日本翻訳連盟(JTF)

「私の翻訳者デビュー」遠田和子さん編

第2回:大手企業を辞め、翻訳会社、派遣社員を経てフリーランスに

日英翻訳者としてさまざまなジャンルの実務・出版翻訳を手がけ、翻訳学校講師、企業研修講師、英語学習書の執筆等でも活躍されている遠田和子さんの「私の翻訳者デビュー」を、松本佳月さんが主宰するYou Tube「Kazuki Channel」からインタビュー記事にまとめて、5回連載で紹介します。遠田さんは大学在学中にアメリカに留学、卒業後は大手電機メーカーに就職し、社内翻訳者としてキャリアを歩み始めました。
(インタビュアー:松本佳月さん・齊藤貴昭さん)

「女子社員は海外にやれない」

遠田:大学を卒業して、社内翻訳者としてとてもよい環境で社会人生活を送っていたのですが、そこで事件が起こりました。

齊藤:事件?

松本:何ですか?

遠田:社内で新入社員を対象に海外派遣要員募集のテストがあったんです。海外派遣要員になれるチャンスということで、私も張り切って受けました。女性で受ける人自体も少なかったんですけど、30~40人受かったうち女性はたったの2人。英語のテストということもあり私が1番でした。それで何泊かの研修があり、そのあとに常務面接がありました。

入社3~4年の女子新人社員が、男性でもそうですけど、常務に会える機会はほとんどないので、「わー、すごい」と思って、常務室に行って面接を受けました。当時私は佐々木という姓でした。常務の前に座って「よろしくお願いします」と言ったら、開口一番「佐々木さん、女の人はね、海外にやれませんよ。ご両親は何て言います? あなた、結婚しています? してないでしょ」。

ガーンでしたね。じゃあ何でテストを受けさせるの、と思いました。さらに決定的だったのが、「あのね、佐々木さん、うちの社員と結婚しなさいよ。優秀なのと結婚して、その優秀な社員が海外に赴任したらあなたも行けるでしょ」と言われたんです。

松本:えー!

遠田:私は本当にいい会社だと思っていたんですけど、それを聞いた時に、この会社にいてもダメかな、と思ってしまった。

一生できる仕事を持ちたいと考えていたので、やっぱりグラスシーリング(ガラスの天井)があるんだ、ずっと女の子扱いされていくしかないのかと思って、そこで退職の決心をしました。

松本:それは、そこで知れてよかったですね。

遠田:でも、何十年も経ってから、私の一年下の同僚だった女子と話をしたら、彼女は部長になっていました。男女雇用機会均等法も始まり、会社も社会情勢によってどんどん変わって、女子社員が活躍できる会社になっていったんだなと思いました。私はある意味、狭い視野で、この会社にいてはダメだと思い、辞めてしまった。

松本:私も遠田先生と同じ立場だったら、一度そういうことを言われてしまうと、もう気持ちは上にはあがりませんよね。

遠田:そうですね。それが決定的で、会社を辞めて翻訳という職業を極めれば、男女も年齢も関係なく、実力一本で生きていけるんじゃないかと思ったわけです。今、寿司職人が海外に行くと、その技術で立派にやっていけるじゃないですか。そういう職人になりたいと。でも辞めるにしても、すぐフリーランスにはなれないから、まず翻訳会社に転職しました。

松本:えっ、そうなんですね。それは知りませんでした。翻訳会社に入られたんですか。

新卒で入社したメーカーの社内報の「おふざけな社員紹介」欄に掲載された遠田さん紹介部分。左のイラストも遠田さんが描いたもの(遠田氏提供)
大いに後悔した転職

遠田:翻訳会社に転職して、人生最大の後悔をしました。

松本:ええー。

遠田:「あー、私のdecision間違ってた!」と思って、本当に落ち込みました。離れてから元の会社がいかにいい会社だったか、いかに人事制度が優れていて、雰囲気もよくて、働きやすい企業であったかということが身に沁みてわかったんです。

松本:翻訳会社にはコーディネータとして入ったんですか。

遠田:いいえ、違います。翻訳者です。

松本:正社員として翻訳会社に入ったんですね。

遠田:はい。何人も翻訳者をかかえている会社だったのですが、家庭的な大企業から小さな翻訳会社に入って、世の中って甘くない、と思いました。試用期間だから当たり前なのかもしれませんが、最初の数カ月間は休みも取れない。雰囲気が陰気で……。

