日本翻訳連盟(JTF)

翻訳トライアルの傾向: いま翻訳者に何が求められているのか

2019年度第2回JTF翻訳セミナー報告
翻訳トライアルの傾向: いま翻訳者に何が求められているのか


内田 順子


アメリカ翻訳者協会(ATA)認定翻訳者。モントレー国際大学院(現ミドルベリー国際大学院モントレー校)にて翻訳通訳学修士号取得。米シリコンバレーで翻訳・通訳会社に勤務後、2000年に独立、現在までフリーランス。主な専門分野はローカリゼーション。翻訳業の傍ら、2012年からカナダのサイモンフレイザー大学で英日翻訳講座を教える。近年、翻訳コンテストの審査員、企業の翻訳者採用試験の作成と評価、トレーニングなども担当する機会が増えている。カナダ、バンクーバー在住。
 



2019年度第2回JTF翻訳セミナー報告
日時●2019年8月8日(木)14:00 ~ 16:40
開催場所●剛堂会館
テーマ●翻訳トライアルの傾向: いま翻訳者に何が求められているのか
登壇者●内田 順子 Uchida Naoko フリーランス翻訳者、講師
報告者●高橋 舞(立教大学大学院)

 


 

 本セミナーでは、翻訳トライアルに様々な角度から携わる登壇者がトライアルの傾向と対策を解説し、そこに垣間見える翻訳をとりまく情勢の変化、また台頭する機械翻訳と翻訳者のあり方について自身の見解を語った。翻訳業界において市場規模が大きいローカリゼーションが直面する課題は、分野を問わず業界全体に影響するだろう。ローカリゼーションの現状から分野を超えて翻訳の未来を見据える。

翻訳トライアルの傾向

 従来のトライアルは、テクストを翻訳し提出するというシンプルな様式であった。現在は図1のようなカラム式(表組形式)が主流である。原文はセグメント(一文)ずつ表のマスに記入されており、翻訳者はセグメントごとに訳文を入力する。任意で訳出に関するコメントを記入する欄が与えられるものの、実際のトライアルでは各項目についての細かい指示はないことが多い。その他、トライアルによっては訳出の指示があるものや、用語集、出典、要約の入力が必要となる。セグメント毎の入力は、CATツール(翻訳支援ツール)を使用しての訳出と同じ形式であり、現在ではツールの使用は前提とされ、ツールの習熟度も評価の対象である。納期の短期化が進む今日では、実働条件での品質を見定めるため、制限時間を設けるケースが増えている。審査は現場の要件を把握している有識者がエラータイポロジー評価モデル(エラー分類を使った評価モデル、例:“Error Typology Guidelines” by TAUS https://www.taus.net/academy/best-practices/evaluate-best-practices/error-typology-guidelines)に基づいて評価する。有識者は、トライアル後に同じチームで働くことになる人や品質管理担当者であり、トライアルを通して即戦力になる翻訳者を選抜する。
 

図1 トライアル例:カラム式(+備考)

画面越しのチームワークを意識する

 トライアルの合格には、翻訳技能のほかにコラボレーション環境を考慮した訳出・情報提供がなされているかが鍵となる。これには開発プロセスの多様化に伴う翻訳プロセスの変遷が背景にある。従来の翻訳プロセスは、一つの工程完了後に次工程へ移るウォーターフォール型の開発プロセスの中で、開発完了後に翻訳が行われた。そのためプロジェクトサイズは数万語などと大きく、納期は長期間で翻訳が完了すればその後翻訳者が関与することはなかった。一方、現在主流のアジャイル型は、Design→Development→Testのように、小さなサイクルを繰り返すことで開発を進め、開発と並行して翻訳も進む。プロジェクトのサイズは小さく、納期も短い。開発のサイクルが繰り返されるアジャイル型の性質上、翻訳者は常時関与することになり、各案件の訳出は納品後、製品の改良や変更に伴い訳も改善・修正していく必要がある。そのため、次工程で有用なコメントや資料を残すことがピアへの貢献となる。このように、個々の案件が大局に組み込まれていることを常に念頭に置いておく必要がある。

採点者が見るポイントは?

