日本翻訳連盟(JTF)

「私の翻訳者デビュー」井口耕二さん編

第17回:スティーブ・ジョブズの公認伝記を翻訳

スティーブ・ジョブズ関連書など数多くの出版翻訳や実務翻訳をてがけている井口耕二さんの「私の翻訳者デビュー」を、松本佳月さんが主宰する YouTube「Kazuki Channel」からインタビュー記事にまとめて、長期連載で紹介します。井口さんは大学卒業後、一般企業に就職。2年の社内留学後、正社員として働きながら副業翻訳で自らの実力を確認し、1998年に専業翻訳者として歩み始めました。第17回は、産業翻訳と出版翻訳を同時にてがける際の仕事の進め方、ジョブズ公認伝記を翻訳することになった経緯などについて伺いました。
(インタビュアー:松本佳月さん・齊藤貴昭さん)

産業翻訳と出版翻訳を並行しててがける

井口:2011年は、スティーブ・ジョブズの公認伝記を訳した年です。その前年の2010年は書籍の仕事が多く、4冊も翻訳しています。もともと3冊訳すことになっていたのですが、3冊終わったあとに、どうしてもと言われて、もう1冊やることになったのです。厚みにもよりますけど、出版翻訳専業の人でも年4冊は「多いですね」という話になるぐらいですし、私は当時、産業翻訳メインだったのですから、書籍4冊を訳すのは体力的にきつい話でした。

ただ、そのころには子どもたちがある程度大きくなり、それほど手がかからなくなっていました。親として何かしなければいけないことは減るので、なんとかなった次第です。

松本:産業翻訳と出版翻訳と両方やってらっしゃったときは、一日の何時から何時まではこれをやるというようなスケジューリングですか。たとえば、今日は産業翻訳だけやって、この日からこの日まで出版翻訳やろうとか、そんな感じでしたか。

井口: 産業系の仕事次第ですね。出版翻訳は何カ月かのスパンじゃないですか。3カ月とか4カ月とかの期間で訳せばいいので、大まかにそのスケジューリングはしてあります。そこから大きく外れなければ、たとえば今日明日はやらなくてもいいわけです。

松本:帳尻が合えばいいわけですね。

井口:はい。ですから産業系の仕事が入ると産業のほうをやり、入らなければ出版翻訳をやるという感じでした。

松本:産業系を納品したら出版系をやって、また産業系が来たら産業系を、という形ですか。

井口:そうですね。あのころ産業系の仕事はプレスリリースやウェブ記事などが中心で、1本1本は短いものでした。数百ワードぐらいから長くて2000ワード。2000というのはあまりなくて、700~800から1500ワードぐらいの案件が大半です。

松本:すると何日もかかるような感じではないということですか。

井口:はい。お客さんが基本的に固定していることもあって1000ワードだったら1時間くらいで終わるので、時間はあまりかかりませんでした。

締め切りは、朝に依頼がきてその日のうちだったり、夕方きて翌日の午前中だったりという感じでした。入ってくるタイミングにもよりますが、すぐに取りかからないとまずいときには、依頼を受けてすぐに取りかかります。そうでなければ、朝から出版系をやって、夕方、仕事をやめる前の最後に、産業系の翌日納品のものや、その日じゅうが締め切りのものをやっていました。

産業系のほうは手慣れているお客さんの仕事なのであまり考えなくてすむし、疲れてきてからやってもスピードが落ちません。だから、疲れていないうちはなるべく出版系の翻訳をして、疲れてきたころに産業翻訳をやって、その日の仕事を終わりにするというパターンにしていたわけです。

もちろん、産業系の依頼がいくつもバラバラと重なってしまい、朝から一日中、産業系をやって、出版翻訳の本を全く開かない日もありました。ケースバイケースですね。

スティーブ・ジョブズ公認伝記の仕事獲得に動く

井口:そんなわけで、2010年は出版翻訳の仕事が4冊もあって大変だったので、2011年は年間2冊に戻そうと思っていました。

松本:2冊でもすごいですよねえ。

井口:年初に今年の方針として出版翻訳はマックス2冊と決めてスタートし、2月までにその年にやる2冊が決まりました。

実はその2月に、以前訳した『ウィキノミクス』という本の続編の話が来たんです。別の出版社だったのですが、「『ウィキノミクス』続編の版権をうちで取りましたので、井口さん、訳をやってもらえませんか」というお話がきました。できればやりたかったんですが、出版翻訳の仕事は年間2冊と決めていたし、すでに2冊決まっていたしで、「私がやるとしたら、年明けからかかることになります」「いや、これは年内には出したいんですよ」「そうするとちょっとスケジュール的に無理がありますね」というやり取りがあり、結局、その話は流れました。

ちょっと残念だったな、あれの続編だったらやりたかったなと思っていたんですけど、その少しあとの3月に、スティーブ・ジョブズの公認伝記が出るという話がネットニュースに出ました。

実は、ジョブズの公認伝記がもし出たらやりたいなという話を、ジョブズ好きの人たちとウェブサイトの雑談やセミナーでよくしていて、これはなんとか取ろうと動きました。書籍のほうでそういう動きをしたことはあまりないんですけど、このときは珍しくいろいろと手を尽くして動きました。

