日本翻訳連盟(JTF)

文学作品を味わう―英文法をベースにヘミングウェイを読む

2020年度第2回JTF翻訳セミナー報告
文学作品を味わう―英文法をベースにヘミングウェイを読む


倉林秀男 Kurabayashi Hideo

豪州ニューカッスル大学大学院(応用言語学修士)、獨協大学大学院外国語学研究科、博士(英語学)、日本文体論学会会長。専門は英語文体論。ことばの表現効果について、言語学的に研究をしている。研究対象は公共サイン、広告、文学作品などで「ことば」が用いられているもの全般である。著書に『言語学から文学作品を見る』(開拓社)、『街の公共サインを点検する』(共著、大修館書店)、『ヘミングウェイで学ぶ英文法』(共著、アスク出版)、『オスカー・ワイルドで学ぶ英文法』(共著、アスク出版)などがある。
 



2020年度第2回JTF翻訳セミナー報告
日時●2020年9月18日(金)14:00~16:00
開催場所●zoomウェビナー
テーマ●文学作品を味わう―英文法をベースにヘミングウェイを読む
登壇者●倉林秀男 Kurabayashi Hideo 杏林大学外国語学部教授
報告者●伊藤 祥(翻訳者/ライター)

 



 今回のセミナーは、ノーベル文学賞作家、アーネスト・ヘミングウェイの作品を通じて、英文法をベースに文学作品の読み方、テクストに込められたメッセージを汲み取るプロセスを可視化して教えていただくことがメインテーマである。
 しかし、文法のアプローチのみならず、その前段として、芸術全般の深い鑑賞につながるアプローチとして、分析的に芸術作品を鑑賞するとはどういうことかをフェルメールの絵を題材にご紹介いただいたり、認知言語学の文法理論による文学分析があったり、参加者の多くの質問にも丁寧に答えられるなど盛りだくさんな内容が語られた。
 また、一般的にヘミングウェイの文章はシンプルで平易であると言われているが、文章の平易さの背後にある、複雑な心理状況や人間模様に焦点を当てながら、テクストを精緻に読み進めるため英文法を援用して、作品が読み解かれた。認知言語学の文法理論も駆使して「なぜ、ここでこのような表現が用いられているのか」が解き明かされる様は一般的な文法のイメージと異なり、サスペンスの謎解きにも似た興奮が感じられた。

分析的に捉える視点とは

 芸術を鑑賞するのと直感的に受け止めるのは異なるため、今回は分析的に見ると深く味わえるということを、フェルメールの絵画、ロンドンナショナルアートギャラリーの「ヴァージナルの前に座る女性」を例に説明したい。これは画角が有名な絵であるが、美術展でみなさんはどう鑑賞するだろうか?青色が多用されているなど部分に目が行ったり、絵の中の人物の目線に目が行ったりする人もいると思う。
 例えば、うすぐらい部屋が示す時間はいつ頃だろうか?窓から光が差し込んでいないことから、夜か雨戸が閉められていると推測される。このように、読み取れることはたくさんある。
もう一つ別の絵と対比してみよう。フェルメールの「合奏」という絵で、実は盗まれてしまったものである。この2枚の絵の共通点は何だろうか?それは、背景に同じ絵が描き込まれていることだ。その絵とはフェルメールの母が所有していた絵で、ビューレンの「取り待ち女」というカラヴァッジョ系統の絵である。絵画の技法の一種である画中画には、描かれる意図が存在する。この絵では、男は客で金貨を持っており、リュートを持つ女は娼婦で、右は売春の斡旋の老女「取り持ち女」なのだ。ただ美しい女性が描かれている絵であるのみならず、売春もテーマとして描かれている。
 つまり、冒頭のフェルメールの絵もあえてこの絵が描き込まれているということは、楽器を弾く女性の清楚さの裏側のふしだらさも描かれているのだと一般的に言われている。
このように、「ヴァージナルの前に座る女性」を鑑賞するのに、別のフェルメールの絵を見たり、関連の絵である母の所蔵の絵を見ていくことによって、表面には描けない、女性の内面性を画中画に語らせていると言うことがわかる。このように心の中を読み解くことで登場人物をよりよく理解することができるのだ。

