日本翻訳連盟(JTF)

この3人だから話せる! 第2弾
激変する翻訳環境に振り回されないために知っておくべきこと
【後編】翻訳ツールの活用から翻訳者のロードマップ・辞め時まで

通翻訳者の相談相手「カセツウ」主宰 酒井秀介さん
フリーランス日英翻訳者 松本佳月さん
英日・日英翻訳者 齊藤貴昭(テリー齊藤)さん

●翻訳者のロードマップ

酒井:ここで翻訳者のロードマップというテーマについて触れていきたいと思います。想定としてはこれからやっていきたい方向けに、翻訳者として独立して生計を立てていくために、ロードマップとして、こう始めて、こういうルートを通っていくといいのでは、ということで、いかがですか。

齊藤:難しい質問ですね。さっきの機械翻訳の話にからんで僕が思っているのは、昔は、翻訳者になる入口にちょうど手ごろな翻訳案件があったわけです。それが今はほとんど機械翻訳で駆逐されていて、翻訳者に依頼される仕事として量がかなり減っているため、そういう翻訳案件によって翻訳の実力を磨く土壌がなくなってしまっていると考えています。

そんな市場状況の中で、これから翻訳業界に入って翻訳者として飯を食っていこうと考えた時に、なかなか食べていけるレベルの収入を得るのが難しいのかなと思います。この先、単価が安いPE(ポストエディット)のような案件と、いきなり高いレベルの品質を要求される翻訳案件に二分化しているような状況になっていると想像しています。そういう状況にあって僕が、翻訳者になるためにおすすめできる入口としては、最初は食べていける状態を確保しながら翻訳を学んでいける社内翻訳者になるのがいいんじゃないかと思っています。

それを強くおすすめするわけではないですけど、翻訳者になっていくロードマップの一つとして、まず社内翻訳者になって、経済的基盤をしっかり確保したうえで社内翻訳をしながら翻訳スキルをアップする。その中で翻訳の学習もし、どんどん品質を上げていく。そして次に副業として翻訳をフリーランスでやっていく。二つの車輪を回しながら徐々にフリーランスの翻訳のほうに舵を移していって独り立ちする、という流れがいいんじゃないかと思っていますが、どうでしょうか。

酒井:佳月さんはもともとインハウス翻訳者(社内翻訳者)としてスタートしたんですよね。

松本:そうです。私もテリーさんと同じく、実績ゼロからフリーランスになるのは、人脈や運不運もあるけど、かなり難しいと思うので、実績をつくる意味と翻訳物に触れるという点でも、正社員または派遣などで登録して社内翻訳者になるのがおすすめかなと思っています。もしそこが居心地がよければ、ずっとそこにいてもいいと思います。

でもフリーランスになりたいなら、そこで来る仕事を受け身にやるだけではなくて、積極的な姿勢が必要だと思います。これは私自身の反省点ですが、私は社内翻訳者の時はあまり勉強していなかったし、今考えると単なる理由づけなんですけど、ちょうど子育てが大変でしたから、日々の仕事を受け身でやっていました。いかに時間内に仕事を終わらせて子どもを迎えにいくかしか考えていなかったので、翻訳者としてはあまり前向きにやっていた感じではなかったです。そもそも翻訳があまり好きじゃないし、いつも言っているんですけど、自分の持っているスキルの中で一番稼げるから翻訳の仕事をしているんで。

その社内翻訳者をなぜ辞めたかというと、時給なので、やればやるほどモヤモヤするんです。私は時間内に帰らなきゃいけないから、ものすごく早く仕事をしていたんですけど、ゆっくり仕事している人のほうがたくさん給料をもらえる。それが嫌でフリーランスになろうと思ってスパッと辞め、社内でできた人間関係で仕事をもらって、ほそぼそとフリーランスをやっていました。そのあと取引先を増やそうと思ってトライアルを受けたら、まったく受からない。それが1年くらい続き、私はダメなんじゃないかと思ってテリーさんに相談しました。その時に「佳月さんの訳文は世間では通用しないんだよ」と、ものすごく厳しいお言葉をいただき、かなり落ち込んでもう辞めようかなと思ったんですけど、1週間くらいしたらむくむくと自分に対する怒りが湧いてきたんです。「じゃあ、通用する訳文書けるようになってやろう」と思って、翻訳学校に通い始めました。それが私の転機でした。

あの時に翻訳学校に通わなければ今の私はないし、同時に翻訳祭や翻訳フォーラムなどいろいろな翻訳のイベントに行き始めて、翻訳をビジネスとして考えるようになったのもそれがきっかけです。だから私も、積極的にこういうイベントに参加したほうがいいと思っています。

