日本翻訳連盟(JTF)

いつまでもアマと思うなよ 8年後の逆襲(?) ~金融翻訳者が語る自立するための心がけと具体的な方法 2~

2016年度JTF第4回翻訳セミナー報告
いつまでもアマと思うなよ 8年後の逆襲(?)
~金融翻訳者が語る自立するための心がけと
具体的な方法 2~


鈴木 立哉

一橋大学社会学部卒。米コロンビア大学ビジネススクール修了(MBA:専攻は会計とファイナンス)。野村證券勤務などを経て、2002年、42歳の時に翻訳者として独立。現在は主にマクロ経済や金融分野のレポート、契約書などの英日翻訳を手がける。訳書に『Q思考――シンプルな問いで本質をつかむ思考法』(ダイヤモンド社)『世界でいちばん大切にしたい会社 コンシャス・カンパニー』(翔泳社)『ブレイクアウト・ネーションズ』(ハヤカワ・ノンフィクション文庫)など。著書に『金融英語の基礎と応用 すぐに役立つ表現・文例1300』(講談社)。

 



2016年度JTF第4回翻訳セミナー報告
日時●2016年12月20日(火)14:00 ~ 16:40
開催場所●剛堂会館
テーマ●いつまでもアマと思うなよ 8年後の逆襲(?)
~金融翻訳者が語る自立するための心がけと具体的な方法 2~
登壇者●鈴木 立哉  Suzuki Tatsuya  金融翻訳者
報告者●村井 優斗(株式会社 翻訳センター)

 


 

 2002年の独立から14年。前回のJTFでのセミナー講演は8年前(2008年)という鈴木立哉さんに、8年前と変わったこと、変わらなかったこと、変えなかったことを、氏の実体験を交えて本音でお話しいただいた。
 この報告では、セミナーでお話しいただいた様々なトピックから、報告者が皆様にお伝えしたいと感じたものを厳選して紹介する。

8年ぶりに登壇する意味

 8年前の登壇は翻訳者として独立してから6年目だった。尊敬する実務翻訳者の先輩、時國滋夫さんに、「5年たったら自分の考えをまとめたほうがいい、それを人前で話すと勉強になる」と言われたのがきっかけだった。
 それが2008年7月。それからわずか2か月後の9月15日にリーマン・ブラザーズが破たんした。つまり、今回の講演にはリーマン・ショック後の金融翻訳者の現状、という側面がある。リーマン・ショックの影響で収入は一時的に3割減った。ソースクライアントはすべて変わった。ただし金融翻訳では、あるクライアントが傾くと他の会社が出てくるので、きちんと、誠実に仕事をし、営業努力を続けていればお客様が途切れることはない - その後に新たなお客様ができて収入が元に戻るなかで、それを実感した。

お伝えしたい3つのこと

 本セミナーに参加してくださった皆様にお伝えしたい重要な考え方が3つある。
 一つ目は、翻訳は時間がかかるということ。
 これは、翻訳力の習得という意味ではもちろん、営業努力やお客様との関係(信頼)構築、同業者間のコミュニティの形成にも当てはまる。日々の進歩など全く実感できず、10年たってやっと、もしかしたらほんの少し前に進んだかも…と思えるぐらいの世界だと実感している。井口耕二さんが以前ブログで書いておられたように、翻訳(関連業務)は「薄皮を一枚ずつ積み重ねていく作業」だと思う。
 二つ目は、職人仕事には終わりがないということ。
 翻訳は職人仕事だ。千里の道も一歩から。そして、いつまで行ってもゴールにたどり着くことはない、と考えて常に(ほんの少しずつでもよいから)殻を破り続ける努力が必要だと思う。フリーランスの場合は営業についても同じ事がいえるのではないか。たとえば、今日はせっかく来てくださったのだから、講師である私と名刺交換してみてはいかがだろうか。あるいは思い切って質問してみては?引っ込み思案だからといって、自分の殻に閉じこもらないでほしい。ほんの少しでいい。ほんのちょっぴり無理して背伸びすることを心がけてほしい。
 三つ目は、プロとしての最低要件は守るべし、ということ。
 プロとしてどういう高見を目指すのか、あるべきプロとはどうあるべきか、というのは人により様々な考え方があってよいと思う。ただし、どんなに立派なことを言っていてもプロとしての最低要件はあるだろうと考えている。それは自分の翻訳料収入だけで家族を支えられるということだ。私も実際に妻と二人の子どもを養ってきた。最低限それができないとプロとしては名乗れないと思う。

8年間の変化

 8年前のセミナー用レジュメを振り返りながら、この8年間でどのような変化があったかを話すことにする。

休みのとり方について

 8年前は週に半日、休みをとっていた。しかし、原則として依頼された仕事は断らない方針を貫いているうちに2011年くらいからほとんど休まなくなった(1年間で5~10日ぐらい)。これでは身体によくないと家族が心配するので、今は月に一度の休暇を努力目標にしている。

顧客獲得のスタンスについて

 独立して数年間(前回のJTFセミナー講師をやらせていただいた頃までは)翻訳求人サイトに「契約書」「金融」とあれば機械的に応募していた。トライアルの合格率は最初の頃は3勝7敗くらい。その後は徐々に勝率が上がり、それに比例して仕事も増えていった。4、5年前からは応募してもトライアルに取り組む時間がなかったり、応募前の条件交渉(単価)で折り合いがつかなかったりといった件数が多くなりこの方法を採らなくなった。