ミクロ的な視点とマクロ的な視点~細かいところまで見ていくことでわかるのは

 私達は物事を捉える際、つい目立つところに目が行き、細かい部分が見落としがちだったり、またその逆もある。認識は遠近のどちらかで、遠近両方を認識することは出来ない、絵画のキュビズムのように、同時に表現しようとする取り組みもあることはあるが。今回は絵画の背景に注目して鑑賞した。
 女性の鮮やかな服の色彩に目を奪われると、背景まで目が行かない。なので隅々までくまなく見ることが大切なので、それぞれの構成要素を見ていく必要がある。まずは、手前の人物や小物・背景を、他の作品と比較してみる。そして、さらにその背景の絵を見てみると、背景が主題を支配している場合もあるのだ。
 例えば、小説で、雨の中に男の人がぽつんとたっていた。冬の夕方の6時に、傘も差さずにたたずんでいる背中が見える、といった表現の場合、悲しさを表現していることがわかる。雨とか暗さは全体のテーマになり得るので、見づらいところにテーマがあり得るのだ。一つ一つ要素に分けてみると、それぞれの意味がみえていき、全体の関連性が見えてくる。
 文法は最小単位の音素からひとつひとつ小さく分かれるが、全体でどういう意味を持つかを考えていく。認知言語学ではメインの部分を「図」と背景の部分を「地」といい、ルビンの壺のように、目立つところと背景がある。ルビンの壺の場合は向かい合っている人とツボは同時に見ることは出来ない。ただし、メインとサブはいつも入れ替わり可能であるのだ。ものごとの見方として、図と地の反転を意識してみる。入れ替わると新たな気づきがじわじわ浮かび上がる。
 小説でいうと、アガサクリスティの叙述のレトリックでは、背景に忍び込まされる脇役の犯人と思えないような人が犯人であることに驚かされ、語りのトリックにだまされる。書き手がどこかに重要な要素を隠しているのをあばくのが、分析的に読む読み方だ。一字一句よみこぼさずに読む。その際に、文法が役に立つのだ。

アーネスト・ヘミングウェイの生涯

 アーネスト・へミングウェイ(1899-1961)は、1954年にノーベル文学賞を受賞した。少年時代は成人の印象とは全く異なるかわいらしい少年であった。高校時代は、シカゴ郊外のオークパークで学内誌や文芸部の活動で詩を投稿し、書くことはその頃から上手だと評価されていた。研究者によると、高校時代から同じようなスタイルだったらしい。新聞記者となり、シカゴやカナダのトロントを経て、1923年にパリでin our timeという短編を発表。1924年にIn Our Timeという短編集を発行した。

登場人物の心理状況を把握するには

図と地の過去進行形と過去完了

ヘミングウェイらしさについて、「三発の銃声」の冒頭を例に挙げて説明する。
-Nick was undressing in the tent. He saw the shadows of his father and Uncle George cast by the fire on the canvas wall. He felt very uncomfortable and ashamed and undressed as fast as he could, piling his clothes neatly. He was ashamed because undressing reminded him of the night before, He had kept it out of his mind all day. (Ernest Hemingway "Three Shots")

ヘミングウェイの文章は短くて語彙が平易であるが、易しいかといえばそれはまた別である。ここではヘミングウェイの文から、過去進行形と過去形に着目して、それらがなぜ使われるか深掘りしていきたい。
一般に、過去進行形が使われるときは、
パターン1 基準となる時が設定され、その時点で進行中の動作を表すとき
At noon, we’re watching TV in the dining room.
パターン2 進行形で表されていることがらが、単純過去の行動の背景を作り出すとき(図と地)
It was raining heavily.(地) Suddenly there was a flash of lightning.(図)

