日本翻訳連盟(JTF)

覆面座談会  翻訳者から見たMTPEの現在と未来(後編)

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●翻訳メモリのアップデートは翻訳者まかせ?

サトシさん:今、初版を人力でちゃんとやればという話が出ましたが、それは実は、今の翻訳業界でもモデルがかなりあります。CATツールが登場してから30年ぐらいになりますが、CATツールを使うモデルが本当に成功しているかどうかについて、私たち翻訳者がみんな口を揃えて言うのは、既訳にろくでもないものが多いということです。

かつては、私がいた会社でも、納品された後の翻訳メモリについて、余分なものを消したりなどの整備をしていたんですよ。でもプロジェクトが多くなるとたちまちそんなことはできなくなって、やりっぱなしなる。今、出回ってる翻訳メモリって、たぶんほとんどそういう状態なんですよ。

タケシさん:メンテナンスされてないんですね。

サトシさん:そんな状態の翻訳メモリを渡されて、ひとえに翻訳者が底上げしているだけなんです。最近も、生成系のAIが悪いデータを読み込むから負のスパイラルに入ってしまう可能性があると話題になりましたが、今、翻訳業界はいろいろなところでそれが起きている。

MTも、それなりでいいや、というのがどんどん出てきて、それを学習していったら0.9×0.9でどんどん劣化していく。それで、今のCATツールを使っている翻訳者がやっているように、劣化したMTの結果を底上げするのか、そうじゃなくて、もういいやとなるのか。

ミサトさん:たとえばDeepLって、放り込んだら吸い込まれるじゃないですか。あれは、たとえば英語を入れて日本語が出てきたら、それをセットとして自らまた学習するんですか? そうすると本当に0.9×0.9が永遠に続いていくってことですよね。

そこで出したものを、それを使った人が手直しして入れているわけではない。つまり、出したものが2割しか使えないものでも、その2割のものをまた学習しちゃうってことなんですよね?

サトシさん:そこまで単純にはやってないかもしれないですけどね。

ハンベェさん:どうやって学習しているか、その仕組みがよくわからないんですよね。

サトシさん:そうそう。MTもAIもそこがわからない。研究者自身が言っているじゃないですか。なぜこれが成功してるのかわかりません、わからないけどブラックボックスのままちゃんと動いてますって。

ミサトさん:CATツールで思い出したんですけど、私がたまにCATを使うときは、メモリがないものが多いんです。でも、たまたまメモリがあるものを使ったときに、ホームページの文章とメモリが違っていたんです。聞いてみたら、納品した後にお客さんが直したのをメモリに戻してないから、ホームページのほうに合わせてくださいと言われて、そういうもんなんだとすごくショックを受けました。

サトシさん:私が翻訳会社にいた頃には、納品後にお客さんが直したところは全部フィードバックがあって、それをもとにメモリをメンテナンスしていました。でもそれも一瞬で、すぐ諦めました。

ミサトさん:でも、それで100%マッチですって言われたら、えっ、と思うでしょうね。

サトシさん:だから今は、「100%の既訳も見てください」と指示されるんですよ。それはもうCATツールモデルの否定でしょ?

ミサトさん:それで100%のものを見た分もお金をもらえるんですか?

サトシさん:まあ1割とかね。そんなもんでしょう。

ミサトさん:でも100%マッチだから見なくていいやと思ったときに、お客さんは、それでホームページを作って合わせてみて、前回直したのにまたこれで来てるよ、と思うわけですよね。

サトシさん:そうなんですよね。

●MTが進化してもイチから翻訳できる力は必要

サトシさん:今後MTにどう対応するかについて、みなさんは今のスタンスと変わらないですか。ミサトさんは、もうこのまま近づかないですか。

ミサトさん:私は基本的にツールだと思ってるので。

サトシさん:じゃあツールとしてどういう条件になったら使う気になりますか。

ミサトさん:私は基本的に翻訳会社から仕事をもらっているので、翻訳会社がOKと言わない限りは使えないです。たとえば翻訳会社がOKを出してMTPEを行うとしても、割引された料金ではやりたくないかな。割引されないなら使える分は使ってもいいけれど、やっぱり、「これでいいか」って自分が思ってしまうようになるのがすごく怖いので、そこの折り合いをどうつけるかですね。

否定しているわけではないけど、自分の中でうまい付き合い方を見つけて収入的に変わらないのであれば。そして今まで手書きだったのがパソコンを使うみたいな感じというか、役に立って、それによって自分の力が落ちないんだったら使ってもいいかな。

サトシさん:でも役立てながら、自分に影響しないってすごく難しいですよね。

ミサトさん:難しいですね。

サトシさん:それはCATツールでさえ難しかったので。

ミサトさん:でもサトシさんはCATをずっと使っていて、とりあえず自分の力が落ちたとは思うことはなかったんですか。

サトシさん:いやいや、CATだけでやっていた頃はめちゃくちゃ落ちたと思います。今、CATを使う割合は減っているけれど、CATばかりのときは絶対それじゃやばいと思って、CATを使わない翻訳を自分で入れることで食い止めることしかできなかった。

