日本翻訳連盟(JTF)

新しい翻訳英文法:訳し上げから順送りの訳へ(1)

講演者:MITIS 水野翻訳通訳研究所 Director 水野 的さん

本特集では、日本翻訳連盟主催の翻訳祭やセミナーから選りすぐった講演の抄録をお届けします。今回から、MITIS 水野翻訳通訳研究所 Director の水野的さんの表題の講演を 3 回に分けて紹介します。

●はじめに

日本の翻訳法や訳読法に対しては長い間、「翻訳調」とか「訳し上げ」という批判がありました。こうした批判に応える形で様々な提案がなされてきました。その中で最も有望なのが「順送りの訳」と言われる手法です。


順送りの手法は古くは明治時代からあり、現在まで多くの研究者や翻訳者が主張してきましたが、そのほとんどは「翻訳方略」のレベルにとどまり、理論的な裏づけを欠いています。


本講演では、順送りの訳を談話構造、情報構造、作動記憶の理論によって裏づけ、翻訳研究(Translation Studies)に基づく新たな「翻訳英文法」を提案します。


具体的には情報構造の基本概念を説明したうえで、制限的関係詞節、分裂文(強調構文)、主節の(従属節に対しての)「格下げ」という、順送りの訳の主要な方法を紹介します。理論的に裏づけられた順送りの訳は、翻訳者に単なる「翻訳方略」にとどまらない確固たる翻訳の指針を提供することができると考えます。

●翻訳調をいかに克服するか

まず、「翻訳調」の問題から入ります。柳父章先生(やなぶ・あきら、1928~2018)の翻訳学には、カセット効果を含む訳語論や日本語論、歴史的考察などいろいろな要素がありますが、私は柳父翻訳学の可能性の一つとして、「翻訳調日本語の検討から翻訳法の再検討へ」という道がありえたのではないか、そして、その可能性を引き延ばしてみることが我々の課題であろうと考えています。

この課題はまた、早世した山岡洋一さん(1949~2011)の課題でもありました。山岡さんはこう言っていました。

「昔ながらの翻訳調の翻訳はいまでは受け入れがたい。新しい翻訳が必要になっている。翻訳調の翻訳によって切り開かれてきた道をもっとうまく利用して、日本語で原著の論理を伝えるようにしなければならない」1

柳父は『比較日本語論』という著書2の中で、翻訳調を「翻訳文の特徴」と規定して、「伝統的な日本文の形からははずれている」文だと言います。また、次のように言っています。


「関係代名詞に導かれる clause は、制限的用法のときは、日本文の連体修飾句で置き換える。それは、私たちが英語の授業で、英文和訳を教わって以来の公式である。」


そして柳父は、翻訳文では連体修飾句が多すぎるし、長すぎる。そのような連体修飾句を使って作られる「文」は「私たちの頭脳の構造に適していない」、「日本語国民の頭脳の動きが、このような文の語順にのっとって働いていない」とも言っています。

柳父は、連体修飾句が長く多い翻訳文のわかりにくさを示すために、J.S.ミルの『自由論』から次の例を挙げて、自分の翻訳を添えています。

【原文】What I contend for is, that the inconveniences which are strictly inseparable from the unfavourable judgment of others, are the only ones to which a person should ever be subjected for that portion of his conduct and character which concerns his own good, but which does not affect the interest of others in their relations with him. (On Liberty)

【柳父訳】私が言いたいのはこうである。すなわち、他人から受ける悪評と固く結びついて離(はな)ち難い迷惑は、人が、彼じしんの幸福には影響するが、彼と他人との関係における他人の利益には影響しない彼の行為と性格のある部分のために、いつでも蒙らなければならない唯一の迷惑なのである。

この訳について、柳父はこんなふうに言っています。

「ミルの『自由論』の一節を、私が翻訳した文である。原文の関係代名詞の制限的用法は連体修飾句で受ける、という定石に、なるべく忠実に翻訳した。なんと分かりにくい文であろう。この分かりにくさは、何よりも、連体修飾句が長いこと、そしていくつかの連体修飾句が重なっていることのためである。」

「こういう文を読んで、いらいらしてくるとすれば、それは頭が悪いせいではなく、健全な日本人の頭脳を持っている証拠であろう。」

「日本における翻訳文の本質的な特徴は、私のこの翻訳文がとらえている、と信ずる。」

柳父は翻訳調をこのように捉えていました。『自由論』には、全部で 20 種類の邦訳がありますが、その翻訳はすべて同じような訳し上げになっています。その中でもこの柳父の試訳は、最良の部類に入ります。

