「私の翻訳者デビュー」井口耕二さん編

第3回:会社からアメリカ留学、最初の3カ月は苦労の連続

スティーブ・ジョブズ関連書など数多くの出版翻訳や実務翻訳をてがけている井口耕二さんの「私の翻訳者デビュー」を、松本佳月さんが主宰するYou Tube「Kazuki Channel」からインタビュー記事にまとめて、長期連載で紹介します。
(インタビュアー:松本佳月さん・齊藤貴昭さん)

出光興産の新燃料部研究室に配属

井口:就職活動で出光興産の役員面接では、大学に8年も在籍したわけを聞かれて、いろいろと説明すると、「なに、それ!」と大笑いされました。面接会場を出て廊下を歩いていたら、人事の人から「君、中でなんの話をしていたの? 役員面接でこれだけ笑い声があがったのは初めてだよ」と不審がられたほどです。
ともかく役員面接も通って、出光興産に入社しました。一応、フィギアスケートで全日本選手権に出たりしていたので、ただ遊んでばかりいたわけでないという評価になったのかもしれません。実態としては、遊んでいたようなものなんですけどね。

松本:Buckeyeさんは遊んでいたとおっしゃいますけど、それは遊びではないような気がしますね。全日本に行くレベルって、遊びではできませんから。

井口:まあ、そうなんですけど、学生の本分からすると、ちょっと違うだろうと。それでもなんとか会社に滑り込み、4月に入社してから3カ月間の新入社員研修がありました。集合研修、1カ月半の工場勤務、さらに1カ月間のスタンド勤務を経て、7月に本配属されたのが新燃料部の新燃料研究室でした。この研究室は、所在地としては出光興産の中央研究所の中にありました。中央研究所は社内組織としては新燃料部などの事業部と同等で、中央研究所管轄の研究室もいろいろあるのですが、私が所属していたのは、新燃料部の直轄研究室です。ちなみに、中央研究所の敷地内に勤務しているのは基本的に修士か博士の社員で、学部卒で配属になったのは私で二人目だったそうです。

幸運だった留学のタイミング

井口:入社した年の7月1日に本配属になり、たしか9月に、「アメリカ留学に行く気はあるか」との打診がありました。これはいろいろなタイミングが重なって、すごく幸運だったんです。

実は、中央研究所管轄の研究室と事業部直轄の研究室は、位置づけが全然違うんです。新燃料部の直轄研究室はあとから新設されたもので、最初は規模も小さかったのが、だんだん人数も業務も増え、国内大学への留学なども出したりして、そろそろだれか海外留学に出そうかという話が出ていたころでした。同時に、今後新たに「流動層」の分野にも事業を広げようとしているタイミングだったんです。そしてそこに東大の研究室で流動層を卒論テーマにしていた私が入ってきたわけです。

松本:たしかにすごいタイミングですね。

井口:たぶん入社して数カ月は、「こいつ、アメリカに送っても大丈夫か」ということを見ていたんだろうと思います。もともとだれかを海外留学させようという話が出ていたところだったので、あいつを送ってしまえということになったらしいです。

齊藤:ラッキーですね、それは。

井口:ちなみに中央研究所もたくさん留学生を出しているんですけど、中央研究所のほうだといくつか条件があったんです。第一に、入社5年以上であること。それから、仕事で一定の成果をあげていること。そして結婚していること。海外に2年も3年も留学したら婚期を逃すかもしれないから既婚者じゃないとダメと。これらの条件に私は全部はずれていたんですけど、直轄研究室からの留学なので大丈夫だったんです。

TOEFLをクリアしてアメリカ留学へ

井口:9月に留学の話を打診されて、「行けるものなら行きたいです」と返事をしたら、「じゃあ、まずTOEFLの点数を取れ」と言われました。アメリカの大学院が留学生を受け入れる基準は、一般に、TOEFLの得点で文系は600点以上、理系は550点以上とされていました。留学時期は翌年の秋からということで、逆算すると年明けの1月か2月に受ける試験が最後で、受験チャンスは3回しかありませんでした。3回とも受けたのですが、1回目と2回目は点数が足りず、3回目が、今でも覚えていますが553点でした。

齊藤:ギリギリだ。

井口:ほんとにギリギリです。留学の話が出てからは必死になって、昔覚えた単語や熟語を勉強しなおしたり、通勤時にラジオやテープを聞きながら歩いたりして、なんとかつじつまを合わせた格好です。そして5月のアメリカ出張の際に、研究室長と一緒に大学めぐりをして留学先を選定しました。当時、アメリカの大学で流動層関係をやっていたのが、ペンシルバニア州立大、オハイオ州立大、ユタ州立大の3校でした。そのうちユタはTOEFL600点以上が条件ということでアウト。ペンシルバニアとオハイオには、来るなら歓迎するよと言ってもらえて、どちらにしようか考えた末、新燃料研究室とそれまで関係がなかったところがいいだろうとオハイオ州立大学(OSU)に留学先が決まりました。

相手の話が聞き取れない

井口:入社2年目の1987年9月から2年間、留学したんですが、アメリカへ行った当初は相手の言っていることが聞き取れず、たいへんでした。とにかくヒヤリングがどうにもならない。日本人は読み書きはそれなりでも、聞く話す、特に「聞く」ができないとよく言われますが、本当にそうで。いまだに覚えているのが、電話の契約です。

松本:最初の難関ですね。

井口:電話契約に2時間くらいかかりました。ガスの契約も1時間くらいかかった気がします。

松本:それはどうやって申し込むんですか?

