翻訳チェックを復習しよう(前編)
講演者:産業翻訳者(英日・日英)、WildLight開発者 齊藤貴昭さん
●翻訳会社の営業も品質保証に関係する
この解析によって出てきたチェック項目(品質保証項目)を工程順に並べていくと、ざっくりしたものですけれども、図8のようになります。
翻訳会社は、この5M分析をやると、利益が相当大きいです。もし価値があると判断されるのであれば、ぜひやってみていただきたいと思います。
その際、翻訳会社で特に注意しなければいけないのはツール類(Machine)の部分です。項目名としては具体的なソフトウェアを記入して行うべきです。手段(Method)のところは、工程管理や外注管理、加えてソフトウェアの管理なども当然入ってきます。そして一番大きいのはヒト(Man)です。社長から一般社員までの全ポジション、全部署、全職務で行います。
「経理や営業が、翻訳の品質保証に何の関係があるのか」と思われるかもしれませんが、関係するのです。特に営業は最も関係します。内部でこなせないような仕事を営業で取ってくるな、と思いますよね。営業は営業で、お客様から依頼されたことを何かしらの基準を持って判断するでしょう。例えばこれはうちで請けられる、請けられないという判断が発生するはずなのです。そういう意味で、部署ごとにきちんと分析することが大切になってきます。
また、その人たちがどんなスキルや知識、経験や意識を持っていないといけないのかということも、分析で明らかになってきます。
品質のことを営業が知らないと、とんでもないことになるわけですが、分析をすると、「営業は少なくとも、このレベルの翻訳の知識を持っておくべきだ」ということが、基準として分かってきます。組織の要求事項や人材スペックが明確になるという意味でも、分析をやっていただけるといいと思います。
翻訳会社から見た場合の品質保証は、図9のようにいろいろなプロセスや管理が積み上がって翻訳の品質が保証されています。翻訳チェックはその中の一部になるわけです。
ここまでは翻訳会社向けのお話です。
●翻訳者が保証すべき品質
では、翻訳チェックとはどのあたりのことを言うのか。先ほどの図8は全体像なので、これをすべて翻訳チェックの中でやるわけにはいきません。翻訳チェックの中で行うのは、図8の「翻訳」と「品質保証」の部分です。「品質保証」と書きましたが、これは翻訳チェックの部分です。今日の講演はこのあたりに集中してお話していきます。
まず、翻訳チェックです。チェックというのは必ず良否判定します。ということは、何かしらの基準があるはずです。いったい何を基準に私たちは翻訳が良い悪いと言っているのか、というところをちょっと掘り下げます。
お客様に納める品質は、そのレベルが決まっているはずです。翻訳者が守らなければいけない基準というのは、実はそのお客様との間で合意している翻訳仕様、もしくは納品仕様と呼ばれる仕様になります。
仕様は、いろいろな基準というかスペックが決められているもの、と判断できると思います。ということで、「仕様を満足すること」が翻訳チェックの目的と理解してください。
仕様の中にも大きく分けて2つあります。1つは「お客様から指示された仕様」。もう1つは「分野別、文書別で一般的に通用しているルール」です。この2つの仕様を満足することが、翻訳者が保証すべき品質と考えています(図10)。
一般的に言われている翻訳の品質は、翻訳の正確性・流暢性ですけれども、そこに付随するスタイル・文体、用語集などは依頼元から指示される場合もあるし、指示がなければ一般的ルールにのっとるという形で翻訳をすると思います。ものによって基準が振れることがあるものの、2つの仕様があるということをご理解いただければと思います。
●チェック項目は「翻訳の質」と「ルールへの適合」
では、翻訳チェックについて、どう考えていくのか、アプローチをしていきます。
図11に翻訳チェックに絡む項目の一部を書き出しました。読みやすさ、流暢さ、文法、適切な表現、使用禁止用語、スタイル……とありますね。
これを、それぞれの性質で大きく分けてみます。そうすると、「翻訳の質(流暢さ、読みやすさ)」と「ルールへの適合性」の2つになるのではないかと私は考えています(図12)。
翻訳の質とは、訳文が自然で読みやすいか、原文のコンテキストを失うことなく再現されているかといったことです。たぶん、翻訳者同士で会話している時の翻訳の質はこれだと思います。
