[イベント報告]森口理恵の実践医薬翻訳セミナー

2021年度第4回JTF関西セミナー報告

  • テーマ:森口理恵の実践医薬翻訳セミナー
  • 日時:2022年3月2日(水)14:00~16:00
  • 開催:Zoomウェビナー
  • 報告者:三浦 ユキ(ペンネーム、翻訳者)

登壇者

森口 理恵氏

R&Aメディカル代表

京都薬科大学薬学部薬学科卒業。香料研究室勤務、データ検索担当者(サーチャー)、医薬系翻訳会社のコーディネータ兼社内翻訳者などを経て独立、以来30年近く医学論文や製薬・医療機器関連の資料などの英日・日英翻訳を手がける。翻訳教育機関での翻訳指導やテキスト執筆など、翻訳者教育にも携わる。著書に、医薬業界に特有の基本表現を平易な表現で説明した『まずはこれから!医薬翻訳者のための英語』(イカロス出版)がある。


講師の森口理恵先生(以下、森口先生)は、薬学出身で、医薬翻訳者として活動しつつ、翻訳教育にも携わっておられる。今回は、医薬翻訳についての深い知見をベースに、事前課題(米国CDCの論文誌Emerging Infectious Diseasesに掲載されたCOVID-19関連の論文)の和訳についての解説を通して検索すべき内容などを具体的に示された。本稿では、訳出のポイントを中心にレポートする。

講演概要

翻訳で重要な点として、以下の説明があった。

  • 英語をしっかり読む
  • 英英辞書を使う……英日辞書を参照すると、訳語の概念に縛られてしまう。
  • 英語で情報を読む……日本語になっているものではなく英語で情報を読むことが大切。
  • 原文と参考文献の情報を活用する……翻訳の一番のヒントとなる。原文の他の部分と参考文献を見よう。
  • 専門領域の「常識」をネット検索で把握する……論文は皆が常識を分かっていることを踏まえた説明をする。読者が何を知っていてどこを知りたいのかを把握することが大切。
  • 日本語での情報伝達方法を研究する……原文で意味していることを伝わる日本語として上手に伝達するのが翻訳者の能力であり、技の見せ所である。

学術論文の構成について、以下の説明があった。

  • Title [表題]
  • Abstract [抄録]……論文の内容を400語程度で要約した文章。PubMedなどの論文データベースにも収録される部分。
  • Introduction [緒言]……現状や今回の研究に至った背景などが描かれる部分で一般論が多い。見出しがないこともある。
  • Methods [方法]……研究をどのように行ったか。
  • Results [結果]……その方法を用いてどのような結果が出たか。
  • Discussion [考察] ……この結果は何を意味するのか、何がいえるのかを論じる部分。他の研究の結果が引用されることも多い。
  • Conclusion [結論]……この研究で言えること。
  • References [参考文献]……論文の本文で引用された文献の一覧。翻訳は不要とされる箇所だが翻訳作業中に参照すべき大事な情報。本文中に示される番号は、文献番号。重要な情報なので必ず訳出すること。

引用文献の内容の調べ方

オンライン論文にはPubMedのリンクが貼ってあることが多く、そこをクリックすると論文を閲覧することが可能。PubMedには表題、著者名、掲載誌などの等の書誌事項と抄録が表示されている。論文(全文)へのリンクも表示されている(論文は無料で全文が公開されている場合と、有料の場合もある)。

今は論文データベースはオンラインで検索可能で、抄録部分はほとんどの場合は無料で閲覧でき、論文全体が無料で読めるものも多い。引用先をこまめに確認する根気と、必要な情報を短時間で確認できる英語力と基礎知識を身につけよう。

事前課題

“Multistate Outbreak of SARS-CoV-2 Infections, Including Vaccine Breakthrough Infections, Associated with Large Public Gatherings, United States”より

ABSTRACT
During July 2021, severe acute respiratory syndrome coronavirus 2 (SARS-CoV-2) B.1.617.2 variant infections, including vaccine breakthrough infections, occurred after large public gatherings in Provincetown, Massachusetts, USA, prompting a multistate investigation. Public health departments identified primary and secondary cases by using coronavirus disease surveillance data, case investigations, and contact tracing. A primary case was defined as SARS-CoV-2 detected <14 days after travel to or residence in Provincetown during July 3–17. A secondary case was defined as SARS-CoV-2 detected <14 days after close contact with a person who had a primary case but without travel to or residence in Provincetown during July 3–August 10. We identified 1,098 primary cases and 30 secondary cases associated with 26 primary cases among fully and non–fully vaccinated persons. Large gatherings can have widespread effects on SARS-CoV-2 transmission, and fully vaccinated persons should take precautions, such as masking, to prevent SARS-CoV-2 transmission, particularly during substantial or high transmission.

