「手話」という言語をめぐる社会言語学的諸課題(後編)
講演者:群馬大学教授 金澤貴之さん
●福祉的な「通訳」と言語通訳
ここは翻訳祭ということで、通訳や翻訳に関わる人たちが集まっているわけですね。翻訳、通訳ということで考えてみた時に、手話の世界では、福祉予算、公的支援が投入される部分があるわけです。地域生活支援事業という厚生労働省の福祉事業があって、その中にも対人援助を含めた福祉的な通訳というものが今でも制度としてあります。
ただ、それとは別に言語通訳を専門にする人たち、専門というか、そういうことをより多く引き受けている方もいます。福祉的支援でずっとこの道何十年やってきていますという人もいます(図2)。これはきっちり真ん中で分けられるというよりは、いろいろな要素があります。
たとえば、群馬大学にもろう学生が何人かいますので、まず大学という場で考えると、ろう学生に通訳が入って手話通訳の方が通訳する時に、ろう学生がわからない顔をしたら、通訳の人は、わかるようにさせることが仕事だという意識がどうしても働くので、わからないところをより説明してあげようとするケースを時々見かけます。
でもこれは大学という場では、余計なお世話だという感じがしてしまいます。なぜなら、ろう学生がわからない顔をして、わからないならわからないと授業担当者に言ってくれないと、こちら(授業担当者)は把握できないからです。
学生がわかる顔して、なるほどなるほどと聞いていたと思ったら、実は通訳者がすごい腕利きで、すごく知識もあって、ろう学生がわからないところを講師がしゃべっていることの1.5倍増しぐらいで説明してくれていたみたいなことがあったら、話がだいぶ違うじゃないですか。
ですから、大学だと言語通訳でお願いしますということです。「わからない時はどうしたらいいですか」と通訳者の人に聞かれたら、「本人がわからなかったら、わからないと言うべきです」という話になります。
一方、地域生活の支援ということになると、わからない部分を補っていくことも仕事の一つになってきます。
どちらがスキルとして高い低いとは一概にはいえなくて、それぞれで必要なスキルが違ってきます。言語通訳は当然、非常に高いスキルが必要ですが、福祉的通訳の方でも、たとえばろう者の自尊心を損ねずに必要な情報を補って、関係者との関係をこじらせずにうまく調整していく調整力が必要になります。
●遠隔通信技術による手話通訳
最近の新しい動きとして、遠隔通信技術による手話通訳を民間会社がやっています。と話して、「あっ!」と思いましたが、まさに今、この私の講演も遠隔で通訳していただいていますね。文字通訳も手話通訳も、今リアルタイムで遠隔で通訳していただいているわけです。
翻訳祭の会場で、もし対面で行おうとしたら、おそらく対面通訳で現地に来てもらって、それぞれ2カメで撮ってもらい、オンデマンド配信する時には、おそらく2つを画面合成して編集するとかになるんでしょうね。オンラインなのでzoom越しに遠隔で入ってもらうのがやりやすいですね。
考えてみると、大学の授業の手話通訳もコロナの前と後とで大きく変わったと思います。今は対面の授業の中でも、コロナで参加できない学生のためにzoom録画もお願いしますとか、zoomなら参加できますという人がポツポツいて、授業担当者のほうも慣れていて、さっとセッティングしてできるので、今は対面で授業をしているけれども通訳者には遠隔で入ってもらうというようなこともできるわけです。
遠隔手話通訳は、行政サービス、たとえば図3のように東京都やいくつかの自治体がやっています。QRコードが窓口に置いてあり、スマホで読み取るとスマホ上に通訳者が出てくる。それによって東京都職員とのやり取りを、通訳を使ってできるようになっています。
一方、図4はカスタマーサービスです。「トヨタ 手話」と検索してもらうとこの画面が出てきます。スクロールすると、その下に遠隔手話通訳を使うためのボタンが出てきて、押すとオペレーターが出てきます。こういうものが今、行われています。
別にトヨタだけじゃないのですが、大手企業にとっては人数的には多くはないにしても、0.1パーセントということは1000人いたら1人、1万人いたら10人ということです。ですから、自分たちの顧客の中に一定数のろう者もいるので、ろう者が利用しやすいサービスを自前で用意しておこうという流れが出てきていると思います。
そもそも行政サービスは、アクセシブルでなければいけないですよね。いろいろな人がアクセスできなければいけないから、遠隔手話通訳を導入しているところが増えてきているということがいえます。
ひとつ大きなこととして、2021年7月から総務省の事業として、聴覚障害者が24時間365日電話ができるようになりました。もちろん電話を使わなくてもいいんですよ。聞こえる人だって電話を使いたくなかったら使わないですね。