ルールへの適合性は、スタイルガイドや書式などのルールに合致しているかどうかということです。ルールへの適合性ってあまり耳にしたことがないと思いますが、これは単純に、自分が行った作業のチェックということです。
ちょっと立ち返ってお客様目線で見てみましょう。この2つの質をお客様から見た場合、どういう影響度に見えるのか。
私の過去のコーディネーター経験から見て、お客様の種類を大きく分けると2つかなと思います。1つは「翻訳を知っている人」。言語に精通しており、訳文の良し悪しが判断でき、翻訳に関してある程度の議論ができる、そういうお客様です。もう1つは「まったく翻訳を知らない人」、言語もわからないゆえに判断もできないというお客様です。大きく分けてこの2つがありますが、圧倒的に後者が多いというのが私の経験値です。
みなさんは「この中間はいないのか」と思われるかもしれません。たしかにこの中間にちょっと言葉を知っている面倒くさいお客様がいることは私もよく知っていて、みなさんも相当苦労されていると思います。いるけれども、ここでは2つに分けていただいて、翻訳を知らないお客様が多いと思ってください。
ここでひとつクイズです。図13に、原文の日本語とイボ語に翻訳された文章を提示します。間違いを見つけてください。
すぐわかりますよね。1100と1200の違い、つまり数字が間違っています。イボ語がわからない人でも、数字の違いは誰だって見つけられます。すなわち、翻訳を知らない素人でも、ルールの適合性については指摘できるのです。先ほど、翻訳を知らないお客様が圧倒的に多いと言った裏にこれがあります。つまり、翻訳文が良くても(わからなくても)、ルールに合っていないと「翻訳が悪い」と言われてしまうのです。そういう意味でも、ルールの適合性はとても大切です。
翻訳チェック項目としてはさまざまなものがありますが、ルールの適合性に該当するもの(図14)が圧倒的に多いのです。
「ルールの適合性は作業チェックであって、翻訳の質じゃないだろう」という翻訳者の気持ちも私はよくわかるのですが、「そこを軽く見ては仕事を取る上では危険ですよ」ということを言っておきたいと思います。作業ミスすると「翻訳が悪い」と言われる可能性が高いですから。
●「翻訳の質」をチェックするには
一方、翻訳の質の場合、その基準をみなさんは説明できますか。難しいですよね。とっても曖昧なのです。翻訳者、チェッカー、それぞれが基準を持っていて、その方々の知識と記憶がベースになっているので基準が曖昧なのですが、それでは商売になりません。
翻訳者は、自分の訳文に責任を持ちなさいとよくいわれます。それは、自分の訳文を、根拠を持って説明できるようにしなさいということです。「なんとなくこういうふうに書いたんです」というのは許されないので、その説明をする上で背景となる基準が図15にある「翻訳指南書」「文法書」「辞書」などになります。こういったものを1つの基準として考えて、チェックをする、もしくは翻訳をすることになると思います。
1つの視点(方向性)としてお話しておきたいのは、私たちは2つの言語間で翻訳をするのが当たり前ですよね。それぞれの言語にはコンテキスト量というのがあるのはみなさんご存じだと思います。低コンテキスト言語と高コンテキスト言語の間で翻訳している人は、翻訳作業においてコンテキストを埋める、もしくは減らすというような作業が必要になってくると思います(図16)。
私たち翻訳者としては、著者と読者が同じ理解になるために必要なこととして、コンテキストの合わせ込みという作業が必要になってきます。言葉の定義と用途、文化的背景、経験と事前知識、文脈などです(図17)。そういったものの合わせ込みが必要になってくるので、そのあたりをチェックで意識できるようにしておくことが1つのキーだと思います。
ちなみに、各言語のコンテキスト量を表にしてみました(図18)。英語は低く、日本語は高いと言われています。私は日英、英日翻訳をやっておりますけども、一番高いところと一番低いところでやり取りしているということで、単語ベースの1対1翻訳をしていたらちゃんと翻訳できるわけがない。要するに同じイメージを頭に描けないではないかというのはわかりますよね。
こういったコンテキスト量が違うということを意識して、何かしら、翻訳もしくはチェックの中に生かせるといいかなと思います。具体的な手法については、私は述べられないのですが、高コンテキスト(例えば日本語)から低コンテキスト言語(欧米語)への翻訳の時にどういった差異が生まれるかということを、図19に書きましたので、見ていただければと思います。