日本翻訳連盟(JTF)

「私の翻訳者デビュー」井口耕二さん編

第5回:会社員と二足のわらじで翻訳者への第一歩を踏みだす

スティーブ・ジョブズ関連書など数多くの出版翻訳や実務翻訳をてがけている井口耕二さんの「私の翻訳者デビュー」を、松本佳月さんが主宰する YouTube「Kazuki Channel」からインタビュー記事にまとめて、長期連載で紹介します。
(インタビュアー:松本佳月さん・齊藤貴昭さん)

最初はもっぱらシャナイ翻訳

井口:2 年間のアメリカ留学から帰国後、出光興産の研究室に戻り、通産省(現経産省)の外郭団体への出向を経て、出光本社のビジネス部門に異動しました。そこで勤務しているときに、はじめ(連載第1回)にお話しした、翻訳者になるきっかけが訪れます。

松本:いよいよですね。

井口:会社の業務で翻訳を発注したらボロボロなものがあがってきて、「こんなんだったら自分でやったほうがましだ」とクレームをつけたんです。そうしたら翻訳会社の営業の人に「やってみますか?」と言われて、後に引けなくなり、「やったろうやないか」みたいな感じで翻訳の世界に足を踏み入れることになってしまいました。

松本:それって、翻訳の仕事は、通常業務をしながらということですよね。

井口:そういうことになりますね。最初は通勤電車の中で仕事をしていました。小さなノートパソコンでバッテリーが一番もつのを買ったんですけど、ギリギリ 1 時間くらいかな。あのころはそのくらいのしかなくて、画面も小さくてね。そのパソコンでシャナイ翻訳者をしました。電車の「車内」ですけど。

松本:そっちの「シャナイ」ですか!

井口:はい。通勤電車で、膝の上にノートパソコンを置き、A4 用紙にプリントした原稿を二つ折りにして体の手前側に置いて、それを見ながら訳していました。

松本:辞書は紙の辞書ですよね。

井口:辞書は引いていませんでした。

松本:ああ、専門用語だから。

二足のわらじで使っていたパソコン
(Windows3.1、白黒、ハードディスクなし)

井口:ええ、最初のうちは石炭関係の論文ばかりだったので。どこからかそういう仕事を取ってくる会社だったんです。

松本:それは外に出すより Buckeye さんがやったほうができるに決まっていますよね。

井口:出光から出ていたんじゃなくて、どこかほかから取ってきた仕事なんですけど、そういう論文は私も読んでおいたほうがいいので。論文をパッと見ると、「ああ、あの話ね」みたいなことばかりなんです。当時ネットはないのでウェブ検索もできなかったし、もともと専門ですから辞書は要らない。原稿とノートパソコンだけで電車の中でやっていました。そもそも、石炭関係の論文って、自分で読んだり書いたりしていたので、それができてしまうんですよ。というか、最初はできる案件しかやっていなかったんです。

勉強も兼ねて副業で専門分野の論文を翻訳

井口:そんなふうにスタートして、石炭関係の論文が入ると仕事の打診がくるからやる、という形でした。1年の間に翻訳の仕事がない時期のほうが多かったりしますが、それでよかったんです。会社員としての仕事があって、それ以外に翻訳の話がくれば通勤電車の中でやる。場合によっては、昼休みに、ランチのあと喫茶店に入ってテーブルにコーヒーを置いて、そこでちょっとやるとか。

松本:会社の中で二足のわらじを履いていらっしゃった感じですね。

井口:さすがに会社の机でやるわけにはいかず、会社には内緒でした。あのころ、世の中では基本的に会社員の副業はダメでしたからね。出光がどうだったか確かめてはいませんけど。

齊藤:当時はたぶんダメでしょうね。

松本:セキュリティ的にもダメですよね。

井口:出光でも聞いたらたぶんダメと言われたと思いますが、論文だとある意味、守秘義務などの問題は出ないんですよ。

松本:その論文の翻訳の仕事は、翻訳会社経由でくるんですか。

井口:そうです。

松本:私はてっきり、出光の中の社内翻訳者だと思っていたら違うんですね。

井口:それは違います。会社の仕事とは全然関係ない、別の仕事です。

松本:わかりました。面白いですね。

井口:会社の業務で、たまにレターなどを翻訳してくれと言われたら、それは当然、会社の机でやるわけです。

松本:それ以外に、フリーの翻訳者としての仕事だったんですね。

井口:そうです。翻訳会社に一応、登録という形になって、その会社がどこからか、なぜか石炭の論文の翻訳の仕事をいっぱい取ってくるんですよ。

松本:なるほど。Buckeye さんに出しておけば間違いないですものね。その翻訳会社もラッキーでした。

井口:まあ、そうですね。けっこうな量があって、金額的に年間 250 万くらいやっていました。

松本:へえー。すごい。

井口:単価は1ワード8円でした。

松本:当時?

