遠田:本当に最悪だったんです。私立の学校で、なんだか雰囲気が合わなかった。それで、自己証明みたいな感じで勉強に励んだということでしょうか。英語は得意で、大学は英文科に入りました。青山学院ですけど、当時は英文科(文学部英米文学科)が一番いいと言われていて、英語も好きだったので英文科を選んだんです。

松本:私も世代的には遠田先生とあまり変わらないんですけど、当時は、英語が好きな人は英文科や英語科に進学する場合が多かったですよね。今だったら、英語を使って何かを学ぼうとか、技術を学ぼうとかいう方向に私はたぶん行くだろうなと思うんですけど。

遠田:英語が道具であるという感じではなくて、英語そのものをやるというのが当時の雰囲気でしたよね。

松本:それで大学に入って、いかがでしたか。

遠田:大学に入って人生は明るくなりました。でも大学の授業はそんなにおもしろくなかったんです。

ところが、経営学部に一人、先見の明に優れた教授がいらっしゃって、その方が国際学部を立ち上げたんです。今は青山学院には国際政治経済学部が正式にありますが、当時はまだ正式な学部ではなく夜間(第二部)扱いでした。その国際学部ができたタイミングと私の入学がうまく合って、昼間の英文科の授業が終わってから、たしか夜の7時から始まる国際学部の授業に出ていました。

松本:昼間の授業プラスアルファその勉強をされていたってことですか。

遠田:そうです。昼間の英文科の授業は単位のために必要でしたが、そちらは適当にやって、出ない授業もあったりしました。夜のほうは正規の単位にはならないけれど、面白かったのですごく一生懸命やりました。そこの先生方は全員ネイティブで、英語だけで授業をするんです。

奨学金を得てアメリカ留学

遠田:その国際学部で、年に一人だけ留学の奨学金を出してくれる制度があったんです。毎年4~5人、そこから留学していたんですけど、一人だけ奨学金をもらえるということで、それを目指しました。当時、両親には「留学なんてとんでもない! 女の子がアメリカなんか」と言われていました。

松本:そういう時代でしたよね。

遠田:佳月さんもそうでした?

松本:はい。私の場合は、あまりにも留学留学と言うものだから、母が、1カ月くらい行かせれば言わなくなるんじゃないかと思って、夏休みのホームステイに1カ月間行かせてくれたんです。そしたらもっと行きたくなって帰ってきて……。

遠田:その翌年に正式に留学することにしたんですよね。

松本:結局、2年間行きました。遠田先生もたぶん、ご両親はそういう感じだったんでしょうね。

遠田:そうそう。うちの両親は、アメリカなんか行ったら危ないし、ヒッピーになって帰ってくるんじゃないかと考えていたから、お金は出してもらえませんでした。だから奨学金を取れば両親も諦めるだろうと思ったんです。めでたく取れたので、カリフォルニアの大学に1年間留学しました。

その頃から、英語で身を立てられるかなと考えていたんです。私は4年生のときに留学したので、日本の大学は留年して結局5年間行きました。渡米が9月で帰ってきたのは翌年の9月でした。

帰ったときには就職活動がとっくに始まっていたんですが、カルチャーボケになっていて、「え? 就職活動って何?」みたいな感じで何もわからず、遅れに遅れて焦っていました。しかもその当時は四大生の女子は就職氷河期でした。

松本:まだ総合職とかいう話が出る前ですか。

遠田:そうですね。ぼーっと帰ってきて不利な状況でしたが、求人欄を見て英語を使う職がある会社にアプライしていきました。ちょっと苦労したんですけど、1カ所拾ってくれる大手電機メーカーがありました。

松本:ちなみにその会社は、後から知ったんですけど、テリーさんと私もちょっと関わりがあるんですよね。遠田先生は社員ですよね。私はその会社で派遣社員として社内翻訳の仕事をしていました。

遠田:だから共通の知り合いもいるんですよね。

留学先で出会った協働パートナー

松本:ちなみに、遠田先生が今、ペアを組んで仕事をされているデボラ岩渕さんにお会いしたのは留学時代ですか。

遠田:はい、留学先です。

遠田:だからもう、夫よりも長い付き合いです。

松本:私は何度かおふたりが一緒のところに同席させていただいたことがあります。とても和やかで、家族みたいな感じですよね。

遠田:はい、親友です。

松本:でも英語のことに関してはバシバシ意見を言い合っていらっしゃって、すごく羨ましい関係ですね。

遠田:岩渕デボラさんとは、先ほどお話に出た『英語「なるほど!」ライティング』などの本を共著で出したり、共訳本も『ルドルフとイッパイアッテナRudolf and Ippai Attena』の英訳版ほか3冊くらい出しています。「共訳は友情の墓場」という言葉がありますが、幸い墓場にならずに、また新しいプロジェクトやりたいね、とよく話しています。

