日本翻訳連盟(JTF)

「私の翻訳者デビュー」井口耕二さん編

第 16 回:「高品質高単価」を維持するために

スティーブ・ジョブズ関連書など数多くの出版翻訳や実務翻訳をてがけている井口耕二さんの「私の翻訳者デビュー」を、松本佳月さんが主宰する YouTube「Kazuki Channel」からインタビュー記事にまとめて、長期連載で紹介します。井口さんは大学卒業後、一般企業に就職。2年の社内留学後、正社員として働きながら副業翻訳で自らの実力を確認し、1998年に専業翻訳者として歩み始めました。第16回は、リーマンショック後の新規開拓営業、いかにして単価をキープしたか、適正価格の考え方などについて伺いました。
(インタビュアー:松本佳月さん・齊藤貴昭さん)

久しぶりの新規開拓営業

井口:2008年のリーマンショックのあと、仕事がほぼゼロになったのはけっこうきつい状態でした。さすがになんとかしなければと、2009年4月ぐらいから新規開拓をすることにしました。新規開拓してもすぐ仕事につながるわけではありませんから。翻訳会社の仕事だったら場合によっては新規開拓してすぐに始まることもありますけど、ソースクライアントとの取引は、最初になんだかんだとやり取りもあるし、ちょっとお試しをして、少しずつ仕事をして、これはいいということになるとだんだん本格的になっていく。その間、半年くらいかかるのがふつうなので、4月ぐらいから新規獲得に向けて動かないとまずいなと考えたんです。

独立したころは新規開拓を必死になってやっていましたが、営業担当者が入ってからは彼女に任せて、私自身は営業をしなくなっていました。彼女が営業で取ってきた仕事と、お客さんのご紹介と仲間の紹介で話が入ってくる仕事で十分だったわけです。というわけで、自分で新規開拓をするのは久々でした。

新規開拓は久々でしたが、前にもお話したように、もし仕事がなくなって新規開拓をするときにはここに打診するといいんじゃないかという会社をピックアップして、ファイルにメモしていました。それが40~50社ほどたまっていたので、まずはここからかなと目星をつけた会社にメールで声をかけました。

そこのウェブサイトで英語と日本語の両方が出ていた文章を数パラグラフほど訳して添付し、「うちで訳すとこんなふうになります。お値段的にはこのくらいです。小さい仕事でしたら1本くらいならお試しとして無料でもやりますので、それで判断してください」という具合です。そうは言っても値段が値段で厳しそうだ、リーマンショックで世の中が不景気になっているのだから値段を落とそうかとも思案しましたが、値段って一度下げるとなかなか上げられないんですよね。だから、とりあえずは元の定価で送りました。

40~50社あるなかで、例えば20社、30社に断られるとしても、やり取りのなかで伝わってくる雰囲気があるじゃないですか。もうちょっと、という話なのか、お値段的にまったくありえないという感じでスパッと切られるのか。そのあたりの雰囲気を見ながら、10社、20社、30社とあたっていくうちに調整すればいいやと思って、一応、定価で出したところ、結局、最初に声をかけた会社と仕事をすることになりました。

たしか5月の連休明けに声をかけて、5月末か6月からお試しが始まり、夏の終わりぐらいから継続的にパラパラと仕事が来始めて、年明けから本格化しました。 やっぱり半年ちょっとかかっています。急ぎの仕事が多いところだったので、特急や休日の割増が入って、単価的にはけっこういい仕事になりました。

毎年、お正月にもそこの仕事をしていました。アメリカで年明けすぐに行われる会議関係の仕事が、1月の二日とか三日あたりから入り始めるんです。例年、「来年のお正月もお願いしていいでしょうか」「休日の割増になりますけど、うちのほうはやりますよ」というやり取りがありました。ここの仕事はずいぶんやって手慣れたおかげで、後半は、だいたい、時速1000ワードくらいに達していました。

リーマンショック後も単価を維持

井口:2008年のリーマンショックのあと、Twitter(現X)などで「高品質、高単価」という話をすると、「いや、今はもう時代が違うんですよ。井口さん、古い」とか「そんな仕事、もうありません。井口さんは現状をわかっていない」とずいぶん言われました。

Twitterでいくらとは書いていないけどリーマンショック前と同じ単価で新規開拓ができているし、簡単に手に入るわけでもどこにでもあるわけでもないけど、そういう世界だってあるよ、ということだったわけですし、当然、私がやっていたお客さんの値段より下もあるし、いろいろな段階があるはずという話をしていたんですけどね。