松本:なんかわかります。私は派遣でそういう会社に半年くらいいたことがあって、息が詰まりそうになったことがありますから。

遠田:それで、4カ月で辞めたんです。

松本:そこでも技術資料を英訳されていたんですか。

遠田:そこはコンピュータのマニュアル翻訳を手がけているところでしたので、コンピュータ関係の資料を英訳していました。でも前職との落差に耐えられなくて辞めて、崖っぷちに立ったわけです。

松本:次を決めないでお辞めになったということですか。

遠田:そうです。もう本当に耐えられなかったから。私はよく、「どういう人が翻訳学校に来て伸びますか」と聞かれると、「崖っぷちの人は強いですよ」と答えています。

齊藤:なるほどね。

松本:確かに強いですね。私も一回ありますから、すごくわかります。

派遣社員を経てフリーランスに

遠田:それで崖っぷち状態になって、家で鬱々としていたら、可哀想に思った父が新聞に載っていた小さな翻訳者募集の求人記事を持ってきてくれて、そこでトライアルを受けました。そこからしばらく東芝府中の工場に派遣されました。

松本:派遣会社に登録して?

遠田:翻訳会社からの派遣ですね。

松本:派遣みたいな、請負みたいな感じですか。

遠田:そうです。東芝府中工場に行って、制御システム関係の英訳を1年くらいやりました。

遠田:その派遣期間が終わった後にフリーランスになり、派遣元の翻訳会社ともつながりが継続していたので、そこから仕事をいただいて、自宅で仕事を始めました。

松本:なるほど。

齊藤:なかなかいい移行の形態ですよね。

松本:当時はその1社と契約してフリーランスで仕事を受けていたということですか。

遠田:そうです。その後、結婚して子どもが生まれて、そこからずっと在宅で、当時はFAXなどを使って仕事をしていました。

松本:メールとか、まだですよね。

遠田:そうそう。宅急便とか使いましたね。

パソコン以前のツール

松本:最初に大手の会社に入った時には、何を使って翻訳されていたんですか。パソコンはまだなかったでしょう。

遠田:タイプライターです。

松本:そうですよね。私も英文タイプライターでした。大学の時は手動の英文タイプライターだったのが、就職したら電子タイプライターになって、すごく嬉しくて。間違えたらリボンでシャーっとやると一気に修正できるじゃないですか。それを使い過ぎてすごく怒られた記憶があります。

タイプライターの時代から翻訳の仕事している人はあまり私の周りにいないので、今ちょっと嬉しくなっちゃいました。

でも、東芝に派遣で行っていた時はパソコンでしたか。Windowsは出ていました?

遠田:まだですね。当時パソコンはNECの98シリーズが出ていて、夫がエンジニアなので、家にはすごく早く導入したんです。一台50万円とかすごく高い時に買いました。でもまだ世の中にそれほど普及していませんでしたので、東芝では紙でした。

松本:手書き? それともタイプライターですか。

遠田:コーディネータとタイピストと翻訳者の3人のチームを組んでいたので、私が紙で英訳したものを、タイピストに渡していました。

齊藤:紙でやっていたんだ。すごい時代だなあ。

遠田:私も自分で直接タイプを打って翻訳できたんです。でも、ちょっとやって見せたら、タイピストの方がすごく嫌な顔をしたので、「まずい、彼女の仕事を奪ってはいけない」と思い、仕方なく紙でやっていました。

松本:家で仕事をされるようになってからは、コンピュータですか? ワープロソフトなどを使って入力して、ファクスでやり取りしていたんですか。

遠田:当初はそうですね。私のほうから翻訳会社に「Eメールという素晴らしい、便利なものができたから導入しましょうよ」と提案したら、「いや、うちではやりません」と言われました。今では考えられません。

松本:当時はそれこそ、バイク便などで原稿のやり取りをしましたよね。参考資料なども郵便物で来たりバイク便だったり。

遠田:あなたいくつよ、と言われちゃいますよ。

松本:ネットなどはまだないから、調べ物は図書館に行く。一日中いろいろと調べてもなければ、国会図書館に行ったりもしましたね。国会図書館には本がいっぱいあると思って行ったら、ないんですよね。自分で自由に本を閲覧するんじゃなくて、出してきてもらうシステム。それから考えるとものすごく便利な世の中になりましたね。

