日本翻訳連盟(JTF)

4-4 BBCエディターに聞く報道の現場と翻訳・通訳

登壇者:加藤祐子Yuko Kato

BBC News Japan 編集長。東京生まれ。英オックスフォード大学修士課程修了。朝日新聞記者、国連本部職員、CNN.co.jpとgooニュースの編集者を経て、2014年11月より現職。訳書に『策謀家チェイニー』(朝日新聞出版)、『シャーロック ケースブック』(早川書房)、『中国グローバル化の真相』(朝日新聞出版)など。

聞き手:松丸さとみ Satomi Matsumaru

フリーランス翻訳通訳者・ライター。学生や日系企業駐在員として英国・ロンドンで計6年強を過ごす。駐在員時は、英国や欧州のビジネスニュースを在英日本人向けに配信する日系ウェブメディア企業にて編集・執筆などに従事。現在はフリーランスにて幅広い分野の翻訳・通訳・ライティングを行う。著書に『泣ける犬の話』、『錦織圭物語』などがある。 

報告者:土屋えみ(フリーランス)

 



BBCニュースが昨年開始した日本語版ウェブサイトの、エディターとして、記事の選定や翻訳、編集を担当している。まだ立ち上がったばかりで記事が少ないが、日本人読者に向けて記事を最適化して届けることを意識している。英語の記事をそのまま訳す翻訳版サイトもあるが、BBC.jpではストレートニュースについては、日本語の新聞に近い形式で書くようにしている。BBC.comのストレートニュース記事はいわゆる「First Four」、すなわち最初の4段落でニュースの概要と背景が分かるように書かれており、その下からquotation付きで詳細を伝える。それに対してBBC News Japanでは日本の一般的な新聞記事同様の逆三角形で、前文に5W1Hを入れ、すぐに内容が分かるようにしている。そのほうが日本人には読みやすく、まどろっこしくないという判断に基づいている。編集部に新聞記者出身が多いことも影響しているかもしれない。一方feature(読み物)は原文通りに訳することが多い。記事の選択や内容に関しては英語版の編集者たちとその都度相談している。

記事の選択基準だが、ストレートニュースはロンドン、シンガポール、オーストラリア、アメリカからそれぞれその日のニュースがアップされるので、それらの優先順を判断し選択する。この日(翻訳祭当日の11月29日)の主要アジェンダは「アレッポ陥落」「本日のトランプ」「朴大統領の任期前の辞任表明」などだった。次に日本の話題を選ぶ。この日は福岡県北九州市のテーマパーク、「スペースワールド」が5000匹の魚を氷漬けにしてスケートリンクに埋め込んで展示し、批判を集めたという記事があった。国内の話題はBBCでも取り上げたという事実が大事なことが多く、少し遅いタイミングでも掲載するようにしている。最後に読み物だが、イギリスの出産にまつわるタブーやロンドンの住宅危機など、日本のメディアがあまり報道せず、BBCならではのものを多く取り上げるようにしている。海外メディアが日本でウェブサイトを立ち上がる意味は、読者が視野を広げられるよう、新しく窓を作って開けるようなものだと思っている。

BBCの大きな特徴はビデオニュースの存在だ。新聞記者時代、あるいはCNN日本語版の立ち上げ当初はビデオは扱えず、文字で伝えることを重視していたが、BBCでは映像の力が大きい。公共放送であると同時に、世界中の人に向けて発信しているので、分かりやすさを重視して作られている。BBC News Japanでは2-3分のニュースクリップが多いが、吹替および字幕は固い表現を避け、日本人にわかりやすく、かつなめらかで聞きやすく、理解しやすい表現を選んでいる。内容も、可能な限りの意味を、ニュアンスを含めて拾い、伝えることを目標としている。記事とセットになっているので、ニュースクリップに入りきらない情報は記事に入れている。ビデオのため、一時停止が可能なので、一般的な字幕の制約(1秒4文字)は考慮していない。

