「私の翻訳者デビュー」井口耕二さん編
第9回:専業翻訳者としての基本方針を決めて開業
スティーブ・ジョブズ関連書など数多くの出版翻訳や実務翻訳をてがけている井口耕二さんの「私の翻訳者デビュー」を、松本佳月さんが主宰する YouTube「Kazuki Channel」からインタビュー記事にまとめて、長期連載で紹介します。井口さんは大学卒業後、一般企業に就職。2 年の社内留学後、正社員として働きながら副業翻訳で自らの実力を確認し、1998年にいよいよ専業翻訳者として歩み始めました。
(インタビュアー:松本佳月さん・齊藤貴昭さん)
ソースクライアントとの直取引をめざす
松本:専業翻訳者として独立し、法人化してからも直受けの仕事以外に、最初に取引した翻訳会社からの仕事も受けていたんですか?
井口:状況に応じてある程度は受けていました。でも基本的には、ソースクライアントと直接やろうと考えてスタートしています。
本当は会社を辞めると同時に自分の会社を設立するつもりだったのですが、会社員をやめるまでは時間がなくて。少しでも早くと準備を進めて、3月3日に開業しました。
子どもも1歳になったばかりでまだ小さいし、借金もいっぱいあったので、ある程度稼がないといけないという現実的な問題もありました。翻訳者にしては珍しく商売っけもあったので、そのへんを活かしていけば何とかなるんじゃないかと思ったのも、直取引をめざした理由です。
料金は、翻訳会社経由がワード14円くらいでしたから、ソースクライアント直の仕事は30円でスタートしています。
齊藤:さすがですね。
井口:翻訳会社を通した場合、基本的に半分か半分強が翻訳者に支払われるお金なので、それプラスアルファくらいで2倍ちょっとです。そのあとも何回か料金の改定をしています。ちなみに、ピークでは38円まで上げたんですけど、さすがに38円で仕事を取るのは厳しくて。しばらくがんばりましたが、諦めて35円に戻しました。
というわけで基本は35円でしたが、特急割増や休日割増は別途なので、結果的に50円とか60円になるケースもけっこうありました。
個人事業主か翻訳会社設立か
齊藤:やはり収入面を考えて、最初から法人化を考えておられたんですか。
井口:まずはいろいろな選択肢を試してみようということです。やってみたうえで最終的に止めることはできますから。
実は会社員を辞める時点で、自分自身、どういうふうになるのがいいのか、どういう仕事をしていくのがいいのか、理想形は次の二つのどちらかだと考えました。
一つは、ひとりの翻訳者として受けた仕事を全部自分でやる。外には出さず、自分ができないものは断るという形です。これはある意味、品質管理が簡単です。案件さえ選んで、自分がちゃんとやれば終わりですから。
もうひとつは、5~6人くらいの翻訳会社です。私は会社員時代から事務作業が大嫌いで、経理がいやだし、見積書や請求書を作るのもめんどくさい。ひとりだったらそういうことも全部自分でやらなきゃいけないじゃないですか。ふたりでも、たぶん、かなりやらなきゃいけない。それが5~6人になれば、ひとりくらい、総務的な仕事をする人を置く余裕が出て、それなりに全体が回るんじゃないかと考えました。
翻訳会社としてやるなら、私は翻訳に専念して、それ以外、お客さんとの交渉やコーディネーター的な仕事は別の人にやってもらえる可能性がある。だから翻訳会社的なほうへ行ける入口は最初からつくっておきたかったんです。
それをやるなら当然、ソースクライアントと仕事をしなければなりません。ひとりでやっていくとしてもソースクライアント直のほうが収入面でいいだろうし。でも、手間がかかります。どちらがいいかはやってみないとわからないので、とにかくやってみようという形をとりました。
価格設定の考え方