遠田:素晴らしいですよ。

松本:串刺し検索なんて、「神だ!」と思います。

インターネット時代の到来で

遠田:1993年に、インターネットが商用化されましたよね。

松本:Windows95が出たあたりですね。私は結婚して出産してから仕事を辞めて、3年間、専業主婦だった時代がありました。憧れて専業主婦になったんですけど全然向いていなくて、暗黒の3年間でした。その後、マニュアルライターとして派遣された時に、初めてWindows95が出たんです。そこで初めてWindowsの使い方を教えてもらいました。

それまでワープロしか使ったことがなくて、ワープロはいちいち、ファイルを開いて閉じないじゃないですか。だからWindowsになって、いちいち全部閉じないとダメという考えがないからファイルを全部開きっぱなしで作業していて、気が付いたら何十もファイルが出ていて、コンピュータが動かなくなったりしました。コンピュータ化の過程の微妙な時代なんですよね。

遠田:夫の赴任で1997年にまたカリフォルニアに行ったんですけど、すでにインターネットを使えましたから、仕事を続けられました。部屋の外に花をつける木があって、綺麗なハミングバードが蜜を吸いに来るのを眺めながら翻訳していました。私がその昔、大企業を辞めて目指した、男女も年齢も住む場所も関係ない仕事ができるようになったと感慨深かったです。

それに、アメリカだと時差の関係で、日本の翻訳会社が夕方に小さな仕事を私に送ってくると、翌朝には翻訳ができているという、双方に都合の良い状況もありました。

松本:その時はずっとひとつの翻訳会社と仕事をされていたということですか。いくつも登録していたわけではなく。

遠田さんが住んでいたカリフォルニアの広い家。backyard にはトランポリンがあり、子どもたちが元気に遊ぶ(遠田氏提供)

遠田:はい、ほとんど一社でした。

松本:ちなみに、ずっと登録されていた間の翻訳レートは上がったことはありましたか。(つづく)

「Kazuki Channel」2021/4/5より)

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◎プロフィール
遠田和子(えんだ・かずこ)
日英翻訳者、ライター
青山学院大学文学部英米文学科卒業。在学中、文部省派遣留学生としてカリフォルニア州パシフィック大学に留学。電機機器メーカーに入社し翻訳業務に従事した後、フリーランス日英翻訳者として独立。カリフォルニア州フットヒル・カレッジに留学、スピーチ・コミュニケーション課程修了。現在は、実務分野での日英翻訳の傍ら、翻訳学校講師、企業研修講師(技術英語プレゼン指導)を務め、講演活動にも取り組む。著書に『日英翻訳のプロが使う ラクラク!省エネ英単語』『英語「なるほど!」ライティング』『究極の英語ライティング』『英語でロジカル・シンキング』『フローチャートでわかる英語の冠詞』ほか。英訳書『ルドルフとイッパイアッテナ Rudolf and Ippai Attena』『Love from the depths―The story of Tomihiro Hoshino』『Traditional Cuisine of the Ryukyu Islands: A History of Health and Healing』(以上共訳)など。趣味は読書・映画鑑賞・バレエ・旅行。

◎インタビュアープロフィール
松本佳月(まつもと・かづき)
日英翻訳者/JTF ジャーナル編集委員 インハウス英訳者として大手メーカー数社にて 13 年勤務した後、現在まで約 20 年間、フリーランスで日英翻訳をてがける。主に工業、IR、SDGs、その他ビジネス文書を英訳。著書に『好きな英語を追求していたら、日本人の私が日→英専門の翻訳者になっていた』(Kindle 版、2021 年)『翻訳者・松本佳月の「自分をゴキゲンにする」方法: パワフルに生きるためのヒント』(Kindle 版、2022 年)。

齊藤貴昭(さいとう・たかあき)Terry Saito
実務翻訳者
電子機器メーカーで 5 年間のアメリカ赴任を経験後、社内通訳翻訳に 5 年間従事。その後、翻訳会社にて翻訳事業運営をする傍ら、翻訳コーディネータ、翻訳チェッカー、翻訳者を 10 年経験。現在は、翻訳者としても活動。過去の翻訳祭では、製造業でつちかった品質保証の考え方を導入した「翻訳チェック」の講演など多数登壇。
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