「私の翻訳者デビュー」井口耕二さん編

第1回:翻訳者としての基礎をつちかった小中高時代

翻訳者になったきっかけは人それぞれ。なぜ翻訳者になったのか、翻訳者になるには――。
同業者も翻訳者をめざしている人も、第一線で活躍する翻訳者がどういう道のりでデビューしたのかは、気になるところではないでしょうか。
スティーブ・ジョブズ関連書など数多くの出版翻訳や実務翻訳をてがけている井口耕二さんの「私の翻訳者デビュー」を、松本佳月さんが主宰する You Tube「Kazuki Channel」からインタビュー記事にまとめて、長期連載で紹介します。
(インタビュアー:松本佳月さん・齊藤貴昭さん)

デビュー当時はハンドルネームを使用

松本:まず初めに、井口耕二さんのことを、Buckeye(バッカイ)さんと呼ばせていただいていますが、なぜ Buckeye さんと呼ばれているのでしょうか。

井口:Buckeye というのは、翻訳フォーラムに入ったときに決めたハンドルネームです。翻訳フォーラムに入った時点で私は会社員だったので、実名でやるのはちょっと良くないというのもあって、ハンドルネームを決めました。だいぶ悩んだのですが、留学が翻訳者になれた要因の一つだったこともあって、留学先のオハイオ州にちなんだ名前、Buckeye にしました。Buckeye とは、オハイオ州の州木であるトチノキのことです。

Buckeye の実(左)と日本のトチの実(右)

私が留学していたのはオハイオ州立大学(OSU)なんですけど、ここのスポーツチームはすべて Buckeyes というチーム名で、たとえばアメリカンフットボールの試合でハーフタイムの応援に出てくるマスコットも、buckeye の実が頭になっています。また大学の周りには、Buckeye Donuts とか Buckeye Audio とか、Buckeye という名前の付いた店が山のようにありました。

そういうわけで、私はハンドルネームも Buckeye なら法人名にも Buckeye と付けています。メールアドレスも buckeye になっているので、名刺を見たアメリカ人などから「君、OSU と関係ないよね?」などと問われ、「卒業生です」と答えると、えっ!と驚かれたりします。

松本:初めて聞きました。私が初めてお会いしたのは、翻訳フォーラムで、ちょうどBuckeye さんが骨折されていて腕を吊った状態で講演されたときでした。

井口:4、5年前ですね。

松本:そのときに、みなさんから Buckeye さんと呼ばれていて、Buckeyeさんって何だろうとずっと思っていました。お知り合いになってからも勝手に Buckeye さんと呼ばせていただいていますが、B から始まっているので、世界選手権に出場されるほど打ち込んでいらっしゃる自転車競技に関連して bicycle が由来なのかなと思っていました。

井口:自転車はつい最近ですから。

松本:そうなんですね。すっきりしました。ありがとうございます。

井口:フォーラムでも Buckeye でしたし、翻訳関係の雑誌でも最初のころは Buckeye で出ていて、実名が出
ていませんでした。まだ会社員でしたから。だから、専業になって実名で活動するようになったとき、しばらく話をした後に、「もしかして、Buckeye さんですか?」と言われたりしました。井口よりも Buckeye のほうが知られていたんです。

自転車ロードレースを走る

松本:じゃあ今日も遠慮なく Buckeye さんと呼ばせていただきますね。

井口:はい。家族も含めて、もうこの名前で通っていますので。うちに電話して「Buckeye さんいますか?」と言ったら、取り次いでくれますよ。

二足のわらじを脱いで専業へ

松本:今日は「私の翻訳者デビュー」というテーマで、井口耕二さんがどうやって翻訳者になられたかという話を中心にうかがいたいと思います。

井口:もともと翻訳者になるつもりはありませんでした。それがなぜなってしまったかというと、会社員のときに業務の関係で翻訳を発注したんです。そうしたらボロボロなのがあがってきまして。

松本:ありがちですね。

井口:はい。それで、翻訳会社の営業さんを呼んでさんざん文句を言っていたら、「これだったら自分でやったほうがましだ」と、よくあるセリフが出たんですよ。そうしたら営業の人から「やってみますか?」と言われて。たんか切った手前、できませんとも言えず、やってやろうじゃないか、みたいな感じで。

松本:そのときはエンジニアだったんですか?