電話というのは総務省事業として行われています。手話通訳なのに厚生労働省ではなくて総務省であるというのは、福祉ではなく公共インフラとしての電話だからです。間に手話通訳オペレーターを介して離れた人と電話ができる。24時間365日というのは、電話がそもそもそういうものだからです。そして、緊急通報もできる。こういうことが2021年7月に実現しました。
これらのことを合わせて考えると、手話の有用性の考え方を大きく見直していかなければいけないのではないかと思います。特にろう教育においてです。
ろう教育において、「手話は一部の人しか使えないので、日本語の発音も聞き取りもできたほうがいい」ということで、「口話」教育がずっと行われ、手話は禁止されてきたという歴史がありました。しかし、ろう者同士でしか通じないものではなく、手話はいつでもどこでも誰とでも話ができる、ICTを使ってそういう社会が実現できつつあるわけです。まだ十分ではないけれども、こういうサービスがもっと横に展開していけば、ろう者はいつでもどこでも誰とでも話ができるということになっていきます。
●手話通訳者養成の課題
最後に、手話通訳者養成の課題についてお話ししたいと思います。
まさに今日も、手話通訳の方が私の話を通訳していただいています。そのたびに反省はするんです。わかりづらい回りくどい日本語で、手話通訳者に迷惑かけているなと思うんですけど、なかなか自分の言葉を変えるって難しいなと思ったりもします。
優秀な通訳者がどんどん育たないといけないというわけですが、2つの問題があります。
1つはろう者側の変化です。聴覚障害者の社会的地位の向上に伴う、高い言語通訳のスキルを持った通訳者が足りません。
どういうことかというと、たとえば聴覚障害者がどんどん大学で学ぶようになってきました。大学の授業を手話通訳できるスキルがある人がもっと必要です。
さらには、聴覚障害者が高度専門職に就く。ろう者のお医者さんも弁護士さんもいます。言語聴覚士、社会福祉士、教師などの専門職に就くろう者もいます。そうした人を支えるとなると、お医者さんや看護師さん、医療関係者が、患者さんに向けて話す話というのはまだわかりやすいんです。患者さんは普通の一般の人ですから、その人にわかるように話しますよね。問題は、医療関係者同士のケースカンファレンスなど、そういう場面を通訳することがとてつもなく難しいわけです。
さらに、先ほどお話した電話リレーサービスのようなICTによるサービスが広がってきましたが、これは通訳者にとってものすごく難しいんです。その度その度、画面に出てくるろう者の顔が変わる、住んでいる場所も違う。その中で通訳しなければいけないわけですから、知っているろう者の通訳ならできるという話と全然違うわけです。
制度にも行き詰まりがあります。昭和の時代は手話を勉強する専業主婦層がたくさんいたけれども、それが今減ってきているので、昼間に手話通訳講座を開いても人が集まりません。夜開いたら集まるかというと、疲れて帰ってきて手話を勉強するのか、という感じになるじゃないですか。
一方で、若年層の養成が困難な制度設計があります。手話通訳養成に4~5年かかって、ようやく試験が受けられるようになる。でも試験に受かるようになるには、さらに何年もかかるのが現状で、なにしろ手話通訳士の資格を取るのに平均10年かかるというんですね。
他の専門職は高等教育機関で養成するものが多いですよね。その中にあって、手話通訳というのはその流れに乗ることができていないところがあります。コミュニティ通訳の養成を前提とした制度設計から、専門職の聴覚障害者を支えられるような手話通訳者の養成へ、見直しをする必要があるのではないかと思っています。大きな見直しをして、大学在学中に資格が取れるような制度をうまく作らなければいけないというところです。
群馬大学では、2017年からこれを実現するべく、大学1年生に手話を教えて、2年生と3年生の1年半、つまり合計2年半で手話通訳の資格が取れるカリキュラムを終えるということをやっています。このようなことがどんどん進んでいかないといけないだろうと思います。
駆け足ではありましたが、私の話をひとまずこれで閉じさせていただきたいと思います。ご清聴ありがとうございました。
(2023年11月8日 第32回JTF翻訳祭2023講演<同時手話通訳、文字通訳付き>より抄録編集)
◎講演者プロフィール
金澤貴之(かなざわ たかゆき)
東京学芸大学を卒業、同大学院修士課程を修了し、筑波大学大学院博士課程を中退。筑波大学文部技官、助手を経て、2000年4月から群馬大学教育学部障害児教育講座に講師として着任。現在、同大学教授。2013年3月、博士(教育学)取得。博士論文は「聾教育における手話の導入過程に関する一研究」。主著『手話の社会学―教育現場への手話導入における当事者性をめぐって』(生活書院)。