4-1 英訳は、日本語の読みで勝負!
遠田 和子 Enda Kazuko
青山学院大学英米文学科卒。在学中米国パシフィック大学に留学。大手電機メーカにて翻訳業務に就いた後、フリーランスになる。著書には、『英語「なるほど!」ライティング』、『Google英文ライティング』、『eリーディング英語学習法』、『あいさつ・あいづち・あいきょうで3倍話せる英会話』(全て講談社、含む共著)がある。訳書には、小川英子著『ピアニャン』英語版Little Keys and theRed Piano, 星野富弘著『愛、深き淵より』英語版Love from the Depths─The Story ofTomihiro Hoshino (共訳)がある。
報告者:石飛 千恵(フリーランス翻訳者)
このセッションでは、日本語が母国語であるという優位性を活かし、日本語の読みを鍛えることで、いかにネイティブ翻訳者に負けず、機械翻訳(AI)に勝る英訳を作っていくか、例を交えながらそのポイントが示された。
英訳を行うプロセスで重要な3つのポイント
英訳を行うプロセスで重要なポイントは、主に①理解する(理解が上すべりしていないか?)②意味を訳す(とらえた意味をどう訳すか?)③誰のために訳すか?(最終読者のために)の3つである。
誰のために訳すのか
「 架線チャージャー」=“overhead charger”???
これはある充電装置で、オリジナルの日本語名称は開発者が命名した。翻訳会社が英訳した原稿ではoverhead charger(「頭上チャージャー」の意味)と訳されていた。実際の装置は頭上(overhead)には何もない。チェッカー、エージェント、クライアント全員がこの直訳をスルーした。この英訳原稿は開発者が米国でプレゼンを行うためのものであったが、システムと全く関係のない単語overheadが使われると、聴衆はずっと頭の中に「?」を抱えこむこととなる。翻訳者は辞書にある“「架線」=overhead power line”を参考にoverheadを使ったかもしれないが、このネーミングは「じゃがいも」を「かぼちゃ」と呼ぶようなものであった。たとえクライアントが満足していても、読者に理解されない英訳は駄目だと実感した例である。
置き換え翻訳の赤恥
「 植毛」=“implant hair”???
ある翻訳者によるこの置き換えでは、人間の頭に髪の毛を埋め込むイメージしか湧いてこないが、この用語は事務機の高温部にファイバ加工をしてやけどを防ぐ対策として出てきた。ここで「植毛」はフロック加工のことである。該当の文章はGoogle翻訳ですら文脈に合わせて「植毛」を“_ock”と訳す。機械翻訳は日々進化している。ニューラル翻訳という、塊で意味を捉える方式になってから、文脈に沿った訳語が選択されるようになり精度が上がってきている。人間が置き換え翻訳をしたのでは、負けてしまう。
一語で広がる意味の世界
漢字の読み方によって意味が変わる例を挙げる。
合紙:あいし・あいがみ(interleaf paper)、ごうし(laminated board)
「合紙」は読み方により意味が全く異なる単語である。前者がクライアントからの指定用語であったが、案件での適語は後者であった。指定用語であっても内容に合わないと感じたら、調べる必要がある。
基準角
「きじゅんかく」と通常は読めるが、この案件では、問い合わせて初めて「きじゅんかど」と読むことがわかった。問い合わせをきっかけに、筆者は元原稿の分かりにくさを認識し、書き直してくれた。
非常夜電源
「ひじょうよる」(emergencynight)と思いこんだが、「ひじょうや」(non-all-night)と読む社内用語と判明。読み間違うと意味が正反対になってしまう例であった。
このように、たった一語でも理解を誤ると全体の意味が通じなくなることがある。理解できない用語・表現については、依頼元に聞いた方がよい。たまに「書いてあるとおりに訳してください」と言われることがあるが、理解できなければ訳せないことを伝え、食い下がって教えてもらう必要がある。
用語一括変換の危険性
効率だけを求めて用語を一括変換しないほうがよい。なぜなら、本当にそれが文脈上正しいかどうかわからないうえ、英語は繰り返しを嫌うため頻出用語は言い換える必要が生じるからである。
Shift from:
A. 化石燃料から自然エネルギーへ(fossil fuels to natural energy)
B. 原子力エネルギーから自然エネルギーへ(nuclear energy to natural energy)
上記のAとBでどちらをおかしいと感じるだろうか。答えはAである。化石燃料もnatural energyの一種であるため、Aの英訳は意味が通らない。日本語でいう「自然エネルギー」は「再生可能エネルギー」と定義されていることがある。その場合は、言葉を正しく解釈し“renewableenergy”あるいは“sustainable energy”と訳さなくてはならない。
行間に隠れた意味を汲み、論理の飛躍を埋める
原文の日本語で行間に隠れた意味があったり、論理が飛躍していたりする場合、これを補って英訳する必要がある。以下の例を使って一緒に考えてみたい。
例1
「旅行で撮ったビデオを見返しているとき、このようなことを経験したことはないだろうか。印象に残ったシーンに飛びたいが、巻き戻しや早送りを繰り返しながら、目的のシーンを探す…。このような問題は、ビデオを扱うとき常につきまとう。」この例にある「このようなこと」、「探す…」、「このような問題」とは何を意味しているか。これらを明確にした上で英文を考える必要がある。ここでは、「イライラした経験」「探しているが見つからない」、「シーンが見つからないという問題」という行間の意味をすべて英語に訳す必要がある。
例2
「(道路工事による)自動車走行時間、環境負荷の増分等の項目を定量的に算定する」
“Quantitatively calculate parameters such as increases in vehicle driving time and environmental load.”