井口:そうですね。会社の中でエンジニアからビジネス系の業務に移ったころでした。そういう成りゆきでいきなり翻訳の仕事をスタートしてしまったというわけです。その後、会社員を辞めて二足のわらじから専業になったのは、子どもが生まれて、子育てに必要な時間的やりくりを家庭内でつけようということになったのがきっかけです。うちは共働きで、夫婦二人とも組織勤めだと時間的にどうしても無理があります。いろいろと検討した結果、私のほうがフリーランスという形になりました。

日本語力をつちかった読書

井口:そもそもを考えてみると、スタートは小学校時代でしょうか。小学生のときから、日本語ですけど本が大好きだったんです。少年探偵団とかアルセーヌ・ルパンとかシャーロック・ホームズとかを学校の図書館で借りてバンバン読んでいました。小学校の後半は図書委員をやっていたんですが、それもその関係です。けっこう委員に選ばれることが多くなって、だったら自分がやりたい図書委員をやりますと手を挙げました。図書委員なら好きなときに貸し出しや返却の手続きができてしまいますから。朝、昼、放課後と一日 3 冊借りていたこともあります。朝借りて、昼休みに返してまた借りて、放課後に返して、1 冊借りて家に持って帰る。

松本:学校ですでに 2 冊読んでいたということですか。

井口:そうです。いつ読んでいたんでしょうね。

工作に打ち込む後ろの本棚には『ナルニア国物語』が並んでいる

松本:へえー。

井口:あと、親が本はわりとよく買ってくれていました。『ナルニア国物語』が大好きで、県立図書館でくり返し借りていたことがあります。6冊ぐらいのセットを借りては返して、また借りてくる。あんまり何度も借りてくるものだから、親が買ってくれました。それから早川書房の SF 文庫。やはり理系なので SF ものが大好きで、いろいろ買っていました。いま思い出すのは「レンズマン」のシリーズ。それに火星ものや金星もの、地底世界シリーズなど、いまで言うファンタジー系をよく読みました。そんな調子で山のように本を読んでいたので、日本語の基礎はこのころにできたのかなという気がします。

「英語は英語のまま理解せよ」

井口:英語は中学に入ってからになります。スタートはちょっと変わっていて、中学で英語が始まる時期から、近所のお母さんに教えてもらいました。そのお宅はご夫婦ともアメリカ留学からそのままアメリカで研究者をされた方で、現地で知り合って結婚し、日本に帰国したご家族でした。そちらのお母さんに私と姉が英語を教えてもらい、そちらのお子さんにうちの母が数学を教えるという、いわばバーター家庭教師だったらしいです。そこで英語を教えてもらって、その方から「英語は英語のまま理解しなさい」と言われました。英語を使っている人たちは英語のままでやっているんだからと。

松本:日本語を介さないということですね。

井口:そういうことですね。それから辞書は、「まっとうなものを使いなさい。ちゃんと読みなさい」と言われて、お勧めだという旺文社の ESSENTIAL(エッセンシャル)辞書を買って中1のときからずっと使いました。実は翻訳の仕事を始めたときも手元にあった辞書は、この ESSENTIAL 英和辞典中型版 1 冊という状態でした。いわゆる学習辞書でなく普通の中辞典なので、大人になっても使えるということですね。

