日本翻訳連盟(JTF)

1-1 翻訳とはなにか~足元を見直そう~

高橋 さきの Takahashi Sakino

翻訳者。東京都出身。東京大学農学系研究科修士課程修了。以来、特許翻訳と学術系書籍の翻訳・執筆に従事。共著書に『プロが教える技術翻訳のスキル』(講談社)、訳書にシルヴィア『できる研究者の論文生産術』『できる研究者の論文作成メソッド』(講談社)、ハラウェイ『猿と女とサイボーグ』『犬と人が出会うとき』(青土社)などがある。

深井 裕美子 Fukai Yumiko

翻訳・通訳者。東京都出身。上智大学外国語学部フランス語学科卒業。JR東日本、テレビ番組制作会社を経て(株)ネスト代表取締役。テレビ、演劇、音楽、PR・マーケティング関連の仕事が多い。主な作品に戯曲『淋しいマグネット』、映画『樹海のふたり』(英語字幕)、『バイリンガルコミックス忠臣蔵』(講談社)などがある。96年より翻訳学校で教鞭をとる。

井口 耕二 Inokuchi Koji

翻訳者。福岡県出身。東京大学工学部化学工学科卒業、米国オハイオ州立大学大学院修士課程修了。仕事は産業翻訳と出版翻訳の2本立て。主な訳書に『スティーブ・ジョブズ』(講談社)、『スティーブ・ジョブズ驚異のプレゼン』『リーン・スタートアップ』(いずれも日経BP社)、著書に『実務翻訳を仕事にする』(宝島社新書)などがある。

高橋 聡 Takahashi Akira

JTF理事、翻訳者。(株)帽子屋翻訳事務所代表取締役。CG以前の特撮と帽子をこよなく愛する実務翻訳者。翻訳学校講師。学習塾講師と雑多翻訳の二足のわらじ生活を約10年、ローカライズ系翻訳会社の社内翻訳者生活を約8年経たのち、2007年にフリーランスに。訳書に『インシデントレスポンス』(日経BP社)ほかがある。

翻訳フォーラム Honyaku Forum

翻訳フォーラムは、プロ翻訳者を中心とした翻訳関係者がコミュニケーションを通じて成長をめざす、相互研鑽や互助を主眼とした場。その活動は30年近くも続いている。現在、高橋さきのと井口耕二が主宰、これに深井裕美子と高橋聡を加えた4人で、2016年5月に共著『できる翻訳者になるためにプロフェッショナル4人が本気で教える翻訳のレッスン』(講談社)を上梓。現在、シンポジウムやセミナー「レッスンシリーズ」も定期的に提供しており、その情報を公式ツイッター@FHONYAKUで発信している。
 

報告者:久松 紀子(フリーランス翻訳者・編集者)
 


オンライン・コミュニティ「翻訳フォーラム」で20年以上も共に活動し、2016年5月に初の共著『翻訳のレッスン』(講談社)を上梓した4人がついに翻訳祭に登壇。翻訳分野が異なる4人が、原文から何を読み取るのか、翻訳のために「絵」を描くとはどういうことなのかをそれぞれの観点から展開した。

絵を読み取る・絵を描く

深井:今日は「絵」のお話をします。原文と訳文との間には「絵」があり、原文を読んでいる人と、訳文を読んでいる人で、思い浮かべる「絵」が同じになる。これが、翻訳の基本の基本です。
実際に「絵」を思い浮かべてみましょう。ある描写文を読んでみます。

As we entered the galleries [展示室], wait staff [給仕係] were gliding about offering drinks and hors d' oeuvres.*1