井口:電話で申し込むんです。

松本:電話で電話の契約をするんですね。

オハイオ州立大学(Robert Chriss, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons)

井口:そうそう。対面でもなかなか聞き取れないのに、電話だとさらにたいへんで。みんな最初にこれで苦労するんです。後日の笑い話ですが、留学生仲間で「たいへんだったよね」という話をしていたら、電話で契約するのがいやで電話局まで行ったという人がいました。場所を調べ、バスに乗って、苦労して電話局に着き、入口の受付で「電話の申し込みに来た」と告げたら、「じゃあ、ここを入って、右に曲がって……そこに部屋があるから壁の受話器を取れ」と。苦労してわざわざ電話局まで行って、結局、電話をかけさせられたそうです。

松本:受付の人はやってくれないんですね。

井口:受付はあくまで受付ですから。

松本:でもその儀式を通らないと生活できないですからね。

井口:そうなんですよ。

松本:Buckeyeさんが留学したのは1987年ですよね。私も1987年から2年間、アメリカにいたんですよ。

井口:えっ、どこに?

松本:カリフォルニア州のサクラメントに2年住んでいて、1989年に帰国しました。そのころ、たしか1ドル260円くらいじゃなかったですか。

井口:そう、ドルが高かった。

齊藤:すごく高かったですよね。

松本:みんな同じ道を通っているんですね。

井口:でもカリフォルニアなら、そこそこ日本人がいますよね。

松本:いるんですけど、私は英語をしゃべれるようになりたいから、日本人とからんじゃいけないと思って、最初のころはずっと”I’m Chinese.”で通していたんです。

齊藤:それは正しいですね。

松本:最初にアメリカの空港に着いたとき、私の荷物が届かなかったんですよ。どこか違う国に行っちゃったみたいで。そのときに空港スタッフが何を言っているかわからなくて。必死で荷物が届いていないと訴えて、今後どうすればいいかという話を理解するのに、それこそ1時間くらいかかりました。あとで、ステイしていた友人の家に送ってきてくれましたけど。Buckeyeさんは、OSUでは寮に入っていたんですか。

井口:いえ、部屋代は会社持ちで、アパートを借りていました。大学まで高速も使って車で20~30分のところですから、けっこう離れていましたね。

コロンバスにある OSU キャンパス (Another Believer, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons)

松本:国際免許を取っていかれたんですね。

井口:はい。アメリカで切り換えましたけど。

松本:あれは1年ごとに更新ですからね。

井口:そうですね。OSUのキャンパスは、オハイオ州の州都コロンバスの北側にあるんですが、そのさらに北にホンダの大きな工場があるんです。私が住んでいたのはホンダの人たちの南限と、OSU関係の人たちの北限がちょっとかぶっているエリアでした。アパートを借りるときには、OSUの研究室にいたポストドクターの日本人に車であちこち連れていってもらいました。

20単位取得のために猛勉強

井口:留学1年目の最初のクォーターは、20単位取っていました。授業が始まる前の履修ガイダンスで、必修とか選択必修とか卒業のためにはどうとか説明があり、「フルタイムの学生は12単位取ること、取れなかったら国外退去になる」と脅されたので、万一12単位のうちどれかドロップすると足りなくなるから1コマ追加して、まず15単位登録したんです。ところが、いろいろな説明が全部終わった後に、「君は留学生だから、additionalで英語を取らなきゃいけないからね」と言われて。英語のライティングクラスを修了しないと論文を書かせてもらえないんです。だから15単位プラス英語のクラスを登録しろと。
その英語のクラスは最初にプレイスメントテストがあって、3段階のレベルに振り分けられるんですが、それがどういう試験なのかまったくわかっていませんでした。

松本:ライティングのテストなんですね。

井口:はい。テーマが与えられて、それについて何か書けということなんですけど、すごく漠然としたテーマなんです。どのくらい英語が書けるかをみるための試験ですから、ポイントを絞って書けばよかったのに、それがわかっていなくて。テーマ全体をなんとかしようとするものだから全然まとまらず、ボロボロなことになって、一番下のクラスに入れられました。一番下のクラスは毎日授業があって5単位。ということで合計20単位取っていました。

松本:たいへんですね。

井口:今も付き合いがあるアメリカ人の友だちに、「何単位取ってるの?」と聞かれて、「Twenty」と答えたら、「えっ、twelveだろ」と聞き返されました。いや、two-zeroのtwentyだと言ったら、「会社との契約で20単位取らないといけないのか? 俺たちアメリカ人が12単位でたいへんなのに、英語ができないんだからもっとたいへんだろう」と驚かれました。実は、英語クラス込みで12単位取っていればよかったんです。

留学先のオハイオ州立大学の院生・ポスドクの面々で送別会(井口氏提供)

齊藤:そうだったんですか?