日英翻訳について

 8年前は私の業務は英日がほとんどで、将来は日英翻訳にも力を入れていくことを考えていた。しかし、その後業務を続ける中で日英はネイティブ・スピーカーにとうていかなわないと実感して5年ほど前にあきらめ、現在は自分では日英翻訳を行っていない。ただソースクライアントにどうしてもと頼まれることがあり、その場合には、クライアントの了解を得た上でネイティブの翻訳者に翻訳を発注し、プロジェクトマネージャーとして機能するという形で請け負っている。翻訳者から訳文を受け取ったら英日翻訳者として英文を読み、英語に慣れていないクライアントなら尋ねると思われる基本的な質問を含め、原文との(意味は当然としてニュアンスの)差異などあらゆる疑問を挙げ、時には対案を提示して翻訳者からの回答を求める、返事が来たら再び検討し、また疑問があれば尋ねる・・・と3、4回のやり取りを経て、双方が納得した訳文をお客様に納品している。

文芸翻訳を学ぶ理由

 自分の勉強のために文芸翻訳を学んでいる。金融翻訳者として仕事を続けながら、なぜ文芸翻訳を学ぶのか。
 金融翻訳には、動かしようのない事実が存在する。私の取り組んでいるマクロ経済/ファンド運用のレポートの場合は、詰まるところイエレンFRB議長の発言やFRBの施策内容がすべての出発点だ。各種マクロ指標の数値や市場の上げ下げといったデータも然り。金融翻訳者はそうした事実に立脚して翻訳ができる。書き手はアナリストのようなプロの執筆者ばかりでなく、トレーダーや運用マネージャーなど本業を別に持つ人であることが多い。英語のネイティブ・スピーカーでないこともあり、英語そのものがおかしいことだってある。知識不足、情報不足、考え違いもある。一方翻訳者の我々は動かない事実や情報を確認でき、根底のロジックを理解しているからこそ原文を評価しながら翻訳できるし、原文の内容に誤りがあればそれをお客様に指摘できる場合もある(ソースクライアントから見ると、それが付加価値にもなる)。
 しかしそれは裏を返せば、英語を英語として完璧に理解していなくても、専門知識を備え情報収集を怠らなければ翻訳がある程度できてしまうことを意味する。すなわち私はいつの間にか、英語を英語として読み解こうとしなくなり、結果として英語力が落ちているのではないか・・・独立後10年後ぐらいからそういう不安にかられるようになった。
 一方文芸翻訳(フィクション)では、「真実」は書き手の頭の中にしかない。つまり、「今何が起きているのか?」「何があったのか?」「何が起きるのか?」「登場人物(たち)は何を考え、感じているのか?」を知るには、そこに書かれている英文に頼る以外ない。(原則として)原文に事実誤認があれば、書かれている事実誤認こそが「真実」なのだ。これが金融(実務)翻訳と文芸翻訳の決定的な違いであり、私が文芸翻訳を学び始めた理由である。セミナー参加者の皆様も、ある程度実務翻訳者としての経験を積んだら(まずはそちらの方が大事なので本末転倒すべきではないが、その後で)文芸翻訳を学ぶことを強くお勧めしたい。自分がいかに英文を読めていないかを痛感すると思う(今の私のように)。

「翻訳筋トレ」の体験

 「翻訳筋トレ」とは鈴木の造語だ。これは運動選手におけるストレッチ、筋トレのようなもので、私自身は日本語の音読/原文と訳文の比較(書き写し)/原文と訳文の音読/英語だけの音読/日本語だけの音読/その他(英文の暗記や文法書のおさらいなど)のメニューのうち最低3つは毎日欠かさず実践している。
 実際には1メニューを5分として、調理用タイマーをセットして時間を区切って行っている。
 翻訳筋トレの基本的な考え方は、「1日だけなら簡単にできることを、365日続ける」ということ。自分の生活パターンに組み込んでしまうことがコツだ。すべてのメニューに取り組む必要はなく、自分のその時の状況に合わせて取捨選択すればいいと思う。
 「翻訳筋トレ」を始めた理由は、「自分の癖を落とすために他人の型に合わせる」必要があると痛感したから。翻訳をしていると、どうしても自分の訳文に癖が出る。それが翻訳にいいか悪いかは別として、バランスをとるためには他人の書いた(訳した)文章を読んだり丸暗記したりすることが必要と考えた。他人の訳文がいいか悪いかはまた別の問題になる。「少なくともこの訳者はこう訳したのだ」という、他人の型をインプットする作業が翻訳筋トレだ(忘れてしまってかまわない)。
 このため、すぐに効果が出ると思わないことが大事だ。心持ちとしては、「毎日続けているときっとよくなるのだろうな、いつか癖が落ちていくのだろうな」くらいの感覚でよいと思う(筆者注:今回のセミナーでは1メニューを3分半×8セットの「翻訳筋トレ」を参加者が実際に体験した)。

感想~16年目の逆襲

 鈴木さんは、講演の場で何度も「無手勝流」という言葉を使っておられた。翻訳学校での受講経験をほとんど持たず、独立直後の右も左もわからない頃から自分のスタイルのみで突き進んでこられた鈴木さんを表した、ご自身による形容である。
 しかし、もともと一つの大正解が存在しない翻訳の世界において、長い時間をかけて自分のスタイルを確立することが唯一の正解であるともいえる。そう考えると、鈴木さんはまさに翻訳の王道を進んでいらっしゃるのではないかと感じられた。
 次回のセミナーはまた8年後だろうか。その時に鈴木さんの翻訳人生はどのように変化しているだろうか。「16年目の逆襲」も、翻訳者には必聴の内容となるだろう。

 


 

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