私の一冊『落穂ひろい──日本の子どもの文化をめぐる人びと──』
第38回:英日・日英翻訳者 空堀玲子さん
井伏鱒二を翻訳家と思い、神宮輝夫”訳”の追っかけをする小学生だった。たずねたら、東の横綱は瀬田貞二だと即答したと思う。神宮の硬質な訳文に対し、瀬田訳の世界では古雅なことばが聞こえてきて、なんだかエキゾチズムを感じていた(当時いっぱしの読者のつもりでいたので、今さら先生呼びするのも妙な感じで、お許しください)。
十年後、本書でその名と再会した。江戸期から大正まで、「いくたりもの忘れがたい、児童文化への貢献者のおもかげ」を追った旅。1979年の著者の急逝後、連載時の原稿を、膨大なメモやノートをもとに改稿したものと序にある。
赤本、草双紙、双六、カルタ、雑誌──カラー図版とともに豊かな水脈が展開する。瀬田は対象にぴったり寄り添って多くを語らないが、湯島台に生まれ、関東大震災の年に小学校に上がったとあった。補遺の一文で小林清親と娘・哥津を描く筆の得もいわれぬ温かさ、こまやかさは、自身のルーツ、そして彼が「小さな人たち」に向けた視線にも通ずるのだろう。
◎執筆者プロフィール
空堀 玲子(からほり れいこ)
大学・研究科で音楽を専攻し、現在は翻訳・通訳業のかたわら、コンサート、イベントの企画・出演などを行う。企画に「ヴィルヘルム・ケンプによせて 若き作曲家の軌跡」(ならムジークフェスト2023)など。
★次回は、ベンガル文学研究者・翻訳家の大西正幸さんに「私の一冊」を紹介していただきます。