あるパーティ会場に到着した主人公が、目の前に見える風景を表しています。このgliding aboutというのは、どういう動作なんでしょう。glideというのは、辞書を引くとto move smoothly and quietly(OALD*2)とあります。動いている様子が、なめらかで静か、ばたばたしてないってことですよね。aboutはin many different directions(同)です。smoothに、quietに、many different directionsに動いていくわけです。
ここでの「絵」は、自分の目の前でウェイターが動き回っている様子です。訳文にすると(wait staffが)「音もなく動き回って、飲み物やオードブルを勧めていました」というところでしょうか。
ところが、学習者が訳していた文章には、「給仕係が近づいてきて飲み物やオードブルを勧めました」とありました。これではウェイターが主人公に向かって来てしまい、全然違う絵ですから、誤訳になってしまうんですね。
この文章では、どれくらい描写が頭に浮かんだかがポイントですが、いろんな判断をするときに、分野を問わず「絵」がものすごく大事になります。私たちは、4人それぞれ違う分野ですけれど、全員、「絵」を描きます。私は棒人間しか描けませんが、それも「絵」ですし、マトリックス、ベン図、フローチャート、すべて「絵」のうちなんです。

書き手の頭の中が見える訳をめざして

高橋(さ):翻訳には3種類の人が関わっています。まず原文を書いた人。次に、原文の読み手であって、訳文の書き手でもある翻訳者。それから、訳文を読んだり使ったりする訳文の読み手*3。翻訳者としては、読んだ人にも、原文の「書き手の頭の中が見える」ような訳文を書かないとまずいわけです。つまり、そのために必要な事項を、原文に書かれている内容そのもの以外にも、原文から読み取らないといけない。
具体的にはどんなことかというと、文章に直接書いてある事柄と、書いてない事柄に分けて考えるのがいいと思います。文章には書いてない事柄では、①どんな人が書いたのか?②どんな状況で書いたのか?③どんな背景知識をもとに書いたのか? 大きく分けると、この3つになると思います。
そして、文章そのものから読み取らなければならないことは2つ。④文脈や文同士の関係⑤伝えるための書き手の工夫といったことがあります。
こういうことをきちんと読み取るかそうでないかによって、できあがった訳文がどう違うのか。押さえるべき点をきちんと押さえた訳文では、書き手の頭の中が「みえる」(そうでない訳文では「みえない」)、原文で強調されている点が「よみとれる」(そうでない訳文では「よみとれない」)、文章の奥行きが「ある(そうでない訳文では「ない」)ということになります。
読み取るべきことを読み取った場合にできる訳文というのは、訳文を読むと、どこが大事で、どこが強調されているかがちゃんとわかるんだと思います。原文の書き手の息づかいが伝わってくると言えるかもしれません。
きちんとした訳の場合、読んだ人の理解度が俄然アップし、正確に伝わります。それは、翻訳では一番くらいに大事なことです。翻訳っていうのは、何をきちんと読み取るかで決まってしまうんですね。

翻訳者のためのツールとは?

高橋(あ):私はまず「絵を描くのに役立つツール」の話をします。
Pump-delivered gasoline has an energy density of 46.7 MJ/Kg.という原文があります。「pumpで供給されるエネルギー密度は~」という、燃費の話です。
pumpといったら、空気入れや揚水ポンプを思い起こしますが、ガソリンと結び付くでしょうか。辞書を引けばちゃんと載ってます。しかも辞書ならなんでもいいわけではなく、原文の地域にあった辞書(この場合は米語系の辞書)を引く。画像検索に飛びつく前に、「絵」を思い浮かべるために辞書を使うんです。

8 ≪pumps≫[話] ガソリンスタンド【RHD2*4】
5. Informal The place where consumers purchase gasoline. Used with the: gas prices rising at the pump【AHD*5】

こんな風に、辞書というのは言葉を見つけるための道具じゃない。「絵」を思い浮かべるための、とても役に立つ道具なんです。
今度は逆に、絵を描くのに邪魔になったツールの話をします。次の原文で、XYZ社は翻訳会社に製品を売っている企業です。日本語サイトもあったので、次に並べます。

