日本翻訳連盟(JTF)

「私の翻訳者デビュー」遠田和子さん編

第4回:出版翻訳のきっかけ、英訳者の勉強法

日英翻訳者としてさまざまなジャンルの実務・出版翻訳を手がけ、翻訳学校講師、企業研修講師、英語学習書の執筆等でも活躍されている遠田和子さんの「私の翻訳者デビュー」を、松本佳月さんが主宰するYou Tube「Kazuki Channel」からインタビュー記事にまとめて、5回連載で紹介します。今回は、出版翻訳分野への進出と自著の出版のきっかけ、勉強の必要性を痛感した体験、英訳者として向上するための勉強法などについてお話が広がります。
(インタビュアー:松本佳月さん・齊藤貴昭さん)

出版翻訳のきっかけ

松本:遠田先生はずっと産業翻訳をされていて、出版翻訳に行かれたきっかけは何ですか。

遠田:最初は、星野富弘さんの本です。まだ20代か30代の頃でした。産業翻訳は納品してクライアントさんから評価してもらったりすると嬉しいけれど、やはり消えていきますよね。一切名前も出ませんし。それで、親友で翻訳パートナーでもある岩渕デボラさんと、何か残るものをやりたいねと話していました。星野富弘さんは群馬の方で、体育教師として跳び箱の指導中に頚髄を損傷し手足の自由を失ったのですが、口に筆をくわえて絵と詩を書かれています。たぶんカレンダーなどでみなさん目にしていると思います。星野さんが自伝を出した時に、デボラさんが地元なのでいち早く読んで、「この本を一緒に英訳しようよ」と言ってきたんです。『愛、深き淵より。』という本です。

でも、まず翻訳権を取らなければなりません。それで二人でずうずうしく星野さんのところに押しかけていって、「この本を英訳させてください」と申し入れました。すごくハンサムな好青年で、快諾してくださり、二人で喜んで翻訳しました。それから出版社を探して、アメリカのあちこちの出版社に原稿を送ったんです。でも、どこも梨のつぶて、またはいい返事がもらえませんでした。それで英訳原稿は押入れにしまいこんで、5~6年以上経ってしまいました。

ところがあるとき、日本語の原作本を出した出版社の編集者から急に連絡があったんです。「実は今度、ニューヨークで星野さんの個展を開くので、英訳本を会場に置きたい」「原作を英訳したと聞いてますけど、ありますか」とのことでした。それで押入れから出してきて見直してみたら、これが下手なんですよ。

松本:もう5年も6年も経っていて。

遠田氏が読み込んでボロボロになった『愛、深き淵より。』の原書(左)と、1994 年に出版されたその英訳版(右)。写真は遠田氏提供

遠田:だから他の方にも見てもらい訳し直して、出版できたんです。人生初の英訳本が出て、すごく感激でした。人間、なにか夢を持ちますよね。自分の名前が載った本を出したいとか。ずっと頑張っていると叶うときがあるんだと思いました。まさにDream comes trueという感じがしました。だから、何かやりたいと思うことって大事だなと。

松本:何年越しという形ですものね。

遠田:2冊目の『ルドルフとイッパイアッテナ Rudolf and Ippai Attena』は、原作本の出版社のエディターの方が話を持ってきて、英訳出版が実現しました。数えてみれば、児童書以外のノンフィクションを含めてこれまでに5冊の本を英訳出版しています。

自分の著書としては、最初に出した本が『英語「なるほど!」ラインティング』なんですけど、なぜ書く気になったかというと、ある時、「私、もしかして、本を書くだけの知識と気づきがあるんじゃないかな」「英文ライティングの本を私なりの視点、切り口で書けるんじゃないかな」と思ったんです。

それで企画書を作ったんですが、出版社に伝手がありませんでした。星野さんの原作本の出版社はもうつぶれていましたし、知っている人もいない。「だれか編集者の知り合いいない?」と聞いて回っていたら、講談社の編集者を紹介されて、その人のところに送りました。そうしたら驚いたことに、どこの馬の骨かわからない私の企画を取り上げてくれたんです。講談社はけっこう審査が厳しくて、編集会議、営業会議、そして最終決定が下される会議とレベル3までクリアしないとダメで、「出版決まりました」と言われた時は、へえ~と思いながらすごく嬉しかったです。最初の著作が出版されたのが2007年ですが、それから今までに英語学習本を7冊、執筆しました。

遠田和子氏と岩渕デボラ氏の共著
『英語「なるほど!」ライティング:
通じる英文への 15 ステップ』
個人事業主か法人化か

松本:今も産業翻訳の仕事は在宅でされているんですか。

遠田:はい。産業翻訳から少し文芸翻訳のほうにも広がって、前よりバラエティは増えているのかな。

松本:現在、法人化されているんですか。

遠田:そこが私、ダメなんですよ。

松本:個人事業主として屋号を持っている形ですか。

遠田:そうです。一時、法人化しようかなと真剣に考えたことがあって、その時に屋号WordSmythを決めたんですけど、面倒くさくなっちゃって。

松本:わかります。私は一時期、有限会社にしていた時期があったんです。派遣で働いていたメーカーさんから、フリーランスになってからも仕事をやってもらうには、個人事業主では出せないと言われたので、有限会社を作って5~6年やっていました。

