日本翻訳連盟(JTF)

「私の翻訳者デビュー」井口耕二さん編

第12回:多忙な日々でのオンとオフ、時間とお金の使い方

スティーブ・ジョブズ関連書など数多くの出版翻訳や実務翻訳をてがけている井口耕二さんの「私の翻訳者デビュー」を、松本佳月さんが主宰する YouTube「Kazuki Channel」からインタビュー記事にまとめて、長期連載で紹介します。井口さんは大学卒業後、一般企業に就職。2 年の社内留学後、正社員として働きながら副業翻訳で自らの実力を確認し、1998年に専業翻訳者として歩み始めました。第12回は、夏休みなどの長期休暇の過ごし方、家事援助やシッターの活用、翻訳フォーラムでの連載記事等についてお話いただきました。
(インタビュアー:松本佳月さん・齊藤貴昭さん)

夏休みは仕事を断り、別荘で子どもと過ごす

井口:1999年に超大型案件を受注し、大きな収入がありました。その稼ぎの大半をつぎ込んで、別荘を購入しました。会社員だと週末もなかなか時間がとれず、別荘もあまり活用できませんが、フリーランスならば子どもと一緒に夏休みに1カ月とか、十分使えると考えてのことです。ちょうどあのころ、バブル崩壊の影響で別荘を持ちきれなくなって売り急いでいる物件が多く、たまたま出物があって、お客さんからの入金があった時点で「現金で払うから」と安くしてもらいました。

松本:現金で家を買うってすごいですね。そのころはもう、自転車は始めていらっしゃったんですか。

井口:いえいえ、自転車を始めたのは10年くらい前のことで、当時はまだ全然です。

松本:そうなんですね。そうすると東京の家と別荘を行ったり来たりされていたんですね。

完成した別荘(写真はすべて井口氏提供)

井口:子どもたちが小学校に入ると、夏休みは1カ月間くらい、子どもたちふたりと私の3人は別荘に行きっぱなしで、その間は基本的に仕事をしないことにしていました。どうしてもというお客さんのものだけはやるんですけど、1カ月間に3日分か4日分という程度で、1週間も仕事はしていませんでした。朝、子どもたちが起きる前にチョロっとやったりすることが、ときどきあるくらいで。子どもたちはじっとしていませんからね。

松本:そうですよね、男の子ふたりだしね。

井口:庭で遊んでいるぶんにはいいんですけど、川に行きたいとか言われて、あちこち車で連れて行ったり。ご飯の用意もありますし。妻は週末しか来ないですしね。
夏休みの1カ月に加えて、ゴールデンウイークにも別荘に行ってました。子どもたちが入った小学校がちょっと変わっていて、GWが飛び石だと、ほかの休みをもってきてつなげちゃうんです。だからGWも10日以上休みになることがあって、GWも始まりから終わりまで、ずっと別荘にいました。それから春休み、年末年始、それ以外に週末だけ行くことがちょこちょこあったので、全部で年間60日くらい別荘で過ごしていました。

子どもが中学・高校になると、部活などがあって行きにくくなってしまいました。特にふたりが高校のころはたまにしか行けていません。

今、子どもたちはそれぞれたまに使うし、私は自転車のトレーニングもあってよく使うという状態です。2020年と21年はコロナで、東京の人間が他の地域にあまり行かないようになって、ちょっと遠慮していて少ないんですけど、その前の年はだいたい年間150日、5カ月くらい別荘にいました。

子どもたちと別荘で1
子どもたちと別荘で2
社員を抱えることのメリットとデメリット

井口:2000年1月に営業兼コーディネーターの女性が入社しました。前にちょっとお話しましたね(第9回)。とりあえず形だけの、法人の衣をかぶった個人翻訳者だったのが、社員もいて、5~6人くらいの規模の翻訳会社だったらいいかもしれないという構想に向けて歩き始めたわけです。