松本:留学先のアメリカで出会って、後にデボラさんが日本にいらっしゃって永住されているのもご縁ですよね。

遠田:ちょっと話がそれますけど、彼女のほうが私より日本的なところがあるんですよ。うちに泊まりに来た時に、和室にお布団を敷いてあげたら、「あら、これって北枕じゃない?」とか言われて。

恵まれた環境で社内翻訳者に

松本:電機メーカーに就職して、どういうところに配属されたんですか。

遠田:それが一つ、後のキャリアを方向付けたポイントです。当時は、貿易部門が花形でした。それで私も、輸出関連の課などに配属されるといいなと思っていたら、技術サポート関連の課に配属になって、「え?」と思ったわけです。全然華々しくない、地味な感じがして、ちょっとがっかりしました。その配属先は、マニュアルを作って海外に情報発信する課だったんです。輸出した機械に不具合があったときなどに、レトロフィット(劣化した機械を修理して新品同様に復元したり、最新の技術や機能を付加すること)とかやりますよね。そういう技術情報を日本語から英語に訳して海外に発信している部署でした。そこでの私の仕事が日英翻訳だったんです。

松本:最初から英訳から入ったということですね。

遠田:そうです。最初から英訳が仕事でした。私は文系ですから技術のことはチンプンカンプンでしたが、周りは全員エンジニアでした。さらに上司が素晴らしい方で、マニュアルを作って英語で発信するためには、ちゃんとした英語でなくてはいけない、というポリシーを持っていて、カナダ人とアメリカ人のチェッカーを雇っていました。そのふたりのチェッカーが、マニュアルの英語から私が書いた英語まで全部見てくれたんです。

松本:そのフィードバックも遠田先生は確認できたということですよね。

遠田:そうです。

松本:それは羨ましい環境ですね。

遠田:本当に素晴らしい環境でした。まず、その上司の英語に対する姿勢、「いい加減なものを出してはいけない、きちんとした英語で、きちんとしたマニュアルを作る」という考えが当時として偉かったと思います。だから費用をかけてチェッカーをふたりも雇っていたわけですね。

そして私は技術のことは隣のエンジニアに「ねえねえ、これどういうこと?」と教えてもらって、すべて理解してから訳すことができました。なおかつ英語を書いたらネイティブにチェックしてもらって、「どうしてこう直したの?」というような質問にも的確に答えてもらっていました。つまり働きながら勉強させてもらっていたようなものです。

松本:社内翻訳者としてはこれ以上ない環境ですよね。

遠田:本当に素晴らしい職場に巡り合えたと思っています。その上司の方とは退職してからもご自宅にお招きいただいたり、ずっとお付き合いがありました。女子社員がほんの数年間、自分のところにいたということでこれだけ可愛がってもらえるのかと、心から感謝しています。

コネ入社、寿退社が当たり前の時代

遠田:当時、四大卒女子の就職氷河期だったと言いましたが、その理由の一つは、女性にそれだけの職業意識もあまりなかったことだと思います。同期入社の女子社員が20人くらいいたんですけど、入社式の翌日に「寿退社」した人がいたんですよ。

松本:えっ! それは何のために入社したんでしょうか。

齊藤:ひどいな、それは。

遠田:腹が立ちましたね。入社式を終えた次の日に「私、結婚するので退社いたします」って、そういう人がいるから、四大女子は採らないという風潮になっていたわけですよね。私は、別の上司から「君、誰のコネで入ったの?」と聞かれたこともあります。「え、コネはありません」「伯父さんとか誰かいるんでしょう」「いえ、入社テストだけで入りました」と答えたら、「それは珍しい」と妙に感心されました。

齊藤:へえ。

松本:コネ入社って、昔はけっこう多かったですよね。

遠田:それで結局、寿退社するわ、みたいなね。

松本:だんなさんを探すために就職するという人もけっこういましたからね。大企業に入って、給料の高いだんなさんをゲットして寿退社するというのが王道みたいなかんじがありましたよね。

遠田:もしかして「寿退社」って、今の若い人にはわからないかも。

齊藤:死語かな?

