翻訳は消えゆく職業か?! 翻訳者と翻訳会社が共に考える、MT時代に人間ができること
2019年度第1回JTF翻訳セミナー報告
翻訳は消えゆく職業か?!
翻訳者と翻訳会社が共に考える、MT時代に人間ができること
井口富美子
立教大学文学部日本文学科卒業。フンボルト大学文学部日本語翻訳学科(ドイツ/ベルリン)に留学。10年間の翻訳会社勤務を経て2005年にフリーランスの翻訳者として独立。産業翻訳の他に最近ではフィクションの翻訳も手がける。翻訳歴が20年を超えた今、仕事を続ける限り翻訳の勉強は不可欠だと痛感している。機械翻訳の使用経験はないものの、欧州との取引が多いこともあり、数歩先を行くかの地の機械翻訳事情には詳しい。
梅田智弘
翻訳会社社員、10年近くに及ぶフリーランスの英日翻訳者を経て、現翻訳会社社長。さまざまなロールでの経験を武器に、社内外問わず働きやすいチーム作りに奮闘。30代半ばにして親の介護が始まり、一時期は社長業との両立に苦労したものの、その経験を基に、仕事と生活の垣根を越えた「セーフティネットとしての翻訳会社」を実現したいと考えている。目下、AIやMTの台頭により、求職者や学習者にとって翻訳という仕事そのものの魅力が低下しているのではないかという危機感を覚え、「人間による翻訳」の価値の発信が急務と考えている。
加藤泰
大学卒業後、飲食店に勤務。店長やエリアマネージャーなどを経て、心と数字をリンクさせた経営視点を学ぶ。さらに、米国での新店舗立ち上げも含め、寿司職人として3年間働いた後、学生時代に所属していたピアノサークルの友人である現社長・梅田の誘いを受けテクノ・プロ・ジャパンに入社。それまでとはまったく違う業界へのチャレンジではあったが、飲食業界で培った対人スキルを活かし、リソースコーディネートや人材採用など、人と人を繋ぐ仕事に従事する。2018年2月より、代表取締役副社長。本業の傍ら、Airbnbをはじめ、パラレルキャリアも模索中。
成田崇宏
2005年に株式会社ホンヤク社に入社。
コーディネータやプロジェクトマネージャーとして制作業務を経験し、その後、ベンダーマネジメント、CAT/QAツール管理、業務管理システムやMTの導入などを担当。
2015年より業務全般、2018年より事業全体の管理者として、実案件にも携わりながら品質や顧客満足度の向上に取り組んでいる。
2019年度第1回JTF翻訳セミナー報告
日時●2019年6月19日(木)14:00 ~ 16:40
開催場所●剛堂会館
テーマ●翻訳は消えゆく職業か?! 翻訳者と翻訳会社が共に考える、MT時代に人間ができること
登壇者
●井口 富美子 Iguchi Fumiko 個人翻訳者、JTF理事
●梅田 智弘 Umeda Tomohiro 株式会社テクノ・プロ・ジャパン 代表取締役社長
●加藤 泰 Kato Hiroshi 株式会社テクノ・プロ・ジャパン 副社長
●成田 崇宏 Narita Takahiro 株式会社ホンヤク社 翻訳事業部 事業部長
報告者●松浦 悦子(フリーランス翻訳者)
この裏でAAMT(アジア太平洋機械翻訳協会)セミナーをやってますね…という挨拶で始まった本セミナーでは、事前アンケートの結果をふまえて、 翻訳会社と翻訳者の両方の立場から、MT時代の翻訳について考えてみた。
CATからMTへ:井口の経験
約25年前、CAT創生期に勤務した翻訳会社でCAT導入プロジェクトを担当。CATツールを使える翻訳者が不足していたので普通に翻訳した訳文を社内でツールに入力するなどして対応。トランスレーションメモリー(TM)や用語集の品質も管理していた。それが実現したのはクライアントから相応の支払いがあったため。CATが普及すると欧米のクライアントからファジーマッチレートが要求された。日本語と欧米語間の翻訳は欧米語同士より手間がかかるという主張ができなかったため、要求されたレートを受け入れたことが悔やまれる。
フリーランスとして独立したあと、クライアントが単価の安い他社に依頼。安すぎて翻訳者が不足し、日本語が母語でない人が翻訳したために10年以上丁寧に管理されてきたTMや用語集という財産が台なしに。品質低下に驚いたクライアントが単価を上げ、プリトランスレーション部分も含めたチェック工程を入れることでTMの品質を向上させた。
そこへ今度は機械翻訳(MT)が導入され単価が大幅に下落、そのうち翻訳品質劣化が明らかになってまた人間翻訳に戻ってくるという希望もあるが、その産業で日本市場の重要性が低下しているためどうなるかはわからない。
MTPEを提供する翻訳会社:ホンヤク社の例
2016年11月登場のGoogleニューラル翻訳あたりから、エンドクライアントや翻訳会社がMTを導入するようになってきた。技術の進歩は止められないので、危機感を抱いてばかりではなく正しい運用を考えることが大切。
会社としては、クライアントに正しい知識を示すこと、翻訳者やポストエディット(PE)担当者を大切にすること、翻訳という仕事の価値を落とさないことを考えて、クライアント、翻訳会社、翻訳者の「三方良し」を目指している。
翻訳はあくまでも人間の仕事であって、なくなることはないが、そのやり方は変わっていく。機械に操られることなく、機械を操るのが自分のテーマである。
ツールやMTの波に早くからもまれてきたIT翻訳会社:テクノ・プロ・ジャパンの例
