日本翻訳連盟(JTF)

誰も教えてくれない翻訳チェック ~翻訳者にとっての翻訳チェックを考える~

2017年度第1回JTF翻訳品質セミナー報告
誰も教えてくれない翻訳チェック
~翻訳者にとっての翻訳チェックを考える~


齊藤 貴昭


某電子事務機メーカー入社後、製造から市場までの幅広い品質管理業務に長年従事。5年間の米国赴任後、米国企業相手の品質関連交渉担当となる。交渉業務を行う中で自ら通訳・翻訳業務を担当するとともに社内翻訳者の管理・教育を数年経験。2007年末より現在のグループ会社で翻訳コーディネーターと社内翻訳者を担当。グループ会社から依頼される様々な翻訳案件の翻訳・発注・チェック・管理の業務を行っている。製造業で学んだ品質管理の考え方をベースに、翻訳品質保証体系を構築するのが現在の自己研究テーマである。日本翻訳連盟理事。

ブログ「翻訳横丁の裏路地」
https://terrysaito.com
 



2017年度第1回JTF翻訳品質セミナー報告
日時●2017年5月22日(月)10時~12時
開催場所●剛堂会館
テーマ●誰も教えてくれない翻訳チェック ~翻訳者にとっての翻訳チェックを考える~
登壇者●齊藤 貴昭 Saito Takaaki  JTF理事/個人翻訳者/翻訳コーディネーター
報告者●三浦 朋子(個人翻訳者)

 


 

本セミナーは昨年11月のJTF翻訳祭で記録的な入場者数を誇った齊藤貴昭氏によるセミナーの再演である。今回も、翻訳者、チェッカー、品質管理担当者を中心とする参加者で会場はほぼ満席となった。

製造業の品質管理手法を応用した品質保証工程

齊藤氏は製造会社の品質管理業務に長年従事し、現在は関連会社で翻訳コーディネーター、翻訳者として勤務している。齊藤氏は、この製造業での経験を翻訳業務に応用することで、独自の翻訳品質保証工程を作り上げており、セミナーはこの工程の説明から開始した。
まず、品質に影響する因子(原稿、資料、PC、チェック方法、辞書等)をすべて抽出し、製造業の品質管理で使われる5M(Material、Machine、Method、Measurement、Man)を用いて分類した後、因子ごとに各工程(準備、翻訳、翻訳チェック、納品後等)で保証すべき項目をまとめた翻訳品質保証マトリックスを作成した。このマトリックスに基づき翻訳品質保証工程を設定し、工程別に各項目をどのような方法で、どのような基準を用いて保証するかを決定している。

翻訳チェックとは何か

今回のセミナーは、この工程の中の翻訳チェックをテーマとしているが、齊藤氏はこの翻訳チェックの定義を、「指定された仕様を満たしているかどうかを確認すること」としている。
翻訳完成品に対するチェックは、翻訳チェックと作業チェックの2つに分類できる。翻訳チェックは、文章の読みやすさ、流暢さなど文章の質の確認を指すが、文章の質を評価する基準は極めて曖昧である。一方、作業チェックとは、スタイルガイドなどのルールに適合しているか否かの確認であり、純然たる作業のチェックである。翻訳者は読みやすい流暢な文章を書くことに心を砕くが、過去の業界調査では、翻訳会社や顧客は、流暢さよりもルールへの適合性や正確さを重視するという傾向が認められている。この結果は、言語に精通していないために訳文の良し悪しの判断ができない顧客が多いことに起因しているのかもしれない。しかし、たとえ文章の質の良し悪しがわからなくても、転記ミスなどの単純ミスを検出することは誰でも容易にできる。そして、このような作業ミスがあるだけで「翻訳の質が悪い」という評価が下され、文章の質そのものについては評価すらされない可能性もある。したがって、まずは、誰にでもわかるような作業ミスをなくすことが重要である。