XYZ believes that all content should be available in the languages your customers speak. And that our customers need a new approach to content and translation that enables them to go global faster.
XYZは、すべてのコンテンツは顧客が使用する言語で提供される必要があると考えています。また顧客は、迅速なグローバル化を実現するコンテンツと翻訳への新しいアプローチを必要としています。

原文のyour customer「あなたの顧客」はソースクライアントのことですね。our customer「私たちの顧客」は翻訳会社ですから、指してるものは違うはずなのに、訳文では2つとも「顧客」で済まされている。こうなったひとつの原因が「置換翻訳」です。

XYZ believes that all コンテンツ should be available in the 言語 your 顧客 speak. And that our 顧客 need a new アプローチ to コンテンツ and 翻訳 that enables them to go global faster.

翻訳する前に、このようにcustomerやcontentsなどの語を置換すると、「your顧客」と「our顧客」となる。翻訳のときには日本語の人称代名詞を飛ばすことが多いので、yourとourを無視するとどっちも「顧客」になってしまう。
さらに翻訳支援ツールを使うと、インターフェース上、1文目と2文目が分かれて出てくる。そうすると頭が切り離されてしまって、どちらも「顧客」と翻訳してしまいます。これは絵を描くのに邪魔になったツールです。

「統一」について

井口:翻訳で大切なのが「絵を描くこと」であるなら、用語や表記の統一はどうなんでしょう。具体例として、高橋(あ)さんの文章を使ってみます。

XYZ believes that all content should be available in the languages your customers speak. And that our customers need a new approach to content and translation that enables them to go global faster.
XYZは、すべてのコンテンツは顧客が使用する言語で提供される必要があると考えています。また顧客は、迅速なグローバル化を実現するコンテンツと翻訳への新しいアプローチを必要としています。

contentは両方とも「コンテンツ」と訳されています。普通、こう訳しますね。
でも、2番目はこの訳でいいのでしょうか。「コンテンツと翻訳への新しいアプローチ」という日本語が何を言っているのか、私にはわかりません。
content and translationという英語は自然に読めるし言いたいこともわかります。また、“content and translation”を検索すると山のようにヒットします。対して日本語で「コンテンツと翻訳」と2語をセットに検索しても、数えるほどしか出てこない。原文と訳文とで、登場頻度も文としての自然さも違うわけです。単語の意味や使い方が英語と日本語で微妙に異なるからでしょう。じゃあどうしたらいいのか。
こういうときは元の英語に戻り、書いた人が、その現場で何を伝えようとしたのかを考える。1文目から読むと、「すべての内容を、お客さんが使っている言語で提供すべきだ」という話をしているんですよね。そのあたりを踏まえつつ「コンテンツ」で本当にいいのかを考えなおしてみる。
原文と訳文、それぞれで「絵」を描いて比べないから、こんな風に日本語がぼけてしまう。ぼけているのに気づかない。contentは「コンテンツ」だと思考停止して、ぽん、と訳文に置いてしまう。翻訳の目的は読者の頭に正しい絵がすんなり浮かぶようにすることで訳語統一はその手段にすぎないのに、手段を追求して目的を損なってしまうのです。
 



*1: 原文は“Shibs rub elbows with dignitaries at D.C. dinner” (Maia Shibutani and Alex Shibutani) http://bit.ly/ShibsRubElbows より引用。色付けやアンダーライン、および[ ]内の日本語については登壇者側で加工したもの。
*2: 『Oxford Advanced Learners Dictionary』  Oxford Learner's Dictionaries (Online) http://www.oxfordlearnersdictionaries.com/
*3: JTFジャーナル286号「続・翻訳者のための作戦会議室 第4回」https://jtfjournal.homepagine.com/wp-content/uploads/2021/02/JTFjournal286_2016Nov.pdf P18-19に関連記事が掲載されています。併せて読むと理解が深まるため、ぜひご参照ください。
*4: 『ランダムハウス英和大辞典(第2版)』小学館
*5: 『The American Heritage Dictionary of the English Language』

 

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