スケートに熱中した中学時代

井口:中学のときは、夏は基本的に水泳部で泳いで、冬はフィギュアスケートをやっていました。

松本:フィギュアスケートも中学から始められたんですか。

井口:小学校 3 年生のときにスピードスケートを始めて、5 年生でフィギュアに転向しています。

松本:ちなみに Buckeye さんはどちらの出身なんですか。

井口:出身は福岡です。

松本:北国じゃないんですね。

井口:スケートを始めたのは栃木の宇都宮です。親が転勤族で、生まれたときからずっと 2 年ごとぐらいに引っ越していたので。小学校にあがるときから関東です。

中学時代

松本:なるほど。

井口:中学から大学までは部活漬けでした。中学のときは、冬はスケートが中心だったので、夏だけやれる部活ということで夏は水泳部でした。水泳をやりたかったというよりは、夏だけやって冬はさぼっても問題ないもの。チーム競技はみんなに迷惑がかかるじゃないですか。だから個人競技で、しかも冬にシーズンがかぶらないもの。水泳部なら冬は、「すいません、スケートのほうがありますから」と全然出ていかなくても許されたんです。

松本:しかもスケートのための体力づくりにもなりますね。

井口:そうです。上体にも筋肉がついてしまうのでフィギュアスケート向きではないと言われていたのですが、体を動かさないよりはいいだろうということで。あとは将棋が好きで友だちとよく指していたり、エレクトロニクス系の物づくりが趣味で、あれこれ作って遊んでいたり。鉄道模型も好きでした。

松本:多趣味ですね。

井口:学校の勉強をしている暇なんてないですよね。暇はないけど、成績はそれなりに取れていました。ただ、それ以上に学校の成績を上げようとか全然しないので、担任はかなり歯がゆかったみたいです。明らかに実力試験のほうが上にいって、定期試験になるとガクンと成績が下がるので、勉強してないだろうと。「定期試験は範囲が決まっているんだから勉強したらもっとできるはず」みたいなことを言われるんですけど、別にテストで点取りたいとは思わないし、みたいな。そんな風でしたね。

高校入試で寝落ちして

井口:中3のとき、最後の模擬試験で初めて学年トップになったんですが、担任に「遅かりし春だよな」と言われ、なんのことかわからず一瞬きょとんとした一幕もありました。高校は一応、県内で1番の進学校を受けています。うちの中学から毎年20人くらい行っていたので、10番以内に入っていれば何とかなるかなと。スケートは冬がシーズンですから、高校入試の直前まで練習していました。3、4日前の貸切練習も出た記憶があります。それで入試のとき、英語が始まった瞬間にどうも寝落ちしたらしくて。

松本:えっ、入試の日にですか。

井口:入試の真っ最中です。会場で、試験用紙を配られて、解答を書き始める前に気づいたら寝ていた。

齊藤:どういうことですか、それは。

井口:貸切練習とかやっていますから疲れていたんでしょうね。実は当時、栃木県では全部の県立高校が統一の入試問題でした。

松本:私のときもそうでした。

井口:ということは、いわゆる進学校だと合格の最低ラインがすごく上がります。5教科250点満点で230点取っていれば大丈夫かな、220点台だとちょっと微妙になってくる感じ。英語なんかは50点満点で、合格者の平均点が49.5点とか。

松本:その入学試験で寝落ちしちゃったんですよね。

井口:そう。目が覚めたときはさすがに冷や汗をかきました。まず見たのは時計。でも一瞬だったらしく、無事合格しました。

松本:そのときはもう、英語は得意な科目だったんですか?

