「私の翻訳者デビュー」井口耕二さん編

第2回:スケートに明け暮れ、長い大学生活を経て就職

翻訳者になったきっかけは人それぞれ。なぜ翻訳者になったのか、翻訳者になるには――。
同業者も翻訳者をめざしている人も、第一線で活躍する翻訳者がどういう道のりでデビューしたのかは、気になるところではないでしょうか。
スティーブ・ジョブズ関連書など数多くの出版翻訳や実務翻訳をてがけている井口耕二さんの「私の翻訳者デビュー」を、松本佳月さんが主宰する You Tube「Kazuki Channel」からインタビュー記事にまとめて、長期連載で紹介します。
(インタビュアー:松本佳月さん・齊藤貴昭さん)

『ナルニア国物語』を原書で読破

井口:長文読解が得意だったこともあり、高校時代、もっと長いものを英語で読みたいと思うようになりました。それでまず、小学校時代に大好きだったシャーロック・ホームズのペーパーバックを読んでみました。でも、知らない単語が山のように出てくるんです。どうにもならなくて 1 時間に 1 ページくらいしか進まず、最初の数ページで挫折しました。

松本:ペーパーバックって特に読みにくいじゃないですか。字が小さくて。

井口:そうですね。とにかく、シャーロック・ホームズは単語が難しいんです。高校生がパラパラ読めるようなものじゃない。これはダメだ、どうしようかなと考えたときに、思い出したのが『ナルニア国物語』です。あれは大人も読める童話という位置づけの本ですし、お話も日本語でくり返し読んでいて、大きな流れは頭の中に入っているので、これだったらいけるだろうと。それで『ナルニア国物語』全7巻を英語のペーパーバックで、高校のときに読みました。

『ナルニア国物語』全7巻
なくしては買い直しをくり返して、写真は 3セット目か 4 セット目

井口:それから高校のときに、AFS の留学生試験を受け、不合格になりました。当時、栃木県からの枠はふたりという話でした。うちの高校のすごく英語ができるやつが受けていたので、彼がたぶんトップだろうと、2番手を狙ったんですけど、ダメだったんです。後から彼に聞いたところによると、どうやらどの県からも男女ひとりずつ選ばれていたようです。

AFS で留学したその彼のほか、留学生試験のときに知り合った仲間 4 人で、高 2 の 1 月か2 月に、休部中だった英語部を復活させました。全員 2 年生で、その後、3 月に 1 年生が 3人入部し、7人くらいで活動していました。留学した彼が部長で、私は副部長という位置づけでした。

四つの部活をかけもち

井口:ちなみに高校では、英語部を含め、四つの部活動をかけもちしていました。スケートは書類上、部をつくっていないとインターハイなどの大会に出られないので、一応、スケート部に所属。それから中学のときと同様、夏場だけの水泳部。それに放送部。これはアマチュア無線とパソコンをやるグループに分かれていました。当時、4ビットのパソコンというかマイコンというかが出たころでしたから。ちなみに私はアマチュア無線のほうをやっていました。

昼休みは放送部でお弁当を食べながら無線機をいじって、放課後になると、夏は水泳、冬はさっと帰ってスケート。土曜日に英語部の例会に出る。こんな具合でした。

松本:忙しいですね。

井口:はい。そんなわけで高校時代も勉強している暇なんかないんですよ。でも一応、授業はまじめに聞いていたせいか、成績はそこそこよくて、1 学年 300 人強の中で 10 位から 50位くらいの間をうろうろしていました。

高校 2 年から 3 年に進級する前の春休みは、スケートの全日本ジュニア選手権に出られる最後のチャンスだったので、ずっとリンクに泊まり込みで練習していました。4 月の初めに試合に出て、新学期が始まって何日かしてから登校したとき、まず友だちに聞いたのが、「俺、何組?」。

何組なのかがわかっても「それ、どこにあるの?」。3 年生は全部で 7 クラスあり、文系か理系かによって2階と3階に教室が分かれるのですが、その年の希望次第でどちらが3クラスでどちらが4クラスかが決まり、理系がどちらの階になっているのかわからなかったんです。

練習に励んだスケート。1978/79年の全日本フィギュアスケートジュニア選手権アイスダンスでは優勝を飾る。
数学より国語が得意?