さらに言うと、「もう時代が違う」というようなことを一番よく言ってきた相手が、私が翻訳会社を目指した時代に、けっこう仕事をお願いしていた人だったのが、ねぇ。私は「いいものを高く」という方向性で、業界の隅にでもそういう世界がつくれればと思ってやっていたので、その人にも当時の業界相場より高く払っていました。でも彼にとってそれって単なる「時代」だったんだなと思ってしまいました。私が必死になって高く売る努力をした成果をこれまた必死になって配分していたんですけどね。

松本:値段を下げるのは簡単ですからね。

井口:そうなんですよ。高くてなかなか売れなくて、やっと高く売ってきたものを、私がやることもあれば外に頼むこともあったわけです。そうやって外に頼むとき、営業の女性に「井口さん、外注さんに払いすぎです。そんなに払ったら残らないじゃないですか」とずいぶん文句を言われました。環境とか時代とか、そういう話ですむことじゃないんですよ。

齊藤:そうですよね。

井口:高く売るためには、なぜ高いのかとか、高いとどう違うのかをちゃんと説明しなければいけないし、その説明に「たしかにね」と納得してもらえるものを出さないとリピートはないわけです。そういう手間ひまかけたあげくに、最後は「やっぱりそこまで出せません」と断られるケースもよくあります。そうなると説明に費やした時間とエネルギーは、ある意味無駄というか、実を結ばなかったことになります。

でもそれをやらないと実を結ぶときが出てこないので、しかたないですよね。

適正価格とは

井口:適正価格というのは、断られたり成約したり、いろいろなケースがある時なんです。全部成約するのは絶対、割安で、買う人と買わない人がいるぐらいが本来、適正価格なんですよ。

そうは言いながら、たとえばワード50円と見積もりを出して流れた案件は、もしかしたら45円もしくは40円なら成約したのかな、とか思うわけです。逆に、たとえば20円と言えばポンと決まっていたはずです。でも、20円で契約した相手はもしかしたら30円でも買ってくれたかもしれない、35円でも買ってくれたかもしれないけれど、こちらが20円と提示したら、20円でしか買ってくれないわけです。

松本:「いや、30円出せますよ」とは絶対言わないですよね。

井口:絶対言いません。私が逆の立場だったら言いませんもの。「ありがとうございます。じゃあ20円でお願いします」という話にしかなりません。

そういうふうに山のように断られたあげくにやっとつかめるレベルの話ではありますが、「今はない」と言われるような仕事が、実際あるわけです。実力に合わない高値を提示しても仕事にはならないけれど、安値を提示していたらいつまでたっても高値の仕事は手に入りません。

松本:そうですね。

井口:だから自分の実力に合った 適正価格を出すというのはけっこう難しいことですね。断られるとやっぱり凹みますし。3件、4件、5件と断られつづけると、高すぎるのかなと思い始めるし。でも、自分の仕事の状況によっては10件に1件でもいいわけですよ。私がウェブでそういう話をしていたのも、先輩翻訳者がみんな「最近は安い仕事しかないんですよ」というふうにしか言わない業界ってどうなんだろう、そう言われたら新しく入ってきた人は、すごく安い値段を言われても「私はこのくらいでしょうがないのかな」と思っちゃうんじゃないか、それでは価格が下がる一方なんじゃないかという気がしたからということがありました。

齊藤:そうですよね。

名刺の裏には「高品質、高価格」の方針が明記されている(写真提供:井口氏)
「現状をわかっていない」と言われても

井口:「井口さん、現状をわかってない」と言われたとき、「そんな夢を持たせてもかわいそうだ」みたいなこともずいぶん言われました。だけど、現実に裏打ちされた夢があるのなら、それは語るべきなんじゃないかと思っていました。

松本:それは夢じゃないですよね。井口さんが実際にできたことだし。

井口:ただ、誰でも手に入るのかと言ったら、そういう話じゃないわけです。力の問題もあり、そういうところと巡り合うかどうかの運もあり、断られても断られても値段的にはがんばって保っていくことを繰り返さなきゃいけないとか、メンタル的な問題などいろいろあります。また、分野によっては、値段はここが上限、ということもあるので。