ミサトさん:それで考えると、仕事でもしMTを使うことになっても、仕事以外にイチから訳す訓練をする時間を常に取って、イチから翻訳できる力はキープしないといけない。

サトシさん:今それなりに翻訳をやっている人はたぶんそう思いますよね。いろいろな理由で条件が揃ってMTを使うようになるかもしれない。そのときには自分の本来の翻訳力をキープするための努力が必要だと思います。でもこれから入ってくる世代は、最初から使っていたら、そういう発想にならないかもしれない。

ハナコさん:そうですよね。今ここで話をすると、翻訳力が落ちるとか、マイナスの要素がどうしても多くなってしまいますが、若手はやらないほうがいいというものでもないと思うんですよ。そこをどういう風に折り合いつけていくのか。

ミサトさん:そういうテクノロジーって使っちゃダメというものではないですよね。たとえば洗濯機があるのに何でも手で洗えとは言えない。もちろん手で洗ったほうがよいものもあるから手洗いもある程度やっておかないといけないけど。

サトシさん:でもたぶん手を使う洗い方を学べなくなってきますよね。

ミサトさん:洗濯機のように最初からMTがあっても、これからこの業界に入る人たちは、イチから翻訳できる力は絶対に持っていてほしいなと思います。

サトシさん:MTの話をするときによく、洗濯機とか過去に登場した文明の機器の話が出てくるけど、あれは本当にたとえになっているのかなといつも思うんですよ。

洗濯機って今ほとんど失敗ってないでしょう。洗濯機で洗ったらボロボロになるとか。でも昔はこういうものを洗濯しちゃいけないとか、いろいろありましたよね。その中で人間はノウハウを蓄積していきつつ、洗濯機自体も進歩したけれど、今のMTはそうなっていない。使い方のノウハウも蓄積できてないし、MT自体も失敗だらけで洗濯物をボロボロにしている。だから安易にMTを過去の文明の利器にたとえちゃいけないと思います。

●ニーズによる住み分け

タケシさん:適切なたとえかどうかわからないですけど、私のイメージでは、手縫いの和裁士さんとミシン縫いの着物の違いと思っています。安く量産できて裾野を広げる役割と、お金がかかっても孫の代まで伝えられるような手縫いのすごく良いもの。やっぱり手縫いの和裁士さんはまだまだ生き残っているし、ミシン縫いのおかげで若い世代も洋装とのミックスみたいな形で取り入れたりしている。そういう住み分けだと思っているんです。

サトシさん:それはよくわかります。翻訳をレストランにたとえる人もいますよね。個人経営の超おいしい一流レストランとファミリーレストランなどがあるように。レストランにも何段階かあるでしょ。たぶん翻訳も同じで、そのどこを目指すかという話になってくる。

いけないのは、お客さんがそこをわかってなくて、一流レストランの味を出したいのにファミレスの値段を求めるとかね。そこの食い違いがたぶん、今一番不幸を呼んでいるんですよね。

ミサトさん:それを言うと、翻訳会社がもっと顧客教育をちゃんとしてほしいです。

ハナコさん:この間、「翻訳会社も板挟みなんです」と翻訳会社の方から聞いたのですが、本当にその通りだと思うんです。でも、間でがんばれるのは翻訳会社さんしかいませんから。

ハンベェさん:まさにその通りですね。まず翻訳の案件自体が、コロナのせいなのか、機械翻訳が流行ってきたからか、あるいはChatGPTのせいかわからないけれど、ちょっと落ちていると思います。その中で、翻訳会社でも、ものすごく廉価でやっているところは本当にもう機械翻訳の値段だけと思えるようなところもあります。発注する側としては、省庁などは、とにかく一番安いところに出すという状況で、価格競争になっています。

タケシさん:個人の翻訳者も、お客さんがどうやって発注してるのか、どれぐらいの値段で発注しているのかなど、もうちょっと知る努力をしてもいいかもしれない。自分がいるところのラインがどのラインなのかということは、知っていたほうがいいと思うんです。

ハンベェさん:それは知ったほうがいいけれど、なかなか難しいと思います。だいたいみなさん言わないでしょう、単価これぐらいでやってますというようなことは。

タケシさん:自分はけっこう情報交換しています。そういう友達をつくっておくといいと思います。

ハンベェさん:それは大事だと思います。

ミサトさん:私は今までに2回ぐらい、お客さんのメールが間違って私のところに転送されてきて、倍以上お金取ってるんだ、と知ってしまったことがあります。

ハンベェさん:翻訳会社を成り立たせるのに、翻訳者への委託料金の倍は取ってないとできないです。営業費用もそうですし、ネイティブチェックやクロスチェック、プロジェクトの管理など翻訳者さんが考えている以上に、手間と時間がかかっているからです。

ミサトさん:倍は覚悟していたんですけど、それよりけっこう多くて、え~、みたいな。

ジョジョさん:今回の座談会でのみなさんの意見として集約されたのは、高い翻訳と安い翻訳の違いを、ちゃんとお客さんにわかってもらう、それをJTFが業界としてぜひ言ってほしいということですね。