井口:高2の春休みになると、さすがにみんな受験勉強を始めるんですが、その時期もスケートばかりやっていましたから、受験勉強以前に、数学の力がガックリ落ちてしまって。高3 の 4 月に校内で模擬試験をやったら、数学は平均点も取れませんでした。でも、英・数・国の 3 教科のうち英語と国語の成績はよかったので、廊下に張り出された成績上位者の末のほうに載ってしまったんです。それで、理系クラスの教室に向かっていると、文系の友だちから、「どこ行くの、こっちだろ」などとずいぶんからかわれました。数学がダメで英語と国語の成績がいいなら、当然文系だろう、ということで。

齊藤:そりゃそうですね。

井口:実は国語が、理系クラスの中でトップだったんです。それで古文漢文の先生に気に入られてしまって、授業中、誰かが答えられないと、「じゃあ、井口」と代わりによく指名されていました。私は国語の点数は現代国語で取っていて、古文漢文はまったくわからなくて完全に捨てていたので、あれは往生しました。

現国が強かったというのは、小学校時代から読書でつちかった国語力がもとになっていて、それは今も生きていると思います。

第2志望の東大に入学

井口:そんな状況で、高 3 のときは受験に向けて、とにかく数学をなんとかしなければと、受験勉強の6~7割は数学に費やしました。英語は、単語と熟語の暗記をちょっとやったくらいです。一応、文法もちゃんと勉強しようと思ったけれど、やっぱり挫折しました。

12 月くらいには一応、数学の成績が回復したんですけど、まだ不安がありました。また第1 志望は東工大だったんですが、東工大は数学の試験がちょっと特殊で、みんなかなり早くから東工大に向けて数学の勉強を始めるんです。私はといえば、12 月にやっと数学がなんとかというレベルにこぎつけたところで、もう間に合わないんですよ。私が受けたときの配点だと、数学 200 点、英語 100 点、理科 100 点。つまり数学を失敗したら終わりなんです。

松本:数学ありきなんですね。

井口:そう。数学ができる連中が集まるので、できるのは当然で、失敗したらまずアウトです。それで東工大はどうにも受かりそうにない、数学を多少ミスしても英語と理科で挽回可能なところ、ということで、東工大を諦めて東大を受けました。

松本:そういう理由で東大を選択するって、すごいですね。

井口:私はエンジニアになるつもりだったので、家では当然、理系に行くと思われていました。ただ、理系の私立大学はお金がかかるので、「国立大に行ったらスケート代も出してあげるけど、私大なら出ないからね」と言われていました。スケートを続けたかったので、国立の理系しかない。当時の一期校で、東京で、国立の理系というと、東工大と東大しかなくて。だから東工大がダメなら東大を受けるしかなかったんです。

松本:東工大がダメなら東大って……

井口:東大は、3科目とも同じ配点の 120 点満点で、数学を多少失敗しても英語と理科がよければ、なんとかなりましたから。

松本:多少失敗しても、というところがすごい。

井口:実際、入試のときの数学は半分くらいしかできませんでした。全6問中、4問解いて1 問は大間違いでしたから、たぶん3問分しか点数をもらえていない。

松本:でも、現役合格されたんですよね。

井口:はい。だから明らかに理科と英語で挽回しています。

松本:なるほど。

井口:数学は半分できたらギリギリなんとかなると思っていましたが、実際そんなところでした。

英語の論文が読めない

井口:そんなわけで東大に入りましたが、スケートがやりたくて行っているので、もう滑りまくりでした。

松本:スケートやりたくて東大! リンクはそれまで通っていたのと同じところで?

井口:いや、東京です。池袋をホームリンクにしていましたが、そこは夏場プールになってしまうので、夏は品川のリンクで練習していました。とにかくスケートに明け暮れていて、学校の勉強は全然しない。結局、駒場に6年、本郷 2 年、通算8年在学しました。

松本:へえ~。

井口:英語は完全にほっぽらかしで、大学に入ってからは何もしませんでした。一般教養の英語は、受験の余力で単位は取れたので、そのくらいで。卒論を書くときに英語の論文をたくさん渡されたら読めなくて、けっこう愕然としました。読めると思っていたので。

卒論はパソコンで書いています。ほかはみんな手書きだった時代に、うちの学科はパソコン導入が比較的早く、私の代くらいからパソコンで書くようになっていました。

松本:Windows のだいぶ前ですよね

井口:ずっと前です。MS-DOS で、「一太郎」がやっと出たころです。

齊藤:そのくらいの時代ですね。

井口:ちなみにこのときに、日本語入力は、この先ずっと使うだろうというので、かな入力に切り換えています。アルファベット入力は高校のときに、英文タイプライターで身につけているので問題なかったんですけど、日本語は卒論のときに一生懸命、かな入力を習得しました。それ以来、日本語はずっとかな入力です。

松本:その時点ではまだ、将来、翻訳者になるとは思っていなかったんですよね。

井口:まったく思っていませんでした。翻訳者になる瞬間まで思っていなかったですよ。なるつもりはなくてなっちゃったので。

8年間の大学生活を経て就職

井口:大学卒業後はスケートを仕事にするか、それとも企業に就職するか迷った末、やっぱりスケートで食べていくのは先々たいへんだろうということで、出光興産に就職しました。代替エネルギーをやりたくて研究室を選んでいたので、その専門関係の企業ということで。