ニュース記事の見出しを作成する上では、まず重要ワード「アレッポ」「トランプ」などは前の方に持ってくるようにしている。ヤフージャパンのニューストピックは15文字だが、BBCでは20文字強が最適な長さで、30文字を超えると長すぎる。【移民危機】などのように「ワッペン」と呼ばれるカギ括弧を付けたり、漢字、カタカナ、ひらがなをバランスよく組み合わせて読みやすくしたりすることも心がけている。内容が伝わるのはもちろん、ぱっと目に入って来る見出しを意識している。記事本文では一人称で悩むことはあるが、「なのよ」「だわ」などの役割語は極力使わないようにしている。たとえばヒラリー・クリントンの発言が「あたくし~ですわ」と訳されていると、本人の人柄や話し方とはかなり食い違っていて、違和感を覚える。オリジナルの雰囲気、語り口含め、ニュアンスを伝えるのが肝要だ。

人名表記についてもよく悩む。俳優や有名人など、人名のカタカナ表記は、日本では浸透していても正確ではない場合がある。例えばイギリス王室の通称ハリー王子(Prince Harry)は、日本ではヘンリー王子と訳されることが多いが、BBCとしてはこれは英国で定着して本人も自称する「ハリー王子」と表記することにこだわっている。外国語の固有名詞の表記については、なるべく原音に近く、かつ日本語として読みやすく、あるいは聞きやすい形を意識している。最近悩んだ例を挙げると、俳優のトム・ハンクスかビル・マーレイか分からない画像が話題になった際は、原音に近い「ビル・マリー」としたかったが、「マリー」では通じない人が多く、「マーレイ」が浸透しすぎているため、最終的に「マーレイ」とした。また、海外ニュースの見出しは駄洒落やもじりが多いのも特徴だが、翻訳しても伝わりにくいことが多いため、駄洒落であることに強い意味がある場合を除き、訳出しないことが多い。

翻訳者と作業する際は、翻訳者とエディターの信頼関係が非常に大事である。原文から離れた訳出をする場合、内容を汲み取って理解した上であえて原文から離れているのかどうかを重視している。例えばアメリカの「Department of Defense」の定訳は国防総省だが、英語ニュースでは「DOD」 や「Pentagon」など表記を使い分けることもある。国防総省と訳出することがほとんどだが、「Pentagon」という表記を使用したことに意味があるならオリジナルに従いたいので、翻訳者がその使い分けの意図をきちんと理解しているかどうかが信頼関係の鍵である。ニュアンスを大事にするという意味での例を挙げると、「Granma」は「祖母」と訳すより「おばあちゃん」のほうがふさわしいし、「huge」はただ「大きい」より「巨大な」のほうがふさわしい。また、日付の書き方ひとつとっても、英語では何の注釈もなくただ「Wednesday」とあれば直近の水曜日をさすが、日本語では日付で書くのが一般的である。原稿に併記する、申し送りを付けるなどの気配りができるかどうかも大事である。

ニュース翻訳を仕事にするために必要な資質としては、スピード、正確さ、コミュニケーション能力、好奇心、自分の主観を入れない誠実さを挙げたい。また、粘り強い調査力は必須である。例えばAcar さんという、一般人の外国人の名前の発音が分からなかったときは、最初はどの国の人か分からなかったが、Facebookの本人のページが見つかり、そこからトルコ人だと判明した。トルコ語ではcaを「ジャ」と発音することが分かり、「アジャル」というトルコ語の姓があることも確認できたので、「アジャル」という表記にした。名前に関しては、ネイティブでも本人でないとどの発音か分からないものがよくあり、悩ましい。最終的には自分で「えいや」と選ぶしかないが、そこに至るまでにどれだけ苦しんで調べるかが大事だ。調べきったという裏付けが自分の中にあるか、やり残して気持ち悪い所がないかという感覚を常に持つようにしたい。

学習法としてはニュースを多読すること。BBCに関して言えば分かりやすく伝えることを意識しているので、フィナンシャル・タイムズなどと異なり、練った文章にはしていない。凝りすぎずどんどん訳してスピードを身に付けるとよい。ニュースの定型文、ニュース用語のストックを自分の中にどれだけたくさん持っているかがスピードアップのポイントとなる。Googleもぜひフル活用してほしい。良訳の判断の最後の決め手は、日本語としていかになめらかかだが、その前には原文の意味を正確に、ニュアンスもいかに理解しているかが大事だ。
 

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