イベントに出てくる人は重鎮だったりベテランだったりするので、その方々の話を聞いて「こんなこと私はできないよ」ということがたくさんあると思います。ただ、この話の中から自分のヒントになるようなことを一つでも持って帰ってもらえればありがたいですし、それを活かすか活かさないかは自分の心がけ次第。積極的に情報を自ら取りに行くのがすごく大事だと思います。

酒井:そうなんですよね。翻訳祭もいろいろな方のいろいろな話が聞けるところが魅力の一つなので。

松本:だからもっともっと若い人に出てきてもらいたいなと思っています。積極的に自分から出て、いろいろな話をしてほしいです。

酒井:たぶん話せることがないと思うんでしょうね。

松本:何を話していいかわからないということもあるんでしょうし。

酒井:その場合は交流会とかディスカッションでもいいですね。

ロードマップに話を戻すと、インハウスの職が見つかればたぶんそれが一番かなというのがまずあるでしょうね。とはいえ、そういう口がない、あるいはフルタイムじゃないと受け入れてくれないことがある一方、フルタイムの時間はとれないということもあるでしょう。

その中でどうしていくかとなると、結局、自分の翻訳スキルが通用するかどうか、いかに早くたくさんフィードバックをもらうかが肝ということになるでしょうね。先ほど出ていたように、翻訳学校や講座で、お金を払ってフィードバックもらうという立場になりますが、そこをやっておくと結果的には早くお金がもらえるような翻訳ができるだろうということでしょうね。

松本:第三者に自分の訳文を見てもらうのが一番手っ取り早いと思います。だからプロになってからでも翻訳学校に行くべきだと思うし、プロが行くことのメリットの一つとして、その講師が言っていることが100%じゃないということがわかる。「私はそうは考えないけど、こういう考え方もあるのね」というとらえ方ができる。またその中で、自分の考え方が今のままでいいんだとか、変えたほうがいいんだとか指針がもらえるので、翻訳学校はおすすめです。

でも、受け身で聞いているだけで翻訳者になれるわけではない。やっぱり自ら動かないと何も始まらないので、学校に行ってもどう授業を受けるか、姿勢が大事だと思います。

●ビジネスとしての翻訳

酒井:僕は翻訳者ではないからあえて聞きます。なぜ翻訳をやりたいんでしょうか。

松本:私は翻訳がやりたくてやっているわけじゃないので、テリーさんに聞いてください。

齊藤:でも、先ほど佳月さんが言っていた、「英語が好き」「自分の持っているスキルを使ってお金を稼ぐには翻訳」というのも一つの理由ですよね。僕は単純に、翻訳が好きだからですよ。

松本:翻訳をしている自分が好き? それともやっている時間が好きですか?

齊藤:翻訳をしているプロセスが好き。自分が理解したことを別の言語に表現する時の思考のパターン、行為が好き。裏付けをとって、こっちの表現のほうがいいのかな、あっちのほうがいいかな、この単語がいいかなと考えるじゃないですか。英訳する時は、動詞はこれでいいかなとか前置詞これだっけとか、すごく考えるでしょ。そのプロセスが好きなんです。うんうん言いながら翻訳やっているんですけどね。

松本:それは私も好きなんですよ。だから英訳しかやっていないんだけど、主語を何にしようとか、ここの文章のつながりだったらこの主語のほうが読みやすいかなとか考えて、パチっとはまった時の快感が好きだからやっています。

齊藤:そこに面白みを感じているなら、翻訳が好きなんですよ。

酒井:佳月さんは翻訳好きの自分を認めたくない感じ?(笑)

松本:いや、よくツイッターなどで「翻訳大好き!」と言っている人を見ると、私は好きじゃないのね、と思っちゃっている自分がいたりします。それから、好きでやっているから収入ちょっとでいいや、とは一切思っていないので、そういうところかもしれないです。

齊藤:そこはまた違う話だよね。仕事としてやるんだったら、安くていいなんて言っちゃいけない。それは絶対あってはいけないことだと思います。

松本:そのスキルを構築していくために講座を取ったりして、人生の時間とお金をかなりかけているわけだから、それを安売りすることは自分では許せないです。でも、翻訳好きなんだ、私……という気もしてきました(笑)。

酒井:僕がたくさんの翻訳者さんから相談を受けて感じているのは、好きで始めている人が多いと思うんです。だから翻訳ができるだけで幸せ、嬉しい、楽しいみたいなところがあって、そのまま何年もやっているけれど結局ほとんど儲かっていないという人もいる。