井口:先ほど言ったように、ソースクライアントは30円でスタートしました。翻訳会社経由の仕事はワード14円だったので、翻訳会社の売りが25円で私の取り分が14円くらいのケースが多かったんじゃないかと思います。30円は14円に対して考えるとちょっと高いんですけど、翻訳会社と違って、私のところは全量、内部制作になる。内制になるということは、連絡のミスもなければそこにかかる時間もないわけで、ある種のメリットが生まれます。そういう価値も含めちょっと高めでもいいと思ってくれるお客さんを見つけようと、そういう価格設定にしたわけです。
価格の話をすると、JTFの理事をしていた時代は、「そりゃ理事さんだったらね」とかよく言われましたし、出版翻訳をするようになると「出版翻訳をやっていると違いますよね」とか言われたこともありました。でも私は産業系翻訳の営業をするときに、JTF理事の話とか出版翻訳の話をしたことはないんです。
出版翻訳では訳者として名前が出るので、「あれはもしかして井口さんですか」と言われて、「そうです」みたいな話になったケースは何回かありますが、それはあくまで後からのパターンです。取引を始めるとき、そのあたりを交渉の材料にしたことはありません。
翻訳って、基本的には出てきたものがすべての世界で、成果物に満足してもらわないとどうしようもありませんから。
翻訳会社としてソースクライアントと仕事をすると、翻訳そのもの以外に、関連の仕事もよく頼まれます。DTPがあったり、こんなものもと思うようなことを、お客さんから「できませんか?」と言われるケースとかですね。
私が独立したときに決めていたのは、お金をもらう「仕事」として考えるときには、自分の換算時給が最低限1万円は超えること。もちろん、仕事以外にやるべき理由がある場合は、1万円を切ってもやりますし、それこそお金をもらわなくてもやる可能性だってあります。でもそういうものが特になく、単純に仕事であるということなら、最低限で時間1万円ということにしたんです。これは、実際に訳しているときの換算時給が2万円を超えていたので、その半分はもらわないと、ということです。
松本:それはそうですね。
井口:翻訳のスピードは、普通にやったら1時間700~800ワードくらいのイメージでした。納期計算するときは余裕をみて500ワードで計算するんですけど、実際は700~800ワードくらいのことが多い。ですから30円×700ワードで2万1000円。
松本:そうですね。
井口:800ワード35円だと3万円弱のイメージになります。全体としてざっくり2万円と考え、翻訳の実作業が500時間あると、年間1000万円が達成できますよね。仕事があればですけど。
会社員の労働時間が、年間だいたい2000時間前後と言われています。500時間翻訳をするためには、お客さんとメールをやり取りしたり、新規開拓したり、基礎のところでもいろいろとやり取りがあるし、お金にならない仕事の部分がいっぱいあります。それをやらないとお金になる仕事が取れないわけですが、お金になる仕事と同じくらいの時間がそちらにかかったとしても、一般的な会社員の年間労働時間のだいたい半分くらいで年収1000万円は十分達成できるということです。
あの頃、子どもの面倒を見ていましたし、翻訳フォーラムの運営がまだそれなりに忙しかった時期でした。さらにJTFの理事になりましたし、ツールを作って公開したり、あちこちのオフ会に顔を出したりもしていました。
特に最初の頃は極力出ていたので、どこに行っても、よくそれだけ時間がありますね、と言われたんですけど、稼げるところでめいっぱい稼いでいたから、ほかのことができる時間が残っていたわけです。ほかのことをあれこれやっているから仕事にもプラスのフィードバックがくるという面もありました。
英日・日英と取り扱い分野
井口:英日、日英については、基本的には英日だけにしたいと考えていました。これは自分の好みの問題です。でも、「日英はできません」と言いたくなかった。できないというのも変じゃないですか。逆変換なわけだし。
齊藤:まあ、一般の人から見ればね。
