日本翻訳連盟(JTF)

翻訳チェックを復習しよう(前編)

講演者:産業翻訳者(英日・日英)、WildLight 開発者 齊藤貴昭さん

日本翻訳連盟主催の2023年翻訳祭から選りすぐった講演の抄録をお届けします。今回は、産業翻訳者(日英・英日)・齊藤貴昭さんの「翻訳チェックを復習しよう」前編です。製造業の品質保証に長年携わった講演者が、その経験を生かして構築した独自の「翻訳品質保証」の考え方をもとに、「翻訳チェック」の目的や実践方法を解説します。

齊藤貴昭です。SNSではTerry Saito(テリー齊藤)という名前で出ています。初めて翻訳チェックの話をしたのは2016年の翻訳祭だと思っていましたが、調べてみたら、2014年のJTFセミナーでした。それからすでに9年という年月が経っていて、当時聞いていただいた方も、どんな話をしたかを少しお忘れになっているかと思いますので、その復習の意味でお話します。

私は某電子機器製造会社で、品質保証業務を25年ほど担当していました。最初の15年間は製造品質の保証業務、次の5年間で市場品質保証という業務を担当し、社内通訳・翻訳を初めて経験しました。その後、関連会社の翻訳会社に出向し、翻訳コーディネーター、チェッカー、社内翻訳者の仕事を10年ほどしてきました。親会社の期間を含め、通算して社内通訳を5年、社内翻訳を15年経験し、現在は副業で、日英、英日の翻訳をしています。

私が翻訳コーディネーターやチェッカーの時代、仕事でいろいろなツールが必要になり、「WildLight」というMicrosoft Wordのアドインソフトを開発しましたが、それを一般公開しています。また、日本翻訳連盟の理事を3期、6年ほど務めた経験がございます。

●翻訳の品質保証を考える

製造業では「モノ(物)」を取り扱っていたのですが、翻訳では「情報」を取り扱うようになり、「翻訳の品質保証ってどうやってやるんだろう」「誰が何を保証しているんだろう」「翻訳会社があって、翻訳者さんがいて、翻訳チェッカーさんがいて、それぞれ何を保証することになっているんだろう」「それを判断する基準は何なんだろう」「翻訳チェックって何をチェックするんだろう」といったことをいろいろと悩み始めました。そこで、それらを学べるところはないかと調べてみたのですが、翻訳会社や翻訳学校で翻訳チェックを教えているところはありませんでした。今回の講演に際して改めて調べてみたのですが、やはりないのです。

そういう背景があって、翻訳品質や翻訳チェックを「ちょっと調べてみよう」「勉強してみよう」と思ったみなさんに、私が学んできたことを少しでもお伝えできたらという思いから、この講演を行うことになりました。

「品質保証」と聞くと少し言葉が硬いので、みなさんは抵抗感をお持ちになるかもしれませんが、要するに「翻訳の品質をどうやって守るのか」ということです。この講演では、最初に全体像からお話しして、だんだんと翻訳者のレベル、チェッカーのレベルまで落とし込んでいきたいと思います。

●品質に絡むのは「ヒト」「モノ」「プロセス」

まず、一般的な商品では、みなさんがお店で買う電化製品や食料品、薬にいたるまで、図1のような流れで生産されています。最初に材料があって、おおむね外注企業で製造、生産がされていて、それがメーカーへ納入され、そのメーカーの中のプロセスで組立/加工し、そして、そのプロセスの中で検査をして、お客様の元に届ける。このような流れの中で、お客様が必要とする品質になっているかを検査して出荷しています。

これを翻訳業に置き換えると、図2のようになります。材料となるのが原稿です。そこに、おそらくクライアントから提供される用語集や参考資料、CATツールを使っている場合はTM(翻訳メモリ)などが加わってくると思います。それらを翻訳会社(のプロセス)の中に入れると、そのプロセスの中にいる翻訳者やチェッカーが、それぞれの仕事をして翻訳物として完成させ、お客様に提供することになります。

ここで品質に絡んでくるものは、大きく分けて3つになります。「ヒト(人)」と「モノ(物)」と「プロセス」です。

1つ1つに注目してみてみましょう。図2の波線で示しているところは「品質のバラツキ」だと思ってください。

原稿であれ用語集であれ、材料はある程度の品質のバラツキを持っています。また、プロセス自体や、翻訳者やチェッカーも、おのおのに品質のバラツキを持っています。それらのバラツキを、「プロセス」を通すことによって、お客様が要求する「品質のバラツキ」に抑え込んで納めるというのが流れです。

この図の中の+(プラス)、-(マイナス)は、ヒト、モノ、プロセスの3つそれぞれで品質に影響するものを示しています。+は悪い方向(自身が持つバラツキ)です。品質のバラツキを大きくしてしまう要素ですね。-は、バラツキを抑えようとする動き(バラツキの吸収)です。

翻訳会社では検査工程を持っていて、品質のバラツキを抑える工程があるのでマイナスマークが大きいのですが、実は検査のプロセス自体にもバラツキを生む要因を持っているので、小さなプラスマークがついている、というふうに読んでください。

材料の要素をみると、原稿だけならいいですが、そこに用語集などいろいろなものが入ってくるとバラツキが足し算になって、大きなバラツキになります。そのバラツキを翻訳者が必死に翻訳の中で小さくしようという動きをしているわけです。

この図2では、翻訳会社のプロセスに翻訳者とチェッカーしかいないかのように描かれていますが、実はそんなことはなく、会社の中でいろいろな人が仕事をされていて関わっているので、この図はほんの一部分を表していると考えてください。