Gharpure R, Sami S, Vostok J, Johnson H, Hall N, Foreman A, et al. Multistate Outbreak of SARS-CoV-2 Infections, Including Vaccine Breakthrough Infections, Associated with Large Public Gatherings, United States. Emerg Infect Dis. 2022;28(1):35-43. https://doi.org/10.3201/eid2801.212220

訳出のポイント

第一文:

During July 2021, severe acute respiratory syndrome coronavirus 2 (SARS-CoV-2) B.1.617.2 variant infections, including vaccine breakthrough infections, occurred after large public gatherings in Provincetown, Massachusetts, USA, prompting a multistate investigation.

米国マサチューセッツ州のプロヴィンスタウンで大規模なイベントが複数開催された後、新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)のB.1.617.2変異株による感染例が(ブレイクスルー感染者を含め多数)発生し、これを受けて複数の州に及ぶ調査を行った。

長い文章は切り分け、頭から順番に読み、情報が出る順序を保って訳す方法を考える。

B.1.617.2 variant = デルタ株  Googleで[B.1.617.2 ウイルス]などをキーワードに検索すると、検索結果からデルタ株であることがわかる。国立感染症研究所のページ(https://www.niid.go.jp/niid/ja/2019-ncov/2502-idsc/iasr-in/10795-501c02.html)では「スパイクタンパク上にL452R変異を有し、懸念される変異株(variants of concern; VOC)に位置付けられる」という表現があり、VOCが日本語では「懸念される変異株」と呼ばれること、「スパイクタンパク上に◯◯変異を有し」などという表現が使われることも確認でき、専門家の表現を学ぶことができる。

large public gatheringsは、集会というよりもイベントに相当する(大規模感染が発生した土地と時期を調べることで判明)。訳文では「複数のイベント」と表記することで、原文の情報が伝わりやすくなる。日本語は単複の概念が曖昧な言語であるが、必要に応じて言葉を補うことで、数に関する正確な情報を伝えることができる。

B.1.617.2 variant infections  ここも「複数発生」訳す手があるが、日本語でいう「複数」とこの文脈が合うか考えよう。文献10(全文が無料で閲覧可能)によれば、サマーイベント関連で発生した感染者は426人、うち遺伝子検査でデルタ株が確認されたのが133人なので、「複数」で感じられる数よりかなり多い。「感染例が多数発生」とすれば、原文の意味が通りやすい。このような「数の管理」も翻訳者の重要な仕事である。

第二文:

Public health departments identified primary and secondary cases by using coronavirus disease surveillance data, case investigations, and contact tracing.

公衆衛生当局がCOVID-19のサーベイランスデータを参照し、症例調査や接触者追跡を行い、一次感染例と二次感染例を特定した。

日本での報告や報道でよく使われた表現を使って訳そう。

第三文:

A primary case was defined as SARS-CoV-2 detected <14 days after travel to or residence in Provincetown during July 3–17.

一次感染例とは、7月3~17日にプロヴィンスタウンに滞在し、その後14日以内の期間にSARS-CoV-2が検出された住民または旅行者とした。

第四文:

A secondary case was defined as SARS-CoV-2 detected <14 days after close contact with a person who had a primary case but without travel to or residence in Provincetown during July 3–August 10.

二次感染例とは、一次感染例との濃厚接触後14日以内にSARS-CoV-2が検出されたが、7月3日から8月10日の期間にプロヴィンスタウンに滞在していなかった感染例と定義した。

抄録は語数が限られているため読みづらくなっている文章が多いが、そういうときは本文に同様の情報が詳細に示されている箇所があるので、そこを探して読む。”A secondary case was detection of SARS-CoV-2 RNA or antigen in a respiratory specimen from a person without history of travel to or residence in Provincetown during July 3–August 10 that was collected <14 days after close contact (within 6 feet for a cumulative total of >15 minutes within a 24-hour period) with a person who had a primary case during their infectious period.”が該当する。関係代名詞の箇所は読みづらいかもしれないが、that was collectedの先行詞は単数で、collectと対応する表現でなければならないので、a respiratory specimenが先行詞であることがわかる。

第五文:

We identified 1,098 primary cases and 30 secondary cases associated with 26 primary cases among fully and non–fully vaccinated persons.

