[イベント報告]翻訳(者)のでしゃばり方について

2021年度第3回JTF関西セミナー報告

  • テーマ:翻訳(者)のでしゃばり方について
  • 日時:2022年2月17日(木)14:00~16:00
  • 開催:Zoomウェビナー
  • 報告者:三浦 ユキ(ペンネーム、翻訳者)

登壇者

山形 浩生

翻訳者

一九六四年東京生まれ。東京大学都市工学科修士課程およびMIT不動産センター修士課程修了。大手調査会社に勤務、途上国援助業務のかたわら、小説、経済、建築、ネット文化など広範な分野での翻訳および雑文書きに手を染める。著書に『たかがバロウズ本』(大村書店)、『新教養主義宣言』(河出文庫)など。主な訳書にクルーグマン『クルーグマン教授の経済入門』(ちくま学芸文庫)、バナジー&デュフロ『貧乏人の経済学』(みすず書房)、ケインズ『雇用、利子、お金の一般理論』(講談社現代文庫)、ピケティ『21世紀の資本』(みすず書房)、ジェイコブズ『アメリカ大都市の死と生』、フランクファート『ウンコな議論』ほか多数。


はじめに

山形氏は、翻訳者としてはいわゆる出版翻訳者のジャンルに入る方である。途上国支援というご本業の傍ら、出版の翻訳や雑文書きをなさっている大変多彩でご多忙な方で、今回のご講演の内容は多岐に渡り、さらに深く掘り下げられてもいる。常人にはとても追いつかないような世界が展開される。それでいて語り口は非常にフランクで分かりやすい。もとは東京大学時代のSF研で、フィクションの翻訳を題材に語り合うという経験をされ、それは貴重なことだったという。そしてこれから翻訳者を目指す人に対しても、自分が訳したものを人に読んでもらいフィードバックを受けることを推奨されている。

一般の人が翻訳と聞いて最初にイメージされるのは出版翻訳ではないかと思う。翻訳者になりたいと漠然と思う人が夢見るのも出版翻訳のイメージが多いのではないだろうか。自分の名前がついた本が出版されるのが出版翻訳者である。だが、実際に出版翻訳の仕事を受けるのは容易ではない。山形氏のように、この人に任せたいと出版社から思われ、また読者も名前を覚えて、「山形さんの訳書だ」と手に取ってみようと思われるレベルになるためには、多くの失敗を含めた経験と訓練が必要だと推察される。その点について多くを語られることはなかったものの、翻訳の件数を重ねることも必要とおっしゃっていた。

正直、講演を聞き始めた最初はどのような記事になるか皆目見当がつかなかった。

講演内容をできるだけ忠実に再現していくのがこれまでの(拙筆の)セミナー報告のスタイルになっていた。しかし今回は、これまで扱ってきた学術的な内容や業務の話とは少し異なったユニークな内容となっている。そこで、報告も流れを追って再現するというというよりも、お話として、山形氏のご講演を伺った後に印象に残っていることを自由に書かせていただく。その方が、ご講演の魅力やエッセンスが伝わり、スライド資料に固執せずに自由にお話になっていたご講演スタイルにもふさわしいのではないかと思う。

講演のあらまし

山形氏がこれまで携わってこられた翻訳文書は、タイトルを見ただけでもはっとするような非常にユニークなテーマの作品が多い。話題の本、歴史的、世界的に注目を集めた人物(必ずしも偉人ではなく光と影をもつ、計り知れないインパクトを与えた人々)の伝記や自伝等である。

興味の対象が広く、特に興味があることについては徹底的に追究される。パソコンが出てきたときに秋葉原の電気街に入りびたり、深圳のツアー(後述)にも二回参加されるほどである。さらに、本業の途上国支援の仕事で現地に赴き調査をされる中で、経済発展、経済理論、歴史的・政治的背景等を実際に目で見て感じを理解することができ、それが経済関連の翻訳や著名な人物の伝記の翻訳に自然に結びついている。

翻訳作業をされるうえで大切にされていることは、ただ言葉の意味を置換するのではなく、それ以上の価値を提供することである。例えば、山形氏の特徴として、日本語訳の読者が内容を理解するために必要だと感じる情報を訳者解説等の形で追加されることも多い。そうしたことをでしゃばっているとみなす人もいる。この「でしゃばり」ということが、講演タイトルになっているように非常に重要なキーワードとなってくる。

山形氏にとって翻訳は、ご自身の関心事や経験したことと自然につながる作業であり、正しい内容にしよう、読者が理解できるように必要なら補足説明をしようという姿勢が徹底されているようだ。