翻訳者が材料(原稿など)を使って翻訳をし、その翻訳物をチェッカーに渡して、品質のバラツキを小さくする。このチェッカーが社内にいるのか、それとも外部委託しているのかは、会社によって違いはありますが、流れはだいたいこのようになっているのではないかと思います。

●誰がどこまで品質保証をするのか

賢明なみなさんなら「なぜこの材料の(品質の)バラツキを小さくしないのか」と思いますよね。製品の場合は、外注から入ってくる材料にはちゃんと仕様があって、スペックがあって、そのスペックに合致しないものは検品ではじかれてしまい、納品できません。

「では、翻訳の場合はどうなっているのか」が、私の最初にぶち当たった疑問でした。実はこのあたりは翻訳会社によって考え方が違うのではっきりしたことは言えません。本来であれば、材料となる原稿や用語集、翻訳メモリなどは、翻訳会社の中に何かしらの管理プロセスがあって、品質のバラツキを抑えたものを翻訳者に供給するのが筋です。

翻訳会社では、この図2に示すプロセス(緑部分)が持つバラツキを抑える動きを行わなければいけません。ひとつの方法として「抜取検査」があります。お客様に納品している翻訳物を、例えば月に5件ピックアップして、翻訳のミスがないかを検査する。もしミスが見つかれば、それはお客様に不良品を納めているわけですから、ミスをなくすためにプロセスを改善する、工程を改善するというふうに前のプロセスへフィードバックしていく動きがなされているはずです。すべての翻訳会社を知っているわけではないですが、そういう改善活動を行っているのが本来の姿だと思います。ちなみに、翻訳のISO(17100)はプロセスの保証なので、ISOを取得している翻訳会社の場合は、たぶん、そういったことがきちんと行われているのではないかと思います。

ここで翻訳者のみなさんに一番お伝えしたいのは、翻訳者、翻訳会社、お客様の三者の関係において「品質保証する責任がどこまであるのか」という点です。特に「翻訳者はどこまで考えるべきか」です。ビジネス的に考えた場合は、翻訳者は翻訳会社までの品質を保証すればOKです。そして翻訳会社がお客様に対する品質を保証するというのが、あるべき姿です。

時々、翻訳者さんと話していると、お客様からのクレームがそのまま翻訳者に流れてくるという話を耳にしますが、お客様からのクレームは必ず翻訳会社の中で処理をしてお客様に返すのが筋であり、翻訳者に丸投げするというのはちょっとおかしいです。もちろんどういう契約関係になっているかにもよりますが、品質保証上の考え方からすると本来はそういう姿なのだということを理解しておいていただくといいと思います。

図3は翻訳者だけを例にして描いた図です。翻訳者は大変です。翻訳もしなければいけないし、チェックもしなければいけない。この図のように大きなバラツキを持った材料を、翻訳会社または直契約されている方はソースクライアントの満足する品質に翻訳して、チェックをして納める。これが翻訳者の品質保証のイメージだと考えてください。

●翻訳を5M分析ツールで要素分類

ここまで整理ができたところで今度は、「何を保証するんだろう」がテーマになってきます。何を保証するかは、すなわち「何をチェックするか」につながってくるのですが、いったい何が翻訳の品質に影響するのかということを知らないと、何を保証すべきかがわからないですよね。

先ほど品質に影響するのは大きく分けて、ヒト、モノ、プロセスの3つと言いました。これをもう少し細分化するために、製造業では5Mという分析ツールをよく使います。この5Mとは、Material、Machine、Method、Measurement、Manの頭文字を取ったものです。それぞれ、Materialは材料(モノ)、Machineは機械・工具(モノ)、Methodは方法・手段(プロセス)、Measurementは測定・基準(プロセス)、Manは人(ヒト)です。

翻訳でもこの5Mを使って分析してみます(図4)。

まず、翻訳会社向けの話をします。翻訳会社の場合(中央列)、Materialは原稿・資料・用語集・翻訳メモリなど翻訳に使う材料すべてです。Machineは翻訳をする時に使うPC、ソフトウェア、その他のツールなどです。Methodは方法・手段、それに加えて翻訳会社の中の工程管理や外注管理も含まれます(プロセス)。Measurementは基準と判断、メトリックスです。

Manのところが、翻訳者(右列)と大きく違います。関わっている人間の数が違うからです。翻訳会社の場合は、社員全員と外部委託先すべてをManに含めます。そしてそれを分析する時には、ポジション(社長、取締役……)、部署(営業、経理、人事……)、職務(翻訳者、チェッカー……)ごとに行います。翻訳者の場合、Manで何を分析するのかというと、翻訳者の知識と能力になります。

これをベースに、図5に示すフォームを使って分析していきます。私が分析した結果が図6ですが、先ほど述べた5Mの項目にしたがって、各工程の中でどう保証するかを、それぞれ書いています。「品質管理上でのポイント」列には、どのように品質に影響するのかを書き、その影響を工程でどう抑えるかをその横にある各工程の列に書く、ということを私は行いました。

このように細かく分析していくことによって、自分がいったい何を保証しなければいけないのか、どの作業をやっている時に何に注意しなければいけないのか、何をチェックしなければいけないのかということが、明らかになってきます。

図7は、図6から翻訳材料の部分を抜き出したものです。どういう品質に影響があるかということを書き出しているのですが、みなさんはこれをご覧になって、特に目新しいものを感じないのではないかと思います。つまり、あとはそれをどう保証するかを考えていけばいいわけです。

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