[イベント報告]エンタメ翻訳、わが人生

2021年度第2回JTF関西セミナー報告

  • テーマ:エンタメ翻訳、わが人生
  • 日時:2021年8月18日(水)14:00~16:00
  • 開催:Zoomウェビナー
  • 報告者:伊藤 祥(翻訳者/ライター)

登壇者

田口 俊樹

翻訳家

1950年奈良市生まれ。早稲田大学文学部卒。編集者、音楽ディレクター、高校教員を経て翻訳者に。主訳書にローレンス・ブロック「八百万の死にざま」、ボストン・テラン「神は銃弾」、J・M・ケイン「郵便配達は二度ベルを鳴らす」、スティーヴンソン「ジキルとハイド」、アガサ・クリスティー「ABC殺人事件」、トム・ロブ・スミス「チャイルド44」、ロアルド・ダール「あなたに似た人」など多数。近訳書にアルネ・ダールの「狩られる者たち」。著書に「ミステリ翻訳入門」「おやじの細腕まくり」。近著に「日々翻訳ざんげ エンタメ翻訳この四十年」がある。


「エンタメ翻訳」の世界で長らく活躍され、今年、その豊富な翻訳エピソードをもって翻訳生活を振り返るご著書「日々翻訳ざんげ エンタメ翻訳この四十年」を出版された田口俊樹先生。本セミナーでは、先生の『翻訳文を書く極意十個条』を柱に、「正確なだけではつまらない、ウケるが勝ち」とおっしゃる先生らしい軽妙で痛快なトークで、先生ならではの言語感覚、仕事観をJTF関西委員会の石岡氏、寺西氏、近藤氏が聞き手となり、インタビュー形式でお聞きした。もちろん、参加者からの質問にもたっぷりお答えいただいた。ローレンス・ブロック、ジョン・ル・カレ、レイモンド・チャンドラーら、誰もが知るミステリー大家たちの小説を翻訳し、日本の読者に届けてこられた先生が、近年になって見つけられたというアイデンティティとは…。

1. エンタメ翻訳者になるまで

――エンタメ翻訳とはどういう翻訳か教えていただきたい。

エンタメと翻訳を合わせてエンタメ翻訳としたのは私の造語かもしれない。かつて出版翻訳は、純文学でなければ100%ミステリーという二者択一だったので、ミステリー翻訳をやらなければ食えない時代だった。そのうち、ミステリーというジャンルを越える娯楽小説も出てきた。いかに生きるべきかというような固い文芸作品ではなく、数時間楽しく過ごしたいという大人の娯楽の欲求にこたえる小説の翻訳がエンタメ翻訳だ。エンタメという略語の軽い響きが自分に合っていると思う。

――高校教師から翻訳者に転向されたそうだが、その経緯をお聞きしたい。

高校教師になったはなったが、自分に英語力があるとは思えなかった。小中学校の時から英語が好きで大学は英文科に行ったものの、全共闘時代で勉強どころではなかった。それで、英語を改めて勉強しようと思った。もともと、文章を書くのは好きだったので、英語と文章を書くのを合わせて翻訳をすることにした。

――ミステリー翻訳を始められたきっかけは?

たまたま高校の同級生が早川書房の編集者で、27~8歳の頃、翻訳してお金がもらえるのは勉強にもなり一石二鳥だと思って始めた。偶然のきっかけではあったが、文学については、当時、自分でも小説を書きたいという気持ちはあって、作品を同人誌に投稿したりしていた。

――人知れず努力されたことがあるのではないか?

改めて考えてみても本当にない(笑)。英語を上手になりたいという気持ちはずっとあった。40年前よりは英語力がアップしたと思うが、思ったほどは上達していない気がする。うまくできなかったけどそれもプラスだと考えている。

翻訳学校でも、生徒で英語ができるバイリンガルで翻訳が上手い人は少ないように思う。考えが言語でスイッチできるからではないか、翻訳はもっと言語間で何度も反芻する仕事なので、英語を喋れない人も多い。

――兼業のご苦労はどのようであったか?

共働きだったので子供が小さい頃は子育てもしなければならない。空いてる時間に翻訳をしているという感じであった。二足の草鞋の10年は自分のこと中心。教師の仕事は最低限、時間が空いたら一行でも翻訳をするという感じで、翻訳が面白くて仕方がなかった。

――仕事を取るための営業活動はされたのか?