一次感染例を1,098例特定し、このうち26例に関連する二次感染例を30例特定した。一次感染例、二次感染例ともに、ワクチン接種完了後の人々が含まれていた。

30例とはどのくらいか? あまりにも少ないので本文の該当箇所を調べると、この調査では30人しか見つけられなかったということが判明する。(30人しか出なかったという理解で訳してしまうと、どこかで矛盾が生じてしまうので注意)

事前課題の他の訳出箇所について(説明事項のポイントのみ)

◎Introductionの記載は、各項目の最後に(1, 2)といった形で引用文献が示されている。よって、その部分で切ることが可能で、さらに内容に曖昧な点があればカッコ内の引用文献を検索すれば答えを見つけることができる。

よって、どんなに長い文でも、文献番号の箇所で切り、項目を一つずつ翻訳していけばよい。

◎“vaccines approved or authorized in the United States”について

なぜapproved or authorized と記載されているのかに注目。背景として、米国の医療制度におけるEUA(emergency use authorization、緊急使用許可)の存在がある。米国では、COVID-19の対策として、EUA制度を用いて治療薬やワクチンの使用を許可した。正式な承認(approval)とは別の枠になるため、approved or authorizedという表記になっていると考えられる。ここでひとまとめに「承認」と訳すと誤りなので注意。

◎“reverse transcription PCR cycle threshold values”について

  • PCRとはpolymerase chain reactionの略。 reverse transcription PCRは逆転写ポリメラーゼ連鎖反応となるが、日本語ではRT-PCRという略語の方が通じるため「RT-PCR」の表記は必ず入れる。PCRやDNAなど、日本語では略語のほうがはるかに通じる用語も多い。Google検索して使用状況を確認しよう。
  • Transcription(転写)とはDNAからRNAを合成することで、reverse transcription(逆転写)とはRNAからDNAを合成すること。
  • PCRは特定の配列のDNAの有無を調べる検査で、新型コロナウイルスはRNAウイルスであることからRNAからDNAを合成しなければならない。逆転写して(DNAにして)からPCR検査にかけることをreverse transcription PCRという。
  • cycle thresholdsは、日本語ではCt値と表記されることが多い。訳例でCt値(陽性判定時の増幅サイクル数)としたのは、この値は「Ct値」として広く知られており、他の表現では伝わらないおそれがあるため。
  • Thresholdは「ここまできたら陽性と判定する」というレベルのこと、Ct値は陽性判定が出るまでに要したコピー回数のこと。

 ⇒ PCR検査ではコピー作業が繰り返され、試料中に対象となるDNA配列があれば、コピーのたびにその部分のDNAがねずみ算式に増える。検査原理を知りたい人は、Googleの画像検索のページで[PCR検査 原理]を検索すると様々なイラストが表示されるので、わかりやすいそうなサイトを見にいってみよう。用語集は、タカラバイオの「遺伝子検査用語集」(https://www.takara-bio.co.jp/research/kensa/pdfs/kensa_40.pdf)などがあるので、活用したい。

その他の注意点

◎英語では同じ単語の連呼を嫌い、違う表現を用いる傾向がある

本文の例では、”the amount of virus in a sample”と”viral load”など。これらは同じものを指すので、違う言葉で訳してしまうと意味が通りづらくなる。言い換えは避けよう。日本語には同じ言葉の繰り返しを避けなければならないという縛りがなく、日本語でむやみに言い換えると「同じもの」と気づきづらい。

◎英文で情報が出てくる順番にできるだけ合わせる

情報の塊を、できるだけ英語と同じ順番で日本語にするほうが翻訳者として作業しやすいのみならず、読者にも通じやすいものとなる。(単語の出てくる順序が違うのは日本語と英語の性質上仕方が無いが、情報の出る順序を合わせることはできる)

おすすめ参考資料

疫学

「オッズ比」や「症例対照研究」などの疫学の基本用語を把握しておこう。

統計の基礎

統計は何のために行うのか、何を比べているのか、統計から何がわかるのかなどの基本的な知識を身に付けておきたい。

事前質問への回答より

用語集についての質問

翻訳支援ツールを用語集・表現集として活用している。必要なものは登録しておけばいつでも取り出して使用することができるのがメリットである。さらに原文と訳文のセットも自動で登録されることから、翻訳作業時に以前と同じ文や類似する文を活用して作業を省力化できる。(注記:翻訳ツールは、文字列を検索する形で過去のデータを参照している)

助動詞を正確に訳すポイントは?