井口:そうそう。それで、日英翻訳はばか高くしていました。1文字25円。ネイティブチェックは別途です。
松本:ネイティブチェック別途ですか。
井口:別途でネイティブチェックは6円もらっていました。だからトータルで30円超えました。
齊藤:すごいな。
井口:そこまで出すからやってくれと言われたらやる。そんな設定にしたのに2001年は年間売上で英日よりも日英のほうがはるかに多くなりました。
松本:そうなんですか。
井口:2001年は、外資系コンサルティング会社の仕事をずいぶんとやりまして。ここは、英語と日本語で最終成果物を作るのですが、まずどちらかの言語でギリギリまで作り込むんです。そして最後の最後に、もう時間がないからと翻訳に出す。
そこのコンサルタントは英日両方使える人ばかりなんですけど、東京のオフィスは日本語ネイティブのほうが多かったせいか、日本語で詰めて最後に英訳する形のほうが多かったので、私も英日より日英のほうが多くなってしまいました。
取り扱う内容は、エネルギーと環境がもともと一番の専門でした。会社員時代にエネルギー系の技術者だったのと、エネルギーを使うと環境に影響が出るので環境関係も仕事として扱っていましたから。エネルギー、環境系からスタートして、IT系のハード・ソフト、プレゼン資料、マーケティング資料とだんだんやわらかいものに移っていった格好です。
昔アルクが毎年やっていた翻訳者アンケートの集計を見ると、ある時点から取り扱い分野欄に、「エネルギー・環境-1」と出始めます。この「1」が私なんです。私がアンケートに答え始めたときから「1」になったんです。それが今ではエネルギーと環境がぐっと伸びていますよね。時代は変わったなあと思って見ています。
ソースクライアントの探し方
松本:直のお客さんとはどうやって出会っていたんですか。
井口:いろいろですね。最初の頃は飛び込み営業もやったことがありますが、うまくいったところは1カ所もなく、全滅でした。もともとニーズがなかったらダメですね。飛び込み営業を続けていたらメンタルをやられそうで、わりと早めに撤退しました。
松本:ものを買ってくださいというのとまた違いますからね。
井口:そうそう。話も聞いてもらえないことさえ多いし。
あとは会社員時代の関係です。退職後2~3年は、あそこは仕事がありそうだと思うようなところに当たって、ある程度はそちらから仕事を取りました。実は公益法人、財団法人、社団法人などが翻訳の予算をいっぱい持っていて、それを知ってはいたんですけど、そちらにはあまり手を出しませんでした。基本的に競争入札なので、とにかく安いんです。
知り合いから「うち仕事いっぱいあるよ。ただ値段があんまりでアレなんだけど」と言われ、「知ってます。なので行ってません」と返すなんてこともずいぶんありました。
そういうふうに、会社員時代の知り合いから紹介されたり、会社員時代のつてをたぐったり、いろいろな形で仕事をとりました。お客さんからの紹介もありました。翻訳フォーラムの仲間からの紹介もずいぶんとありました。先ほどのコンサルティング会社もそうです。翻訳フォーラムの仲間の旦那さんがそのコンサル会社に勤めていて、翻訳を外注に出すとボロボロでどうにもならないと同僚がこぼしているのを聞き「あてがあるけど聞いてみましょうか」ということで、私に「やる気があるなら」と紹介してくれたんです。そういうケースがいっぱいありました。
私も、自分の分野じゃないものは、「知り合いにできる人がいますけど」と仲間につないだことがあります。ずいぶんと紹介したり、されたりしましたね。
営業兼コーディネーターを雇う
井口:何年かは、法人として営業兼コーディネーターを雇っていた時期があります。その人はほかの翻訳会社からの引き抜きだったんですが、彼女が前職の営業でお付き合いしていたお客さんが何社か彼女についてきました。片手じゃきかないくらいの数で、すごい営業力だなと思いましたよ。値段は上がるのについてきたんですから、びっくりでした。