講演中に繰り返しおっしゃったのは、関心を広くもつようにということである。幅広い知識があると、扱っている文書で少し違う分野に話が及んでも難なく対応できることもあるし、対応可能な本のジャンルが広いことから出版社にとっても仕事を頼みやすいというメリットもある。山形氏は出版社とそのような関係を築かれていて、それが強みの一部でもある。さらに、幅広い知識と関心があれば、新たに翻訳するべき分野、いわば市場も見つけやすくなる。出版翻訳者として仕事を得るためには、面白くて日本に紹介する価値がある内容で、まだ訳がでていない分野を見つけることが必要となる。

よい情報を見つける目利きになること、そして新しい価値あるものを紹介することが、翻訳者が果たすべき究極の役割ではないだろうか。これは講演中に何回も繰り返されていたポイントである。

最後に強調されていたこととして、新しい価値を作る、見つける、面白さを伝えるということは山形氏にとって大きなテーマである。ご自身もそうしたユニークな価値を感じる内容の原書を取り上げられることもある。例として、新聞や雑誌の切り抜きを張り付けてできた文章を、意味をなさない、偶然が織りなす文章の面白さの追究として本にしてしまったウイリアム・バロウズ作品について、翻訳でもその意味をなさない文章や面白さの再現を試みた。このような意味のない文章を作るということは機械翻訳にはできないことでもある。さらに、中国の深圳のハッカースペースやメイカーイベントの面白さに魅かれた高須正和氏がエヴァンジェリストとしてその面白さを伝える様子に共感し(上述のように高須氏の深圳のツアーにも二度も参加)、ハッカースペースに関する原書の翻訳の共訳者として高須氏の訳の監訳を引き受けられた(翻訳に不慣れな高須氏の訳に赤を入れられた)というエピソードも印象深い。

機械翻訳が向上し、意味が通ればいいという内容なら機械翻訳でもよいという風潮になってきた今、人間の翻訳者としてどうしたらよいか、さらに翻訳者としてどのような価値を提供するかに関して、最後は「でしゃばりましょう!」というキーワードで締めくくられた。

報告者雑感

まさに知的アドベンチャーとも言いたい内容であった。山形氏の世界観がつまっている。とても二時間で吸収できる内容ではない。それでも、翻訳をする人や目指す人が、ジャンルを問わず一度考えたほうがいいと思われる情報が満載で、講演内容をほんの一部でもこのウェブ雑誌上でご紹介できるのは光栄である。

機械翻訳が発展しつつあった頃から、人にしかできないことをしないといけないという話が出ていた。それは、自動翻訳を推進する側の人も認識されていた。でも、どうしたらよいのか、ということを話の中心に据えて翻訳者の方が語るのはあまり聞いたことがないような気がする。(もちろん知らないだけでひょっとしたらいたのかもしれない)

そうした内容は、まさに一翻訳者としてのこだわりや価値観に直結するので、あまり知られたくないし、表現するのも難しいというものかもしれない。そのような難しいテーマを、山形氏はご講演で存分にお話になっていた。

ご自身がおっしゃるように、その人の職業や関心事といったバックグラウンドは翻訳にも大きな影響がある。山形氏の場合はもともと途上国の調査をし、援助の必要性やその方法についてプレゼンをされる立場にあるので、自ら発見したことや考えを人に伝えるということを本業としてずっとなさってきた。それが、国内外の多方面の事象に関心を抱きそれに答えるような原書を発見して出版社や日本の人たちにその良さや価値をプレゼンし、最終的に翻訳書を通じて伝えるところまで達成されるという山形氏の翻訳への意欲的な取り組み姿勢に自然に結びついているようにみえる。さらに、そのようなご経験と姿勢は、今回のご講演においても、「人間の翻訳者ができることはなにか」という、多くの翻訳者が直面しつつ、不安を感じつつも明確な答えを見つけづらい問題についてのご自身なりの考えを余すところなく語られることへの熱意につながっていたようにも思う。視聴者や読者(山形氏の翻訳書およびこの記事の読者)にとっては本当に有難いことである。

山形氏は、「面白いと思うことを人に伝える」というテーマに関連付けてエヴァンジェリストとしての高須氏についても度々言及されていて、関心事や姿勢に共通点のある方から刺激を受け、協働される姿勢も素晴らしいと感じた(山形氏は一度もそのようなことはおっしゃっていないものの、トピックと関連して長く語られ、紹介されるご様子に高須氏の面白さを伝染させる力への敬意を感じた)。そのように感情や感性があるのも人間だけで、機械翻訳はやる気をなくしたり調子が悪くなったりすることがない反面、刺激を受けたり高揚したり、モチベーションが上がったりすることはない。また当然、訳すことによって何かを伝えようという意志もない。