●山岡洋一の「翻訳調」批判、「順送りの訳」へと導く要素

一方、山岡洋一は、翻訳調についてこう言っています。

「日本語は論理表現が不得意だという意見がある。[ミル『自由論』の]早坂訳や水田訳、塩尻・木村訳3などを読むと、そういわれるのはもっともだと思えてくる。ミルの明解な文章が、何とも複雑な訳文になっているのだから。だが、中村[正直]訳を読むと、日本語で論旨明解な文章が書けることが分かる。旧字旧仮名、それも片仮名を使っているので、いまの読者には読みにくいはずなのに、意味が明確に伝わってくる。この点を考えると、おそらく、論理表現が不得意なのは日本語ではなく、翻訳調なのだろうと思えてくる。」4

山岡は翻訳調について次のように言っています。

「原文の語や句にそれぞれ決まった訳語をあてはめ、一対一対応で訳していく方法、原文の構文のそれぞれを決まった訳し方で訳していく方法がとられている。いわゆる翻訳調だ。まずはこの翻訳調から脱却して、普通の日本語で訳す時期がきているのではないだろうか。」(前出 注 1)

「漢文訓読の方法をヨーロッパ言語からの翻訳に応用したのが、翻訳調である。つまり、原文の構文を解析して後から前に、決められた順番で訳し、個々の単語や連語には決められた訳語をあてはめていく方法である。」5

山岡にはもう一つ、「順送りの訳」という側面があります。こんなふうに言っています。

「原文の順序というのは当然ながら、原文を読むときに理解していく順序です。原文の論理の流れを示す順序、自然な順序であるわけですから、訳文でこの順序を変えると、論理の流れがみえにくくなるのは避けられません。ですから、原文の順序を変えることなく訳していくのが、翻訳の理想だといえます。」6

つまり山岡は、後ろから前に訳していく「訳し上げ」の方法では原文の論理を伝えることはできないから、原文の論理の流れを示す順序を変えることなく訳していく、つまり「順送りの訳」が理想だと言っているわけです。

●順送りの訳と訳仕上げの訳の比較

以下の(A)は、アメリカ独立宣言の一節です。(B)は福沢諭吉の訳7です。(C)は宮田豊の訳8で、標準的な訳だと思います。

便宜的に数字を付けると、福沢訳は(2)→ (1) →(3)→(4)→(5)と流れますが、宮田訳は(4)→ (5) →(3)→(2)→(1)になっています。

山岡は、福沢訳が明快な日本語になっているのに対して、宮田訳は曖昧模糊とした日本語であり、福沢訳が明快なのは、ほぼ順送りになっているためである。宮田訳が曖昧模糊としているのは、英文和訳で教えられた順番に従って後ろから前に訳す方法をとっているからである、と指摘しています。山岡は、この順送りの方法をもっと取り入れるべきではないかと言っているわけです。

山岡は自分の訳をつけていないので、私が試訳をつけてみます。すると次のようになります。

このように、全部、節ごとに順番に訳すことができる、比較的やさしい文章なのです。

柳父や山岡のこういう問題意識を引き継いで、新しい翻訳方法、新しい翻訳英文法の可能性を考えてみようというのが、本日のテーマです。

●安西徹雄の翻訳英文法

「翻訳英文法」は、安西徹雄の著作『翻訳英文法 訳し方のルール』9のタイトルにもあります。この本で、別宮貞徳や中村保男の主張を引き継ぐ形で、1980 年代後半以降の翻訳技法の標準に近いものを提供したということができると思います。

ただ、安西の「翻訳英文法」は、1980 年代の翻訳慣習(convention)に大きく貢献したことは間違いありませんが、実際は文法というより「翻訳方略(strategy)」でした。strategyとは、うまくいくかもしれないけれど、失敗するかもしれない、というもので、実際の翻訳に適応できる確固たる指針ではなかったと言わざるをえません。その方法も、実は明治以来、多くの人たちが作りあげてきた翻訳方略がすでにあるわけで、決して新しいものではありませんでした。