Nick was undressing in the tent.においては、基準となる時がないというのが大きなポイント。このようなときは次に出てくる単純過去の背景を作り出す役割がある。次に出てくる単純過去形を予測させるのが、小説における過去進行形の役割である。
そうすると、前景は、”He saw the shadows of his father and Uncle George cast bay the fire on the canvas wall.” つまり、undressingの背景として、テントの外に父とおじさんの影を見ると、ここに、感覚知覚を表すfeltが使われている。すばやく洋服を脱いだ。それは洋服を脱ぐことが昨晩起こった出来事を思い出させて、気恥ずかしくさせたからである。気恥ずかしさの背景には「服を脱ぐこと」がある。徐々に恥ずかしさや心地の悪さを感じ始める居心地のわるさを一緒に感じることができる、うまい表現といえる。

基準時がない場合も、単純過去形で描写される時間が基準時になるとは限らない。その瞬間に何が生じたか、何をしたのかを劇的に導入する過去進行形を手がかりにすると深く小説を理解できるのではないかと思うのだ。過去進行形は時間的に何らかの形で他の行動や一定の瞬間に結びついているので、単独で解釈することは不可能である。絵が浮かぶ人もいるが、過去進行形の役割は外国人が文意を理解する上で、文法が理解するきっかけになるという一例である。

次に、小説の中の過去完了であるが、現在完了の過去形として使う場合と、語りの基準時よりも前のこと(大過去)を表す場合がある。前の引用の部分の最後のHe had kept it out of his mind all day. これは、「一日中頭から離れていない」と現在完了的に読む。

-His father and uncle had gone off across the lake after supper to fish with a jack light. Before they shoved the boat out his father told him that if any emergency came up while they were gone he was to fire three shots with the rifle and they would come right back. Nick went back from the edge of the lake through the woods to the camp. He could hear the oars of the boat in the dark. His father was rowing and his uncle was sitting in the stern trolling. He had taken his seat with his rod ready when the boat his father shoved the boat out. Nick listened to them on the lake until he could no longer here the oars. (Ernest Hemingway "Three Shots")

His father and uncle had gone off across the lake after supper to fish with a jack light.であるが、よく過去完了を見ると、機械的に時点を一つ戻して考えがちであるが、小説の中では大過去ではなく、現在完了の代用として語りの基準より前のことを表すのに用いるか、基準時がなくても基準となる行動が示される場合の二つであることを認識して欲しい。

また、次に再び過去進行形の例が出てくる。But he was getting very afraid, Then suddenly he was afraid of dying.過去進行形と過去形が図と地を表しており、後半部は劇的なシーンを導入するために過去進行形が使われている。ヘミングウェイに限らず、英語の書き手によく使われる例である。心理的な変化などを描き出すときに使われる、図と地のような、過去進行形と過去形の関係性を見抜く。

There 構文がわかると文学を味わえる

There 構文には、談話の舞台へ新しい事物を登場させる役割があり、誰もが知っていることはthere構文では使えない。後の名詞は読者の注意を引くものになる。
-At the lake shore there was another rowboat drawn up. The two Indians stood waiting. Nick and his father got in the stern of the boat and the Indians shoved off and one of them got in to row. Uncle George sat in the stern of the camp row boat. The young Indian shoved the camp boat off and got in to row Uncle George. (Ernest Hemingway "Indian camp")

There was another rowboat drawn up. The two Indians stood waiting.
自分たちの船ではない新しい舟がやってきた、インディアンたちの乗った船がやってきた。
「どうして、インディアンたちがやってきたのか」が次の展開になる。二隻の舟があることがわかる。

“Where are we going, Dad?” Nick asked.
“Over to the Indian camp. There is an Indian lady very sick.”
“Oh,” said Nick.
(Ernest Hemingway "Indian camp")
上の例のように、作品の中に出てくるThere構文がポイントになる、There is an Indian lady very sick.というのは、お父さんは知っているが、息子には新しいという情報を伝えたいケースで、インディアンの女性が深刻な状態で物語の焦点である。ここから、逆子で大変な難産で帝王切開するという物語が展開していく。
また、ヘミングウェイのスタイルとして、askedはあっても、答えたときのsaidは省略され少ないという特徴がある。