IT翻訳は、好むと好まざるとに関わらず2010年よりも前からMTPEの波にさらされている。IT業界には、新しい技術が登場すると、しっかり検証評価する前に、とりあえず使ってみよう、未来への影響を考えるよりもとにかく先に導入してみようという姿勢が見られる。当社も昔から取引のあるごく一部のクライアントにはMTPEサービスを提供しているが、効率化やコストの削減といったメリットよりも、翻訳品質の低下やTMの劣化、利益率の低下などデメリットの方がはるかに大きいというのが現時点での感想である。
会社としてはMTPEを推進せず、人間の翻訳を大切にする戦略を採っている。
MTPEの実演:Trados+Google翻訳
Googleと契約することで、翻訳関連データをGoogle側に渡さずに、情報漏洩のない形でGoogle翻訳を利用できる。本セミナーでは、TradosのTM代わりにGoogle翻訳を使って一括翻訳し、その訳文をPEする様子の動画が披露された。
精度95%のMTでも、残りの5%には間違いがあるということだから、その5%を探すためにPEを行う。ニューラルになってからは文章が流暢で読みやすいため、ミスがわかりづらくなり、結局100%見ることになる。全体的にPEに耐えられない訳文が多い場合は、人間による翻訳をクライアントに勧めたほうがよい。
これからの翻訳者と翻訳会社
MTやCATを全面的に否定する人もいるが、MTが入り込んできていることは事実であるし、IT翻訳はCATなしにはやっていけない。CATツールが20年間で進化したように、MTも進化し、少しずつレベルアップしている。
与えられたものを訳して納品するだけでは通用しない時代である。MTPEが進化すれば、翻訳が仕事として成立しなくなる可能性がある。翻訳だけを愚直にやっていればよいという職人気質も昔は通用したが、今後は自分のブランディングやマーケティング、巧いコミュニケーションも求められ、自分がどう稼いでいくか、どのような付加価値をつけるかを、戦略的に考える必要がある。一方で、敵を知るという意味で、MTPEをやらされるのではなく、やってみるのもひとつの手である。
人間の能力を過信してはならない。うぬぼれたらそこでおしまいである。翻訳者は、ことばの変化に対応し、若い人の感性を吸収していかなければ置いていかれる。それはひとりでは不可能なので、翻訳会社からのフィードバックを批判やいいがかりと捉えずに、第三者の目で見た意見として受け止めてもらいたい。
また、翻訳会社は社内外問わず翻訳者に対して建設的で前向きなフィードバックを行い、育てていかなければならない。さらに、クライアントにCATやMTの採用を勧めるときには、TMや辞書の管理・メンテナンスへの手間やコストを惜しんだら、品質は得られないことを根気よく説明し、翻訳を投資として考えてもらうよう努力する必要がある。これにより、翻訳者、クライアントとの共存共栄を図ることができる。
質疑応答
Q:どのような人がPEをやっているのか
A:(成田)当社では、翻訳者として登録している人が多い。MTの出力をなるべく生かしてPEするとクライアントにも説明しているため、100点を取る必要がなく、手加減が大切なので新人には難しいと考える。
(梅田)NMTは一見すると流暢だが、誤訳や抜けが多い。さりげなく混ざり込んだエラーを新人が見抜くのは難しく、中堅以上の翻訳者にしかできない。が、PEをやる中堅・ベテランは少なく、需給のギャップがあるだろう。
Q:全体がざっとわかればよいというクライアントがいるということだが、それなら、クライアントがGoogle翻訳すればよいのではないか
A:(成)たしかに結果は同じになるが、セキュリティの問題は残る。また、各MTエンジンで得意、不得意があるので、翻訳会社の場合そこにも対応できる。
Q:MTと人手による翻訳が共存する時代にPE担当者の生活を守るため、コストに対してどのようなアプローチをとっているか
A:(成)必要に応じて、PE作業の後で実工数がレートに見合っていたかどうかを話し合い、足りなければ追加する。PEをする人がいなければ商売が成り立たないので、きちんと実工数に見合った支払いをしたい。
Q:Google翻訳でごっそり訳抜けすることがあるが、これがなくなるのはいつ頃だと思うか。また、なぜ、訳抜けが起こるのか。
A:(井口)英独翻訳を比較したことがある。4年前は言語的によく似ている英独間でも機械翻訳はひどかったが、現在は驚くほどうまく翻訳されているから、日英翻訳もいつそのレベルに追いつくかわからない。Google翻訳で常に観察しているといいと思う。
(成)文法ベースでは機械翻訳の理屈がわかったが、ニューラルになってからはわからないことが多い。人間の訳抜けと同じかもしれない(会場笑)
Q:MTが進んでいるのはどの業界か。どの業界を狙えば最後まで人力で翻訳できるか
A:(梅)MTの最先端を行っているのはIT。契約書や特許など、用語が1対1で対応するところ、定型文が多いところもMTを導入しやすいのではないか。
(加藤)クリエイティビティを求められるもの、人間らしく、顧客の心に刺さるものを求められる分野では最後まで人力が残ると思う。
※ なお、本セミナー前および後に実施したアンケートの結果を踏まえ、今年の翻訳祭でさらにこのテーマを追究する予定である。