当初は、夫が税金関係に強いので、事務処理は全部彼にやってもらっていたからあまり苦労はなかったんです。そのうちに夫がもう面倒くさいと言い始めたので、結局、別の仕事に転職して再び翻訳業界に戻って来た時に法人である必要はないと判断して、個人事業主に戻したという経緯があります。個人事業主のほうが身軽ですよね。法人化すると、健康保険とかやらなきゃいけないことがいっぱいありますから。

遠田:個人事業主なら青色申告の帳簿さえ付けていればいいや、というのがあります。

松本:一人ですしね。

右から左に訳すのではダメ

齊藤:今までの遠田さんのお話を聞いて、翻訳者になるまでの道筋は、崖っぷちを乗り越えてから後はスラ~っとなめらかにいった感じがしますが、フリーランス翻訳者として仕事を進める上で、すごく苦労したことや工夫されたところはありますか。

遠田:東芝に派遣されていた頃は、よくわかっていないまま翻訳していました。東芝府中は、電気のパワージェネレーション関係のところで、その制御システムの英訳だったので、理屈がわからずに結局、字面翻訳をしていたんです。ですから、翻訳の質はあまりよくなかったと思いますが、大きな問題も起こしていないのでそのまま受け入れられていました。

けれどある時、そこに入っている翻訳会社の偉い人が来て、私の訳文を見て「あなた、わからないで訳しているでしょう」と指摘されたんです。若かったから、ちょっとムッとしたんですけど、でもそれは真実でした。

そこらへんから「私、翻訳者です、右から左に流してます」というのではダメなんだ、もっと勉強しないといけないと痛感しました。

松本:それは英語だけの問題じゃないのではないですか。英語がちゃんと書けたとしても、原文の意味がわからないから。

遠田:そうなんです。結局、原文を理解しないで訳していたんです。

松本:今でいうところの機械翻訳が訳すような感じですね。

遠田:そうですね。

松本:私も出産して専業主婦を経て最初に就職したのがシステム系の通信の会社で、当時、電話交換機のマニュアルを訳していました。そういうものって目に見えないじゃないですか。説明を聞いても全然理解できなくて、それこそ字面で訳したり、過去訳を参照しながら訳していました。そこには技術者がたくさんいましたから、聞きに行くんですけど、みんな忙しいからあまり相手にしてくれない。その中で仲良くなった人をつかまえて、一生懸命聞いて仕事をしていました。その時に「自分は目に見えるものしか訳せないんじゃないかな」と思ったんです。

その後、先生も働いていらっしゃった会社に派遣で行った時は、プリンターやファクスなどのメンテナンスマニュアルを英訳する仕事で、「目に見えるものの翻訳ってこんなに楽しいんだ」と実感しました。コマンドとか特殊なものもありましたけど、それでもやっぱり元々が目に見えるもの、世の中で使われているものなので。今、私が産業機器を専門にしているのも、目に見えない、わからないのに英語にしなきゃいけないのがすごくストレスで、見えるものの翻訳をしたいという気持ちが強かったからです。

英語のリズムとカンを培う読書

齊藤:自分の翻訳の質を客観的に見る何かがないと、ブラッシュアップできないと思うのですが、それをどういう形で遠田さんは持っておられたのかに興味があります。

遠田:基準ということですか。

齊藤:自分の訳文は今こういうレベルにあるから、ここを改善しなきゃいけないとか。自分一人でやっていると自己満足の世界に入り込んでしまって、このままでいいやと思い始めてしまう傾向があると思うんです。

松本:最初は遠田先生も社内翻訳者で、ネイティブのチェッカーさんがいたすごくいい環境だったじゃないですか。その後は、客観的に訳文を評価してもらったり、誰かに教えてもらったりした経験はあったのですか。

遠田:その後2年間くらい、ネイティブの方とチームを組んで、その人がチェックをしてくれたので、そこでも少し学ぶことができたのかな。あと、出版翻訳で共訳するのはものすごく勉強になります。共訳時には、翻訳パートナーのデボラさんとお互いに訳文をチェックし合うのですが、彼女が入れてくれた赤はすべて貴重な学びの源です。だから二人で翻訳するプロジェクトが始まると「よしっ!」と気合がはいります。それから「自分は日英翻訳者なんだ」ということをすごく自覚するようになってからは、英語の本をとにかく読むことを習慣づけて、数年間は日本語の本は一切読みませんでした。

松本:遠田先生はいつも必ず、バッグに洋書が入っていますよね。「今これ読んでるの」とよく講座の時に見せてくださって。

遠田:そうですね。今でも必ず読んでいる洋書がありますし、ライティングの本なども原書で読むようにしています。

齊藤:英訳者ってそれをやらないといけないんですよ。遠田さんはサラッとおっしゃっているけど、それができていない英訳者もいるんじゃないかと思います。やっぱり英語の本を読まなきゃしょうがないですよね。