井口:仕上がり計算で(400 字)1300 円でした。論文って、150~160 ワードで 400 字なので、ワード単価だと8円強ですね。

松本:しばらくその生活が続いたわけですね。

井口:そんな生活を何年間かやっていました。だから翻訳者になったのはたまたまで、なる瞬間までなるつもりはなかったんです。

松本:それはやっぱり子育ての関係ですよね。

井口:そのころはまだ子どもはいなくて、結婚して夫婦だけで、それぞれフルタイムで働いていました。

松本:じゃあ、しばらくその生活を続けていこうと思っていらっしゃったわけですね。会社員でありながら翻訳者として。

井口:たまたまやるようになっちゃったけど、けっこうおもしろいし、専門として本業の仕事でも扱っていることなので知っておいて損はないわけです。そんな情報、論文を、お金をもらいながら読めるので、このままいくのかなと思っていました。

松本:最高ですよね。

井口:ただあくまで副業で、そっちの論文をどうしても読まなきゃいけないわけでもないし、知っておいて損はないけど絶対に必要というわけではないから、会社の仕事が忙しくなったら、まあ辞めればいいやというくらいのつもりでいました。

出光興産資源課時代
(写真はすべて井口氏提供)
腹膜炎で死にかける

井口:そんな形で翻訳の仕事を何回かやったあと、1996 年 4 月ごろに、妻の妊娠がわかりました。そして、その 1 カ月後くらいに、穿孔性虫垂炎による腹膜炎の緊急手術を受けました。そのときは、もうあと一歩で死ぬところでした。

家族の同意書を取っていたら間に合わない、午後、すぐ手術ということになりました。その日、妻は外せない仕事があって、午前中、病院までついてきてくれたんですけど、そこで引き上げて会社に行っちゃったんです。医者から「ご家族は?」と聞かれて、「帰りましたけど」、「えっ、なんで?」と言われても仕事があるからと。

妻が再び病院に着いたときには、私はもう手術室の中でした。術後に医者から「これは悪いと思ったけど、開けてみたら想像以上に悪くてね」と笑いながら言われました。

齊藤:笑い事じゃないですよね。

松本:腹膜炎って普通はすごく痛いらしいんです。体をまっすぐにできたら腹膜炎じゃないと言われるくらい。痛くておなかを抱えて、体を縮めて、「どうしました? どこが痛いですか?」と聞かれても、「痛い」としか言えないくらい痛むらしいんです。

ところが、私の場合はほとんど痛まず、なんかしくしくするなくらいで、平気で歩き回っていたんです。病院でも検査担当の看護士さんが私のカルテを見た瞬間に「車いす、持ってきてない!」と慌てていましたが、「私、歩いて来ましたけど」とあっけらかんとしていました。

松本:それは、いいんだか悪いんだか、という話ですね。

井口:手術をした医者の話では、千人にひとりくらい、痛みを感じない人がいるそうです。「そういう人が死ぬんだよね」と言われました。私には本当に単なる腹イタにしか思えなかったんです。

なんかおなかが痛いなと一日会社を休んだものの、翌日もまだ痛い。さすがに腹イタで二日も休めないから、「今日は会社に行って、帰りにかかりつけ医に寄って帰ってくる」と、朝、妻に話をしていたんですが、そのときの受け答えがおかしかったらしいんです。

松本:奥さんが、異変に気がついたんですね。

井口:はい。妻からすると明らかに何かおかしい、とにかく病院に行って、問題がなかったら、そこから午後会社に行きなさいと、妻も午前中会社を休んで、病院に引きずっていかれました。

松本:そのとき奥さんがいらっしゃらなかったら、今ここに Buckeye さんはいないですよね。

井口:はい、たぶん死んでいますね。おかげさまでなんとかギリギリセーフで助かって、そのあと自宅療養をしていたときに、実はパソコン通信の「翻訳フォーラム」へのアクセスに成功しているんです。(次回に続く)

(「Kazuki Channel」2021/8/20 より)

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◎プロフィール
井口耕二(いのくち・こうじ)a.k.a. Buckeye
翻訳者(出版・実務)
1959 年生まれ。東京大学工学部卒業。オハイオ州立大学大学院修士課程修了。大学・大学院の専門は化学工学。大学卒業後は大手石油会社に就職、エンジニアとしてエネルギー利用技術の研究などをしていた。会社員と翻訳者の二足のわらじを経て 1998 年にフリーランスとして独立。守備範囲は医薬生物を除く工学全般およびビジネスの英日・日英。翻訳作業は自作の翻訳支援環境 SimplyTerms(公開)で行う。
2005 年からは出版翻訳も手がけている。翻訳フォーラム共同主宰。2002~2016 年 (社)日本翻訳連盟(JTF)理事。かつてはフィギュアスケートの選手(シングル、アイスダンス)で、現在は自転車ロードレースにはまっている。訳書に『スティーブ・ジョブズ』I、II(講談社、2011 年)、『スティーブ・ジョブズ 驚異のプレゼン』(日経 BP 社、2010 年)、『リーダーをめざす人の心得』(飛鳥新社、2012 年)、『PIXAR』(文響社、2019 年)、『ジェフ・ベゾス』(日経 BP 社、2022 年)など、著書に『実務翻訳を仕事にする』(宝島社、2001 年)、共著書に『できる翻訳者になるために プロフェッショナル 4 人が本気で教える 翻訳のレッスン』(講談社、2016 年)がある。

◎インタビュアープロフィール
松本佳月(まつもと・かづき)
日英翻訳者/JTF ジャーナル編集委員
インハウス英訳者として大手メーカー数社にて 13 年勤務した後、現在まで約 20 年間、フリーランスで日英翻訳をてがける。主に工業、IR、SDGs、その他ビジネス文書を英訳。著書に『好きな英語を追求していたら、日本人の私が日→英専門の翻訳者になっていた』(Kindle 版、2021 年)『翻訳者・松本佳月の「自分をゴキゲンにする」方法: パワフルに生きるためのヒント』(Kindle 版、2022 年)。
齊藤貴昭(さいとう・たかあき)Terry Saito
実務翻訳者
電子機器メーカーで 5 年間のアメリカ赴任を経験後、社内通訳翻訳に 5 年間従事。その後、翻訳会社にて翻訳事業運営をする傍ら、翻訳コーディネータ、翻訳チェッカー、翻訳者を 10 年経験。現在は、翻訳者としても活動。過去の翻訳祭では、製造業でつちかった品質保証の考え方を導入した「翻訳チェック」の講演など多数登壇。
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