出光興産は石油会社なんですけど、新燃料部に配属されました。新燃料部は、石炭と地熱とウラン、つまり石油以外の燃料を扱っていて、私は石炭関係の部署でした。

一般に新卒採用では、だいたい1浪1留くらいまでは OK なんです。2 浪でも 2 留でも、とにかく2年オーバーまでは許容範囲なんですけど、私は 4 年オーバーしているので、さすがに基本的には門前払いになるレベルです。実際、門前払いを食らったところが 1 カ所あった気がするんですが、出光はそういうこともなく役員面接に進みました。で、役員面接で、「大学で 8 年も何していたの?」「だいたい 8 年もいられるの?」という話になって。

松本:しかも東京大学に8年ですよね。

井口:東大だから 8 年いられたというのはあるんですけどね。制度的に問題があるということもあり、本人が続けると言えばわりと続けさせてくれるんです。

井口:大学って本来は 4 年間で、留年が 4 年できるのが普通ですが、東大は駒場と本郷で 2年ごとに分けてできるんです。私が駒場にいた6年の内訳は、本来が 2 年、留年分が 2 年、その後の 2 年は、書類上、休学扱いでした。休学届を書いて出せと言われて出したのに、なぜか授業料は払うし、授業は取れるし、試験も受けられるし、ちゃんと成績もつくというわけのわからないシステムなんですけど。

だから駒場は6年が限界のはずなのに、私よりも古い人がいるんですよ。学生証番号を見ると入学年次がわかるんですが、7 年 8 年、さらに 9 年も 10 年も駒場にいる人たちがいる。これはなにかというと、「本郷の前借り」をするんです。

松本:前借り?

井口:駒場の 6 年を全部使いきると、本郷の留年分 2 年の前借りが始まる。さらに本郷の休学分 2 年の前借りをして、合わせて 10 年で本郷に行けないと、除籍か中退かを選べと。

松本:最長 10 年いられるんですね。

井口:いた人がいますね。うちのクラスは私ともうひとり、最後に残っていたふたりが駒場6年で本郷に移って、クラス全員がいなくなりましたけど。もともと 3 人残っていたんですが、ひとりは5年めの終わりか6年めの初めに中退して、いなかに帰りました。

こんな話を役員面接で、聞かれるからいろいろと説明するじゃないですか。「なに、それ?」みたいな話で、えらい笑われまして。(次回に続く)

(「Kazuki Channel」2021/8/16 より)

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◎プロフィール
井口耕二(いのくち・こうじ)a.k.a. Buckeye
翻訳者(出版・実務)
1959 年生まれ。東京大学工学部卒業。オハイオ州立大学大学院修士課程修了。大学・大学院の専門は化学工学。大学卒業後は大手石油会社に就職、エンジニアとしてエネルギー利用技術の研究などをしていた。会社員と翻訳者の二足のわらじを経て 1998 年にフリーランスとして独立。守備範囲は医薬生物を除く工学全般およびビジネスの英日・日英。翻訳作業は自作の翻訳支援環境 SimplyTerms(公開)で行う。
2005 年からは出版翻訳も手がけている。翻訳フォーラム共同主宰。2002~2016 年 (社)日本翻訳連盟(JTF)理事。かつてはフィギュアスケートの選手(シングル、アイスダンス)で、現在は自転車ロードレースにはまっている。訳書に『スティーブ・ジョブズ』I、II(講談社、2011 年)、『スティーブ・ジョブズ 驚異のプレゼン』(日経 BP 社、2010 年)、『リーダーをめざす人の心得』(飛鳥新社、2012 年)、『PIXAR』(文響社、2019 年)、『ジェフ・ベゾス』(日経 BP 社、2022 年)など、著書に『実務翻訳を仕事にする』(宝島社、2001 年)、共著書に『できる翻訳者になるために プロフェッショナル 4 人が本気で教える 翻訳のレッスン』(講談社、2016 年)がある。

◎インタビュアープロフィール
松本佳月(まつもと・かづき)
日英翻訳者/JTF ジャーナル編集委員
インハウス英訳者として大手メーカー数社にて 13 年勤務した後、現在まで約 20 年間、フリーランスで日英翻訳をてがける。主に工業、IR、SDGs、その他ビジネス文書を英訳。著書に『好きな英語を追求していたら、日本人の私が日→英専門の翻訳者になっていた』(Kindle 版、2021 年)『翻訳者・松本佳月の「自分をゴキゲンにする」方法: パワフルに生きるためのヒント』(Kindle版、2022 年)。
齊藤貴昭(さいとう・たかあき)Terry Saito
翻訳者/日本翻訳連盟(JTF)理事
電子機器メーカーで 5 年間のアメリカ赴任を経験後、社内通訳翻訳に 5 年間従事。その後、翻訳会社にて翻訳事業運営をする傍ら、翻訳コーディネータ、翻訳チェッカー、翻訳者を 10 年経験。現在は、翻訳者としても活動。過去の翻訳祭では、製造業でつちかった品質保証の考え方を導入した「翻訳チェック」の講演など多数登壇。
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