遠田:そうなんです。インプットしないとアウトプットできない。でもそんなすごい本を読んでいるわけではないんです。日本語の本は読まないって決心した当時は、推理小説のシリーズものをとにかく読破していきました。

たとえば、スー・グラフトンの『“A” is for Alibi』『“B” is for Burglar』『“C” is for Corpse』……とAからZまでのタイトルが付いているシリーズものの推理小説を全部読んだり、気に入った作家の作品は全部読むみたいなことをやっていました。推理小説ってけっこう文体が簡潔なんですよ。ジョン・ル・カレみたいに難解な文体の人もいますけど、だいたいは簡潔で一文が10~15ワードくらいの作品が多いんです。

英語で書かれた原書をたくさん読むことで、自分の中に英語のリズムが作れるようになってきたんじゃないかと思います。すると、日本語を引きずった英文を見ると、「これ違うよな」という感覚が湧いてくる。もっときれいにというか、Sounds like Englishというふうにできる、そういうカンができてきたと思います。

今でも、文体が美しい作家の作品は、「英語ってこう書くべきなんだ」、そんなことを思いながら読むことがよくあります。

松本:それだけでなく、アメリカの大学留学時代にかなり英文を読まれていて、その時の蓄積もたぶんあるんじゃないでしょうか。

遠田:留学時代の勉強はきついですよね。

松本:きついです。私も留学中は一切日本語しゃべらないぞと決心して行ったので、本当に2年間、ほとんど全く日本語をしゃべっていませんでした。授業はもちろん全部英語で、ネイティブの学生と同じように試験を受けなくてはいけませんし。

遠田:こんな分厚い本を、「はい、来週までに読んでらっしゃい」とか言われてね。

松本:私がいまだに大変だったと思うのは、ある部族の研究をされている人類学の先生の授業です。その先生は、授業でものすごく質の悪いフィルムを、昔の映写機みたいなもので10分くらい見せるんです。そして次のクラスの時間に、その内容についての小テストがある。そもそもボワボワ言っていて聞き取れないのに、その内容が試験に出るから、私は毎回録音して、家に帰って聞きながらディクテーションして、その部族がどんな槍を持っていたかとか、細かい話を聞き取って……と、これを半年やらなければならなくて本当に大変でした。でも、あれはすごく勉強になりました。

それだけではなく、その2年間で読んだ英文の量はかなりのもので、それが蓄積になっていますし、今は洋書とか英文を読むことで新しい情報がインプットされています。やっぱりインプットしないとアウトプットできないですよね。

遠田:そうそう。英訳者には結局、それしかないとよく言います。「原書、読みません」とかいうのはちょっと信じられないです。

(つづく)

「Kazuki Channel」2021/4/9より)

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◎プロフィール
遠田和子(えんだ・かずこ)
日英翻訳者、ライター
青山学院大学文学部英米文学科卒業。在学中、文部省派遣留学生としてカリフォルニア州パシフィック大学に留学。電機機器メーカーに入社し翻訳業務に従事した後、フリーランス日英翻訳者として独立。カリフォルニア州フットヒル・カレッジに留学、スピーチ・コミュニケーション課程修了。現在は、実務分野での日英翻訳の傍ら、翻訳学校講師、企業研修講師(技術英語プレゼン指導)を務め、講演活動にも取り組む。著書に『日英翻訳のプロが使う ラクラク!省エネ英単語』『英語「なるほど!」ライティング』『究極の英語ライティング』『英語でロジカル・シンキング』『フローチャートでわかる英語の冠詞』ほか。英訳書『ルドルフとイッパイアッテナ Rudolf and Ippai Attena』『Love from the depths―The story of Tomihiro Hoshino』『Traditional Cuisine of the Ryukyu Islands: A History of Health and Healing』(以上共訳)など。趣味は読書・映画鑑賞・バレエ・旅行。

◎インタビュアープロフィール
松本佳月(まつもと・かづき)
日英翻訳者/JTF ジャーナル編集委員
インハウス英訳者として大手メーカー数社にて 13 年勤務した後、現在まで約 20 年間、フリーランスで日英翻訳を手がける。主に工業、IR、SDGs、その他ビジネス文書を英訳。著書に『好きな英語を追求していたら、日本人の私が日→英専門の翻訳者になっていた』(Kindle 版、2021 年)『翻訳者・松本佳月の「自分をゴキゲンにする」方法: パワフルに生きるためのヒント』(Kindle 版、2022 年)。

齊藤貴昭(さいとう・たかあき)Terry Saito
実務翻訳者
電子機器メーカーで 5 年間のアメリカ赴任を経験後、社内通訳翻訳に 5 年間従事。その後、翻訳会社にて翻訳事業運営をする傍ら、翻訳コーディネータ、翻訳チェッカー、翻訳者を 10 年経験。現在は、翻訳者としても活動。過去の翻訳祭では、製造業で培った品質保証の考え方を導入した「翻訳チェック」の講演など多数登壇。
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