まず、日本語の文章を読んで直ちに意味を理解できただろうか。この「自動車走行時間」は道路工事によって生じた渋滞のために増えた走行時間のことである。つまり「交通の流れの停滞」が元々の原因なので、下線部は以下のように表現できる。
“reduced traffic flow and increased environmental load”
「自動車走行時間」はreduced traffic flowの対訳ではないように見えるかもしれないが、論理の飛躍を埋めて「意味を訳す」のが翻訳の本質である。日本語を読んですぐに理解できなかった場合は、そのまま訳すと危険だと考えた方がよい。また、論理の飛躍を補うと同時に、一語でなるべく多くの意味をもたせて「言葉の燃費」をよくするべきである。たとえば上記の例にある、“Quantitatively calculate”は、“Quantify”の一語で十分である。
例3
「日本では、十代の若者の間でスマホの普及率が80%を超えている。」
“In Japan, the penetration rate of smartphones among young people in their teens is more than 80%” (翻訳初心者の訳)
“In Japan, the penetration rate of smartphones among teenagers exceeds 80%”(Google翻訳)
上記の例では、機械翻訳の方が優れている。では人間はどうすればよいか?「普及率」はよく使われる用語であるが、文のスタイルや内容によりpenetration rateを使わないほうが自然な場合がある。例えば以下のようにも訳せる。
“Over 80% of teens have smartphones in Japan.”
このように、機械翻訳には同じコンセプトを状況に合わせて柔軟に、また端的に別の表現で描写する能力はまだない。ここが人間の翻訳者としての勝負どころである。
まとめ
先日、東ロボくんと名づけられたAIが東大受験をしたところ、不合格となり開発を諦めたという報道があった。これについて開発者は、このAIには「意味を理解する」能力が足りなかったためと認めている。開発者は「今後、意味を理解しなくてもできる仕事はどんどんAIに奪われていくと考えられる。どうか皆さんは意味を理解するプロセスを大切にしてほしい」とコメントしている。これは翻訳者にもかけたい言葉である。
日英翻訳では、すらすら読めて、引っかからない英文を作ることが大切である。そのためには、深く読み、意味を理解し、等価に変換することである。翻訳家の柴田元幸氏は、文体の技巧性までも訳している。皆さんも、原文に対するリスペクト、読者に対する愛、信念を貫く勇気、そしてGarbage in, Gold outの気概を持って、英訳に取り組んで頂きたい。
質疑応答
Q1. 行間の隠れた意味の例文で、原文の「…」というふわっとした曖昧な表現を英語でも残すべきではないか?
A1. 明快さが求められる英語圏の文化においては、論理構造をしっかり踏まえて記述した方がよいと思う。
Q2. 意味を訳した場合、納品時にコメントを残した方がよいか?
A2. 例で挙げたレベルでは、特にコメントを残していない。指定用語に従わなかった場合は、理由をコメントとして残すべきだと思う。
Q3「. 行間を埋める」作業は和訳でも必要だろうか?
A3. 英日翻訳も必要になるだろう。ただし、本日のセッションは日本語を母国語とする人が原文の理解を強みにして英訳をしよう、ということがテーマなので英日については触れていない。
Q4. 英訳される前の和文を書くときに気を付けるポイントは?
A4. 主語や目的語を省略しない、修飾語と被修飾語は近くに置く、といった通常の作法を守り、ロジカルに書くことに注意するとよいと思う。