翻訳の原点を見つめる
2013年度第5回JTF翻訳セミナー報告
翻訳の原点を見つめる
ウレマン・フレッド(Fred Uleman)
LLPジャパン・リサーチ 代表
2013年度第5回JTF翻訳セミナー
2013年12月17日(火)14:00~16:40
開催場所●剛堂会館
テーマ● 「翻訳の原点を見つめる」
講師●ウレマン・フレッド(Fred Uleman)氏 LLPジャパン・リサーチ 代表
報告者●津田 美貴 個人翻訳者
今回の講師はウレマン・フレッド(Fred Uleman)氏。お名前からわかるように米国出身の英語ネイティブである。本セミナーでは、英語ネイティブの立場から日英翻訳に関する考え方と日英翻訳のコツについてお話くださった。
目的の明確化
「翻訳者とはいったい何だろう?」「翻訳の目的は?」と質問されたら皆さんはなんと答えるだろうか?私の考えでは翻訳者とは、物を書いている人と読んでいる人をつなぐ者だと思っている。つまり→(矢印)のようなものだ。自分が読みたいと思う原稿であれば、勉強にもなる。やりたいことをやりながらお金がもらえる、いい仕事だと個人的には思っている。
だが、プロ野球選手ならスプリングキャンプがあり、五輪アスリートならば強化合宿があり、俳優ならば監督が指導するが、翻訳者はそれさえほとんどない。顧客は指導せず、使い者にならなければ即クビを切る世界でもある。どうすれば翻訳者は自ら初心に戻り自発的に自身のスキルを維持・向上できるか。社内翻訳者でもフリー翻訳者でも、初心者でもベテランでもこれは共通の課題であり共通の答えがある。
単語より複語
よく、翻訳は単なる単語の置き換えと思われているが、そうではない。たとえば、birdは鳥、dogは犬だが、bird dog は鳥犬だろうか?正解は猟犬である。他にもmy brotherを兄弟と訳す人が多いが、兄弟なら2人いるのでmy brothersと複数形になっているはず。なので、この場合は弟または兄のどちらかである。ほかにも、Dear Johnなら親愛なるジョンでいいのだろうか?実はDear John letterはお別れの手紙である。
このように通り一遍の訳し方ではNGで、誤訳につながってしまう。単語や連語の訳し方はすべて文脈によって判断しなくてはならない”It All Depends On The Context" (IADOTC)である。訳そうとするより意味は何かを考えるのが翻訳である。言葉ではなく内容を訳すということだ。だから、ある程度意訳してもOKなのである。
最近なんでも英語をそのままカタカナに置き換える訳を多く見かけるが、あれはいかがなものだろうか?日本語に訳してはダメなのか?と思うことがしばしばある。たとえば、映画のタイトル「007は二度死ぬ」。この原題はYou Only Live Twiceなので、死ぬなどどこにも書いていない。そういう意味では原文から離れている。だが、原題のイメージを上手く伝えたいい訳だと思う。このように原文から離れても同じイメージが伝えられるのであればOKなのである。
他にも、読者がどの程度知識があるかということも考えて訳さないといけない。たとえば、花道、布団、着物など。たとえば、「ゆかた」と「着物」の区別を出来ない殆どの英語読者は花道のことを知っているのか?文章の流れの中でなにが適切か考えるのも翻訳者の仕事である。
上達方法
普段英文を読むときに、英語を日本語に直訳するのではなく、日本語でしっくりくるこなれた訳があてられないかを考えながら読んでみる。しっくりくるいい訳があてられると、逆にそれを英訳として使える。日本語ではどう言うか、つねに意識しておく。言葉は違っていても意味が同じならOKだ。また、1つ訳ができても、ああも言える、こうも言えると2つ3つ案を出した方が前後の文章とのなじみがよい方をとることができる。
もちろん、訳せないモノもある。たとえばニシムクサムライ。この場合は、内容を説明するしかない。他にも訳せないモノは、○×△など。◎は英語にはないし、▲は経理ではマイナスの意味である。
専門家たれ
翻訳するには、原稿を理解しなければ訳せない。だから専門知識は必要である。専門分野を持っていればそれらしく書ける(訳せる)。たとえるなら専門分野を持っていない翻訳者は万能ナイフのようなモノだ。万能スイスアーミーナイフはいろいろな道具がついていて一見便利そうだが、1つ1つの道具は中途半端で我慢して使っている感じはいなめない。対して、専門知識をもっている翻訳者は、言ってみればスティレットナイフやバターナイフ、中華包丁みたいなものだ。すなわち、それ専用に使えばパーフェクトで、他のモノと交換が効かない。
専門性を持つと言うことは、品質の違いということにつながる。最終読者がなにを期待しているか、それが本当の品質であり、お客さんにとって何が必要か?何が大切か?をつねに考えながら翻訳していかなければならない。そういう意味でも、翻訳は単語の置き換えではなく意味の置き換えである。
翻訳者対代理店
翻訳会社に所属したり、登録したりして翻訳を受注している人も多いのではないだろうか?翻訳会社が間に入らなければもっと稼げるのでは?という話もよく聞くが、私は必ずしもそうは思わない。翻訳会社を自分の代理人だと思えば良いのだ。仕事を探してきて、様々な雑用をするから、翻訳者が一定の割合の料金を払っていると思えば良いのだ。つまり、代理店に間に入ってもらって面倒な雑用をやってもらっているから私は専門家として翻訳に専念できる、と思うのだ。もちろん、料金に見合わない代理店なら代理店を変えることも考える必要がある。そういう意味でも、専門家としてプライドをもって翻訳しよう。
お金の話
世界的には外国語を母国語に直す(この場合、日本では英→日)が主流だが、日本では日英翻訳を行う英語ネイティブは少ない。それはなぜか?端的にいえば、出来る人がいないのではなく、やる気になる程の収入が得られないからである。日本の国際化にしたがって日本語が流暢な英語ネイティブは増えている。だが、彼らが翻訳を行ってもいいと思える単価になっていないので、しかたなく日本人の日英翻訳者に発注しているのではないか?という風に私には思えるのだ。そういう意味でも、翻訳者の地位の向上と翻訳料金の適正化が今後の課題だと思う。優秀な介護士が不足していることとも共通する。
まとめ
初心者の心構えは初心者のものだけではない。ベテランでも初心を大切にしなければならない。
自分はどんな翻訳者になりたいのか?大衆車のようにたくさん売らないと利益があがらないような普通の翻訳者でいいのか、それとも高級車のように月に1~2台売れれば利益があがるようなトップ翻訳者になりたいのか?それがわかれば競争相手がわかり、対策が立てられるようになる。(Ex.中国の安い翻訳、Google翻訳など)
また、日英、英日のどちらの翻訳をやりたいか、そもそも自分は何をしたいのかがきちんとわかっていなければ、自身のスキルを伸ばしようがないのだ。
(感想)
今回のセミナー内容はたしかに目新しい内容があったわけではない。昔からいわれている基本的なことを述べ、例をあげながら丁寧に説明しただけである。だが、こうも耳が痛いのはなぜだろうか?私も翻訳者になってもう何年にもなるが、慣れてきて基本をおろそかにしてしまっていないだろうか?新しい年を迎えることだし、今一度自分を省みたいと思う。