齊藤:すごいですね。
井口:そのほかに彼女が営業で新規開拓してきたお客さんもいました。
齊藤:優秀な方ですね。
井口:優秀な人だったと思います。彼女は、私が二足のわらじで最初に仕事をした翻訳会社のコーディネーターだったんです。1999年の春ごろ、なんでかは覚えていませんが、その翻訳会社の近くの喫茶店で彼女と二人でお茶を飲んでいたんです。そのときに、彼女から愚痴がボロボロ出てきました。本人によれば営業として1番の成績をあげていたらしいんですけど、女性は認められないとか、ぶつぶつ言っていました。
私は数人の翻訳会社にするのもいいんじゃないかと考えていたこともあり次男の保育園が激戦で自宅が仕事場では入れないのもあって、ちょうどその少し前、駅前に事務所を借りたところでした。これはいいかもしれないと思って、「そちらで不満あるなら、うちに来る?」と声をかけたんです。
松本:おもしろいご縁ですね。
井口:「いいんですか? でも、月に××円はもらえないと困りますけど」、「そのくらいなら出すよ」と、その場で来ることが決まり、実際に来たのが2000年1月だったと思います。
(「Kazuki Channel」2021/8/31より)
※「私の翻訳者デビュー 井口さん編」はしばらくの間休載いたします。
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◎プロフィール 井口耕二(いのくち・こうじ)a.k.a. Buckeye 翻訳者(出版・実務) 1959 年生まれ。東京大学工学部卒業。オハイオ州立大学大学院修士課程修了。大学・大学院の専門は化学工学。大学卒業後は大手石油会社に就職、エンジニアとしてエネルギー利用技術の研究などをしていた。会社員と翻訳者の二足のわらじを経て 1998 年にフリーランスとして独立。守備範囲は医薬生物を除く工学全般およびビジネスの英日・日英。翻訳作業は自作の翻訳支援環境 SimplyTerms(公開)で行う。 2005 年からは出版翻訳も手がけている。翻訳フォーラム共同主宰。2002~2016 年 (社)日本翻訳連盟(JTF)理事。かつてはフィギュアスケートの選手(シングル、アイスダンス)で、現在は自転車ロードレースにはまっている。訳書に『スティーブ・ジョブズ』I、II(講談社、2011 年)、『スティーブ・ジョブズ 驚異のプレゼン』(日経 BP 社、2010 年)、『リーダーをめざす人の心得』(飛鳥新社、2012 年)、『PIXAR』(文響社、2019 年)、『ジェフ・ベゾス』(日経 BP 社、2022 年)など、著書に『実務翻訳を仕事にする』(宝島社、2001 年)、共著書に『できる翻訳者になるために プロフェッショナル 4 人が本気で教える 翻訳のレッスン』(講談社、2016 年)がある。 ◎インタビュアープロフィール 松本佳月(まつもと・かづき) 日英翻訳者/JTF ジャーナル編集委員 インハウス英訳者として大手メーカー数社にて 13 年勤務した後、現在まで約 20 年間、フリーランスで日英翻訳をてがける。主に工業、IR、SDGs、その他ビジネス文書を英訳。著書に『好きな英語を追求していたら、日本人の私が日→英専門の翻訳者になっていた』(Kindle 版、2021 年)『翻訳者・松本佳月の「自分をゴキゲンにする」方法: パワフルに生きるためのヒント』(Kindle 版、2022 年)。 齊藤貴昭(さいとう・たかあき)Terry Saito 実務翻訳者 電子機器メーカーで 5 年間のアメリカ赴任を経験後、社内通訳翻訳に 5 年間従事。その後、翻訳会社にて翻訳事業運営をする傍ら、翻訳コーディネータ、翻訳チェッカー、翻訳者を 10 年経験。現在は、翻訳者としても活動。過去の翻訳祭では、製造業でつちかった品質保証の考え方を導入した「翻訳チェック」の講演など多数登壇。 |