井口:そうなんですけど、「additionalで」って最後に言うんだもの。そのときに「英語も含まれるんですか」と聞いたほうがいいとか、そこまで頭が回らなかったんです。理解するだけで必死だったので。実は英語込みで12単位でよかったし、単位取得に不安があるなら教授に頼んで、研究室関係で若干単位をつけてもらうことも可能だったらしいんですよ。

松本:いろいろ手はあったんですね。

井口:そうなんですけど、そういう情報が得られるほど英語ができないから、結局苦労することになって。

松本:わかります。

井口:だから最初のクォーターは、だいたい夜中の2時まで勉強して、朝は6時に起きていました。

松本:授業で本もどっさり読まされますもんね。

井口:講義のときに必死に聞いていれば、自分の専門分野なので、先生がしゃべっている内容はわかるんです。でもノートは白紙状態。

松本:聞いているだけだから。

井口:そう。板書されたものを読んでノートに書き写すと、先生の声は全部抜けてしまって。

松本:書くことに集中してしまうから、ということですね。

井口:そうなんです。頭の一部を使った瞬間に、耳のほうは音が全部、右から左に抜けていってしまう。何をやったか記録がないと困るので、結局、板書だけ書き写して、家に帰って参考書を読みながら課題をこなす。とにかく何をやるのも英語だから時間がかかって、夜2時くらいまで勉強して、床について、朝6時に起きてまた宿題を始めて、という生活でした。(次回に続く)

(「Kazuki Channel」2021/8/17 より)

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◎プロフィール
井口耕二(いのくち・こうじ)a.k.a. Buckeye
翻訳者(出版・実務)
1959 年生まれ。東京大学工学部卒業。オハイオ州立大学大学院修士課程修了。大学・大学院の専門は化学工学。大学卒業後は大手石油会社に就職、エンジニアとしてエネルギー利用技術の研究などをしていた。会社員と翻訳者の二足のわらじを経て 1998 年にフリーランスとして独立。守備範囲は医薬生物を除く工学全般およびビジネスの英日・日英。翻訳作業は自作の翻訳支援環境 SimplyTerms(公開)で行う。
2005 年からは出版翻訳も手がけている。翻訳フォーラム共同主宰。2002~2016 年 (社)日本翻訳連盟(JTF)理事。かつてはフィギュアスケートの選手(シングル、アイスダンス)で、現在は自転車ロードレースにはまっている。訳書に『スティーブ・ジョブズ』I、II(講談社、2011 年)、『スティーブ・ジョブズ 驚異のプレゼン』(日経 BP 社、2010 年)、『リーダーをめざす人の心得』(飛鳥新社、2012 年)、『PIXAR』(文響社、2019 年)、『ジェフ・ベゾス』(日経 BP 社、2022 年)など、著書に『実務翻訳を仕事にする』(宝島社、2001 年)、共著書に『できる翻訳者になるために プロフェッショナル 4 人が本気で教える 翻訳のレッスン』(講談社、2016 年)がある。

◎インタビュアープロフィール
松本佳月(まつもと・かづき)
日英翻訳者/JTF ジャーナル編集委員
インハウス英訳者として大手メーカー数社にて 13 年勤務した後、現在まで約 20 年間、フリーランスで日英翻訳をてがける。主に工業、IR、SDGs、その他ビジネス文書を英訳。著書に『好きな英語を追求していたら、日本人の私が日→英専門の翻訳者になっていた』(Kindle 版、2021 年)『翻訳者・松本佳月の「自分をゴキゲンにする」方法: パワフルに生きるためのヒント』(Kindle版、2022 年)。
齊藤貴昭(さいとう・たかあき)Terry Saito
翻訳者/日本翻訳連盟(JTF)理事
電子機器メーカーで 5 年間のアメリカ赴任を経験後、社内通訳翻訳に 5 年間従事。その後、翻訳会社にて翻訳事業運営をする傍ら、翻訳コーディネータ、翻訳チェッカー、翻訳者を 10 年経験。現在は、翻訳者としても活動。過去の翻訳祭では、製造業でつちかった品質保証の考え方を導入した「翻訳チェック」の講演など多数登壇。

※本連載における断りのない写真はすべて井口氏にご提供いただきました。

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