松本:それより出せない分野って絶対ありますよね。そこでいくらレートを上げようとしても、それは無理なんですよ。

井口:そうですよね。自分が選んだ分野のなかで上限と下限があってその上限あたりを狙うのはいいけれど、上限より上を求めても無理じゃないですか。でも別の分野だと上限はもっと高かったりするわけです。

松本:おっしゃる通りです。

井口:それを求めて分野を動いていく人もいれば、自分がやりたいこととの関係で留まるケースなど、いろいろあります。ただ、どんな分野でもそのなかで高値を狙うならやり方はあるし、そういう仕事も業界内にちょっとだけどあるものなんです。

松本:ありますね。

井口:しかも、業界内にちょっとというのは、個人では絶対に終わらない、ものすごい量になります。ひとりやふたりでそれを全部こなすのは無理なんです。そのくらいはあるものなんです。

松本:そして、それをできる人がまだ少なかったりするんですよね。

井口:それもありますね。自分が狙う部分って、業界内で大きかろうが小さかろうが、個人にとっては絶対にでかいので、あんまり気にしなくてもいいと思います。ただ、小さければ小さいほど見つけにくくなります。

松本:そうです。出合いにくいです。

井口:だから時間をかけて少しずつ探していく。 ただ、出合いにくいからといって、出合ったときにそれがつかめないようなやり方をしていたら、やっぱりつかむことができません。

松本:出合ったけど、自分の実力不足っていうのが一番悲しいじゃないですか。だから、勉強もずっとしていかなきゃいけないですよね。

井口:そういうことになりますね。

齊藤:このころから、僕は井口さんのいろいろな発言や発信を見たり聞いたりするようになるんですけど、当時おっしゃっていたことが今、すべてつながりました。なるほど、そういうことかと。裏にはこういうことがあって、そういう発言につながっていたんだなと理解できました。

実行してみなければ手に入らない

井口:あのころは産業翻訳メインでやっていた時代なので、あまり具体的な話はできませんでした。具体的な話をすると自慢と受け取られたりとか、いろいろあって。今はほとんど産業翻訳を引退しているので、過去の話だからまあいいやってことで、今回はじめてお話しているんですけど。

松本:「自慢でしょ」とかいう人、けっこういますからね。

井口:そういう問題じゃないんだけど、自慢だと思ってやらないなら好きにしてよとは思いますね。だから、あまり具体的な話はしないけど、「狙うならそっちでしょう」という話は、機会があればセミナーなどでもちょこちょこしてきました。ときどき、それで動く人がいるんです。翻訳者の懇親会か何かで挨拶されて、「何年か前の翻訳祭のセミナーで井口さんの話を聞いて、いいものを高くという方向に舵を切りました。最初の2~3年はたいへんだったけど、今はそっちに移ってよかったと思っています。今日はお礼を言いたくて来ました」というようなお話が何回かありました。

そういうふうに言いに来てくれた人が何人かいるということは、その裏に、言いに来てはいないけれど実行した人がたぶん10倍ぐらいはいるはずなので、いろいろ話をしてきてそれなりには良かったかなと思います。

前に、関根マイクさんが JTFのセミナーで、手の内を明かすようなことをいろいろとお話されていて、「こんなに手の内を明かしていいのかって思うでしょ? いいんですよ。ここに100人いるでしょ? このなかで今日明かしたことを実際にやる人が10人いたらすごいですよ。1年後にまだがんばって続けているのは、せいぜい1人ですよ。いくら明かしてもライバルは出てこないからいいんです」と、マイクさんらしい物言いで話していました。

齊藤:井口さんのお話と共通点がありますよね。

井口:そうですね。「それ、いいな」とみんな言うけれど、実際にやるかというとやらなかったり、やるとなるとたいへんだとか。でも、やらないと手に入らない。 やったから手に入るとは限らないのが辛いところなんですけどね。

売掛金を2年かけて回収

井口:リーマンショック前は、売上の半分ぐらいが翻訳会社経由の仕事でしたが、定期的に付き合いが続いていたのは1社だけでした。翻訳会社向けも値段が高いので、そういう値段の仕事を持っているのがそこぐらいしかなかったんです。そこ以外は、時々、「ちょっと困っているのでお願いします」と頼まれてやるくらいでした。

付き合いが続いた翻訳会社はやはり「いいものを高く」という方向性だったので、真っ先に仕事を絞られたらしく、リーマンショック後はすごくたいへんだったみたいです。回復にも時間がかかったようで、私に出す仕事量も減りましたし、さらには支払いが遅れ始めました。