英語の各助動詞の表す可能性の強さを確認しよう。おすすめの情報源:

その他

調べて確認して訳す方法を紹介すると、そんなに調べなければできないのか、時間がなくてとてもできないという質問をよく受ける。原文の解釈が難しいとき、単語の意味がわからないときは、論文中の他の部分を参照し、参考文献を参照して確認すれば解決することが多い。慣れればごく短時間でできるし、辞書を見ながらあれこれ悩むよりよほど早く解決する。医薬翻訳者には欠かせないステップであるし、この技術が上がれば訳文の質も必ず上がるので、ぜひ励んでほしい。

講演後の質疑応答より

AI翻訳の活用も進んでおり、この技術が省力化につながる文書も多いが、現段階では人力フリーで仕上がる技術ではなく、正確で読みやすい文章に仕上げられる人の需要は大きいとのこと。特に気になったのは、人間のパワーが必要とされるような内容という言葉だった。分かりやすく書くための配慮が求められたり、ほめたり問題を指摘したりといった読み手の感情に訴える書き方は需要があるということだ。そういう意味ではライターの方のお仕事に近づいている面もあるかもしれないとおっしゃっている。

報告者から(復習と感想)

森口先生のセミナーでは、検索のタームの入れ方など細かな点でも重要なヒントが満載であった。ご紹介しきれないのが残念である。

中でも、使いづらい用語については複数の検索をし、検討してから訳語を決めているところが大変勉強になった。個人的には、気を付けていないと、簡単に済ませたいからか、どうしても自分に都合のよい情報を見つけて次に進みたくなってしまう。安易な検索の結果ニュアンスの違うものを採用したら翻訳は間違った方向に行ってしまう。

日本語の訳例や訳語を見るとその概念で頭がいっぱいになって、その概念を訳文にあてはめようとしてしまうという説明にも恐ろしくなった。たしかに和訳でそれらしいものを見つけるとこの訳が正しいという気持ちになりがちである。それで問題が起こらなかったのは、分野の違いがあったりたまたま正しい情報を選択しやすかったりしただけのようだ。先生が、英英辞典をひきましょうとおっしゃったことを肝に銘じたい。

そうした内容は、医薬翻訳の学習者のみならず、他の分野で翻訳の実務をしている人にとっても貴重なヒント・反省材料となる。

翻訳支援(CAT)ツールも活用されていることもお話しになった。

※ 森口先生による追加情報:Trados、MemoQ、Déjà Vu X3などの有料のCATツールは、個人翻訳者用であれば数万円程度。無料のツールもある(参考)。

翻訳会社が自社で採用したCATツールに原文を入力した状態で外注、翻訳者や校閲者が同じツール(オンラインアプリの場合もあり)で作業するところも多い。ツールを活用すると、以前にインプットした内容をそのまま活用できることで、学習と経験の効果的な活用ができるし、同じ会社やプロジェクトの案件について用語や表現の統一をしたり、同じ用語を含むカラムの検索をしたりということが可能となるとのことだ。会社やプロジェクトによって選択して使用することも、使用後の削除等もできる。翻訳のお仕事をする人にとってはやはり活用を検討したいものかもしれない。

COVID-19をめぐり、日本のみならず各国の対応が否応なく目に入ってきた。今回のセミナーでは米国とEUと日本での比較表をもとにした解説があり米国のEUA(emergency use authorization) (上述)のほか、欧州のconditional marketing authorization(条件付き販売承認)というシステムがあること、そして日本でも通常の承認のほか、「条件付き承認」や「特例承認」があること(新型コロナワクチンは特例承認を受けている)がわかった。ニュースになるような(国内および海外の)感染者数の増加やワクチンの供給および接種の進捗状況のみならず、各国の承認の制度等の背後にあるものを知ることはとても重要だと痛感した。

パンデミックのような世界規模の医療問題への取り組みにおける医薬翻訳者の役割は、(表には見えづらくとも)実はとても大きいのではないだろうか。日本で一般にニュースで伝えられる情報は、海外を含めた様々なケースを凝縮したものである。その大元となる英語論文を正確に読みとり、日本語として誤解のない表現に直すのが医薬翻訳者である。

森口先生の今回のレッスンでは正しく読みとくための知識や、日本語にするときのテクニックがあることを学んだ。またわからなければ引用論文を参照する必要があることも学んだ。翻訳者としての責任も大きいということだろう。

なんといっても、今回の事前課題の論文を読んでデルタ株の感染拡大が発見された背景がわかった。このような医療の最先端の内容に日々ふれられるのが、医薬翻訳ならではの大きな魅力だろう。

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