 CATツールの使用は、翻訳資産をデータ化し再利用することで一貫した訳出を導き、生産性を上げる。しかし、図1のカラム式のように文脈を分断するインターフェスでは、本文全体を考慮しての訳出が妨げられる。また、翻訳メモリツールに入力される訳質が低ければ、全体の質も下がる。こういったCATツールの欠点を理解し、セグメントに影響されずに読みやすく適切な訳出ができるかが技能面で評価され、表記の統一、調査に基づく用語選択や訳出における指示・付帯情報の反映もポイントとなる。文字数の指示があれば、それはどの言語での場合か指示言語文化での意味をふまえて判断し、各項目の出題者の意図をくみ取る必要がある。
 コメントや用語集など各項目では、ピアへの貢献の意識が浮き彫りとなる。コメントでは、訳出における曖昧性が放置されていないか、訳出の判断が明白であるか、有用な情報のみが記入されているかがポイントとなる。コメントや用語集は、翻訳者のみが参考にするとは限らないため、指示文の言語で入力することでピアへの意識が表れる。参考資料は信憑性のある関連資料をまとめる調査力が問われている。このように、トライアルの合否は、翻訳技能およびコラボレーション環境への適応性で決まる。
 登壇者は、日本語として自然で簡潔な読みやすい文体、機械翻訳では不可能な原文を超える翻訳(意訳)を推奨するが、近年のトライアル審査員の間では読みやすさより正確な置換を重視する意見もある。これは、全体の文脈が分からない短いパッセージでは直訳調が好ましく、日本語としての読みやすさは次工程で追及すれば良いという考えである。しかし、再現性を重視する訳は機械翻訳と取り換え可能な存在になってしまうのではないか。機械翻訳が台頭する現状で翻訳者の職分を守らなくてはならない大事な局面である今、人の翻訳は機械には置き換えられないと主張していくことが重要ではないだろうか。

AI時代の競争力を考える

 ブランディング向上のために練られた文章は、歯切れがよく自然と頭に入る。こういった創意工夫がこらされた文章が他言語に翻訳された際、不自然な文章であれば原文の筆者の意図は伝わらない。ブランディングには、消費者の体験が重要となり、質の高い翻訳が顧客獲得の命運を決める。機械翻訳は入力されたデータの中から訳を導き出すため、データを超えた訳出はできない。データが不適切で訳出が低品質であっても、それを修正し品質を管理する翻訳者が翻訳プロセスには存在する。訳の品質を保証する翻訳者、またアジャイル型の各工程で翻訳の可否を言語化し、次工程に貢献する翻訳者は機械への置き換えが難しい。こういった置き換え不可能な翻訳者がこれからもAI時代で活躍していくだろう。

STOP! 翻訳のコモディティ化:提供価値を見える化しよう

 CATツールの使用は、作業時間の短縮やコスト節減に効果的であるが、品質の担保は経験豊富な翻訳者にしかできない。しかし今日では翻訳メモリ+ポストエディットで翻訳すれば、人材を選ばずとも翻訳は可能であるという誤った認識が浸透してしまった。登壇者は、ポストエディットを担う人材は交換可能であるという発信は止めるべきだと主張し、翻訳を利用する側の翻訳に対する認知が低下していると懸念を示した。翻訳を利用する側にとっては、翻訳とは不明瞭なものであり、見えないものに価値を見出すことは難しい。翻訳の認知の向上には、提供価値の見える化が重要なのである。現在では、ISO17100(翻訳サービス提供者認証)など、提供価値の見える化が既に始まっている。
 今後翻訳者に求められるのは、翻訳のコモディティ化に抵抗すること、付加価値に労力を惜しまず品質を守ることである。こういった行動が翻訳という人による知的な付加価値活動を形づくり、将来の翻訳のあり方を決定づける。翻訳の正しい知識の発信が今求められている。

 

共有