40年以上前は、翻訳点数が少なく、なんとなく不文律というわけではないが、日本では、この翻訳者はこの出版社という感じだったので、一本終わったら、次また出版社から依頼が来るのを待っているという感じののどかな時代だった。当初は、教師のアルバイトという感覚で食えるとは思ってなかった。バブル時代になり本が売れて年収額が翻訳の方が教職より超えた時に翻訳一本でいこうと思った。しかし、堅い仕事を捨てるのは随分勇気がいった。

――翻訳料金はどうなっているのか?

印税をもらうのだが、昔は紳士協定で定価の8%だった。通例著作権は10%なので原作者分もあるので悪くない数字だったと思う。今は下がって3%ぐらいからだ。

――この世界を目指す人はどうやって生きていけばよいのか、アドバイスをいただきたい。

やめたほうがいい、食ってはいけない。印税はハリーポッターやダヴィンチコードクラスなら儲かるだろうが、ふつうは最低保証は初版の部数ということになるので、今は昔の数分の一。かつては、一冊3万部で500円だとすると40円かける3万部だと120万円、それが年に4~5冊というふうであったが、今は1/3から1/4なので、コンスタントに行っても200万から300万にしかならない。面白い仕事だが実入りはあてにできない。

2. 著書「日々翻訳ざんげ エンタメ翻訳この四十年」から

本によって真逆の訳文!?

訳のバージョンがたくさんある作品では、翻訳者の解釈によって訳はまちまちだ。例えば、ジェームズ・M・ケインの「郵便配達は二度ベルを鳴らす」の刑務所に入れられ、進退きわまったシーンのI’m up awful tight, now.というセリフは、tightをどう訳すかが肝で、「神経が高ぶっている」と私は訳したが、ぼうっとしているという訳本もある。主人公の心情を前後からどうとるかで、このように訳が真逆になることもあるが、そのシーンの中では、あながち間違いともいえないと感じる。それでは、そのとき著者はどう考えていたのだろうか?確かにその点は大事だけれども、思った通りに書かれているとも限らないのが小説の世界なのだ。

また、レイモンド・チャンドラーの「待っている」という短編の結末の、The guy stopped the big one. Cold. Al… Al said to tell you goodbye.という一節では他の邦訳が、stoppedをthe guyが殺したと訳しているのに対して、私は英英辞典で死や大きなけがを被るという意味を見つけ、私は真逆のthe guyが一発くらったという訳にたどりついた。映画化されたシーンで確認しても、自分の解釈のとおりであった、その自分だけの正解にたどりついたときには小躍りしたくなったものだ。

お前はもう終わっている

ハードボイルド小説、ボストン・テラン「神は銃弾」の決めゼリフ、You’re crossing over.では、「お前はもう終わってるんだよ。」と訳した。自分では経緯を忘れて北斗の拳をパクったのだと思い込んでいたが、当時の編集者によると、北斗の拳に先んじて、私が私の息子がテレビの芸人に、「こいつ終わってる」といったのを見て斬新に感じ、使ったのだそうだ。このように、流行り言葉にはアンテナを張って取り入れるようにしている。

和臭を避けた名残

明治時代、政府が翻訳に関する通達を出し、その中に「和臭を避ける」という指示があった。当時は文明開化で新しいものをどんどん取り入れないといけなかったからだろう。この西洋をありがたがる傾向の名残が自分の世代には残っている気がする。今はもう気にしなくてもよいと思うが、名残を反省しつつ、エルモア・レナードの「マイアミ欲望海岸」よりそういった訳語の例を挙げると、ストローハット(麦わら帽)、スタイロフォーム(発泡スチロール)、スウェットスーツ(ジャージ)など。

また、文化の違いを感じる隠語として面白いのは、殺人の被害者は、英語は「poor bastard」で、直訳するなら「哀れなくそったれ」で、これは心理学的描写とでもいうべきものだが、同じものが日本語ならば「ホトケさん」、これは宗教的観点とでもいうべきだろうか。中立的な今の言葉で言うならば「ガイシャ」かもしれない。

アイデンティティに出会った言葉

もう何の時かもわすれたが、あるとき、書評家の北上次郎氏に、「だって、田口、ウケたいじゃん!」と言われた。その言葉は目からうろこだった。それを言われた50歳ごろまで、ウケたいなんて下世話だと思っていたが、下世話でいいんだと感じ、それまで純文学志向のようなどこかお高くとまる気持ちが残っていたのが吹っ切れた。エンタメ翻訳は、うけるが勝ちである。