井口:まあ、中学校の英語くらいはね。普通に成績は取れていました。

松本:好きな科目の一つだったという感じですか。

井口:そうですね。わりと好きでしたね。少なくとも嫌いじゃなかったです。数学とか理科のほうが好きなんですけど、英語はそれに続くくらいの感じ。社会とかは嫌いでしたけどね。

芽生えはじめた英語への想い

井口:高校は英語と数学が成績順にA、B、Cとクラス分けされていて、一応Aクラスにいましたが、英語の文法は全然頭に入っていませんでした。文法書は受験勉強のときを含めて10回以上は読もうとしたんですが、いつも途中で挫折していました。クラスの中でも、井口に文法を聞いてもダメ、全然わかってないくせになぜか英語全般の試験問題には正解するやつ、というのが友だちの評価でした。

松本:すごい、入試で寝落ちしてもトップクラスってすばらしいですね。

井口:いえいえ。高校の英語の試験も、文法的にどうかはよくわからないけど、何となくこうだという気がする、でけっこう当たる。得意だったのは長文読解です。長文になると、人間が言うことって英語でも日本語でもあんまり変わらないから、常識で何となくわかる。要するに日本語力で英語の試験を解いていたというパターンです。

松本:近所の奥さんに習っていたときに、英語で考えなさいと言われたことでも、感覚で正しいかどうかの判断力がつちかわれていたんじゃないでしょうか。

井口:たぶんそうだと思います。それから高校時代に、松本道弘さんの『速読の英語』という本を読んで、英語は英語のままで、という趣旨にやっぱりこれだよな、と思いました。そんなこんなもあって、英語の試験とかではなくて、もっと長いものを読みたいと思うようになっていきました。(次回に続く)

(「Kazuki Channel」2021/8/15 https://www.youtube.com/watch?v=1yf4SRF15Q4 より)

◎プロフィール
井口耕二(いのくち・こうじ)a.k.a. Buckeye
翻訳者(出版・実務)
1959 年生まれ。東京大学工学部卒業。オハイオ州立大学大学院修士課程修了。大学・大学院の専門は化学工学。大学卒業後は大手石油会社に就職、エンジニアとしてエネルギー利用技術の研究などをしていた。会社員と翻訳者の二足のわらじを経て 1998 年にフリーランスとして独立。守備範囲は医薬生物を除く工学全般およびビジネスの英日・日英。翻訳作業は自作の翻訳支援環境 SimplyTerms(公開)で行う。
2005 年からは出版翻訳も手がけている。翻訳フォーラム共同主宰。2002~2016 年 (社)日本翻訳連盟(JTF)理事。かつてはフィギュアスケートの選手(シングル、アイスダンス)で、現在は自転車ロードレースにはまっている。訳書に『スティーブ・ジョブズ』III(講談社、2011 年)、『スティーブ・ジョブズ 驚異のプレゼン』(日経 BP 社、2010 年)、『リーダーをめざす人の心得』(飛鳥新社、2012 年)、『PIXAR』(文響社、2019 年)、『ジェフ・ベゾス』(日経 BP 社、2022 年)など、著書に『実務翻訳を仕事にする』(宝島社、2001 年)、共著書に『できる翻訳者になるために プロフェッショナル 4 人が本気で教える 翻訳のレッスン』(講談社、2016 年)がある。

◎インタビュアープロフィール
松本佳月(まつもと・かづき)
日英翻訳者/JTF ジャーナル編集委員
インハウス英訳者として大手メーカー数社にて 13 年勤務した後、現在まで約 20 年間、フリーランスで日英翻訳をてがける。主に工業、IR、SDGs、その他ビジネス文書を英訳。著書に『好きな英語を追求していたら、日本人の私が日→英専門の翻訳者になっていた』(Kindle 版、2021 年)『翻訳者・松本佳月の「自分をゴキゲンにする」方法: パワフルに生きるためのヒント』(Kindle版、2022 年)。
齊藤貴昭(さいとう・たかあき)Terry Saito
翻訳者/日本翻訳連盟(JTF)理事
電子機器メーカーで 5 年間のアメリカ赴任を経験後、社内通訳翻訳に 5 年間従事。その後、翻訳会社にて翻訳事業運営をする傍ら、翻訳コーディネータ、翻訳チェッカー、翻訳者を 10 年経験。現在は、翻訳者としても活動。過去の翻訳祭では、製造業でつちかった品質保証の考え方を導入した「翻訳チェック」の講演など多数登壇。
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