最初にネットニュースで見たあとに、よく一緒に仕事している編集者から連絡をいただきました。「ご存知だと思いますけど、公認伝記が出ます。版権入札にうちも参加したんですけど取れませんでした。取れていたら井口さんにお願いしようと思ったんですけど」「うちは取れなかったけど、どこかが取っているわけです。今回はすごく秘密主義で、どこが取ったのかわかりません」というお話でした。

そこで、業界通の知り合い編集者に、「どこが取ったか調べてもらえませんか」とお願いしてみました。「あれはガードがかたいので時間がかかるかも」「かまいません。お願いします」というようなやりとりを経て、講談社が取ったことがわかりました。わかったところで、まずはウェブサイトに、「公認伝記が出るらしいんだけど、あれやりたいな」みたいな話をジャブとして書きました。これは講談社の方も見てくださったようです。

向こうは向こうで誰に翻訳を頼むか、いろいろ検討していたようです。ジョブズ関連の本ってたくさん出ているんですけど、ジョブズが亡くなった時、山のようにジョブズ関連本を集めた本屋さんのフェアで確認したところ、複数冊を訳していたのは私だけでした。あとはいろいろな出版社からいろいろな方がひとり1冊ずつで。そんなこともあったからか、講談社のほうでも一応、候補に上がっていたようです。で、私が書いたブログ記事を見て、「やっぱりやりたいんだ」と思ったそうです。

松本:へえー。やっぱり発信するって大事なんですね。

井口:そうですね。あとは人脈。たまたまその前年だったか、知り合いの紹介で講談社の仕事を1冊やっていたんです。ブルーバックスなんですけど、その編集者に、「ジョブズのあの案件、講談社さんが取ったと聞きました。いまごろ、誰に頼むか検討中だと思うので、私の名前を候補者リストに入れるように言っていただきたいんですけど」と頼んで働きかけもしてもらいました。その後、紆余曲折を経て、やることになったわけです。

幸運だったタイミング

井口:あとから振り返ると、タイミング的にすごくラッキーだったと思います。これが2011年、52歳の時なんですけど、あと5~6年早かったらたぶん私に来ることはなかったと思います。『iCon』をやる前だったら絶対来ないし、その直後も実績が『iCon』1冊だけならひとり1冊の人たちと同じですから、私のところに来たかどうかは怪しいでしょう。

版権を取った出版社としては、よく知らない翻訳者に頼むのはリスクですから。あれだけ分厚い本だと、後半ボロボロに崩れるとか、どんどん遅れていくとかいろいろなことがありうるので、どういう人かわからないというのはリスクが大きいわけです。だから、過去に仕事をして「この人だったら性格的、人間的に大丈夫」という信頼関係が築けていない私に頼むというのは、そういう安心感を上回るメリットを見いだしてもらえなければ、なかったはずです。

そういうメリットになりそうだったのが、日経BPから出た『スティーブ・ジョブズ 驚異のプレゼン』です。前年の発売から半年ぐらいで10万部を超えるなど、ノンフィクションとしては大ベストセラーになっていて、私の訳でジョブズの話をはじめて読んだ人が多かったはずなんです。

『スティーブ・ジョブズ 驚異のプレゼン』(カーマイン・ガロ著、井口耕二訳、外村仁解説、日経 BP、2010 年)、『スティーブ・ジョブズ 驚異のイノベーション』(カーマイン・ガロ著、井口耕二訳、外村仁解説、日経 BP、2011 年)

余談ながら、この本、スタートもすごかったけど、いまだに年間1000部くらいのレベルで増刷がかかっています。また、私自身、ずいぶん参考にして、自分のプレゼンがだいぶ変わりました。いい本ですよ。

とにかく、たくさん売れると業界内で注目され、「それを訳した人」と認知されますし、そういう注目されたものは編集者も読んでいますから、「この訳だったら悪くないんじゃないか」という話も絶対あったと思うんです。 そんなこんなで、いろいろ実績が上がったところだったので、ジョブズ公認伝記の依頼が来たのではないかと思います。

一方、これがたとえばもう5年あとだったら体力的に無理でした。あの仕事は本当にきつくて、過労死一歩手前まで行きましたから。

齊藤:お話を伺ったときに、本当に壮絶でした。

井口:全部終わったときに、友だちから「今日は祝杯だね」と言われましたけど、「それはない。酒飲んだら吐く。今でも吐きそうなのに」というぐらいになっていましたから。本当に壮絶なスケジュールだったので、4、5年もあとだったら、体力的に少なくとも1人じゃ無理でした。あのタイミングだったことが私にとっては大ラッキーでしたね。

終わったときは、「私の代表作ってこれだな」と思いましたよ。このあと、訳のレベルとか、いろいろな意味で自分的にはこっちが気に入っているというものが出たりしても、外から見たときの私の代表作はもうこれしかない、これ以上のものは出てくるはずがないと。それができたのはすごく幸運でした。