3. 翻訳文を書く極意十個条―名翻訳家は常にこんなことを考えて訳している

  1. とにかく意訳する。そうするとアバウトになりすぎることもあるので、しかるのち、できれば直訳。文からことばに向かって訳す。
  2. どんな文にも(フィクションは特に)視点がある。その視点には空間的な視点や時間的な視点だけでなく、立場がもたらす視点も含まれる。
  3. 翻訳というのはことばを置き換える作業ではない。日本にない概念の輸入であることを忘れないこと。
  4. ”は”と”が”は自然に使えていればよし。悩むときには、何を言いたいのか、実ははっきりしていないことが多い。
    • (大野晋氏によれば未知の主語は「が」、既知の主語は「は」。井上ひさし氏によれば「は」はやさしく提示し、「が」は鋭く提示するということである。参考にしてはいかがと思う。)
  5. ”も”の効用を忘れないこと。
  6. 同じ主語が重なって単調になったら、話題を主語に変えてみる。
  7. 明快で簡潔な文はとりあえず美しい。エンタメのような大衆向きはまずそう。
  8. 内容よりリズム。
  9. 形容詞は形容詞に、副詞は副詞に訳さなければならないなどとは誰も言っていない。
  10. 恋と戦争と翻訳にルールはない。

4. 質疑応答

Q. 極意十個条の第3条に輸入であることを忘れないとあるが、「ここであったが百年目」というような訳はよくないということか?

A. 文脈が合うのならかまわないと思う。和臭で、古臭くなることを恐れておられるのかもしれないが、これは西洋崇拝の名残。そもそも翻訳とは不可能なことをやっている。手かせ足かせはよくないと思う。矛盾するようだが、私はまだ和臭を恐れてしまうが、今の翻訳としては構わないと思う。

Q. 第6条に「同じ主語への工夫」が述べられているが、「~だった」など、同じ文末が続いてしまう場合の工夫はどうお考えになるか?

A. 私は気にならない。ある書評家に田口は過去形に特徴があるといわれたほどだ(笑)。小説には定番の「ときどき現在形を混ぜる」というテクニックがあるが、私はきらいで小手先はやめたほうがいいと思う。文にリズムがあれば気にならない。

Q. 英語がしゃべれないと、文芸翻訳家になれないと思われるか?

A. 全く問題ない。むしろ、みんな下手だといっても過言ではない。調べ物はネットで、かつては文字情報中心だった。しかし、最近はYouTubeの情報量が多く作家のインタビューなどもあるので、そういった情報を聴けるとトクなので、ヒアリング能力はあったほうがよいと思う。

Q. 自分は言葉遣いが美しくない文章は読みたくないほうで、くだけた内容の文が苦手なのだが、克服方法はあるか?

A. 特効薬はないが、もっと突っ込んで分析していけば道は開けてくると思う。「言葉遣いが美しくないものは読まない」と言っておられたが、美しさは人さまざまで、美辞麗句ならいいというわけでもないと思う。自分はどういう文を美しいと思うのかもう少し深掘りしてもよいかもしれない。それにより、くだけた文とはどういうものかの定義も見えてくると思う。そして、くだけた文のお手本を探してまねるのが近道だと思う。文章を書くとは意識的な作業なのだ。くだけた文とはなにか頭で考えず、実態をみつける。

Q. お弟子さんが一人前になった、デビューしてよいと見極める目安、基準は?

A. まずは下訳をお願いして見極める。何回かやってみて、今回すごく楽だった、楽して弟子に悪いと思うぐらいになったら、独り立ちさせてよいと思う。最近では、独り立ちの前のステップとして共訳をやることがある。

Q. 擬音語、擬態語を使うのは、ひかえるべきか?

A. 私は控えたほうが好き。多用するのは安直な気がする。使うなら効果的に、センスが問われると思う。出来るだけ副詞・形容詞と動詞で訳し、擬音語・擬態語を使うならせめて面白く。

Q. 既訳の再訳をされる場合、既訳原稿を読まれるか?

A. 礼儀として読む。既訳があっての新訳だと思う。ただし引っ張られないよう、時間をあける。引っ張られると誤訳まで同じように誤訳する恐れがあるので。

Q. 何回ぐらい推敲しているか?推敲で気を付けるべきポイントは何か?

A. 2回見直すようにしている。エンタメでは流れが大切なのですらすら読めることが大事、ひっかかるところは見直すようにしている。

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