ちょっと難しいYou

二人称の代名詞は難しい。日本語ではめったに使わないが、英語ではひびきが軽い。

Aloud he said, "I wish I had a boy." But you haven't got the boy,”
But you haven't got the boy, he thought. You have only yourself and you had better work back to the last line now. in the dark or not in the dark, and cut it away and hook up the two reserve coils. (Ernest Hemingway " The Old Man and the Sea")

But以下の時制が現在形に切り替わり、話法が切り替わり、サンチャゴ老人の内面の吐露にかわる。独り言に使われるYouで、おまえにはもう少年はいないじゃないかと、自己を客体化したYouである。文脈に応じて他人でなく自分をさすこともあると知っておかねばならない。Youは、「俺には」と訳したり、「おまえには少年にはいない。」と客体化されていたり、訳語の選択の問題である。

例えば”How do you feel, hand?” のような文をどう訳すか。サンチャゴが手が痛くてたまらないときの台詞である。日本語にはこの呼びかけのYouになじみなく訳しにくい。総称としてのYouなのか、特定の人を指すYouなのか、文脈に通じて訳されているか、ミクロとマクロの関連性から見ないと誤解して読んでしまう可能性がある。
参考:大修館書店「英語教育」連載 老人と海で学ぶ英文法

話法という概念になれておく

英語では登場人物に入っていくには、構造的に人称や時制を変更しなければならない。直接話法から間接話法になるなどは、英語らしい文法の書き方である。話法を理解しておくと、英語の意識の流れについていける。

・間接思考 Indirect Thought
Ken thoughtl that he loved her a lot. ケンは彼女のことがとても好きだと思った
・自由間接思考  Free Indirect Thought
Ken loved her a lot! ケンは彼女のことがとても好きだ
・直接思考 Direct Thought
I love her a lot, Ken thought.彼女のことがとても好きだ、とケンは思った
・自由直接思考 Free Direct Thought
I love her a lot. 彼女のことがすごく好きだ!

“He thought”という三人称過去が、”I”という一人称現在に変わり、登場人物の意識に入るというサイン。小説では自由直接思考では、語り手ではなく登場人物の声が聞こえる。直接思考は語り手が介入していて、登場人物はさらけ出していない。話法は小説においては登場人物の気持ちに入っていく主語がかわっても同じ人物であるとつないで読んでいくことが大切である。

終わりに

 文法を学ぶ時には、ルールを機械的に覚えるのではなく、文学作品を読みながら、なぜこのような文法形式が用いられているかを考え、作家が紡ぎ出す言葉をひとつひとつ丁寧に捉えるように努める。そうすることで、本当の意味で実用的な文法力を身につけることができ、作品をより深く味わうことにつながっていくのではないかと思う。

Q:ヘミングウェイ風の文体とはどのようなものか?また、それを習得するにはどうすればよいか。
A:事実を端的に短い文で書く。報道は叙情的に書くわけに行かないので、Hence・However・Althoughといった論理的な接続詞は少ない。一般的なスタイルとしていいか断定しがたいが、ジャーナリスティックな文体である。
ヘミングウェイエディター(http://www.hemingwayapp.com/)というヘミングウェイらしい文体か診断するサイトでは、平易な文体か簡潔かが問われる。入力された文章を、文の長さや語彙の難易度という観点からチェックし、Readabilityをレーティングする。
試みに、フィッツジェラルドのThe Great Gatsbyの冒頭部分を入れてみる。そうすると、poorだと評価されてしまうのが面白い。理由は文の長さと使用されている語彙のレベルが高いということである。

Q:英文法を復習するのにどんな文法書がいいか?
A:英文法を復習するには、セルフチェックして苦手分野を強化するのが一番である。おすすめは、日栄社の「新・英文法ノート」、「新・英作文ノート」である。特に、誤文訂正の部分。なおせればOK、ピンとこなければ復習が必要と自己診断ができる。うすくて、ワンコインにも関わらず、解説が素晴らしい。
『英語語法大辞典』4冊のもとになった、大修館書店の「英語教育」誌のクエスチョンボックスという質問コーナーは、読者の質問に対してすばらしい文法解説がつき、ためになる。

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