ミサトさん:住み分けになっていくだろうし、違いがあるということを、お客さんのほうにも、翻訳会社やJTFから周知してほしいですね。結局、百円均一の店で買ったら百均の品質、専門店で買ったらもっといいものが買える。翻訳もお金と時間を出せばいいものができるということを、一般の人たちというか顧客にもっとわかってもらうように。

サトシさん:そもそもお客さんが翻訳のことをわかってないのは昔からで、今に始まったことじゃないんですよ。

ジョジョさん:寿司屋だったら回転寿司と銀座の一流店とが全然違うのはわかるけど、翻訳ってなかなかわかりづらいところがあるから、どこが違うんですか? となっちゃうんですよね。ちょっと英語をかじっていて、文法間違ってるよとか言ってくるクライアントがいたりね。

ハナコさん:すごく得意気に修正を入れてくる方もいますよね。

ミサトさん:それがお客さんにいると一番タチが悪い。

タケシさん:そこもコミュニケーションで、それこそ一番接している人が、ちゃんとその人のニーズを汲んで落としてもらえれば、そういう食い違いってあんまりないと思うんですよ。だからもうちょっと営業さんがんばって、ってことになるんじゃないですかね。

ジョジョさん:寿司屋でもピンからキリまであるというように、翻訳にも違いがあることを認知しないと、なかなか業界に入ってくる人もいなくなっちゃう。

サトシさん:いろんなレベルで翻訳をちゃんと知ってもらって、使い分けてもらうってことですね。ハナコさんは、今後はMTとどう関わっていこうと考えていますか。

ハナコさん:私は会社内では頼まれたらやります。ただ、個人で受けるものについては、やらないつもりです。

サトシさん:タケシさんもたぶんもう縁がないですか?

タケシさん:そうですね。自分は手縫い和裁士を目指してがんばりたいなと思っているところです。

ミサトさん:そうすると、手縫いOKと言ってくれるお客さんを見つけないといけないですよね。私も今はCATツールもMTもほぼ使っていなくて、今の取引先がそれでOKなのでいいんですけど、その状態が何年続くか自信がないです。3カ月後にはMTを使ってくださいと言われるかもしれない。そうなったときにそうじゃないところを見つけられるのかという不安はあります。

ハンベェさん:翻訳会社の立場から言うと、MTを使わないところは、たぶん少なくなると思います。

サトシさん:タケシさんは、手縫いの市場が減ってきたらどうしますか?

タケシさん:そんなに悲観はしてないんです。体感として、たぶん翻訳会社がカバーしてないところも住み分けでたくさんあると思っているので、そういうところでやっていくのが個人の選択肢としてはハッピーなんじゃないかな。

サトシさん:翻訳のやりがいという意味でハッピーなのはそうだろうけど、経済的にもハッピーになれそうですか。

タケシさん:はい。

ミサトさん:そういうところを開拓する能力ですよね。私は開拓能力に欠けるから心配です。

サトシさん:今はCATツールやMTをやっていないけど、今後はどうするかわからないという層はたぶん多いですよね。私自身は、もともとツールが嫌いじゃないから、今後いろんな形で使ってはいくと思うけど、自分の脳への影響が怖いというのは経験済みだから、そこだけは気をつけたい。

●横展開の可能性

タケシさん:バリバリにMTを使っている会社の中でも、いっさいMT案件を振られない人もいます。無理に開拓しなくても、そういうポジションにいくというのもひとつだと思います。

サトシさん:そういうポジションに落ち着いた過程を聞いてみたいですね。

タケシさん:やっぱり経験ですかね。派遣でソースクライアントの中に入って、外に出回らないような文書とか、どういう仕組みでどれがどれぐらい求められてるのかということを熟知したうえで、フリーランスになった方だと聞いています。

新人は社内で始めるというのは、昔よりかなり有力な選択肢なんじゃないかなと思います。

サトシさん:なるほど。翻訳会社に入って社内でそういう道を見つけるということですね。

タケシさん:翻訳会社よりは、できればソースクライアントの翻訳に関わるところから仕事を見つけるほうがいいと思います。

ハナコさん:お金に見合うかどうかはわかりませんが、機械を使うかどうかなどについては、けっこう選べる気がします。

タケシさん:社内にいたほうが選べるってことですよね。発言権があるっていうか。

ハナコさん:そうですね。社内だと、見ればわかる人がいるから、可能な気がします。

ミサトさん:私の場合は英語以外の言語もできることがけっこう逃げ道になっています。MTを積極的に推進している会社からも、英語以外の言語ではMTPEでない仕事がわりと普通に来るんです。それもいつまでかわからないけど、グローバルに何言語にも展開したいというわけではない案件を受けているので。

タケシさん:そういう横展開の軸足をいくつか持っておくのは、ありだと思います。

ミサトさん:そういう合わせ技をいくつか用意しておいて、状況を見ながらバランスを変えていくのもいいかもしれませんね。

サトシさん:それでは、このあたりで終わりたいと思います。みなさん、ありがとうございました。

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