好きで始めて、ずっと続くのもひとつの道ですけど、ビジネス、事業としてどうとらえていくかというのは、どこかで考えて決めないとズルズル不幸になるなというのがいつも思うことです。別に全員が稼がなきゃいけないわけでもないし、楽しいからやっている、それで自分はOKならそれでいいと思うんですけどね。

松本:それは全然OKだと思いますよ。

酒井:そのへんを考えることなくただ続けて、極端な例ですが、ボランティアにやりがいを感じる人が「ボランティア楽しい、大好き」でやっていて、何年かたって、「でもお金儲からないんです」っていうのは不幸だと思うんです。で、翻訳は当然ボランティアじゃないから、自分が本当に翻訳できるだけでいいのか、お金を稼ぎたいのかをどこかで確認しておくべきです

松本:私は自分の成果物を商品だと意識していて、ある程度、自分の納得いくレートをいただくことによって、なるべくいい商品を出そうという気持ちが高まります。

商品という言い方がよいかどうかわかりませんが、自分の出す訳文に責任は取らなきゃいけないと常に思っています。私が書いた訳文をチェッカーさんがチェックしてくれて、翻訳会社の場合は翻訳会社経由でクライアントの手元に渡るんですけど、翻訳者としては翻訳会社に納品した時点で完全な商品になっていなければいけない。自分の商品に責任を持つという感覚を持ち始めたのはまだここ5年くらいなので、そういう意識をみなさん持っているのかな、というのはちょっと聞いてみたいですね。

●翻訳の辞め時、諦め時

酒井:少しトピックを変えて、翻訳の辞め時、諦め時について、佳月さんは考えたことはありますか。

松本:ありますよ。年齢を重ねることによって、昔は1日7~8時間は平気で仕事をしていたんですけど、最近は1日5時間が精一杯みたいな感じになってきたので、自ずとレートを上げるしかなくなってきたわけです。それで分野を変えてレートを上げてもらって、具体的な金額は言いませんけど、レートは技術系でやっていた時の2倍になりました。だから単純に言うと時間は半分で済むわけです。でもまだ分野の知識は浅いので時間がかかるから、そこまで単純に言えないですけど。

体力の衰えは55歳を過ぎてからだいぶ感じてきていますが、自分の意識としては死ぬまでこの仕事をやりたいと思っているんです。好きじゃないのにやるのか、って話なんですけど、やっぱり英語に触れている時間は好きだし、何が一番楽しいかというと私はキーボードをたたいていること。英文タイプのころからやっているので、タイプライター、キーボードをたたいているのが好きなんです。それだけで幸せなので、死ぬまでやりたいですけど、今後、手が痛くなったり、なんだかんだで無理になってきて、するとさっきのMTPEやってみようかなという気持ちもあるんです。

死ぬまで翻訳やりたいと言ってますけど、明日辞めるかもしれない。何があるかわからない。今まで辞めたいと思ったことは何回も、数えきれないほどあるんですよ。だけど「あなたの翻訳は世間でやっていけない」と言われた時に辞めなかったんだから、たぶん辞めないんだろうなと。あの時ほどどうしようか悩んだことはないので。でも、わからないでしょ。

だから辞めようかなと思ったら、こんなこと言っていいのかわかりませんが、今すぐ辞めていいと思うんですよ。もう翻訳やりたくないと思えば、別のことやってみればいいんじゃないですかね。私は一回、翻訳をやっていけないと思ったので、しばらく別の仕事をしていました。でもやっぱりやりたいなと、今の世界に戻ってきたので、一回辞めてみるというのもありなのかなと思います。

酒井:テリーさんはどうでしょう。

齊藤:辞め時は、僕の中では決まっています。さっき翻訳をやりたくないと佳月さんが言いましたが、その表現がとても大切で、要するにもう翻訳が続けられないと自分が認識した段階ですよね。それはたぶん、頭と肉体的衰えなんですよ。

頭の衰えは何かというと、訳文が生成できないというだけではない。翻訳は言葉を扱っていますが、言葉って常に新しく生まれ変わっているんですよ。語尾が変わってきたり新しい言葉が生まれたりとか。だから翻訳者は常に新しい書物を読むとかして勉強していかないといけないじゃないですか。そういう勉強する意欲が失せた時。すなわちもう翻訳の出力ができないわけですよね。そういう状態になったら辞めるべきだなと思います。もう一つは、翻訳者として市場が私を必要としなくなった時。仕事がないんですから諦めるしかない。その二つだと私は思っています。