ヒューマンエラーへのアプローチ

この作業ミス、すなわちヒューマンエラーに対しては、「気をつける」「注意する」だけでは対策にならない。また、人間の能力を過剰に信頼することも危険である。
ケアレスミスは「人間がやることだから」と過小に認識されがちだが、ケアレスミスも重大な誤訳であるという罪の意識を持ち、流暢さや読みやすさと同じくらい重要であると考えるべきである。
チェック方法を考える上では、(1)チェックを分解する、(2)作者モードから読者モードへ切り替える、(3)ツールの助けを借りる、の3つがポイントとなる。(1)のチェックの分解では、必要となる能力に沿ってチェック作業を分解し、思考過程が同じものを組み合わせる。具体的には、数や単位の確認など、原文と訳文を単純に比較する単純照合、スタイルガイドへの適合性の確認など、何らかの基準と比較する参照照合、流暢さや誤訳のチェックなど、読まないと理解ができない読解チェックにわけられる。(2)のモードの切り替えでは、時間をおく、場所を変える、印刷するなど、読者の視点から訳文を読める環境を作ることで、思い込みを回避する。(3)のチェックツールの使用では、ツールに人間の能力をサポートさせることを目的とする。
ツール使用時には、easy to noticeのアプローチをとっている。この目的は、チェックするポイントを絞り込み、色付けなどの方法で意識を集中すべき箇所を際立たせることで知覚レベルへアプローチすることであり、このために開発したのがWildLightである。WildLightでは、例えば数字の羅列に一桁ずつ色を付けると、色のパターンの比較だけで原文と訳文が同じかどうか判断できる。用語集への適合性も、対訳表で原語と訳語を同じ色で示し、色があっていれば用語集に適合していることがわかる。このように、用語集との適合性のような参照照合も、色の認識による単純照合へと変えることで、チェックの精度を上げることができる。

チェックフローを作成する

そもそも究極のチェックとは、ミスをしない、もしくは、ミスをしてもその場で修正できる仕組みを作ることである。その場で修正できる仕組みとしては、Wordのオートコレクト、AutoHotKeyなどがあるが、自分のミスの癖を把握するためにも、「何をミスしたのか」がわかるように工夫した上で使用すべきである。
ミスをしないための対策は難しく、自己鍛錬しかない。チェックフローに自己鍛錬をうまく盛り込むことが大切である。
チェックフローを作る際には、自己鍛錬を盛り込むことに加え、ミスが多い工程を前のほうに持ってくる、修正した部分は必ず再チェックする、納品直前に通読やスペルチェックなどの最終チェックを必ず行う、などがポイントとなる。また、どんな案件でもWildLightで対訳表を作るようにしている。対訳表により、単純ミス以外にも訳抜けや誤訳が見つかりやすくなるからである。そして一度決めたフローは決して崩さない。短納期の案件など、チェックフローの工程の一部を省略しなければ納品できないような案件ははじめから受けない、という姿勢も大切だと考えている。

Q&A

翻訳祭、そして今回のセミナーと多くの人が関心を寄せたテーマということもあり、会場からはたくさんの質問が寄せられた。そのうちのいくつかを紹介する。

Q. Wordのスペルチェック機能で、Wordが学習した内容を毎回リセットしたほうがよいという話があったが、それはなぜか。
A.一度「無視する」を選択すると、毎回無視してしまう。本当に間違っているのかどうかは毎回確認すべきであり、機械に勝手に無視させるべきではない。
Q. Trados案件などではバイリンガルファイルをもらうことが多いが、あえて対訳表をつくるべきか。
A. Tradosで同じチェックができるのであればいいが、たとえばtwoと2の整合性のチェックはTradosではできない。やるべきチェックがどのツールでできるのかを把握することが重要である。
Q. 機械翻訳は今後、チェック全体のプロセスにどう影響するか。
A. 機械が数字をミスすることはないだろうから、数字の転記ミスなどのチェックは必要なくなるかもしれない。本来の翻訳の質はツールではどうにもならないので、人間の力が必要だろう。


 

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