彼女が営業してきて、コーディネートもやってくれるわけですが、社員がいるとなるといろいろ変わってくるんですよね。自分ひとりでやっていたら、見積もりを出すときでも「取れなくていいや、落ちてきたらやろう」くらいで出してしまって、落ちてこなかったら、「こなかったんだ」で済んでしまう。1年間通じて全体でこれくらい仕事あればいいか、というのはあるんですけど。ところが、営業の人にとっては、見積もりを出してみんな落とされたというとつらいわけですよ。全体として回っていればいいかというと、必ずしもそうは言いきれない面が出てきたり、ちょっと下げてでも今回は取りに行こうかという話が出たりする。それで、だんだん「これ、目指しているところと違わないか?」と思い始めてしまって。

松本:たしかに。

井口:何年間はやってみたんですけど、社員がひとりいるだけでけっこう社長業になっちゃうんですね。これは違うなと思いました。5~6人になったら理想形になるかというと、きっともっとズレるだけ。それで何年かたって、彼女が結婚退職をした時点で、「後任を入れるんだったら紹介するよ」と言ってくれた人も何人かいたんですけど、後任は入れずにひとりに戻りました。戻った当初は大変でした。ふたりでやっていたものをひとりでやらないといけなくなるので。

松本:事務作業も彼女がやってくれていたんですね。

井口:なるべく任せていましたし、お客さんとのやりとりなども基本的にはやってくれていました。

松本:それを全部Buckeyeさんがやらなきゃいけなくなった。

井口:だからあのあとはしばらく、すごく忙しくなりました。ただ、お客さんは、ほうっておくとだんだん減っていくものなので、2~3年したら落ち着いた感じになったと思います。

もともと子どものことがあって会社員をやめたはずなのに、独立2年目は、超大型案件のせいで、子どもの面倒は最低限しかみられませんでした。病院に連れて行ったり、共働きだったらどうにもならないという事態だけはなんとかしていたんですけど、もうちょっとどうにかしたい、という反省にたって、2000年以降はさっき言ったようにゴールデンウイークや夏休み、年末年始は仕事をせずに、基本的に子どもたちと過ごしていました。

イメージだと年間で週休2日プラス有給の会社員よりも休んでいる日は多いという計算です。それでも稼ぎはかなりいい状態でした。あのころは毎年、ムック本のアンケートに答えていたんですが、あのアンケートでは必ず収入を聞かれます。幸いなことに「収入はいくらですか」と非常にファジーな書き方をしてくれていたので、私は基本的に経費などを差し引いた利益の数字で答えていました。粗利で答えても一番上のブラケットに入ってしまうので、売上で答えるとひとりだけ図抜けてしまい、さすがにまずいだろうと。

家事援助・シッターを活用して時間を買う

井口:あのころ、マクロとか「SimplyTerms」のプログラミングなどは、仕事をしながら「こういう機能もあったら便利だろうな」と思いつくとメモを取っておいて、夏休みなど長期の休みのときにまとめてプログラミングをするようにしていました。とりあえず目の前の仕事があって暇があまりないので、メモしておいて、夏休みの時間を、ある意味忙しい時期にもっていく仕組みみたいなイメージです。夏休みにそういう効率アップのツールを作っておいて、忙しいときはそれを使ってペースをあげる。そんな感じです。

松本:ずーっと忙しいとツールを作っている時間がないですよね。

井口:そう、作っている暇がないんですよ。仕事を受けてしまうと、いつまでにこれだけやらなければと納期があって、制約がかかっちゃうじゃないですか。だから夏休みは断れない仕事しかしないことにして、それ以外は基本的にはお断りしていました。付き合いが続いていた翻訳会社には、「いつから1カ月間は、基本夏休みで仕事はしません。ただ指名のお客さんのはやりますから、そういう仕事だけは回してください」と知らせていました。その期間だけガクンと仕事量が減るんですが、ソースクライアント2社くらいからはよく来ていました。そこはきっと指名だったんでしょう。