松本:テリーさん聞いたことあります?

齊藤:最近はあまり聞かないですよね。

松本:私も遠田先生と同じように、大学4年生のときに2年間休学してアメリカに留学し、やはり9月に帰国して卒業しました。卒業式には出たけれど知らない人ばかりで、ひとりでポツンとしていました。就職活動も、私は親戚のコネとかでもいろいろ行ってみましたが、結局2年も年を取っている、英語が好きとか言ってる面倒くさい女の子は要らないわけですよ。特に大企業は。ある企業に面接に行ったとき、びっくりしたんですけど、「30歳になったら辞めてもらいます」とはっきり言われました。今だったら大問題だと思いますけど、当時はやっぱり、先ほど先生がおっしゃったような女子が多かったんですよね。

齊藤:そういう時代でしたね。

松本:でもちょうど総合職という言葉が出てきて、総合職と一般職に分かれた初年度か2年めくらいでしたが、結局、私は大企業はダメだなと思って、日経新聞かなにかに求人広告が出ていた会社に試験を受けて入社し、通訳になりました。私の場合はそうなんですけど、一般的には、女子はコネ入社が当たり前で、寿退社が波風立たない辞め方という風潮でしたね。

遠田:企業のほうも、誰かの顔を立てるために入社させたりね。

松本:いま考えるとすごい時代でしたよね。

齊藤:痛い話だなあ。

松本:男の人はあんまりそういうことを経験しないから、わからないんじゃないですか。

齊藤:全然わからない。違和感しか覚えないですね、今の話を聞いていると。

遠田:今年(2021年)3月に世界経済フォーラムが発表した「ジェンダー・ギャップ指数(男女平等指数)」で日本は120位(156カ国中)だそうですけど、それでも昔よりはいいですよね。

齊藤:120位で昔よりいいんですか? ひどいな、本当に。

松本:昔のそういう状況で、遠田先生がどうやって今のような翻訳者になられたのか、すごく興味深いです。

遠田:本当にとてもよい社会人生活を送っていましたが、そこで事件が起こりました。

齊藤:事件?

松本:え、事件って何ですか?(つづく)

「Kazuki Channel」2021/4/4より)

◎プロフィール
遠田和子(えんだ・かずこ)
日英翻訳者、ライター
青山学院大学文学部英米文学科卒業。在学中、文部省派遣留学生としてカリフォルニア州パシフィック大学に留学。電機機器メーカーに入社し翻訳業務に従事した後、フリーランス日英翻訳者として独立。カリフォルニア州フットヒル・カレッジに留学、スピーチ・コミュニケーション課程修了。現在は、実務分野での日英翻訳の傍ら、翻訳学校講師、企業研修講師(技術英語プレゼン指導)を務め、講演活動にも取り組む。著書に『日英翻訳のプロが使う ラクラク!省エネ英単語』『英語「なるほど!」ライティング』『究極の英語ライティング』『英語でロジカル・シンキング』『フローチャートでわかる英語の冠詞』ほか。英訳書『ルドルフとイッパイアッテナ Rudolf and Ippai Attena』『Love from the depths―The story of Tomihiro Hoshino』『Traditional Cuisine of the Ryukyu Islands: A History of Health and Healing』(以上共訳)など。趣味は読書・映画鑑賞・バレエ・旅行。

◎インタビュアープロフィール
松本佳月(まつもと・かづき)
日英翻訳者/JTF ジャーナル編集委員
インハウス英訳者として大手メーカー数社にて 13 年勤務した後、現在まで約 20 年間、フリーランスで日英翻訳をてがける。主に工業、IR、SDGs、その他ビジネス文書を英訳。著書に『好きな英語を追求していたら、日本人の私が日→英専門の翻訳者になっていた』(Kindle 版、2021 年)『翻訳者・松本佳月の「自分をゴキゲンにする」方法: パワフルに生きるためのヒント』(Kindle 版、2022 年)。

齊藤貴昭(さいとう・たかあき)Terry Saito
実務翻訳者
電子機器メーカーで 5 年間のアメリカ赴任を経験後、社内通訳翻訳に 5 年間従事。その後、翻訳会社にて翻訳事業運営をする傍ら、翻訳コーディネータ、翻訳チェッカー、翻訳者を 10 年経験。現在は、翻訳者としても活動。過去の翻訳祭では、製造業でつちかった品質保証の考え方を導入した「翻訳チェック」の講演など多数登壇。
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