松本:へえ。翻訳会社さんですよね。

井口:はい。リーマンショックから1年くらいたったころで、余波できついんだろうなと思ったのと、遅延が始まったころにはソースクライアントの仕事がそれなりに回復してきていたので、「最終的にちゃんと払ってくれるのなら多少はいいですよ」と伝えていました。

けれど、けっこうな額がたまってしまって、遅れることも増えてきたので、さすがに仕事を受けるのをやめ、2年ぐらいかけて全額を回収しました。一括払いは無理な状況だったので、少しずつでも払ってもらう形で、売掛総額から「今回おいくらもらったので、残額いくらです」というファイルを毎月送っていました。時間はかかりましたが、最終的には全額いただいたのでいいかな、というところです。(次回につづく)

(「Kazuki Channel」2021/9/8より)

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←第 3 回:会社からアメリカ留学、最初の3カ月は苦労の連続

←第 4 回:英語漬けで猛勉強したアメリカ留学から帰国

←第 5 回:会社員と二足のわらじで翻訳者への第一歩を踏みだす

←第 6 回:育児問題をきっかけに専業への道を考え始める

←第7回:専業翻訳者になるために取引先と分野を広げる

←第8回:会社を退職して専業翻訳者になる

←第9回:専業翻訳者としての基本方針を決めて開業

←第10回:選択と集中―「やること」と「やらないこと」を決める

←第11回:超大型案件に忙殺された一年

←第12回:多忙な日々でのオンとオフ、時間とお金の使い方

←第13回:書籍『実務翻訳を仕事にする』を出版

←第14回:JTFの理事に就任。仕事場を再び自宅へ戻す

←第15回:出版翻訳をてがけ始める。リーマンショックでは大きな打撃

◎プロフィール
井口耕二(いのくち・こうじ)a.k.a. Buckeye
翻訳者(出版・実務)
1959 年生まれ。東京大学工学部卒業。オハイオ州立大学大学院修士課程修了。大学・大学院の専門は化学工学。大学卒業後は大手石油会社に就職、エンジニアとしてエネルギー利用技術の研究などをしていた。会社員と翻訳者の二足のわらじを経て 1998 年にフリーランスとして独立。守備範囲は医薬生物を除く工学全般およびビジネスの英日・日英。翻訳作業は自作の翻訳支援環境 SimplyTerms(公開)で行う。 2005 年からは出版翻訳もてがけている。翻訳フォーラム共同主宰。2002~2016 年 (社)日本翻訳連盟(JTF)理事。かつてはフィギュアスケートの選手(シングル、アイスダンス)で、現在は自転車ロードレースにはまっている。訳書に『イーロン・マスク』上下(文藝春秋、2023年)、『スティーブ・ジョブズ』I、II(講談社、2011 年)、『スティーブ・ジョブズ 驚異のプレゼン』(日経 BP 社、2010 年)、『リーダーをめざす人の心得』(飛鳥新社、2012 年)、『PIXAR』(文響社、2019 年)、『ジェフ・ベゾス』(日経 BP 社、2022 年)など、著書に『実務翻訳を仕事にする』(宝島社、2001 年)、共著書に『できる翻訳者になるために プロフェッショナル 4 人が本気で教える 翻訳のレッスン』(講談社、2016 年)がある。

◎インタビュアープロフィール
松本佳月(まつもと・かづき)
日英翻訳者/JTF ジャーナルアドバイザー
インハウス英訳者として大手メーカー数社にて 13 年勤務した後、現在まで約 20 年間、フリーランスで日英翻訳をてがける。主に工業、IR、SDGs、その他ビジネス文書を英訳。著書に『好きな英語を追求していたら、日本人の私が日→英専門の翻訳者になっていた』(Kindle 版、2021 年)『翻訳者・松本佳月の「自分をゴキゲンにする」方法: パワフルに生きるためのヒント』(Kindle 版、2022 年)。

齊藤貴昭(さいとう・たかあき)Terry Saito
実務翻訳者
電子機器メーカーで 5 年間のアメリカ赴任を経験後、社内通訳翻訳に 5 年間従事。その後、翻訳会社にて翻訳事業運営をする傍ら、翻訳コーディネーター、翻訳チェッカー、翻訳者を 10 年経験。現在は、翻訳者としても活動。過去の翻訳祭では、製造業でつちかった品質保証の考え方を導入した「翻訳チェック」の講演など多数登壇。
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