日本翻訳連盟(JTF)

翻訳チェックを復習しよう(前編)

講演者:産業翻訳者(英日・日英)、WildLight開発者 齊藤貴昭さん

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●参考資料は何の目的に使うのか

今日のお話のメインになってくる、ルールへの適合性の部分について、もうすこし詳細にみていきましょう。

ルールへの適合性において、その基準となるのは、マニュアル、書籍、文献や、ルールブック、スタイルガイド、用語集などになってきます。翻訳者はたぶんいろいろな資料を提供されて翻訳すると思いますが、翻訳者として困るもの、厄介なものもありますよね。例えば参考資料です。2000文字ぐらいの翻訳なのに、本1冊の参考資料をいったいどう使えと言っているのかというような例を目にすることがありますが、「仕様」という観点で見た場合、実は参考資料は次のような使われ方をしていると思います。

  • 表現集として、その中の表現に合わせる。
  • 用語集として、その中から用語を抜いて、同じように用語を揃える。
  • 原稿理解のための参考情報として使う。

たぶん、この3パターンがありますが、上2つの「表現集」「用語集」は翻訳仕様になります。用語を合わせてくれといわれたら、ちょっと現実的ではないと思うのですけども、1冊の参考資料から用語を拾っていくことになるわけです。

ですので、参考資料を受け取った時は、「これを何の目的に使用するのか」ということを、必ず確認するようにしたほうがよいと思います。ちなみに私がエージェントをやっていた頃は、参考資料が送られてきて用語を合わせてくれと言われたら、それはとても翻訳者の仕事の領域じゃないと思ったので、「そちらで用語を抜き出して用語集にしてください」とお願いしていました。

●ルールへの適合性とヒューマンエラー

「ルールへの適合性とは、作業チェックである」という話をしました。作業は、おおむね人間がやっていますよね。つまり、ルールへの適合性のエラーは、すべてヒューマンエラーになります。ヒューマンエラーとは、Wikipediaからの抜粋ですが「人為的過誤や失敗、不本意な結果を生み出し得る行為」のことです。では、どうやってこのヒューマンエラーにアプローチしていくのか。

私は1980年代に会社員となった人間ですが、仕事で失敗をするとその当時の上司から「おまえは繊細さが足らないんだよ」「根性ないからミスるんだよ」と言われていました。しかし、これは絶対に間違いなのです。「繊細さ」と「根性」ではヒューマンエラーはなくなりません。

ジェームズ・リーズンというマンチェスター大学の心理学の元教授がおられます。ヒューマンファクターの研究者で、航空機や船舶のメンテナンスにおけるミスのリスク管理などについて論文を発表している方です。スイスチーズモデルというものが特に有名です。

このジェームズ・リーズンのモデルで分析をしてみましょう(図20)。彼のモデルによると、ヒューマンエラーは「意図しない行為」と「意図した行為」の2つに大きく分かれます。

「意図しない行為」は、さらに「Slip」と「Lapse」に分かれます。Slipは、行為の意図を正しく理解しているのに、意図に合わない行動をしてしまう。ABCと言おうと思っていたのにCDBと言ったりする。行為をしようとしていること自体は正しいけど、やってしまったことが違っていたというのがSlipです。Lapseは、記憶違い、思い込みによるミスです。

「意図した行為」は、「Mistake」「Violation」に分かれます。Mistakeは誤解釈によるエラーで、これも時々ありますよね。Violationは、違反。確信犯であり、犯罪です。

翻訳のヒューマンエラーを解析するのにViolationはさすがにないだろうと思いますが、翻訳会社の中で分析する時は入れてください。社員が悪意を持って不良品を作る可能性はあるからです。横領などもViolationです。

ヒューマンエラーを起こす要因は、「認知的要因」「環境的要因」「個人的要因」「社会的要因」の4つのカテゴリーに分けられるようです(図21)。

認知的要因の中に自信過剰がありますが、自信満々だと思い込みがちになり、間違えるのです。納期が短いというのは、環境的要因の時間的制約になってくると思います。社会的要因は、個人翻訳者にはあまり関係なさそうに思うかもしれませんが、例えば翻訳会社のコーディネーターとのコミュニケーション不足などが関係してくると思います。

ジェームズ・リーズンのモデルを使って、「翻訳チェックでは何をしたらいいのか」「どういうチェックをすればヒューマンエラーを防げるのか」などを表にしたものが図22です。これはかなり粗い分析ですので、実際に自分で分析して表を埋めていくほうがいいと思います。このジェームズ・リーズンのモデルで分類することで、翻訳チェックの方向性が見えてくると思います。

●モニターの適切なサイズ

環境的要因に関連して、翻訳やチェックに使うモニターの高さと大きさはどのぐらいがよいのかを、過去に調べたのでお話ししておきましょう。

アメリカ労働省やコーネル大学などの研究論文をいろいろと読んでみた結果、モニターの上端は目の高さ、要するにモニターは目の高さより下に置くべきということです。そして、腕を伸ばした位置に配置しましょう(図23)。

そうすると、例えば16対9のモニターだと自ずと適切な大きさが決まってきます。「腕の長さ(㎝)×0.65」が、適切なモニターの大きさとなります。参考にしてみてください。ちなみにこれは左右35度までは視界に認識できるということが前提になっています。それ以上の角度になると、首を動かさなければいけないので、疲れが出ることになります。(後編につづく)

(2023年10月27日 第32回JTF翻訳祭2023講演より抄録編集)

◎講演者プロフィール

齊藤貴昭(さいとう・たかあき)Terry Saito

産業翻訳者(英日・日英)、WildLight開発者

精密機器メーカーで20年以上にわたり、設計から製造、市場に至るまでの品質保証業務に従事。そのうち5年間の米国赴任、6年間の社内翻訳・通訳を経験。2007年から約10年間、翻訳コーディネーター・社内翻訳者・翻訳事業運営者として翻訳会社に勤務し、製造業の品質保証手法を応用した独自の翻訳品質保証体系を確立した。また、その考え方をベースに「翻訳者が実施すべき翻訳チェック」の考え方をまとめ、自身の翻訳で実践するとともに、JTF翻訳祭などで講演を行っている。翻訳チェック支援を目的として開発したワードマクロ「WildLight」をフリーウェアとして提供している。

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