酒井:佳月さんが以前言ってたことですが、何日か仕事の声がかからなかったら、もう私は必要とされてないと思っちゃうとか。

松本:そうです。以前は仕事がなかったことが一番長くて1カ月くらいあったんです。翻訳者あるあるだと思うんですけど、仕事が来ない時って新規開拓しなきゃと焦って、トライアルを受けまくるわけです。そうするとタイムラグがあるから、ちょうど仕事が忙しくなり始めたころにわーってトライアルの課題が送られてきて大変なことになりがちで、その繰り返しなんです。私の場合は、自己肯定感が低くなると辞めたくなっちゃうんです。

齊藤:みんなそうだよ。

●多くをこなせない環境でも少ない仕事を丁寧に

松本:もう一つ、私が辞めてしまうかも、と思ったのは、母親の介護をしていた時です。当時、母は和歌山、私は千葉に住んでいて、遠距離介護をしていたんです。母が施設に入りたくないというので、ずっとケアマネジャーさんに見てもらいつつ、母が熱を出したとか肺炎になったと連絡があるたびに、車で犬をつれてパソコン1台持って和歌山に帰っていました。

実家にモニターとキーボード置いて仕事をしていたんですけど、その時は仕事を断らざるを得ないんです。そのころ確か、トライアルに受かり始めて仕事が順調に入ってきたタイミングだったので、ものすごく悲しいんですよ。

だけど母のことも大事だし、ちょっと板挟みになっちゃって、半分ウツになってたのかな。この話はあまりしてないんですけど、車で和歌山と千葉を行ったり来たりしている間に、このまま事故って死んでもいい……と思った瞬間があって、ヤバいなと思ったんです。それでいろいろ考えて、やっぱり自分の生活が大事だと考えたんです。それでも仕事は断らざるをえない。なので自分にコントロールできないことで悩んでもしかたない、もう悩むのはやめようって。

介護なり子育てなりで仕事を断らざるを得ない人は、悔しくて当たり前なんですよ。一生懸命やっているから。それは割り切って、今は仕方がないからその少ない仕事を丁寧にやる。実際に母は施設に入らざるを得なくなって、遠距離介護が3年続いたあと施設に入ってもらったので、その状況では今はないんですけど、その渦中にいる人には、まず自分を大事にしてねと言いたいです。そして、その時仕事が少ないのは悔しいし仕方がないけど、その一つ一つの仕事を丁寧にやっていくことで絶対仕事は戻ってきますよ、ってことは言いたいです。

酒井:ありがとうございます。ずっと勉強していてもなかなか翻訳者になれない、稼げないというのも一つのキーワードかなと思うんですけど、それぞれの基準でこうなったら諦める、辞めると決めておいたほうがむしろ頑張れたりするなと聞いていて感じます。

(2022年10月8日 第31回 JTF 翻訳祭2022 講演より抄録編集)

◎講演者プロフィール

酒井秀介(さかい・しゅうすけ)

通訳翻訳エージェントに11年勤めた後、2015年11月に『カセツウ®』(「カセツウ」とは“稼(カセ)げる通(ツウ)訳”を略した造語)を立ち上げ、サポートしてきた通訳者・翻訳者の人数は数百名を優に超える。翻訳者・通訳者志望者、フリーランス、インハウスそれぞれのステージと状況にあわせたサポートを提供。さらに外国語力を活かした通訳翻訳以外のビジネス構築・起業支援や理想のライフワークバランス実現支援まで「翻訳スキル、通訳スキル以外のあらゆること」の相談に乗る。カセツウを500人規模の通翻訳者コミュニティにすべく、翻訳者・通訳者の交流会等を積極的に開催中。

松本佳月(まつもと・かづき)

日英翻訳者/JTF ジャーナル編集委員
インハウス英訳者として大手メーカー数社にて 13 年勤務した後、フリーランスに。現在まで約 25 年間、日英翻訳を手がける。主に工業、IR、SDGs、その他ビジネス文書を英訳。著書に『好きな英語を追求していたら、日本人の私が日→英専門の翻訳者になっていた』(Kindle 版、2021 年)『翻訳者・松本佳月の「自分をゴキゲンにする」方法: パワフルに生きるためのヒント』(Kindle版、2022 年)

齊藤貴昭(さいとう・たかあき)Terry Saito

英日・日英実務翻訳者
電子機器メーカーで 5 年間のアメリカ赴任を経験後、社内通訳翻訳に 約5 年間従事。その後、翻訳会社にて翻訳事業運営をする傍ら、翻訳コーディネータ、翻訳チェッカー、翻訳者を約10 年経験。現在は、翻訳者としても活動。過去の翻訳祭では、製造業でつちかった品質保証の考え方を導入した「翻訳チェック」の講演など多数登壇。

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