『スティーブ・ジョブズ』英語版と I、II に分冊出版された日本語版(ウォルター・アイザックソン著、井口耕二訳、講談社、2011 年)
予定外の壮絶なスケジュールをこなして

井口:ただ、とにかくきつい思いをしました。出版翻訳を2冊やると決めて、1冊目が終わったところでジョブズの公認伝記の話が出たので、もともと決まっていた本の仕事がまだ1冊残っていたんです。

実は、1冊目が終わったら出版の仕事はしばらく休んで産業系だけとし、夏ぐらいから書籍の2冊目をやって、秋口から冬の初めぐらいに出版社に提出するつもりでいました。そこにジョブズの公認伝記が7月から9月というスケジュールで入ったわけで、その前に、もともと決まっていたもう1冊を訳し上げておかないと、「どうなってます?」と言われたら困ってしまいます。

だから、休むはずだった時期にも休むわけにいかず、前年4冊やって疲れた状態のまま2冊目をやり、その後にジョブズの本をめちゃくちゃなスケジュールでやることになりました。それに加えて産業系があるわけです。いや、もう、死にそうでしたよ。

ちなみに2冊目の本は、必死になって7月の頭にとにかく仕上げました。それを出版社に出したのは年末だったかな。

松本:というのは?

井口:そちらの本はもともと秋から冬の初めぐらいという話でしたし、終わったからって出してしまうと、ゲラがきちゃうわけですよ。

松本:ああ、そうですね。

井口:そっちのゲラに手を入れている暇なんてありません。出版社も原稿をもらったら、「早く上がったのか、じゃあ出版時期を前倒ししよう」とか、そういう話が下手すると社内で出てしまう。だから、「どうなってます?」と言われたら場合によっては出すけど、言われなけりゃいいけどな、と思いながらずっと抱えていました。結局問い合わせも入らなかったので、実は7月の頭に終わっていたものを「もともとの予定よりも少し遅れてすいません」と言いながら出すことになりました。

そんなふうにいろいろありまして、ジョブズの仕事が終わったのが10月でした。その後は、とてもじゃないけど仕事をやれる状況になく、昼間もくたくた寝てばかりいましたし、産業系の仕事が来ちゃえば必死になってなんとかするけど、もう仕事したくない、やれないという状態でした。11月、12月は基本的にはお休み期間になりました。(次回につづく)

(「Kazuki Channel」2021/09/09より)

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←第9回:専業翻訳者としての基本方針を決めて開業

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◎プロフィール
井口耕二(いのくち・こうじ)a.k.a. Buckeye
翻訳者(出版・実務)
1959 年生まれ。東京大学工学部卒業。オハイオ州立大学大学院修士課程修了。大学・大学院の専門は化学工学。大学卒業後は大手石油会社に就職、エンジニアとしてエネルギー利用技術の研究などをしていた。会社員と翻訳者の二足のわらじを経て 1998 年にフリーランスとして独立。守備範囲は医薬生物を除く工学全般およびビジネスの英日・日英。翻訳作業は自作の翻訳支援環境 SimplyTerms(公開)で行う。 2005 年からは出版翻訳もてがけている。翻訳フォーラム共同主宰。2002~2016 年 (社)日本翻訳連盟(JTF)理事。かつてはフィギュアスケートの選手(シングル、アイスダンス)で、現在は自転車ロードレースにはまっている。訳書に『イーロン・マスク』上下(文藝春秋、2023年)、『スティーブ・ジョブズ』I、II(講談社、2011 年)、『スティーブ・ジョブズ 驚異のプレゼン』(日経 BP 社、2010 年)、『リーダーをめざす人の心得』(飛鳥新社、2012 年)、『PIXAR』(文響社、2019 年)、『ジェフ・ベゾス』(日経 BP 社、2022 年)など、著書に『実務翻訳を仕事にする』(宝島社、2001 年)、共著書に『できる翻訳者になるために プロフェッショナル 4 人が本気で教える 翻訳のレッスン』(講談社、2016 年)がある。

◎インタビュアープロフィール
松本佳月(まつもと・かづき)
日英翻訳者/JTF ジャーナルアドバイザー
インハウス英訳者として大手メーカー数社にて 13 年勤務した後、現在まで約 20 年間、フリーランスで日英翻訳をてがける。主に工業、IR、SDGs、その他ビジネス文書を英訳。著書に『好きな英語を追求していたら、日本人の私が日→英専門の翻訳者になっていた』(Kindle 版、2021 年)『翻訳者・松本佳月の「自分をゴキゲンにする」方法: パワフルに生きるためのヒント』(Kindle 版、2022 年)。

齊藤貴昭(さいとう・たかあき)Terry Saito
実務翻訳者
電子機器メーカーで 5 年間のアメリカ赴任を経験後、社内通訳翻訳に 5 年間従事。その後、翻訳会社にて翻訳事業運営をする傍ら、翻訳コーディネーター、翻訳チェッカー、翻訳者を 10 年経験。現在は、翻訳者としても活動。過去の翻訳祭では、製造業でつちかった品質保証の考え方を導入した「翻訳チェック」の講演など多数登壇。
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