長期の休みはけっこう勉強にもあてていました。勉強は途中でやめてもいいし、いくらでも融通がきくので。あまり知らなかった英文法を一生懸命勉強してみたり、最初のころは訳し方の本とかで勉強してみたり。こういう本がいいよという話を翻訳フォーラムの仲間から聞くと買っておいて長期休みに読んでみるとか、当時は手あたり次第という感じでした。

SimplyTerms
別荘にも仕事スペースを作成

一方、普段の東京での生活は目が回るくらい忙しくて大変でした。翻訳の仕事もたっぷりやっているし、子どもたちの送り迎えもありましたし。だからうちはけっこう早い段階から家事援助のヘルパーさんをお願いしていました。独立したころはシッターさんで、保育園に入るまでの時期以外にも、子どもが熱を出したときなどに頼んでいました。朝起きて子どもが熱を出していたらシッターさんの手配をして、私が午前中小児科に連れていく。病院から戻ってくるとシッターさんが来ていて、「様子が急変したりしたら呼んでください」と頼んで私は午後から仕事に戻るというパターンが基本でした。

家事援助はもう少しあとになってお願いしました。子どもたちが小さかったころ、一番多かったときで週3日くらい頼んでいました。たとえば平日5日間のうち月、水、金曜日に掃除と料理をやってもらう。料理も作り置きをしておいてもらって、間の日は温めるだけ、ご飯だけ炊けばいいという形です。基本的には時間をお金で買うというパターンですね。共働きでふたりで稼いでいるからお金はそれなりにはあるけれど時間貧乏なので、時間をなるべくお金で買うようにしていたわけです。

翻訳フォーラムに連載を寄稿

井口:2001年3月に、『実務翻訳を仕事にする』という本を出しました。これは1998年10月から2000年6月まで1年8カ月、翻訳フォーラムの会議室に連載していたものです。このときは『二足のわらじ講座』というタイトルでした。最初は二足のわらじで気をつけるべきことということで書き始めたんですけど、結局、二足のわらじで気をつけなきゃいけないことのうち、勤め先との関係以外は普通の翻訳者も気をつけなきゃいけないわけです。

忙しくてなかなか先に進めず、書き終わるまでにけっこう時間がかかり、その途中で完全に独立してしまって、独立に伴うあれこれをいろいろ経験しました。経験したならそれも書こうかということで付け加えて、さらに書く時間が延びて、最終的に書き上がったら本1冊分くらいの量になっていたというものなんです。
これを書くために、Windows CE搭載の「モバイルギア」というPCを買いました。カバーをカパッと開けるとキーボードがあって、細長いモニターがあって、乾電池で動く機種でした。

齊藤:懐かしい! それで書いたんですか? すごい!

井口:これでかなりの量をマクドナルドで書きました。マクドナルドの店内にところどころパイプみたいなのがいっぱいあったりして、子どもが遊べるんですよ。

松本:そこで子どもたちを遊ばせて。

井口:そうです。そこで子どもたちとご飯を食べて、子どもたちは遊んでいました。特に雨の日など、公園で遊べないし家の中では収まらないから「マック行くか!」と。子どもはそこで遊んで、こちらはお茶を飲みながらマックの机で、モバイルギアで連載記事を書いていました。ほかにも子どもの遊び場があるスーパーがあって、その2カ所が二大執筆拠点です。

齊藤:いかにすきま時間を活用するかですね。

井口:あのころのパソコンだと、途中で電池がなくなったりしてもたなかったんですよ。子どもたちは2時間とか遊んでいるんですから。その連載はけっこうフリーランスの人たちに好評でした。翻訳フォーラム以外にいろいろなフォーラムがあり、デザイナーさんなどフリーランスの人たちがいっぱいいたんです。そちらで翻訳フォーラムのあの記事だけは読みにいったほうがいい、みたいな話になっていて、それだけ読みに来ている人が多かったようです。