これが面白いとか、これを伝えたいとか、この人のように(この人のために)仕事をしたいとか、様々に考えたり感じたりすることそのものが、人間の翻訳者にしかできないことだと、お話を伺いながら改めて実感させられた。

どんな仕事でも、完全に受け身の姿勢や心持であると自分自身にとっての面白さやモチベーションは感じづらくなると思う。例えばデータ入力ひとつをとっても、本人なりに工夫をしたり何か面白さを感じたりしているから続行できるものではないだろうか。もちろん、仕事に限らず毎日の日課や家事も同様である。

新しい価値を創造するというのは、人にできる究極の業ではないかと思う。翻訳の仕事でもそれをすることができる、と知ることは翻訳者にとって非常に大きな励みとなり、目標となる。出版翻訳のお仕事では特にその面(新しい価値の創造)が顕著なのかもしれない。ただ、山形氏は折にふれて「産業翻訳者にもあてはまるところがあると思う」とおっしゃっていた。これは、単に視聴者を配慮して言葉を入れてみたということではないと思う。雇用形態や作業できる時間の余裕にもよるけれど、産業翻訳者などの実務翻訳者だって、字幕翻訳者だって、依頼者(上司、同僚、発注企業等)に対するよりよいサービスの提供を考える余地は色々とあるはず。報告者は自分の担当している翻訳についてもっとこういうことをしてもよかったと、工夫やサービスが足りなかったと後から感じて反省することもある。

原書の中で引用されているウェブサイトの内容の翻訳や、原書の間違いの指摘など(他国の訳者はあまりしないらしい)を山形氏がなさるのは、それをしないと原書の内容をもれなく正確に伝えられないといった意識もさることながら、ご自身の作業スピードが速くて余裕があるからかもしれないと思う。(翻訳がご本業ではなく海外に赴くようなお仕事をされ、さらにご家庭もありながら、翻訳に関しても妥協をなさらないのは、誰にでもできることではないだろう)

出版翻訳者の方でも、期限内に仕上げることで必死になっていると、そこまで(原書に書かれている内容を日本語にすること以外のことに)気が回らないということもあるのではないだろうか。さらに新たな翻訳書の提案は、出版翻訳を目指す方にとっては最大の難関のひとつでもあるし、仕事を獲得しないと出版にはならない。そうした中、出版翻訳の仕事を得られたなら、まずは原書の間違いの指摘のようなサービスをしてみるのもよいのではないかと感じた。正確な情報を伝えるための作業である。気になったことをクリアしてから進めたいという自然な気持ちでできる。間違いを指摘された原作者の反応は様々だと山形氏はおっしゃっている。たとえ最初は不快に思われたとしても最終的に正しい内容に翻訳できればよいのだし、よく気が付いてくれたと感謝され原作者と良好な関係を築くことができる可能性もあるのではないだろうか。

個人的な読書で、全く別の文学のジャンルで、訳者が原作者とのやりとりや原作者プロフィールについての非常に面白いあとがきを書いているのを見つけたことがある。訳者自身がその作者の作品のファンで自分も面白くてたまらないという気持ちがあとがきににじみ出ていた。それは読者として大変に嬉しい発見であった。ご講演の訳者解説についてのお話を伺いながらふとそのことを思い出した。よい後書や解説は、それも併せて読者が楽しみ、記憶にも残るので、本の価値を高め、読者の満足度を押し上げてくれる。読者として以前何気なく感じたことが、山形氏のご講演内容とぴたりと一致して驚いた。

出版翻訳に携わらないと分からない世界をたくさん見せてくれる講演であった。読者が楽しめるようにするために様々な信念をもち工夫をしている出版翻訳者の方々の気持ちを代弁してくださったのかもしれない。個性や翻訳への取り組み方は人それぞれだし、好むジャンルや作品も違う。そうだとしても、いかに早くよい情報を見つけて、それを日本の人に読んでもらう必要性を示し、読者に伝わるような翻訳をするかということは本当に大切だろうと思う。

最後に、まず自分が内容に興味を持つことが大切とおっしゃった点が印象的であった。そして、訳すときには原作者が自分に内容を語りかけてくるとしたらどういう話し方だと分かりやすいかを考えるべきだと。すなわち、一番重要な読者は自分であるということだった。この内容は、ジャンルを問わずすべての翻訳にあてはまるのではないだろうか。個人的には、この一点をまずは頭の片隅においておきたい。

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