それでは不十分ではないでしょうか。安西の翻訳英文法のどういうところが不十分だったか、一例をあげてみます。『英語の発想 翻訳の現場から』10の中で、こういう文章を引いています。

「Do you know of the millions in Asia that are suffering from protein deficiency because they get nothing but vegetables to eat?」

安西は、この英文を日本語の「こと」的な発想に置き換えて意訳すればどうなるか、と言って、次のような二つの訳を提示します。

【直訳】「食べるべきものは野菜以外には何物もないため、蛋白質不足で苦しんでいるアジアの何百万の人々を知っていますか」

【意訳】「アジアの何百万という人たちは、野菜以外に食べる物がないために、蛋白質不足で苦しんでいること(の)を知っていますか」

安西は、意訳のほうの訳を提案しているわけです。ただ、「もの」的な発想や「こと」的な発想という考え方は、ちょっと怪しい話で、名詞構文をこういうふうに動詞構文に換えたところであまり改善にはなりません。ここには別の問題があります。

まずこの原文では、「Do you know…」というふうに、最初から疑問を提示している点。あとで説明する主題構造が反映されていません。それから、文の焦点、あるいは新しい情報になる because 節が訳し上げられています。つまり、従属節内の主節と従属節も逆転しているということになります。

実際、この文章は、引用元である池上嘉彦という言語学者が改変したもので、原文とは違います。原文は、

「Do you know of the millions in Asia that are suffering from…」ではなくて、

「Do you know that millions in Asia are suffering…」なのです。

この文脈はどういうものかと言いますと、父親が子どもに豆を食べさせようとして、「野菜は体にいい、おじいさんは菜食主義者だったから 99 歳まで長生きした、昔野菜を食べない船乗りは壊血病で死んだ」などと説得します。

ところがある日、子どもからにんじんやサラダを残しているのを指摘されると、父親は次のように言い訳をします。

"(…) what I was arguing for all along is not vegetables as such, but a balanced diet --- as it is possible to achieve balance without this particular salad. A man can't keep going on rabbit food. Do you know that millions in Asia are suffering from protein deficiency because they get nothing but vegetables to eat?”(ボールドは水野による)

そうすると、訳としては、

「(…人間はウサギのエサだけでは生きていけないんだ。)いいかい、何百万人ものアジア人がタンパク質不足で苦しんでいるのは野菜しか食べるものがないからなんだぞ。」

このように、安西の翻訳英文法では不十分ではないかということで、新しい提案をしてみたいと思います。(次回に続く)

(2021 年 10 月 16 日 第 30 回 JTF 翻訳祭 2021 講演より抄録編集)

◎講演者プロフィール

水野 的(みずの あきら)

MITIS 水野翻訳通訳研究所 Director
1972 年東京外国語大学卒。(株)医学書院勤務。1988 年より放送通訳・翻訳と会議通訳に携わる。2002~2007 年立教大学大学院異文化コミュニケーション研究科特任教授。2011 年~2017 年青山学院大学文学部英米文学科教授。元日本通訳翻訳学会会長。編著に『日本の翻訳論』(法政大学出版局)、著書に『同時通訳の理論』(朝日出版社)。

MITIS 水野翻訳通訳研究所 https://mitis.webnode.jp/

●参考文献

1山岡洋一「読みやすくわかりやすい古典翻訳という愚」『翻訳通信』2008 年 7 月号

2 柳父章『比較日本語論』日本翻訳家養成センター、1979 年

3早坂忠訳「自由論」『世界の名著 38』中央公論社、1967 年/水田洋訳「自由について」『世界の大思想 II-6』河出書房、1967 年/塩尻公明・木村健康訳『自由論』岩波文庫、1971 年/中村正直(1871)『自由之理』木平謙、1872 年

4山岡洋一 「『自由論』の翻訳の変遷」『翻訳通信』2006 年 12 月号

5山岡洋一「翻訳主義と翻訳調」の翻訳 3『翻訳通信』2010 年 6 月号

6山岡洋一「アメリカ独立宣言」の翻訳 3『翻訳通信』2009 年 2 月号

7福沢諭吉訳『西洋事情』巻之二、1866 年

8宮田豊訳、大石義雄編『世界各国の憲法典』有信堂、1956 年

9安西徹雄『翻訳英文法 訳し方のルール』日本翻訳者養成センター、1982 年

10安西徹雄『英語の発想 翻訳の現場から』講談社現代新書、1983 年

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