連載を書き終わったら本1冊分くらいになって、みんなに「本にしたらいいのに」と言われました。そう言われても本を書いたことがないから、どうやったら出せるのかアテもないし、いきなり出版社に行って交渉するわけにもいかない。それで翻訳の雑誌の編集をしていた人に教えてもらって、出版社に持ち込んでみたりしました。(次回につづく)

(「Kazuki Channel」2021/9/4より)

←第 1 回:翻訳者としての基礎をつちかった小中高時代

←第 2 回:スケートに明け暮れ、長い大学生活を経て就職

←第 3 回:会社からアメリカ留学、最初の3カ月は苦労の連続

←第 4 回:英語漬けで猛勉強したアメリカ留学から帰国

←第 5 回:会社員と二足のわらじで翻訳者への第一歩を踏みだす

←第 6 回:育児問題をきっかけに専業への道を考え始める

←第7回:専業翻訳者になるために取引先と分野を広げる

←第8回:会社を退職して専業翻訳者になる

←第9回:専業翻訳者としての基本方針を決めて開業

←第10回:選択と集中―「やること」と「やらないこと」を決める

←第11回:超大型案件に忙殺された一年

◎プロフィール
井口耕二(いのくち・こうじ)a.k.a. Buckeye
翻訳者(出版・実務)
1959 年生まれ。東京大学工学部卒業。オハイオ州立大学大学院修士課程修了。大学・大学院の専門は化学工学。大学卒業後は大手石油会社に就職、エンジニアとしてエネルギー利用技術の研究などをしていた。会社員と翻訳者の二足のわらじを経て 1998 年にフリーランスとして独立。守備範囲は医薬生物を除く工学全般およびビジネスの英日・日英。翻訳作業は自作の翻訳支援環境 SimplyTerms(公開)で行う。 2005 年からは出版翻訳も手がけている。翻訳フォーラム共同主宰。2002~2016 年 (社)日本翻訳連盟(JTF)理事。かつてはフィギュアスケートの選手(シングル、アイスダンス)で、現在は自転車ロードレースにはまっている。訳書に『イーロン・マスク』上下(文藝春秋、2023年)、『スティーブ・ジョブズ』I、II(講談社、2011 年)、『スティーブ・ジョブズ 驚異のプレゼン』(日経 BP 社、2010 年)、『リーダーをめざす人の心得』(飛鳥新社、2012 年)、『PIXAR』(文響社、2019 年)、『ジェフ・ベゾス』(日経 BP 社、2022 年)など、著書に『実務翻訳を仕事にする』(宝島社、2001 年)、共著書に『できる翻訳者になるために プロフェッショナル 4 人が本気で教える 翻訳のレッスン』(講談社、2016 年)がある。

◎インタビュアープロフィール
松本佳月(まつもと・かづき)
日英翻訳者/JTF ジャーナルアドバイザー
インハウス英訳者として大手メーカー数社にて 13 年勤務した後、現在まで約 20 年間、フリーランスで日英翻訳をてがける。主に工業、IR、SDGs、その他ビジネス文書を英訳。著書に『好きな英語を追求していたら、日本人の私が日→英専門の翻訳者になっていた』(Kindle 版、2021 年)『翻訳者・松本佳月の「自分をゴキゲンにする」方法: パワフルに生きるためのヒント』(Kindle 版、2022 年)。

齊藤貴昭(さいとう・たかあき)Terry Saito
実務翻訳者
電子機器メーカーで 5 年間のアメリカ赴任を経験後、社内通訳翻訳に 5 年間従事。その後、翻訳会社にて翻訳事業運営をする傍ら、翻訳コーディネーター、翻訳チェッカー、翻訳者を 10 年経験。現在は、翻訳者としても活動。過去の翻訳祭では、製造業でつちかった品質保証の考え方を導入した「翻訳チェック」の講演など多数登壇。
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